第148話
ガルダトイア神王国王太子クラウディウスの乳兄弟であり、直系からは遠くはあるが王族の血が流れているラザロスは、灰色に近い銀髪を乱し、王城から王都を見下ろしていた。
焦げ茶色の瞳が映す王都は今、嘗てない程に炎上している。
炎上の原因は―――紫の雷。
宿敵であるトリエス王国軍の主力はまだ王都に入れていない。その幾分手前でガルダトイア神王国全軍と対峙しているはずだ。
では何故、王都が炎上しているのか。それは先程落雷した禍々しい紫色の稲妻が落ちたからだ。数発程が軍関連施設に的確に命中した。それが延焼し、王都に燃え移ったが為の炎上だ。
何故そのような通常なら決して起こり得ない事が起こるのか。答えを導き出すのは至って容易な事だった。
『―――あの女っ』
ガルダトイアの王城の特徴の一つである美しい円柱を、ラザロスは力の限りに拳で叩き殴った。
ラザロスが神力というもの僅かながらも持っていて、簡単な神術を使う事が出来るのを知ったのは、不浄の地であるトリエス王国へと出発する少し前の事だった。乳兄弟であり王太子、至高の継承者であるクラウディウスに教えられた。衝撃的だった。そのような事が出来るのかと。そしてラザロスの比ではないクラウディウスの力にも驚嘆した。何故これらの事を秘していたのかは其の際に聞いたが、ラザロスには妙に納得できるものだった。何故ならクラウディウスの乳兄弟として、幼少時から側近くに居たからだ。
幼い頃からのクラウディウスの神獣と神獣の乙女への思いを知っていた。成程と理解した。それならば、あれ程に神獣の乙女を求め続けていたのは仕方あるまいと。そして、それらの事情を知らぬ頃であっても、クラウディウスの許に神獣の乙女が早く降臨するといいと願っていた。ラザロスはクラウディウスの幸せを願っていたのだ。
ある日、トリエスの王城ヴィネリンスに長期滞在しているクリスティーヌ王女から情報が齎された。ガルダトイアに激震が走ったといっていいものだった。地獄の青薔薇の地であるトリエスの悪魔の許に神獣の乙女が現れたというのだ。それだけでは無い。次ぐ情報では、神獣の乙女は直ぐに悪魔の女になったという。それを知った瞬間に、クラウディウスが顔を蒼白にし、脱力したように椅子に座り込んで頭を抱えたのをラザロスは鮮明に覚えている。
次々に入る情報にラザロスは怒りに震えた。到底、許す事は出来なかった。
悪魔への恐怖に震え、泣き暮らしているのならば、何としてでも救出すべきだと思う。しかし現実は違った。
悪魔の子を懐妊したやもしれぬとの情報が齎された時は、死んでしまえと願い、殺してしまえと考えた。
穢れた神獣の乙女など要らない。クラウディウスを裏切った存在など激しい憎悪と嫌悪の感情しか湧かない。
齎される情報の真偽の程を確かめるべく急遽敵国に入国する事になった。面子にクラウディウスは加われない。敵国に継承者をそう易々と行かせられないのは当然だ。ネストルを中心に入国組が編成され、其処に神力持ちという事でラザロスも加わった。この時点でネストルは神力に関する色々な事を知っているようだった。
トリエスに入国し、まず接触したのはクリスティーヌ王女を七年に渡り護衛し続けるタレスという黒髪の男だった。年齢は神王陛下と同じくらいに見え、王女から厚い信頼を得ているのか、タレスという黒髪の男もネストル同様に秘されている事柄を知っているようだった。言葉にこそ出していなかったが理解が妙に早いのだ。無表情な男で、王女からの情報を訥々とラザロスらに伝えた。
トリエスに入国したところでラザロスらに出来る事は殆ど無かった。肝心な神獣の乙女が王城ヴィネリンスから全く出て来ないのだから仕方ない。王女からの情報と、王都ヴィネヴァルデに広がる噂に歯噛みをしながら無為に時間を浪費するより術は無かった。
王城ヴィネリンスに潜入は出来なかった。堅固だった。悔しいまでに隙の無い城だった。ネストルはそれでも何とかならないかと探り続けてはいたが徒労に終わり、王女の護衛のタレスに聞いても先代の時代であればと首を横に振られた。そうこうしている内に定期的に王女からの情報を伝え訪れていたタレスの無表情が崩れた。
愉快そうに口角を上げて伝えてくる王女からの情報は、神獣の乙女が王城を出る、悪魔と城下で食事をする、それも今夜、というものだった。
ネストルは直ぐに接触を図る事に決めた。それに一同賛成だった。これ以上の無為な時間の浪費は耐え難かったからだ。
ラザロスの限られた少ない神力で、目眩ましの神術を発動させた。
楽しそうに会話をしながら街中を歩く悪魔と神獣の乙女を尾行し、入る店を知ると、クラウディウスに教えられた通りに目眩ましの術を何重にも重ね掛けして、ラザロスらも店に入った。
悪魔と神獣の乙女の卓から適度に離れた席を確保し、神術を維持し続ける事に息を切らし始めたラザロスにネストルは一旦の解除を告げたが、ラザロスは首を横に振って其れを維持し続けた。
店内に悪魔の配下の者が幾人も入り込んだのを感じていた。それらに決して気づかれぬように注意を払いながら、一同は悪魔と神獣の乙女の方へと視線を向けた。
許せなかった。実際に目にして殺意しか芽生えなかった。
楽しそうだった。いや、それを遥かに超えて幸せそうですらあった。
会話が弾んでいた。手慣れたように料理を互いに取り分け、神獣の乙女は悪魔に食べさせてもいた。それを吐き出しもせずに悪魔が飲み込むのに、ラザロスはあまりの忌々しさに眩暈を覚えた。大陸中に悪名と脅威を轟かせているトリエス国王である悪魔の頭上に、神獣の乙女は少しの躊躇いも無く手を置いた。そしてあろうことか撫で始め、それを激昂もせずに受け入れる悪魔の姿に、母国で嘆き悲しみ、思い悩み続けているであろうクラウディウスを哀れに思わざるを得なかった。
これらの光景はヴィネリンスでの日常なのだろうと察しがつくからだ。
そして極めつけは両者の接吻で―――。
悪魔と神獣の乙女が席を立ち、店から出る途中で、ネストルが神獣の乙女に接触した。
驚いた事に神獣の乙女はガルダトイア語が理解できないようだった。
どこまでと。どこまで裏切り続けるのかと。
憎悪と嫌悪と殺意と失望とがラザロスの全身を渦巻いたが、仲間を安全に店外へと脱出させる為に、何重もの神術の維持を歯を食いしばって耐えた。
それから暫くの記憶は無い。ラザロスの限界を超えていたようで、気づいた時には数日が経過していた―――。
『―――だから反対だったんだ! 既に悪魔のものとなった穢れた女を此の国に迎え入れる事は! 見ろ! 大陸最古の美しい王都が燃えていく! 偉大なガルダトイア神王国が終焉するんだ!』
激しく炎上する王都を睨み据えながら、ラザロスは声の限りに叫んだ。
等間隔に並び立つ美しい純白の柱に再び拳を叩き込む。
あまりの怒りと悔しさに、ラザロスの焦げ茶色の瞳を持つ目が真っ赤に染まった。
『何が神獣の乙女だ! 何が神王にとっての力と象徴だ! あの女は此の国に災いを、大陸の悪魔を呼び込んだんだぞ! 神代から続く最古の歴史と格を誇るガルダトイアに終止符を打つあの女こそが悪魔そのものではないか! 許せん! あの女だけは決して許しはしない!』
ラザロスは帯剣する剣に触れ、握ると其れを抜いた。
炎上する王都に向けて掲げ、誓いの言葉を口にする。
『悪魔の女に死を。あの女を地獄へと送る事で、偉大なるガルダトイア神王国がいつの日か復活を果たす事への祈りとする。……俺はクラウディウスのように諦めない。必ず一矢報いてやる』
『―――独白は終わりましたか?』
『誰だ?!』
突然聞こえてきた落ち着いた声に、ラザロスは喫驚しながら背後を振り返った。
近づく気配を全く感じなかった。この場には自分一人であると思っていた。
しかし振り返ると、そこには返り血だろうものを浴びまくっている高年の男が立っている。
その様相はまるで―――。
『……死神』
男の片眉が可笑しそうに上がった。
『おや、私を知っておられるのですか?』
そう口にし、男が手にしていた物を無造作にラザロスの方へ向かって放った。
ゴロリと三つの物が王城の美しい床に転がる。
それを視界に入れたラザロスは驚愕に目を見開いた。
『神王陛下! 神王妃! ……ネストルッ』
転がるのは三人の頭部だ。ありえない程に髪は乱れ、血に汚れ、頸部の切断面が酷く生々しい。
『その者はネストルというのですか。彼はなかなかでした。殺すには惜しいと思いましたが、彼の全力に応えなければと思いましてね』
頭部を放った事で空いた手を、高年の男は付着した汚れを落とす為に軽く叩いた。
『改めて自己紹介をすると致しましょう。今は年齢の事もあり、主にトリエス国王であるマティアス陛下の御側に控え、身の回りのお世話をさせて頂いておりますが、それでもまだ引退はしておりません。後継を育てておりましてね。私はトリエス王国軍総団長ヘロルド・ブロンザルト、そして第十三騎士団を現在も直接指導しております死神です』
品のある穏やかさを感じさせる微笑みを場違いにも浮かべ、トリエス王国軍総団長と名乗る男は剣の柄に手を乗せた。
『ところで先程貴方は神獣の乙女の死を口にしておりましたね。勿論私は其れを阻止しなければなりません。彼女に死神の守護をとマティアス陛下に仰せつかっておりますので。それに此処へ来る道すがら、散らばる青をひっ捕まえて色々と聞いたのですが、王族の血を引いている者は始末対象だとか。貴方は引いているでしょう?』
トリエス王国軍総団長と名乗る男が帯剣していた一対の剣を抜いた。双剣使いだ。抜いた剣は当然ながら其の刀身を赤く染め上げていて、一体どれだけの命を吸っているのか、そう感じさせる程に血でぬらりと濡れている。
そして得物を手にした瞬間、男の目つきが変わった。
つい今し方の品のある穏やかさは完全に消え失せ、瞳が狂喜に彩られる。
思わず一歩後退るラザロスを同じ数だけ近づく男は、酷く楽しそうにニヤリと嗤い、双剣を変わった型で構えた。
『おい小童、全力で向かってこい。互いに楽しもうではないか。お前とネストルとかいう者は、どちらが強い? 是非、楽しませてくれ。儂は血湧き肉躍る思いがしたい。ああ、実に久しぶりだ、このように剣を振るい続けるのは。見てくれ、歓喜で全身が震えているぞ。さあ、やり合おう。お前の断末魔を儂に聞かせてくれ―――』
死神がラザロスに襲い掛かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます