第146話




 ホルガーさんと其の配下の第五十一の騎士さん達に保護された私とユーリウスウ少年は、その後はずっと馬上の人であり続けた。

 騎士さん達がガルなんとか国の追手の人達との事が終わるまで、少し離れた場所で待機して、私はホルガーさんの馬に、腕の傷を応急処置してもらったユーリウス少年は副団長さんであるという人の馬に乗せてもらっている。

 ウオちゃんは暫くするとホルガーさんの馬の頭の上に戻って、馬の鬣がモフモフで気持ち良かったのか寝てしまったみたいだった。ピクリとも動かない。

 騎士さん達が戦っている間、ユーリウス少年はホルガーさんと副団長さんに此れ迄の経緯を聞かれていて、私はそれを黙って耳にしていた。


「―――成程な」

「その後、影だと思われる人達が合流してきませんでした。気になっています」

「探しますか、ホルガー」

「そうだな。青に余裕は無いだろうし、うちがやっておいた方がいいか。捜索に団を割く。指揮はお前に任せるから適当に連れていけ」

「了解。―――では事が終わりましたら、ベルクヴァインの御子息は別の者の馬に」

「分かりました。ありがとうございます」

「どうやら向こうは終わったようだぞ。特に此方の被害は無さそうだ。まあ、数の勝利だな。……嬢ちゃん、大丈夫か?」


 会話の最後でホルガーさんの気遣わし気な声が私へと向けられた。

 それに私は慌てて首を振り、なんとなく顔を下にする。

 ホルガーさん、副団長さん、ユーリウス少年の視線が一斉に私に向けられたからだ。


「大丈夫です。ちょっと眠いだけ」

「そうか?」

「はい」

「此処からはそれなりに離れているが野営地を設けている。これから其処に向かうから、もう少し辛抱してくれ」


 ホルガーさんがガシガシとまた私のボサボサな髪を搔き混ぜた。

 その後、ホルガーさんは色々と指示を出し、皆がそれぞれの動きをして。

 そんな中、私は気になってしまっていた。

 此処まできて考えてしまったら、トリエスの人達に物凄く失礼だって分かっていたけれど。

 クラウディウスさんの事だ。

 血と紅玉の瞳の気配が完全に消えた。

 優しくて泣き虫な彼はどうしたのだろう、と。

 大丈夫だろうか、と。

 今回の私の救助に双方のたくさんの人が亡くなっているのを分かっていて、私は気になってしまったのだ、クラウディウスさんの事が。

 そんな私をユーリウス少年が眉を下げて見つめていた事にもまた、私は気づいていた。









 副団長さんと一部の騎士さんらと別行動になって。

 私とユーリウス少年は此れ迄の事が嘘のような安心安全な道程をホルガーさんと残りの大勢の騎士さん達とで進んでいた。

 馬の振動によって当たるホルガーさんの鎧が痛くないように、寒くないようにと厚手の毛布でグルグル巻きにされている私は、申し訳ないと思いつつもホルガーさんに全体重を預けるレベルで寄りかかりウトウトしていた。

 気づいたホルガーさんに「この状態で眠れるのなら寝てしまえ」と言われたけれど、色々と思う事もあって、考えてはウトウトしたりを私は繰り返す。

 そうこうしながら移動しているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。

 夜空にはたくさんの星々が輝いているのが見える。

 東京二十三区よりは星が見えると思われる茨城県龍ヶ崎市の居住地よりも、こちらの世界の夜空は本当に圧巻だ。

 それはトリエスも、クラウディウスさんの国も。


「嬢ちゃん、起きているか?」

「起きてます」

「見ていくか?」

「見ていく?」

「ああ。トリエス軍とガルダトイア軍が衝突寸前の光景を。陛下が動くという事はこういう事だというのを今後の為にも嬢ちゃんは見ておいた方がいいかもしれないと思ってな。どうする? 無理強いはしない」

「……見ておきます」

「そうか。分かった。―――おい、野営地に戻る前に少し寄り道をする」


 ホルガーさんの新たな指示に、第五十一の大勢の騎士さん達は馬首を西の方へと変えた。









 凄いという言葉しか思い浮かばなかった。

 ホルガーさんに連れられて到着したのは、トリエス軍とガルなんとか軍が睨み合っている戦場全体が見渡せる山の中腹みたいな場所だ。

 今が夜である事もあって、篝火か松明の炎が無数にある。そしてその数以上に、人と軍馬がそれぞれの陣の中で犇めき合っているが、遠目にも炎に照らされて何となく見て取れた。

 ホルガーさんが衝突寸前と言ったのを身に染みて理解する。場の空気が違った。戦場内に居ない私にも張り詰めているのが感じられるのだ。

 私は体に巻き付けている毛布をギュッと握った。


「……両方とも物凄い人数ですね」

「そうだな。ガルダトイアは全軍を、トリエスは半分に届かないくらいか」

「そうなんですか?」

「うちはガルダトイア、レネヴィア、ラガリネ、ヴィネリンスと軍を割っているからな」

「えっと、あの、なんで?」

「全方位に喧嘩を売っているからだ。今回、陛下は一気に片を付けるおつもりのようでな。右がトリエス軍だ。今回の総大将は第三の団長ラードルフ・ベッケラートが担っている」

「……ラードルフさんも」

「ここ最近はヴィネリンスに居て嬢ちゃんの運動に付き合っていたが、ラードルフは元々遠征組でな。こういった事へ駆り出されるのは別に不思議でも何でもない」

「あの、」

「なんだ、嬢ちゃん。質問は何でも受け付けるぞ?」


 ホルガーさんは視線を戦場の方に向けたまま、私の体を毛布越しにポンポンといった感じで軽く叩いた。

 私達を乗せてくれているホルガーさんの馬は大人しくしていて、馬の頭の上のウオちゃんはずっと寝ていて今もピクリとも動かない。


「トリエスは軍を割って大丈夫なんですか?」

「大丈夫、といえば大丈夫ではある。勝利はするだろう。陛下は負け戦を決してなさらない。そういう手を確実に打ってくる方だ。だが、厳しいのも確かだな」

「厳しい……」

「ああ。軍を割った分、当然ながら数で押せない。その分の損害は当然受ける。要はそれなりの人的被害は覚悟しているという訳だ」

「……人的被害」

「そこを嬢ちゃんが気にする必要は全くないぞ。陛下が全ての責を負うものだからな」

「…………」

「俺がこれを見せたのは、それを言いたいんじゃなくてだな。嬢ちゃんが今後、陛下と共に歩むにあたって、ヴィネリンスからでは決して見る事の出来ないこういう事が裏では行われているというその事実をただ心の片隅に置いてもらいたかったんだ。たとえ僅かにでも知っていれば、自ずと自分自身の行動を見つめ直す事が出来る場面があるだろうからな。俺の予想では、陛下を始めとした其の周囲は、きっと嬢ちゃんには何も見せない。綺麗なものしかな」


 ホルガーさんが私のボサボサ髪をワシワシと搔き混ぜた。


「……言おうと思っていたんですけど、私の髪、すっごい汚いですよ? 洗ってないですもん、クラウディウスさんのお城を出てから。臭いと思います」

「そうか?」


 私の頭に鼻を寄せてホルガーさんが臭いを嗅いだ。

 その行動にビックリして、私はホルガーさんから距離を取ろうと毛布から手を急いで出し、鎧を纏った彼の体を押し退ける。

 しかしホルガーさんの体はビクともしなかった。


「嬢ちゃんのは臭いうちに入らねぇよ。嬢ちゃんは知らないだろうが、遠征中の野郎共の臭いときたら酷ぇぞ。衛生面で気をつけてはいるが、遠征中だ、出来る事はたかが知れているしな。ヴィネリンスの練兵場も臭いが、あの比じゃないからな」


 大丈夫大丈夫とホルガーさんが私の髪をまたワシワシと搔き混ぜる。

 それを成すがままの状態で受け入れながら、私はとある決心を固めつつあった。

 クラウディウスさんの事は確かに気になる。

 トリエスの人達には決して言えないけれど、クラウディウスさんが酷い状況に陥るのは正直なところ嫌だ。

 でも―――。

 それでも私はトリエスに帰りたい。トリエスの人達に傷ついて欲しくない。これ以上、命も落として欲しくはない。それにより陛下がたくさんの責を負わなければならないもの嫌だ。私は迷惑を掛けたい訳じゃない。どうして私がクラウディウスさんのところに連れて行かれたのか、結局のところ理由は分からなかったけれど、でも今回、私を助けてくれる為に陛下が動いてくれたのは確かなのだ。

 クラウディウスさんの国の人達だって本来なら傷ついて欲しくない。灰色の瞳の彼も無事でいて欲しい。なんだかんだと灰色の瞳の彼も親切だった。

 でも私は覚悟を決めないといけない。諦観者になってはいけない。少しでも手助けを出来る方法があるのなら、それをしなければならない。トリエスに戻りたいなら。陛下の許に帰りたいなら、そうしなければならない、そう思うのだ。

 私のその思いは、トリエスの誰も期待も望んでもいないという事を分かってもいるけれど。


「……ホルガーさん」

「ん? どうした嬢ちゃん。もう此処はいいか?」

「そうじゃなくて。あのね、クラウディウスさんの国の軍が混乱すると、少しはラードルフさん達の助けになりますか?」


 その言葉を私は戦場を見ながら言った。だからホルガーさんの表情は分からない。

 ホルガーさんは少し沈黙した後、「助かると思う」と静かな口調で言った。


「そうですか」


 ホルガーさんの言葉で決心がついた。


「じゃあ、何処まで助けになるのか私ってばよく分からないし、もしかしたら何の効果も無いかもだけど、とりあえず出来そうな事をやってみますね」

「なにを、と聞いてもいいか、嬢ちゃん」

「はい。ウオちゃんにね、光線を吐いてもらおうかと思います。ウオちゃんの光線、ヴィネリンスも破壊出来るくらいの威力があるみたいだし」

「……そうか。じゃあ、事前に総大将のラードルフに伝えておかないとな」

「……そうですね。あ、でもその前に、ウオちゃんに出来るか聞いてみますね?」


 私は戦場からホルガーさんの馬の頭上でピクリとも動かないウオちゃんに手を伸ばした。

 体を前のめりにしたから、ホルガーさんが直ぐに私の腰をシッカリと掴む。

 ウオちゃんの尻尾に指が触れた。


「ウオちゃん、起きて? お願いがあるの」

「(…………)」

「ウオちゃーん、お・き・て!」

「(………………)」

「ウオちゃん、ウオちゃん、ウオちゃーん!」

「―――きゅんぴ(おまたせ)」

「起きた! ウオちゃん、私ってばお願いがあるの! 聞いてくれる?」

「きゅん、きゅんぴぴ?(いいよ。なに?)」

「あのね?」


 私は言いながら、伸ばしていた手をウオちゃんから引いた。

 ウオちゃんが私の方に小さな目を向けてくれたからだ。


「ウオちゃんさ、陛下のお城で吐いた光線ってまた出せる?」

「きゅんぴ(出せるよ)」

「出せるなら、頭を一回縦に振ってくれる?」


 ウオちゃんが大きく縦に頭を振ってくれた。

 出来るみたいだ。


「あのさ、あのあの、紫の雷も出せたりする? 前の赤い光線じゃなくて」

「きゅんきゅるぴ。きゅきゅきゅんぴきゅぴぴ(出来るよ。君の頭に思い描いてくれれば確実かな)」


 ウオちゃんが再び大きく縦に頭を振ってくれる。

 それを見て、私は後ろのホルガーさんの方へと視線を移した。


「ウオちゃん、出来るみたいです」

「そうか。じゃあ、向こうに伝えるから少し待っていてくれ。―――おい、何人かラードルフのところに行ってくれ。今の事を伝えたら、そのままラードルフの指揮下に入り戦闘に参加だ。向こうの準備が出来た時点で合図を送れ」


 ホルガーさんの指示に第五十一の騎士さん十人くらいが動いた。

 彼らは直ぐに馬を翻して消えていき、私とホルガーさんを始めとしたその場に居る人達は、ウオちゃんを含め、誰も口を開かずにただ戦場の方を俯瞰した。









 此度の戦争の総大将でありトリエス王国軍第三騎士団団長ラードルフ・ベッケラートは、ガルダトイア軍との睨み合いが続く戦場で、数人の騎士団長らと、第五十一騎士団団長ホルガー・ザイデルからの伝言をその配下の騎士らから聞いていた。

 彼らからの話が進むうちに団長らの眉が中央に寄っていく。勿論それはラードルフも同じだった。

 伝言を聞き終えた第四騎士団団長アンゼルム・デルプフェルトが厳しい表情で口を開いた。


「―――珍獣様が何者なのかは青から聞いている。だが、たとえ出来たとして、それを彼女に本当にやらせるのか?」


 第二十六騎士団団長テオフィル・ランメルツも話し出す。


「陛下がお許しにはなるまい。あの方は珍獣様に何もさせたくはないとお考えのはずだ」


 第四十騎士団団長ゲーアノート・ロッシュが息を長く吐いた。


「何もさせず、何も見せず、何も聞かせず、何も教えず、都合が悪いと思われるものは全てを綺麗なもので覆い尽くし、地上の楽園を作り上げて囲い込むだろうなぁ、確実に」


 第六騎士団団長クリストハルト・アーベラインが考える様子で腕を組んだ。


「厳しいが勝てない戦では無い。犠牲は多く出るかもしれないが、それが戦争というものだ。―――どうする、ラードルフ」

「…………」

「あの、ベッケラート団長、珍獣様はやる気です。俺の私感でしかありませんが、やらせて差し上げないと、多分、彼女の中での決着がつかないのではないかと。珍獣様は珍獣様なりにトリエスに帰る事の出来る理由というか、上手く言えませんが、手柄……違うな、証のようなものが欲しいのではないかと俺は思うんです」

「……証、か」

「はい。珍獣様なりにトリエスに味方したいんだと思います。ホルガー団長もそのお気持ちを汲み取って我々を此処へ寄越したのかと」


 ホルガー配下の騎士の言葉にラードルフは暫し黙した。

 視線をガルダトイア軍の方へと向ける。夥しい数だ。其れも其のはず、向こうは最古の歴史と大陸一の格を誇る偉大なる国の存亡の危機で、全軍を投入するのは至極当然だ。

 今回は常のトリエス軍がある状況と違い、余裕が無く厳しいものだ。其処に未知数でしかない彼女の行為を受け入れて、戦況がどう転んでいくのかが全く予測がつかない事になるのは避けたい。

 正直な思いは手を出されたくはない。それは此の場に居る全ての者の総意だろう。厳しいが勝てなくはない。藁にも縋るような事をせずともよいのだ。

 ラードルフが彼女に初めて会ったのは陛下の部屋の横の珍獣部屋だった。陛下の寝台で飛び跳ねたり、おかしな行動をしたりと非常に変わった方だというのが第一印象だ。次に会ったのは少し間が空いて練兵所での減量運動で、渋々といった様子でやる気は殆ど感じられなかったが、言われた事はやる素直な方だった。城の厨房が火事になり、陛下と共に練兵場に訪れた時は、あの陛下に言いたい事を言う姿に感銘を受けた。そしてラードルフは守り切れなかった。彼女を物の見事に眼前で攫われてしまったのだ。

 その彼女が手を出したいと言う。決着を付けたいと、証を得たいと、トリエスに味方をしたいと。どうする―――。

 ラードルフは周囲にそれと分からないように深呼吸をした。覚悟を決める。


「―――全軍に周知。珍獣様が敵軍に何かをなさると。事が起き、結果が分かるまで其の場で待機。此方の指示を待て、と散らばる他の団長らに伝令を」

「おい、ラードルフ」


 驚きの声をよく行動を共にする第四のアンゼルムが上げた。

 それにラードルフは小さく笑い、周囲に補足説明をする為に言葉を続ける。


「私は融通が利かないと言われているからな。頑張ってみた」

「このような時にか!」


 第六のクリストハルトが呆れたように言葉を発する。

 ラードルフが眉を下げた。


「ホルガーに融通が利かず臨機応変な対応が出来ないと言われ、珍獣様にも不器用だと言われた時に陛下もいらっしゃってな。否定されなかった。あながち間違ってはいないと肯定されたよ」

「まあ、それはそうなんだが。だがな、ラードルフ」


 やはり否定をしない第四のアンゼルムの言葉をラードルフは片手を上げて制した。


「―――陛下がお怒りになった場合も含め、全ての責任は私が取る。状況を見極め、全力で対応していこう」


 ラードルフはそう言って、次いでホルガーの配下の騎士らの方を向いた。


「此方の周知が済んだら向こうに合図を。それが済み次第、第三の副団長の指示を仰げ」


 後は事が起こるのを待つだけとなり、その場に居る者の全てがガルダトイア軍の方へと視線を向けた。



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