山羊のヨーグルト 🐐

上月くるを

山羊のヨーグルト 🐐



 武蔵野の奥の、さらにずうっと奥のほうに、ひっそりと一軒の農家がありました。

 あまりに奥まっているので、トレッキングの人たちも足を踏み入れない場所です。


 じつは、むかしはもっと平らなところに住んでいたのですが、宅地開発で新しい家が建ち始めると、牛や豚の匂いがきついだの山羊の鳴き声がうるさいだのとクレームが届き始めたので、思いきって人里離れた山奥にファームごと移転して来たのです。

 

 といってもそれは何十年も以前のことで、2人の子どもたちが相次いで巣立つと、身体が音を上がるようになったお百姓さん夫婦は、四六時中働きづめの牛や豚の飼育はやめ、自分で草を食べてくれる山羊を相手に、自給自足の生活を楽しんでいます。

 

      *

 

 ところが、あるとき、思ってもみなかった騒動に巻きこまれてしまいました。💦


 携帯電話も持たない老夫婦には分かりませんが、なんでもインスタグラムとかいうもので、どこかの若いむすめさんが「山羊の乳のヨーグルトは牛乳よりコクがあって美味しいよ!」自分の顔の大写しとともにインターネットで発信したらしいのです。


 あっという間に山羊乳ヨーグルトのブームが巻き起こりました。

 でも、東京界隈でおいそれと山羊が見つかるはずがありません。

 そこで登場したのが、最新式の空撮の名手のドローンでした。🚁


 ひと儲けもふた儲けも企む人たちがてんでにドローンを飛ばして、東京近郊の山羊を探しまわったので、山奥のお百姓さん宅の山羊たちもたちまち見つかってしまい、『こんなところにも人が住んでいた!』という、なんとも失礼な番組の視聴率を看板とするテレビのキー局をはじめ、各局のリポーターがどっと押し寄せて来ました。🎤


 山羊の乳をゆずってほしい。

 いいや、当社と専属契約を。

 いっそ山羊を買い取りたい。

 うちは土地まで購入したい。


 不法侵入罪も適用にならないドローンと同様に、お百姓さんの頭越しに勝手な話が飛び交っていますが、その気がまったくない老夫妻はうっかり外へも出られません。


      *


 おもての騒ぎをよそに息を詰めているとき、思いがけない助け舟が出されました。

 ほとんど実家に寄りつかなかった息子とむすめが揃って駆けつけてくれたのです。


 老人を商売に利用するのはやめてほしい。

 山羊も驚いて、乳が出なくなったようだ。

 場合によったらパトカーを呼んでもいい。


 2人の子どもたちは、しばらく帰らなかったあいだにめっきり老けこんだ両親と、そのかけがえのない家族である10頭の山羊たちを身体を張って守ってくれたので、ついに諦めた企業家やフードリポーターたちは、つぎの標的へ移動して行きました。


      *

 

 その夜、山奥のお百姓さん宅の上には、ひときわ明るい星空が広がっていました。


 なぜかふたりとも関西に住み、競うようにしてタワマンを購入した息子とむすめは、高層階の夜空より奥多摩の夜空の方が明るい……そんなことを思っています。🌟


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山羊のヨーグルト 🐐 上月くるを @kurutan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ