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 重厚感のあるドアを開けると「カランカラン」と鈴の音が響く。

 店内は少し薄暗くて、落ち着いた雰囲気のオシャレな曲が流れていた。店の壁を全て覆い尽くしている棚には、世界中のレコードが全て集まっているのではないかと思うくらいぎっしりと隙間なくレコードで埋め尽くされている。

 なんとも異質な空間だ。


「いらっしゃいませ」


 店の奥から声が聞こえた。薄暗い中、目を凝らすと、奥のカウンターにスーツを着た男性が座っている。ついこの前声変わりしたばかりの僕と違って、低くて大人っぽい落ち着いた声。

「どうぞお入りください」

 にこりと向けられた余裕のある笑みに誘われて、僕はゆっくりと店内に入り、扉を後ろで閉める。さっきまで遠くに聞こえていた車の雑音が遮られて、店内の音楽だけが心地よく耳の中に響いてきた。

 扉を閉めただけなのに、まるで現実世界から一気に切り離されたみたいだ。

「どんなレコードをお探しですか?」

 カウンターの前に行くとスーツの男がそう言いながらスッと分厚いカタログを出してきた。

「ここはレコードの枚数があまりにも多いですからぜひこちらをお使いください。ジャンルごとや作曲者の名前ごとで調べられますので」

 綺麗な顔をしているなと、カタログを受け取りながら思う。

 世間ではイケメンという部類に入るのだろう。キリッとしている目元にスッと通った鼻筋。優しく笑った口元から見える歯は真っ白だ。全てにおいて僕が持たざるものをこの人は持っている。唯一の僕との共通点は眼鏡をかけているということだが、自分はガリ勉黒縁なのに対し、向こうはお洒落な銀の丸眼鏡だ。

 眼鏡一つとっても歴然とした差を感じるのは虚しい……。

 ただ、逆に言えば相談する相手がこの人でよかったと思う。こんなことを言うのは申し訳ないけれど、仮に僕みたいな冴えない感じの人だったり、おどおどした感じの人だったりしたら、頼りがいなんてあるわけがなくて、相談なんてできなかっただろう。僕とは真反対の、しかも余裕のある「大人」だからこそ、僕はこうしてこれから彼に自分の不可思議な体験を話す気になるのだ。

「あの、実はレコードを探しにきたわけではないんです」

 そう告白すると、「ほう」とその人はじっと僕を見つめる。

「どうしても相談したいことがありまして、ここなら聞いてもらえるって教えてもらったから……」

 大人と話すのはやはり緊張するもので、言葉が少したどたどしくなる。

「その話はどこで聞いたんですか?」

「掲示板に悩みを投稿したらコメントで教えてくれた人がいて……。ここのホームページも見ました」

「ホームページ?そんなものがあったんですか?」

 男の人が首を傾げる。

「えっ、あ、はい。地図も載ってて、それを見てここまで来ました」

 僕の言葉を聞いてその人は考え込むように腕を組む。その一連の何気ない動きも様になっていた。

「うーん、そうでしたか……」

 男はそう言うとくるっと後ろを向いてカウンターの裏に続く部屋の方を向く。

右近うこん、君また余計なことをしましたね?ホームページなんて作ってどうするんですか。いつも店長に言われてたじゃないですか。隠れ家は隠れているからこそ隠れ家であり続けられるのだと」

 全く君はこれだから、と首を左右に振る。誰と話しているのだろうと気になって奥を覗いてみると、意外にもそこには誰もいなかった。

 独り言……にしては不自然だ。

「考え方が古いって君はそればかりですね。そもそもこの時代にレコード店なんてやっていること自体が時代遅れじゃないですか。今更新しいことを無理矢理引っ付けても浮くだけですよ」

 いや、誰もいないわけではない。確かに人の気配はないのだが、いつの間にか大きなクマのぬいぐるみが奥の部屋の入り口を陣取るように座っていた。

 ほんの数秒前までは絶対にそこにいなかったのに……。

「分かりましたからその話は一旦置いておきましょう。今は仕事中ですし、珍しくお客さんも来てくれたんだから君もちゃんと接客してください」

 不思議で違和感だらけの光景だった。

 大の大人が、それもかっこよく決めている大人中の大人のようなこの人が、巨大でかわいいクマのぬいぐるみと会話しているのだ。似つかわしくない。これほどまでに彼に似つかわしくない光景があるだろうかと僕は思う。

「あの……」

 見ているのがいたたまれなくなってつい声を上げる。

「今話かけているのって、その……く、クマのぬいぐるみですよね……?」

 もしかしたら僕が勘違いしているだけで、本当はただの着ぐるみを着ている従業員の人なのかもしれない。その確証が欲しくて聞いてみるが、店員さんはまるで僕の言っていることが理解できないかのように首を捻る。そしてキョトンとした顔のまま僕とクマの顔を交互に見たかと思ったら、突然にこりと満面の笑みを浮かべた。

「あー、そういうことですか。君にはこの人がクマのぬいぐるみに見えているんですね」

 笑いを堪えているのか、少し震えながら言う。

「なるほど、そうですか。先ほどからソワソワされているなとは思っていたのですが、そういうことでしたか。それはそれは申し訳ないことをしました。それにしてもクマのぬいぐるみとは初めてのパターンですね。さぞかし私が変人に見えたでしょう」

「まぁ、それなりには……」

 話に全くついていけず、腑抜けた声でそう返す。

 改めてその人はクマのぬいぐるみをまじまじと見ながら、「右近のリアルな姿と違って可愛い感じに見えているそうでよかったですね」なんてよく分からないことをまたクマに話しかけている。

「あの、どういうことなのかよく分からないんですけど……」

 頭が酷く混乱してきた。コメントを見た時から怪しいとは思っていたが、もしかすると僕はとんでもないところに来てしまったのではないかという不安に駆られる。

「まぁ、そう焦らずにぜひゆっくりしていってください。きっとあなたにぴったりのレコードが見つかるはずです」

「え、でも僕レコードを買いに来たわけじゃなくて……」

 シャッと音がして何故かお店のカーテンが全て閉まり、ドアの方からカチリと鍵がかかるような音がする。

「ええ。もちろん分かってますよ、林原悠斗さん」

「ど、どうして僕の名前を……」

「あなたは私たちにお話があってきたんですよね。レコード屋の私たちではなく“相談屋“の私たちに」

 クマのぬいぐるみと話す男。一人でに閉まるカーテンや扉。そして名乗ってもいないのに暴かれた僕の名前。全ての出来事が、ここが「普通のお店」ではないことを裏付けていて、その不思議さを露骨に物語っている。しがない高校生が気軽に立ち寄れないような場所で、普段の僕なら速攻帰ったであろう状況に今の今まで耐えている僕をこの場で褒め称えてあげたい……。

 正直逃げ出してしまいたい気持ちを抑え、何が起こるか分からない恐怖にドキドキしながらも、ゆっくりと頷く。

「そうですか。では改めて、初めまして林原さん。いろいろと気になることや不安なこともおありでしょうが、とりあえず自己紹介をさせてください。先ほどから君がクマのぬいぐるみに見えているあの人が従業員の右近で、私は店長代理をやっております左京さきょうと申します」

 律儀にお辞儀する左京さんの横でいつの間に動いたのかクマさん(右近さんなのか……?)も浅いながら頭を下げている。


「ようこそ相談屋へ。あなたのその不思議、こちらでぜひ聞かせてください」


 初めて経験するそんな異様な状況に、僕は「よ、よろしくお願いします」と礼を返すだけで精一杯だった。

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