第8話 喧嘩なんてものは、出来ればしない方が良い

 一方、AKとの付き合い――いや、付き合いって言う程の間柄ではないんだが――については、ふと気が向いた時に、時々あららぎ駅前の広場へ足を運ぶようになっていた。


 AKが言っていた曜日と時間に足を運んでも、必ずしも彼女の姿がそこにあった訳ではなかった。そんな時にはもののついでなので、例の本屋やら駅前の店やらに寄り道してからアパートの方向へと引き換えしていくのだが、彼女と出会って三回目、一月半ほどがたったその日の晩は、これまでとかなり様子が違っていた。


 六月も上旬を過ぎたその日の晩、AKは初めて出会った時の夜と同じように、ギターを抱きかかえるようにして視線を足元に向け、静かな声で歌っていた。


 だが、その周囲には彼女の演奏を聴く聴衆の姿はなく、代わりにあまりがらが良くなさそうなヤンキー共が三人ばかり、彼女を取り囲むようにして立っていた。


 そのヤンキー共は、背中や足に龍だの虎だのの刺繍が入った服を身に着けていて、髪の色は金だの紫だの緑だの、まるでスプレー缶を吹き付けたようなけばけばしさだ。首には金色のネックレス、耳にはピアスやらイヤーカフやらがジャラジャラしていて――今どきでもまだいるんだなぁ、こんな連中。これで髪型がモヒカンだったりしたら、完全に一昔前の漫画のやられ役だぞ。


 遠目に見ているだけでも、連中がAKに何やら絡んでいるのは明らかだった。おおかたAKを相手に、ナンパの真似事でもしているのだろう。だが、辺りを行き交うサラリーマンや学生達は、あからさまに連中とは関わりたくないという顔をしていた。


 大体のヤツはAKの方をちらりと見ながらその場を通り過ぎ、まだマシな奴は遠巻きにAKの様子を伺っているぐらいだ――まあ、こんないかにも面倒臭そうな連中、誰も好き好んで相手をしたいとは思わんだろうなぁ。


 で、AKの方はと言えば、そんな野郎共は視野にも入っていないといった雰囲気で、ただ黙々とギターの演奏を続けていた。完全に黙殺の態度で、ひょっとしたらこういったことには慣れているのだろうか?


 そんなAKの態度に苛立いらだってきたのか、野郎共のうちの一人がだんだんヒートアップしてきて、大きな声でAKを怒鳴りつけるようになってきた。辺りにいた連中が一瞬首をすくめ、さすがにAKもギターを弾く手を止め、ベンチに腰かけたまま、やや険しい表情で何かを言い返していた。


 俺は足音を忍ばせながら、そっと野郎共のうちで真ん中に立っていた男の背後に忍び寄った。途中、俺の姿に気付いたAKが一瞬ちらりとこちらに目を向けたが、俺は押し黙ったまま、自分の口の前で右手の人差し指を立てて見せた。


 幸いなことに、野郎共はAKの相手に夢中で、誰も俺の存在には気が付いていなかったようだった。俺は静かにしゃがみ込むと、人差し指と中指を立てた状態で両手を組み、ぼそりと呟いた。


テイクザッチューフィーンドこれでもくらえ!」


 勢いよく突き出された俺の人差し指と中指は、ものの見事に真ん中に立っていた男の尻に突き刺さった。


 尻を刺された男は、まるで踏みつぶされたウシガエルのような声を上げて飛び上がり、そのまま尻を押さえて唸っている。その両隣に立っていた野郎共二人は、余りにも突然の出来事に驚き、左右に飛びのいた。


 で、AKはというと、余りに突拍子もない俺の行動に唖然としていた。まあ、そりゃそうか。


「くっそ、てめえっ! いきなり何しやがるっ!」


 自分の尻を押さえたままの男が、目を向いて俺に噛みついてきた。


「お前らこそ、男三人で女一人を取り囲んで何やってんだ?」


 立ち上がった俺が静かにそう言うと、俺から向かって右側の小太りの男が、低い声で唸った。


「俺達はこの子と、お友達になろうと思って話をしていただけだ。邪魔すんじゃねぇよ」


 野郎共の後ろでは、AKが不安そうな表情でこちらを見ていた。周りにいたサラリーマンだの学生だのも、何やら固唾を飲んで様子を伺っている。


 俺は腰に両手を当て、あからさまに大きくため息をついて吐き捨てた。


「明らかにその気がない女を相手にしつこく言い寄って、お前ら揃いも揃ってだっせーな。どこの田舎モンだ?」


 すると今度は、向かって左側にいた痩せぎすの男が、地面に唾を吐きながらわめいた。


「うっせえ、邪魔だから引っ込んでろ、このドチビ!」


 ――あン? そこのお前、今何つった?


わりぃ、ヘタレなド田舎ヤンキーの呟きはよく聞こえなかったんだが。お前、もういっぺん言ってみてくれないか?」


「はっ! 顔と頭だけじゃなく、耳まで悪いのかよ。このくそチビが!」


 ……ちーん。


 俺の頭の中で、静かにベルの音が鳴った。


 俺にとって、この世の中でどうしても許せないことが二つある。一つは家族やダチをバカにされることで、もう一つは俺の身長をバカにされることだ。


 俺が右足で素早く足払いをかけると、痩せぎすの男はバランスを崩し、そのまま派手にすっ転んだ。何だよオイ、見かけの割には体幹よえぇなこいつ。


「てめっ、何しやがる!」


 仰向けに寝転がって叫んだ男の顔のすぐ右側を右足で力一杯に踏みつけ、俺はにっ、と歯を見せて笑った。


「お前のそのきったねぇ鼻と前歯、もうちょっとで踏み折ってやれたんだがな」


 すると今度は小太りの男が、俺の背後から大きく右腕を振りかぶって殴りかかってきた。ただ腕力に任せた、オープンスタンスの右ストレート。


 本来であれば、こんな蚊が止まるようなおっせぇパンチに当たってやる義理はなかったんだが、俺はその軌道を予測し、男の拳が俺の身体に当たるよりも先に、自分の額で男の拳を受け止めた。


 何とも情けない悲鳴を上げた男は、左手で自分の右拳を押さえてその場にうずくまった。人体の中でも一番固い額で、腕力任せの素人パンチを頭突いて受け止めたのだ。おそらくヤツの拳には、良くてもヒビぐらいは入ったことだろう。


「てんめぇ……俺達をコケにして、ただで済むと思ってんのか!」


 つい先ほどまで自分の尻を押さえていた男が俺を睨み付け、凄んでみせたが、仲間二人は既に倒されるか悲鳴を上げているかといった状態で、迫力も何もあったもんじゃなかった。


 アホらしくなった俺は、つい鼻で笑ってしまった。


「ただで済まなかったら、一体どうなるってんだ?」


 すると男は、ズボンのポケットをまさぐると一本の折り畳み式ナイフを取り出し、右手で握って前に突き出した。刃渡りは十センチぐらいの、やや細身のナイフだった。周囲にいた人だかりの中から、小さな悲鳴が上がる。


「怪我したくなかったら、さっさと尻尾を巻いて逃げな」


 よく見ると、男の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。六月に入って湿度も高くなったこととは言え、その汗の理由が梅雨の湿度にあるわけじゃないことはすぐに分かった。ナイフを握る手も、よく見ると微妙に震えている。


「ふーん……そういうもん持ち出すんだ?」


 そこで俺は初めて、身体を半身にして軽く構えを取った。


「ここまでは洒落とじゃれ合いで付き合ってやったが、そんなもんを持ち出すってんなら、こっちもこれ以上の手加減はしないぜ?」


「……」


「お前そのナイフ、実は一度も使ったことないだろ? これ以上みっともない真似をさらすよりも先に、まずはそっちの小デブちゃんを病院に連れて行ってやった方がいいんじゃねーの? たぶんそいつ、指か手の甲の骨が折れてるぞ」


 ナイフを見せつけられても動じない俺の様子に、男はしばらくの間じっとこちらを見ていたが、やがて舌打ちするとナイフをポケットにしまい、ゆっくりと後ずさるようにしてその場を去っていった。男のその様子に、小太りの男と痩せぎすの男も、よろよろとその後を追うようにして姿を消す。


 ふと辺りを見渡すと、辺りを行き交っていた通行人の行動はだいたい三パターンで、我関せずの姿勢で通り過ぎていく奴、ただただ傍観ぼうかんしている奴、さっきまでのこちらの様子をスマホのカメラで動画を撮影している奴に分かれていた。


 連中が立ち去るまでは、俺自身もアドレナリンが出ていて少し興奮状態にあったが、だんだん冷静になってくると、張りつめていた緊張が途切れてどっと疲れが出てきたのと同時に、そんな周りの連中の様子を見てだんだん腹立たしくなってきた。


 中でも、見ていて一番胸糞が悪くなったのは、ついさっきまでスマホで動画撮影をしていた若い男が、AKの方へと歩み寄り「キミ、大丈夫だった?」などと声を掛けていたことだった。


 俺は一瞬、そいつの胸倉を掴んでどやしつけてやろうかとも思ったんだが、そんな男を尻目にAKは俺の方へと駆け寄ってきて、安堵と不安の入り混じった目で言った。


「助けてくれてありがとう、一吾クン……でもキミ、大丈夫なの?」


「あン? 何が?」


「さっき身体の大きな男の人に殴られた、そのおでこ」


 AKに言われて自分の額に軽く手を触れると、まあ確かに、じんじんとした痛みがまだ残っていた。


「別にこれぐらい、どうってことねぇよ」


「どうってことあるわよ。ほら、こんなに腫れてる」


「あちっ!」


 AKが俺の前髪を左手でかき上げ、右の掌でそっと俺の額に触れた。白くて細いその手の感触が、ひんやりと冷たくて気持ちが良かった――良かったんだが。


「ちょ、近い近い」


 すぐ目の前にAKの心配そうな顔が近寄ってきたので、俺はつい反射的に身を引いてしまった。彼女の微かな吐息が、俺の鼻先をかすめたような気がした。


 AKは一瞬きょとんとした顔付きになったが、少しして何やら意味ありげな笑みを浮かべてみせた。


「……ふうん、へぇ。そうなんだ」


「な、何だよ?」


「ううん、別に。こっちの話」


 そうこうしているうちに、ようやく警察官が二人、駅の方からこちらへとやってくるのが見えた。さっきの喧嘩――俺にしてみれば、まだ喧嘩の域には達していなかったんだが――を見て、きっと通行人か近くの店の店員の誰かが呼んだのだろう。


 俺はその場で簡単な事情聴取をされたが、AKが横から上手く話をしてくれたことと、近くにいた見物人の何人かがAKの話に同意してくれたこと、いさかいの当事者としてその場に残っていたのが、額にこぶを作った俺一人だけだったことなどもあって、軽い口頭注意を受けた程度で済んだのはラッキーだったのかも知れない。


 警察官達がその場を去った後は、周囲に残っていた見物人達もまちまちに解散していった。AKはベンチに置いていたギターをギターケースにしまい、バッグとギターケースを肩から掛け、俺の方へと振り返った。


「その怪我、病院に行かなくても大丈夫なの? めまいとか吐き気とかは無い?」


「ねぇよ、んなもん。俺が通ってた道場の空手はフルコンタクト制でね。この程度、怪我のうちにもはいんねぇ」


 俺がそううそぶくと、AKは呆れた様にため息をついた。


「そう……じゃあ、とりあえず今日のライブは中止。一吾クン、ちょっと一緒に来て」


「お、おう?」


 言われるがままにAKの後に続くと、彼女は駅前のビルの一角へと歩いていく。そこには、黄色い看板に派手なロゴのカタカナ文字が並んだドラッグストアがあった。


「ごめん、一吾クン。ちょっとの間、これ、預かっててくれる?」


 AKは店の前で俺にギターケースを手渡すと、一人でさっさと店の中へと入っていく。少しの間、俺は言われたままにギターケースを抱えて店の前に立っていたのだが、AKはすぐに小さな紙袋を手に店から出てきた。


「お待たせ。次は、えっと……そうだ、こっちに来て」


 ギターケースをを抱えたまま、俺が連れていかれたのは、少し離れたビルにある、大きな猫の絵が看板に描かれたカラオケボックスだった。

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