12.テオリアの生活
研究所は長い夏休みなのだが、流石にブログを全く更新しないというのも寂しいので、今日は、現在、校正中で、来年出版予定の「知識人のための36章」の間に挟むエッセイとして、「テオリアの生活」を書くことにした。
因みに今年は「ロバート劇場(復刻版)」を、10月1日に、「ロバート空間」を、12月1日に、いずれもパレード社から出版する予定にしている。来年は計画的に出版する。7月の課題は事業計画の骨子と、出版計画の骨子を明確にすることだったが、諸事情により、8月にずれ込んでいるのだ。
焦る気持ちは全くない。余裕が無ければ良い仕事が出来ないというのは常識だ。じっくりと構えて最高レベルの水準を目指す。ただし頂点は目指さない。より高く、より速くを追求するのは、20世紀特有の狂気だった。新たなる千年紀は、妥当と適当という水準に収めることこそがテーマとなるだろう。
イタロ・カルヴィーノは、新たな千年紀のための六つのメモを「文学講義」として講義し、1冊の本にまとめた。私という、日本という極東の小国の、いちディレッタントが巨匠の真似をするなど滑稽だ。私は小さなつづらを選ぶ。
さて、本題に入ろう。まずは、テオリアとは何かという説明が必要だ。テオリアは英語のセオリーの語源と言われるラテン語だ。日本語では、観照などと訳される。意味は、すべてを観て真理を照らすだろう。ある種の瞑想状態。それがテオリアだ。
自慢ではないが、最近の私の生活は、テオリアに包まれている。令和4年、夏、神戸甲南町。天気は晴れ。午前5時起床。セブンイレブンへ。
新聞数紙、コーヒー、タバコ、お菓子などを買い、外の階段で朝食。コーヒー、タバコ、それに新聞があるので、1時間以上座っている。甲南町は、犬と自転車の街。一人づつと挨拶。会話が弾むことがある。自然に歌を歌うことがある。
なお、テオリアの生活と、テオリアのある生活は違う。テオリアの生活とは、24時間がテオリアに包まれているのだ。
私は、この、テオリアの生活に満足している。そして、この生活が続くことを強く願っている。21世紀はテオリアの世紀なのかもしれない。
知識人のための36章 白井京月 @kyougetsu
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