第三話

 ランデルは声を上げることもなく、立ち尽くす俺目掛けて槍を構える。冒険者の勘が俺に命の危機を知らせ、反射的に体を動かす。その剛腕から投げ放たれた槍は俺のすぐ横をかすめ、洞窟の岩壁に突き刺さった。まともに食らえばまず致命傷は避けられないだろう。息をつく間もなくランデルは大盾を手にこちらへ猛突進してくる。正面からぶつかれば無事では済まない。俺はランデルから逃げるように走り出す。その先にあるのは頑強な岩壁だ。とても破壊することはできない。俺はそのまま速度を緩めることなく走り続け、ランデルは猛然とそれを追う。そして壁にぶつかる寸前で飛び上がり、壁を蹴ってさらに高く跳躍しランデルを飛び越えた。その勢いと重量もあいまってランデルは止まることができず、そのまま壁に激突する。軽装の俺が奴を倒すには背後を取った今しかチャンスはない。その無防備な背中に思い切り剣を振るう。




「背中の傷は戦士の恥と言いますがね、私はそうは思わんのですよ」


「はあ、なんでだ?」


「人間の急所というのは体の前側に多くあります。それ故に誰かを守るためには時に敵に背を向けた方が良いこともあるのです」


「まあ、確かにそうかもな」


「背中の傷ってそういう意味じゃないと思うんだけど……」


「え、そうなのか?」


「はっは、カルナさんは厳しいですな」




 一瞬のためらいが命取りになることもある。そのせいで死にかけたことも何度かあった。だから俺は迷わない。戦士はいつだって冷静で非情であるべきだ。


 金属鎧に対して斬撃は有効ではない。だがその重量故に一度バランスを崩すと自力で起き上がるのは困難だ。俺がランデルの側頭部に放った一撃は硬い兜で防がれた。しかしその衝撃はランデルの体制を崩し転倒させるに足るものだったはずだ。


 ゆっくりとこちらを振り返ったランデルの顔に表情はない。それどころかどんなわずかな感情すら存在していないように見える。酒場で聞いたマダムの言葉が脳裏をよぎる。もう心だけではなく、体すら人間ではなくなっているというのか。だが、いや、だからこそ——


「……今助けてやるからな」


 俺のつぶやきに応えるようにランデルは再びこちらへ向かってくる。もうさっきと同じ手は通用しないだろう。勝機は薄い。それでも俺はやらなければいけない。今のこの状況、そのすべてが俺の責任でもあるのだから。


 迫りくるランデルの巨体とぶつかる寸前、その顔面に向かって突きを放とうとする。それを察知して自らの顔を覆うようにランデルの盾が突き出される。確かにそうすれば顔は守れる。だがその代わりに視界を失うことになる。そしてさっきまでは狙えなかった場所も——


 鎧の関節部分である膝に突きを入れた瞬間、体に激しい衝撃を感じそのまま吹き飛ばされる。骨が軋み、視界がくらむ。だが辛うじて意識は保っていられた。こちらの攻撃がわずかに早かったおかげで少し突進の勢いが弱まったらしい。ランデルはうずくまるような体制で地面に倒れこんでいる。あの足ではもうさっきのような突進はできないだろう。


 どうにか体を起こして剣を構える。ランデルは壊れたからくり人形のようにただぎこちなくもがくだけだ。その様子からはもう人間らしいものは何一つ感じられない。ごめんな、すぐ終わらせてやるから、あと少しだけ待っててくれ。


 ふらつく体をどうにか支えながら、助走をつけランデル目掛けて飛び上がる。落下の衝撃を利用した、俺の技の中で最も破壊力の高い技だ。眼下に捉えたその巨体へ全神経を集中させる。


 その時、体の右側に激しい閃光が見えた。危険だ、防げ。状況を理解するよりも早く、頭の中で声が囁く。空中で体をひねり、飛来してきた何かを切りつける。激しく弾けたそれは凄まじい熱と光を放った。間違いない、炎熱系の攻撃魔法だ。受け身を取りながら、術の飛んできた方を見る。そして——


 何も言葉が出なかった。すべての思考が瞬時に停止する。ああ、どうして。


「……カルナ」


 以前見た時と同じ、上半身が露わになったその姿。濡れた髪と青い瞳。半身を水につけたままこちらを見る彼女は、ランデルと違いどこか悲しい目をしているように見えた。その視線は俺の戦意を喪失させるには充分だった。


 立ち尽くす俺の近く、うずくまっていたランデルが急に妙な声を上げた。……いや、違う。これはランデルの声じゃない。じゃあ一体何が——。その答えはすぐにわかった。ランデルの着ている鎧の隙間から何かが這い出してきている。赤黒いそれは一見すると血のようにも見えるが、まるで意思を持っているかのように蠢いている。やがてそれは一つに集まりタコのような姿をとった。あまりにおぞましいそれは、明らかにそこらの魔物とは様子が違う。


「これが、水魔の呪い……」


 こいつの正体がなんなのかははっきりとはわからない。水魔とは水辺に住まう魔物の総称だ。だが目の前のそれは確かな実体を持っているようには見えない。例え剣で切り刻んでも殺すことはできないだろう。それはつまり俺ではカルナたちにかけられた呪いを解くことができないということだ。ランデルの体からぬるりと抜け出したそれはゆっくりこちらへ近づいてくる。


「……ササゲロ」


 この世のものとは思えない声が聞こえた。実体を持たず、強力な呪いを操り、そして人の言葉を話す。死霊の類であることは間違いなかった。


「ササゲロ、サスレバ、スクイヲ」


 救い。それが何を意味するのかはすぐに察しがついた。血だまりの中に転がっていた死体がゆっくりと起き上がる。皆ランデルと同じ虚ろな目をしている。このおぞましい呪いも誰かにとっては救い足り得るというのだろうか。その時、パシャリという水音が響いた。カルナはただ静かにこちらを見つめている。……ああ、そうか。そういうことだったんだな。失われた記憶が水底から浮き上がるように蘇る。


 あの日、俺たちは水魔に出会ってしまったんだ。ランデルは俺たちをかばって死んだ。俺はカルナを逃がすため、刺し違える覚悟で挑み、そして敗れた。その後のことはわからない。だがカルナはきっとこいつにのだろう。そのおかげで俺は今こうして生きている。


「ごめんな、俺は……全部俺のせいだ。俺のせいでお前は——」


 カルナはゆっくりと首を振った。それは許しであり、救いであり、何よりも強い呪いだった。


「ササゲロ、サスレバ、トモニ」


 ここに来た時からもう結末は決まっていた。俺のせいで二人は死んだ。救えないのなら、せめて一緒に。だって俺たちは仲間なんだから。


 再び剣を握り、ゆっくりとその刃を首に押し当てた。




「なあ、カルナ」


「なぁに?」


「この洞窟の探索が終わったら、どうしたいとか、あるか?」


「……そうね。ここ、結構居心地も良いし、そろそろ腰を落ち着けるのもいいかもね」


「もうだいぶ長居しちまったしな」


「誰かさんのせいでね」


「おいおい、そりゃないだろ」


「あんたはどうするの?」


「ん、まあ、俺も同じかな」


「ふーん」


「おや、もう新居の話ですか? そういえば丘の上に良い物件があるとか……」


「ちょっと! 変な事言わないでください!」


「余計なお世話だ」


「はっは、お二人とも手厳しいですなぁ」






 そこは水魔の洞窟と呼ばれていた。


 数多の魔物が巣食い無事に生きて帰った者はほとんどいない。だがその生還者たちの中には奇妙なことを言う者もいる。彼らいわく「人のような何かを見た」と。その真偽については誰にも確かなことはわからない。だが噂はどんどん広がり、そのうち勝手に尾ひれがついてゆく。


「あの洞窟には死者を蘇らせる秘宝がある」


 今日もまた命知らずの冒険者たちは、秘宝を求めて洞窟の闇の中へと消えていく。

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愛は水の中 鍵崎佐吉 @gizagiza

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