第147話




 私の体内時計はもうずっと狂っているから、どのくらいの時間が経ったのかは分からないけれど、あれから暫く待っていると、ホルガーさんが「合図があったぞ」と教えてくれた。

 戦場を私もずっと眺めていたけれど、ホルガーさんの言う合図がどれだったのかは全く不明だ。

 ホルガーさんがその後直ぐに「いつでも始めていい」と言葉を続けるのに、私は一度大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。


「じゃあ、やってみます。―――ウオちゃん、攻撃スタンバイね」

「きゅん。きゅんきゅぴぴきゅん、きゅきゅきゅぴぴぴきゅんぴきゅんきゅ。きゅ、ぴきゅきゅんぴきゅぴきゅきゅんぴ。きゅぴきゅぴきゅんぴぴ。きゅぴぴぴぴきゅんぴきゅぴぴきゅんきゅ、きゅぴきゅぴきゅぴぴぴぴきゅきゅ。きゅぴきゅん、きゅぴきゅんぴぴきゅんぴきゅぴきゅぴんきゅんぴぴきゅんぴ(了解。いつでもいいよ。ちなみに今回の力を振るったら制約の縛りを受けるから暫くは同じような事は出来ないよ。まあ、マティアスはボクの力の利用を決して考慮に入れないと思うけどね。ボクもするつもりはもう無いし。これからやる事は理へのかなりの違反だから、ボクのこの地上での寿命も相当縮むと思う。それはきっとね、君やマティアスとそう変わらなく終わる事が出来るという事なんだ。だから丁度良いかな)」

「紫の雷ね、ウオちゃん。暗雲から無数の稲光がビビビッって感じの禍々しくカッコイイ系で」

「きゅんぴきゅ。きゅぴきゅぴきゅ。きゅんぴきゅぴきゅきゅ。ぴぴぴきゅんぴ、きゅんぴきゅきゅきゅんぴぴ。……きゅ、ぴぴきゅんきゅ(分かった。盛大にいくよ。もう終わらそう。マティアスの言うように、続く流れは断ち切らないと。……ね、クラウディウス)」

「トリエス軍に当たらないようにしてね。……クラウディウスさんの国の軍の方だけで」

「きゅんぴぴ。きゅぴぴ、きゅんきゅん。きゅんぴ、きゅんぴぴ、きゅきゅきゅきゅんぴ。きゅんぴぴきゅんぴきゅきゅきゅきゅきゅんぴぴ(了解だよ。というか、三発いくよ。ガルダトイア、レネヴィア、ラガリネと一気に。レネヴィアとラガリネの方も丁度良い具合にまだ軍が入り混じってないみたいだし)」

「じゃ、ウオちゃん、私ってば中二病的な技名を叫ぶから、それに合わせてね」

「きゅんぴ。きゅきゅぴぴきゅんぴ(分かった。かっこよく言っちゃって)」


 ウオちゃんがホルガーさんの馬の頭上で頭を縦に何度も振った。

 言ったこと全てが了承されたと取って、再度、私は大きく深呼吸をする。

 ウオちゃんが戦場の方へとクルリと向いた。

 誰にも望まれていない事をする。期待されていない事をして、私は私なりの決意の証を見せようとしている。

 凄く自分勝手だと思う。それによってクラウディウスさんの国の人達を犠牲にするのだから。

 でもトリエスにこそ何の被害も被ってもらいたくはない。これ以上、少しの犠牲も出してもらいたくはない。被害を被り、犠牲に苦しみ、嘆いて欲しくはないのだ。苦しみ、嘆き悲しんで、トリエス全体が暗く居心地の悪いものになって欲しくはない。

 私は陛下を始めとしたトリエスの人達と平和に過ごしたい。笑い合いたい。彼らと過ごした期間は多分一年にも満たない短いものだけれど、私には凄く楽しいものだった。

 私は善人では全くない。だから―――。


「クラウディウスさん、ごめんなさいっ! ウオちゃん! いくよ!」

「きゅんぴきゅ! (まかせて!)」


 大きく息を吸って、私は声を張り上げて技名を叫んだ。


「地獄より来たりし暗黒の雷雲よ、夜空に輝く星々を覆え! 我の声に応え出でよ、紫電改しでんかい!」


 ―――ギュイィィィィィン


 ウオちゃんが口をパカリと開いて、辺り一帯の光という光を勢いよく吸い取っていく。

 元々が夜の森であったから、吸い取る光は此処と戦場を含めた松明と篝火、そして夜空の星々たちからだ。

 一帯が漆黒の世界になった。瞬間、何も見えなくなる、何も聞こえなくなる。

 もしかしたら此れが、秘密の小部屋の帰り道に陛下とディルクさんが言っていた事ではないのか。

 ディルクさんは闇に支配されたように感じたと言っていた。

 そして陛下は、虚無の世界があるのなら、ああいう世界なのだろうと思わせる状態だったと言った。

 そう、虚無の世界。それがピッタリの表現だと私も思う。

 ポツリと光りが現れた。

 ウオちゃんの居る辺りからだ。

 暗闇の中から現れたポツリとした光が、幾つかの点を結ぶように走り出す。

 そして急速に光が溢れ出して闇を払拭するかのような渦を巻き始めて―――。


 ―――ドン、ドン、ドン


 三発の光の筋が夜空の方向へと放たれた。

 その瞬間、視界と聴覚が元に戻る。

 先程までと寸分変わらない戦場が見えた。ホルガーさんの馬の頭上にウオちゃんも居る。

 では放たれた事によって何が変わったのか。

 夜空だ。星々が輝く夜空が瞬く間に暗雲に支配される。

 ゴロゴロとした雷独特の音も鳴り響き出した。

 暗雲から覗くのは紫色の稲光で。

 そこまで視界に収めた時、轟音と激しい地響きと共に紫色の雷がクラウディウスさんの国の軍へ向かって落ちた。

 轟音の大きさに驚き、私がビクリと体を震わせると、ホルガーさんが馬を宥めながら後ろから私を守るように抱き締めてくれる。

 紫の雷は次々と落ちだした。違う、落ちているんじゃない。暗雲から大地へと伸びた稲妻が蠢き這っているのだ。

 それが轟音を立てて、大地を震わせ、無数に走り出している。

 あまりの予想外の光景に私の手が震え出した。


「……え、あの、かなり規模が大きい?」

「……凄まじいな」

「……あの、えっと、あのね? えっと、あの、紫の雷の技名の紫電改ってね、私のお兄ちゃんの名前なんです。うち、苗字が、えっと、家名がですね、紫電っていうので。だから陛下の瞳も紫色だし、紫の雷にしてみようかなって思って。あの……」


 私はどんな反応をすればよいのか分からなくなってしまって、とりあえず笑顔を作った。

 自分が仕出かした無数の紫の雷が蠢く光景を見ていられなくて、後ろを向き、無表情で戦場を眺めていたホルガーさんの方を向く。

 そんな私に気づいたホルガーさんが此方に視線を移し、困ったように眉を下げた。


「嬢ちゃん」

「紫の雷、カッコイイでしょ? 私ってば、紫色って結構気に入ってるんですよね。ねね、ホルガーさん、あの、此れで少しはトリエス軍の役に立ったかなぁ?」

「そうだな。かなりの役に立ったと思う。……なあ、嬢ちゃん、無理して笑わなくていいぞ?」

「……え?」


 ホルガーさんが自身の腕で囲う私の体をあやすようにポンポンと叩きだした。


「無理して笑わなくていい。少なくとも今だけはな」

「…………」

「嬢ちゃんを見ていれば分かるが、嬢ちゃんの育ったところは平和だったんだろう? 今この瞬間、嬢ちゃんは凄く驚いたはずだ。怖かったはずだ。その恐怖は今も尚、続いているはずだ。無理して笑わなくていい。明るく振舞おうとなんて考える必要も無い。泣いてしまえ」

「…………ふぇ」

「ガルダトイアで嬢ちゃんは捕虜ではなかった。人質でもなかった。嫌な事はあったと思うが、丁重に扱われたはずだ。既に情は湧いているだろう。主にガルダトイア王太子クラウディウスに」


 私を囲い抱きしめるホルガーさんの腕の力が強まった。余った分で私の頭を撫でだす。

 ポロポロと私の目から涙が溢れ出す。次から次へと流れ落ちて止まらない。

 私は腕を伸ばした。ホルガーさんの筋肉で太い首に巻き付ける為に。

 ホルガーさんが気づいて姿勢を低くしてくれた。


「怖かったよな、嬢ちゃん。今の行為だって物凄く怖かったはずだ。ありがとうな。トリエス側の者として礼を言っておく。あとあの時、守り切れなくてごめんな」


 もう駄目だった。抑えられない。ホルガーさんの言葉と、あやしてくれる手と、季節が夏なら暑苦しさしか感じなそうな筋肉質な体が鎧越しにも安心感を与えてくれて、私の涙が止まる事を忘れる。嗚咽が漏れ出る。

 この世界に来てから、私はたくさん泣いている。

 でもきっと声を出してまでは泣いた事は無い。陛下の前でも嗚咽止まりだったはずだ。

 その声が出た。大きい鳴き声。文字通りの「うわぁん」といった鳴き声だ。

 大声を出して泣いてしまう。止める事は出来なかった。


「ディルクはさ、機密に関する事以外では、酒の席では結構口の軽いヤツでな? まあ、当たり障りない手持ちの情報を出す事によって、相手から重要情報を引き出す職業病みたいなものなんだが、嬢ちゃんの事はさ、現れてそう時間が経たないうちから俺は聞いていたんだよ。嬢ちゃんはさ、頑張っていたもんな。無意識ではあったかもしれないが、トリエスに来てから、陛下の前に現れたその瞬間から、ずっと頑張り続けていたんだ」


 首に縋りついて大声で泣き続けている私を、ホルガーさんは、よしよしといった様子で撫で続ける。

 体に巻きつけていた毛布が地面に落ちた。


「だってそうだろう? 知らない世界で、知り合いも誰ひとり居ない状態で、頑張り続けるしかないよな? 勿論、大抵は嬢ちゃんの性分だろう。だけど無理しているところは、やっぱりあっただろう? 嬢ちゃんの頑張りはさ、陛下の根っこの部分にちゃんと届いていたと思うぞ? 陛下はな? 頭が良すぎて、効率を重視してしまう嫌いがあってな。不要と判断されたものは、微塵も迷わずに早々に切り捨ててしまう方だ。それはされる側にとっては冷酷で残酷で残虐性のある人間にしか映らない。そんな陛下を嬢ちゃんはさ、こんなにも動かせたんだ。陛下は嬢ちゃんを助ける手段をちゃんと講じてきただろう? 自信を持っていいんだ。嬢ちゃんは今回の事では深く考える必要は無い。恐怖を覚える事も、責任を感じる事も無い。後はただ陛下を信じて、守られていればいいと俺は思うよ。たとえ元の世界に帰れなかったとしても、嬢ちゃんには帰る場所が出来たんだ」


 周囲の騎士さんの誰かが落ちた毛布を拾って汚れを払った。

 ホルガーさんに抱きついて、わんわん大泣きしている私に、そうっとした手付きで毛布を掛けてくれる。

 ホルガーさんはずっと私をあやすように撫でてくれていた。


「陛下や陛下の周囲の人間はさ、立場上、特殊な環境下で育ってきた者が殆どだ。本人達に悪気は全く無いんだが、人の微妙な機微に気づけない事が多々あるんだよ。ディルクだってそうだ。あいつは自分を庶民出身だとよく言っているが、育った環境は陛下の側で、師匠もアレだしな。陛下やヴィルフリートよりは幾分マシといった程度だよ、実際はな。嬢ちゃんさ、この先、息苦しくなったらウチの団に遊びに来い。次はもっと万端な警備体制を敷いて、公衆に分からないように庶民の店に連れていって息抜きをさせてやるから。もし陛下が渋るようなら、広いヴィネリンスの敷地で野外料理でも皆で食べようや。気づいていると思うが、騎士団の数字が後半になればなる程、庶民率が上がるからな? ウチだけでなく第五十も第四十九も庶民を味わえるだろう。ああ、第四十四は止めておいた方がいい。あそこは何故か変人が多いからな」


 ホルガーさんが自身の首に巻きつく私の腕をやんわりと解いた。

 そして軽く掛けられた毛布をギュッと私に巻き付け、ボサボサで絡まりまくった私の髪の毛をチョイチョイと極簡単に整えてくれる。

 それを終えると、馬上の私の座る位置を直して手綱を操り出した。


「野営地に帰ろう。もう此処に居る必要は無い。あいつらはやる時には確実にやるから放置でいい。野営地に着いたら簡易的なものになるが、嬢ちゃんに湯を張ったものを用意するよ。気になるのなら髪を洗えばいいさ」


 ホルガーさんが馬を動かした。馬首を北東の方へと変える。

 未だに轟音と地響きと無数の稲妻が蠢き這う戦場から、ホルガーさんは背を向けた。

 勿論、私にももう戦場は見えない。


「そういえば減量運動の時に、嬢ちゃんが痩せたら何でも言う事を聞くって約束しただろう?」


 ホルガーさんの言葉に私は泣きながら首肯した。


「嬢ちゃん、細っこくなり過ぎだ。ディルクが酒の肴のひとつとして言っていたんだが、嬢ちゃんは生パピヨンが食べたかったんだろう? 帰還の際にさ、俺が皆にパピヨンの名産の村に寄るように言うから、美味しい物で栄養つけようや。それでどうだ? 生パピヨン。ヴィネリンスに戻ったら、もう二度と食べられないぞ? 旧国境までの旅を陛下が許すとは思えないからな」


 ホルガーさんは馬を歩かせながらそう言って、そんな彼の優しい提案に私の涙腺はますます決壊してしまった。

 うわぁんと大泣きし続ける私に、仕方が無いなぁといった様子でホルガーさんは少し笑う。

 わんわんと泣いて泣き止む気配の無い私に、今度はそれまで黙って周囲に控えていたユーリウス少年と騎士さん達が私に話しかけてきた。


「珍獣様、本来なら此処で貴女の涙を拭いて差し上げたいのですが、今は綺麗な状態の手持ちがありません。野営地に着きましたら、貴女の身の回りのお世話を僕がさせて頂きますね。陛下は恐らくそれも考慮に入れられておられると思いますから」


 ユーリウス少年の言葉に私はまた泣きながら首肯する。

 次は騎士さんが私に話しかけてくれた。


「珍獣様、野営地に到着しましたら、俺が郷里の田舎料理を腕に縒りを掛けて作りますね! 田舎の庶民料理なんでごった煮ですが、栄養は満点だし、美味しいと思います! なにより心と体が温まりますよ!」


 他の騎士さんも話しかけてくれる。


「じゃあ俺はそのごった煮に入れる肉を狩ってきます! この騒ぎで獣は隠れてしまっていると思いますが、そこはもう騎士になる前に田舎で腕を磨いた俺が見事に探し当てますよ! なるべく食べやすい肉を調達してきますね!」


 また別の騎士さんも話しかけてくれた。何故か内緒話といった様子でだ。


「珍獣様、ここだけの話ですがホルガー団長はね、自ら珍獣様の減量運動担当に志願したんですよ。きっと先程の事をいつか貴女に言いたかったんです。だからホルガー団長を信じて大丈夫ですからね。困った事があったら安心して相談してあげて下さい。分厚い筋肉は非常に暑苦しいですが、その分、庶民版親分肌ですから」


 私の涙腺は此れ以上ない程に決壊しまくっていた。

 ホルガーさんが「余計な事を言うな」と恥ずかし気に口籠るのも、皆が優しい言葉を掛け続けてくれるのも、互いの言葉が通じ合い、安堵できるものをたくさん貰える事がこんなにも有難い。

 私はいっぱいいっぱい泣いて、本当にたくさん泣き続けて、心の底から安心して。

 泣き疲れたのと此れまでの疲労が合わさり、ホルガーさんの逞しい筋肉に包まれながら、私はそのまま久しぶりの深い眠りについたのだった。









 全軍への周知を素早く完了させ、第五十一騎士団団長ホルガー・ザイデルへ合図を送らせた総大将である第三騎士団団長ラードルフ・ベッケラートは、ほんの僅かでしかない時間を経て真の暗闇が戦場を支配したのに、手綱を強く握り、騎乗する馬に触った。手に伝わる馬の温もりに此れほど安堵する事は嘗て無かった。

 何も見えず、何も聞こえず、何の気配も感じられず。事前に神獣の乙女という存在の彼女が何かをすると知らなければ、確実に全軍が混乱していたと思われる状況に陥っている。

 一体これから何が起きるのか。彼女は何を成そうとしているのか。ホルガー配下の騎士らから聞いた紫の雷とはどうくるのか。

 分からない。想像もつかない。影響を予測できない。

 ラードルフの額から汗が流れる。

 音が聞こえた。ドンと三発だ。非常に大きく大気を震えさせる音で、それが鳴り終わると視界が開け、戦場の雑音も復活する。

 最初に思ったのは、先程と何も変わらない、だった。

 だが―――。


「ラードルフ、空を見ろ。物凄い勢いで暗雲が広がっている」


 第四のアンゼルムが馬を宥めながら夜空に視線を向けていた。

 同じく周囲の団長らが馬をあやしながら銘々に口を開き出す。


「……随分と禍々しいな」

「暗雲から紫色の稲妻が見えだしたぞ」

「向こうの伝言通りに受け取れば、あの雷が敵軍に落ちるのだろうが、規模が―――」


 そう第二十六のテオフィルが口にした時だ。

 対峙しているガルダトイア軍に向かって巨大な紫色の雷が落ちた。

 身の竦むような轟音、激しい地響き。

 トリエス軍の全ての馬が驚きと恐怖に一斉に嘶き、騎乗する騎士らが各々宥めるのに必死になる。

 だが宥めながらも敵軍を注視するのも忘れない。

 ガルダトイア軍の陣が乱れた。酷く混乱しているのが分かる。それは当然の事で、これを契機に此方は一斉突撃をすればいいのか、ラードルフが勢いよく考えを巡らせる。

 しかし様子がおかしい。

 暗雲の様子がおかしいのだ。禍々しい紫の雷は先程の一撃だけでは―――。


「ラードルフ! 次が落ちる!」

「その次も、その次も続くぞ! 何発続くんだ!」

「おい、落ちた雷が消えない!」

「あれは蠢き這っているのか? 稲妻が自らの意思で?」

「なんなんだ、これは……。天による裁きにしか見えないではないか」

「生ある者を探し当て雷撃する。これでは一方的な蹂躙であり殺戮でしかない」


 ラードルフは混乱を極めるガルダトイア軍を眺め続ける。いや、ただ眺める事しか出来ない。

 それはトリエス軍の全て者がそうだった。


「……我らが陛下は、なんという存在を手に入れられたのか」


 思わず口に出たラードルフの呟きに、仕事上、時間を共有する事の多い第四のアンゼルムが反応した。


「そうだな。もう策も何も無い。ガルダトイア軍は此れで壊滅だ。我々に残されたのは後始末しかない」

「……これでは彼女を殺すしか手は無かった」

「ああ、そうだ。殺すしかなかった。彼女が陛下の前に現れずにガルダトイアのもので在り続けていればな。これは反則だろう。後味の悪さしかない。我が軍にやられてみろ、堪ったものではないぞ」

「……ああ」


 頷くこと以外に返答の仕様がないラードルフに、アンゼルムが怯え続ける馬の首を軽く叩きながら言葉を続けた。


「我が軍が此れを食らっても、陛下は足掻かれるだろう。次は食らわない。打開策を必ず見つけられる。まずは手っ取り早く神獣の乙女の抹殺を命じられるはずだ」

「……だろうな」

「直ぐさま青が放たれる。此れまで彼女を護衛し続けていた連中がだ」

「…………」

「ほんの少しの掛け違いで、ディルクが彼女を躊躇いもせずに殺す状況が発生したという訳だ」


 ラードルフはアンゼルムの話を聞きながら、ガルダトイア軍に齎されている地獄絵図から視線を外した。

 そろそろ全軍に指示を出さないとならない。

 だがアンゼルムは構わずに話を続けた。


「ガルダトイアが此れ迄どういう意図を持って此れらを隠し続けていたのかは不明だが、大陸最古の歴史と格を持つガルダトイア神王国というもので押さえつけていた欲望が放たれるだろう。国々が動くだろうな。荒れるぞ、この大陸は」

「ああ、荒れるだろうな。我が国は大国という位置づけではあるが、それらを押さえられるところまではいっていない。ガルダトイアを筆頭に見下し続けてきた意識はそう直ぐには変えられないだろう」

「今回の事は大陸中に広まるだろうな」

「ああ」

「神獣の乙女の争奪戦が繰り広げられるぞ」

「……彼女の警護を強化しないとな」

「余程の事が無い限り陛下は彼女をヴィネリンスから出さないだろう。まあ、庇護という名の軟禁、監禁、束縛といったところだろうな」


 アンゼルムの言葉に、色々と想像が出来てしまったラードルフは溜息をついた。


「彼女がそれで幸せであればいいが」

「気づかせないだろう、陛下は。彼女には幸せへの道しか用意されていないと思うがな」


 そこまで言って、一旦言葉を切ったアンゼルムは、馬を宥め、ガルダトイア軍の方を見ながらポツリと言葉を付け加えた。


「時代が動くな」

「ああ、動く」

「新大陸が発見されたという話だし、色々と忙しくなりそうだ」

「あれは此れから発見しに行くという話ではなかったか?」

「そうなのか?」


 訝し気に返したラードルフにアンゼルムも疑問符で返して、二人は話を終えた。

 ガルダトイア軍の陣は未だ地響きと轟音を立てながら禍々しい紫の稲妻に襲われている。

 また暗雲は、更に豪雨をも齎すようだ。

 豪雨はトリエス軍の陣にも襲い掛かり、そしてガルダトイアの王都へも広がっていった。


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