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「なるほど。それは困りましたね」

 どこから取り出したのか。誰が一体そこに置いたのか。いつの間にか出てきた椅子に座らせられ、カウンターで左京さんと向かい合いながら僕の身に降りかかったことを全て伝えた。

 自分が動画配信者であること。今絶調の真っ最中であること。そして肝心の映像に、なぜか自分だけが映らないこと。はたから見れば信じられないような不思議な話だし、初対面の人にされても困るような内容であるはずなのに、向かい側に座る左京さんは僕を馬鹿にすることもなく真摯に頷いてくれた。

 しかもあまりにも左京さんが聞き上手すぎるから、つい高校での惨めな思いとか、今までの人生の愚痴なんかも口走ってしまったが、嫌な顔ひとつせずに聞いてくれた。やはり年上の余裕というやつだろうか。学校初日に誰とも話せなかったコミュ障の僕との経験の差をひどく感じる……。

「実際に林原さんの写真を撮らせて頂いてもいいですか?ぜひこの目で見てみたいです」

 左京さんが立ち上がり、カウンターの下からカメラを取り出す。

「ちょっとそこのドアの前で右近と並んでみてください」

 僕も立ち上がりドアの前に立つと横で突然何かが動く気配がした。隣を見ると、いつの間にか例のクマのぬいぐるみが僕の横に座っている。


 何度でも言おう。数秒前までこのクマは絶対僕の横にはいなかった……。


「ではいきますよ。はい、チーズ」

 カシャリという音と共に明るいフラッシュが店内を照らす。

「はい、ありがとうございます。あー、本当ですね。右近はしっかり映っているのに、林原さんは影すらない」

 カメラをいじり、先程撮った写真を僕にも見せてきた。

 ドアの前に巨大なクマが座っている。その横はぽっかりと空いていて、まるで撮影者がレンズの向きを間違えてしまったかのように不自然だった。クマのぬいぐるみだけが被写体なら、絶対撮り直ししていただろう。だが、実際そうではない。僕も確かにそこにいたはずなのだ。

 それなのに写真に映っていない僕は、果たしてどこに行ってしまったのだろう……。

「なんとも奇妙なことがあるものですね。それにしても右近、君はもう少し笑顔で写ってほしかったものですね。無愛想な顔がさらに怖いことになっていますよ」

 左京さんが言う。

「こういう顔なんだって言っても、笑顔の一つや二つくらいできるでしょうに」

「あ、あの……それで僕のこの現象は治るんでしょうか?」

 十分このクマは可愛い顔をしているのにな、なんて思いながら逸れそうになっている話を軌道修正する。

「うーん、そうですね。では林原さんにも分かるように少し整理してみましょうか」

 カメラを元の場所に戻して、左京さんはまたカウンターの席に座る。僕もそれに続く。

「林原さんが今抱えている最大の問題は、写真や映像などに、あなた自身の記録が一切残らないという点ですよね。それは姿も声も、影すらも何一つ無かったことになってしまっています。これは実際には起こりうるはずのない、不思議な現象です」

 僕は激しく頷きながら言う。

「ほんと不思議すぎて困っています。そもそも何が原因で僕はこんな目に……」

「まぁ、そんな落ち込まないでください。林原さんみたいな不可思議な出来事に見舞われている人は意外とたくさんいるものですから。わざわざこの相談屋まで赴いてきた人を私は何人も見てきました」

「そうなんですか?」

「ええ。私たち相談屋はそのためにいるのですから」

 にこりと紳士的な笑みを見ていると、案外そういうものなのかもしれないと流しそうになったが、そのあとの左京さんの話でまた更なる謎が増えた。

「林原さんは幻想症候群って聞いたことありますか?私たちはそれを訳して幻症と呼んでいるんですが」

 首を横に振る。

「初めて聞きました。何ですかそれ……?」

「そんな不安そうな顔をされないでください。症候群なんて大層な名前がついていますが、別に重い病とかなわけではないので。ただ、本来だれでも心の内に持っている強い欲望や願望が、何かの拍子に表に出てきてしまう。そんな現象なんです」

「心の内の欲望や願望……」

「本来であれば私たちは日常生活の中でそういう感情を少しずつ発散しているものなんですが、上手く流しきれなかったり、満たされない日々が続いたりするといつしか溜め込めなくなっていく。そしてそれがあるきっかけを境に心の器から溢れだして、見えないエネルギーだったものが目に見える症状として無意識のうちに出てきてしまうんです」

 馴染みのない話にキョトンとする僕を置き去りに、左京さんは一人でどんどん盛り上がって話を進めていく。

「顕著する症状は人それぞれで実に個性的です。恐ろしく速く走れるようになったり、透視ができるようになったり。芋虫に化けれるなんていうよく分からないものまでありましたね。林原さんの場合は、それがカメラに映らないということなだけなんです」

 だからそんなに身構えないでいいんですよ、ときっと僕を安心させるために言ってくれたのであろうその言葉は、僕を安心させるどころか余計に頭の中を掻き乱してくる。


 幻想症候群。


 そんな症状が本当にあるのだろうか?


 正直大人の左京さんが未熟者の高校生をからかっているようにしか思えない。ただ信じ難くても、今この現象をどうにかしてくれるのはきっとここしかないと僕の直感が言っていた。

「でも、もしこの幻症を治したいというのであれば、まずは林原さん自身が頑張らないといけないですね」

「僕自身がですか?」

「はい。幻想症候群を治療するためにはまず林原さんの願望が一体なんなのかを突き止めなければいけません」

 これが意外と難しいんですよね、と左京さんは眼鏡をクイっと上げながら言う。

「単純にあれが欲しい、これが欲しいとかではなくて、大抵の場合その人が無意識のうちに心の奥深くで抱いてしまっている感情ですから、本人が気づいてないことが多いんです。だからまずはそこを自覚しないと、治すことはできません」

「僕が無意識のうちに抱いている願望……」

「はい。心あたりはありますか?」

 一体なんなのだろう。動画配信者としてもっと有名になることだろうか。単純にお金持ちになりたいとかだろうか。それとも、初手で失敗してしまった華の高校生活に、未だに未練でも抱いているのだろうか。

「いや。分から、ないです……」

 いろいろ考えてみるが、どれもしっくりこない答えばかりだ。自分のことなのに全く分からない。

「まぁ、最初はそういうものですよ。きっと時間が経てばちゃんと気づけるはずです」

 左京さんがそう微笑むと同時に、ボーンボーンと突然後ろから音が鳴る。驚いて振り向くと、立派な木製の時計が六時をさしていた。学校帰りで五時くらいにここに来てから、まだ一時間しか経っていない。いろいろなことがありすぎたせいか、僕が体感した時間は、実際の時間よりももっと長く、ゆったりとしていた。

「おや、もうこんな時間ですか。林原さん、私の話を信じるか信じないかはあなた次第ですが、幻症を治すためにも、是非自分自身と向き合ってみてください」

 またいつでも来てください、という左京さんの言葉に、ありがとうございますと返して扉に向かう。

 いつの間にか閉まっていたはずのカーテンが空いていて、夕方と夜の境目に残るわずかな夕日が店内に差し込んでいる。

 扉を開けようと手をかけた瞬間、隣で動く気配がしたと思えば、例のクマのぬいぐるみが立ち上がって僕を見下ろしていた。支えなしでどうやって……なんてことを思っていると、広げられたクマの手に何やら小さなものが乗っかっていることに気づく。

「それ、是非無くさずに持っていてください」

 左京さんの声が奥から聞こえて、僕はクマが差し出すそれを自分の手に乗せてみた。

「ここに来たという証と、私達からの些細なプレゼントです」

 不思議なことだらけな一日だったが、「相談屋」に相談して憂鬱だった気分がほんの少しほぐれたような気がする。

 僕はまた来ます、ともう一度だけ頭を下げて今度こそ帰るために扉をあけた。

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路地裏の奏談屋 針音水 るい @rui_harinezumi02

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