第3話 俺とイケメンと、愉快な仲間達

 久世と知り合ってから、二週間ほどがたった。大学に入学してからだと、もうだいたい一ヶ月が過ぎたのだろうか。


 大学での友人作りは、それまで以上に積極性が大事だと、地元を出る時に古い付き合いのダチから言われたことがあった。そいつ曰く、どうも俺はその辺りの意欲に欠けているらしく、まあ自分でも多少の自覚が無くはなかったが、それでも気が付いたら何人かの新しいダチが出来ていた。


 今日は一講目から、法学部政治学科では必須科目の「政治学入門」の講義があった。だだっ広い教室の一角でぐうたらしていると、二人の野郎共が連れ立ってこちらへと歩いてきた。


「うぃーっす。一吾、今日も元気にしてっかー?」


「おはよう、一吾」


 先に声をかけてきたのが伊東で、次に声をかけてきたのがさかき。こいつらは二人共、二回目の基礎演習で知り合った同じゼミ仲間だ。


 伊東は俺や久世と同い年で、現役合格組。埼玉県浦和市出身、俺と似たり寄ったりの背丈で、ずんぐりむっくりした色黒の狸みたいな男だ。一方の榊は一つ年上の一浪組で、岐阜県海津町の出身。久世よりもほんの少し背が高くて、ひげの剃り跡が濃い、眼鏡をかけたおっさん――もとい、実年齢よりもちょっと年上に見える男だった。


 挨拶代わりに片手を挙げた俺のすぐ後ろの席に、伊東と榊が並んで座った。俺は二人に向き直り、思わずため息をついた。


「別に構わないっちゃ構わないんだけれどもよ。お前ら、俺の隣の席はそんなに嫌か?」


 数百人単位で座れる広い教室の席は、まだ半数以上が空きの状態だ。伊東や榊も含めた、最近になって出来た連れ達の分も含めて、かなり広めの空きスペースに座っていたのだが――。


「いやいやいや、一吾君。君の隣の席は、君の『彼女』の指定席だから」


「……イッペン、死ンデミル?」


 ニヤニヤ笑う伊東に向けて、俺が右の握りこぶしを作って裏声でそう言うと、伊東の隣に座った榊が苦笑した。


「まあ、ねぇ……彼も少しずつ、人付き合いに慣れてくれれば良いんだけれどもねぇ」


 伊東が「彼女」、榊が「彼」と言ったのは、もちろん久世のことだ。


 伊東にせよ榊にせよ、二回目の基礎演習の時に俺と久世に声をかけてきた奴らだったんだが、久世の奴、どうにも引っ込み思案なところがあるらしく、俺以外の奴には微妙に距離を取りたがるんだよなぁ。


 一度皆で一緒に昼飯を食った時、余りにも気になったのか、榊が久世に「そんなに緊張せんでもええんやで? 俺ら別に君のこと、取って食おうとか思ってないし」と言ったところ、久世は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化していた。


 後で二人きりになった時に理由を聞いたら、久世曰く「キミに声をかけたのも、ボクにしてみたら滅茶苦茶大変だったんだから。別にみんなのことが嫌いって訳じゃないけれども、キミみたいに、そんなにすぐには打ち解けられないよ」とのことだった。久世のコミュ障は、どうやら相当なものらしい――さしずめ残念美人ならぬ、残念イケメンってところか。


「よう諸君、今日も元気かね」


 背後から声がしたので振り返ると、右手を挙げたひょろりと背の高い男が、久世と連れ立って立っていた。


「一吾君。君のカノジョ、また女の子に捕まってたから助け出してきたで?」


「あ、あのねぇ北川君。その彼女って言い方、そろそろやめてくれないかな」


「まーまー、そう目くじらを立てやんと。はい、ここ君の指定席」


 北川と呼ばれた男は、ニヤニヤ笑いながら久世の肩を軽く叩いて、俺の隣の席を指さした。久世はやや不機嫌そうな顔のまま、それでも黙って俺の隣の席にバッグを置いた。


 北川も同じゼミの仲間で、榊と同じ一浪組。大阪府岸和田市の出身で、コテコテの関西弁を隠そうともしない。俺達の中では一番背が高く、細い目をした色白で面長の男だ。


 俺の隣に座った久世が、何やらもじもじしながら、ややためらいがちに言った。


「えっと、おはよう、一吾クン」


「……おう」


 だからな、久世よ――そういうところだぞ、お前が伊東や北川にいじられる理由は。男同士なんだから、もうちょっとシャキッとしてくれ、シャキッと。


「で、北川よ。久世が捕まってたっていう女の子達はどうしたの?」


 伊東の問いに、北川が顔の前ではたはたと右手を振りながら苦笑した。


「あかんあかん。何か雰囲気良さそうな感じやったから首突っ込んでみたんやけれども、俺が間に入った途端に場が白けた」


 北川は人当たりが良く、ゼミの中でも満遍まんべんなく顔が広い方だった。そして、知り合って日が浅いのでまだ良くは分からないが、ゼミの女子達に対してもフランクな会話がバンバン出来るタイプだ。久世の見かけに北川の中身が揃えば、きっと凄い女たらしが出来上がるに違いない。


「だよねぇ。せめてこいつが、もっと上手に援護射撃してくれたらなぁ」


 白い歯を見せて笑う伊東に、久世が嫌そうな顔をした。


「援護射撃って、一体何なのさ?」


「君が可愛い子を引っかけてきて、うまーく俺達のところまで誘導してきてくれたら、合コンだって簡単に出来るのになあって話」


「ちょっと、人を魚釣りのエサみたいに言わないでくれないかな」


 露骨に顔をしかめた久世を見ながら、今度は榊が言った。


「だーめだって、伊東。それで上手く女の子達が来てくれたところで、俺らじゃ久世の顔面偏差値には勝てないし」


「いや、そこは都合よく久世にドタキャンしてもらって、後は俺達が何とかするっていう」


 まるで時代劇の悪徳商人のような笑みを浮かべた伊東に、榊がため息をつく。


「あのなぁ。言うのは簡単だけれど、久世がいなくなって気が抜けた場を、どうやって盛り上げるんだ?」


「いや、そこはそれ、北川のトークで」


「えっ、俺?」


 伊東からの突然の振りに、自分を指さして笑う北川。そんな三人のやり取りを横目に、小さく被りを振る久世。


「あのねぇ……君達、ボクや女の子達を一体何だと思っているんだい?」


「「えっ?」」


 声をハモらせてニヤリと笑う、伊東と北川。こいつら、知り合ってまだ間もないはずなんだが、どうやらかなりウマが合うらしい。


 そんな漫才のようなやり取りをしているうちにチャイムが鳴り、俺達はそれぞれ席に着いた。講義が始まってしまえば、こっそりと無駄口を叩きあうような雰囲気でもなくなった。


 講義の最中、横目でちらりと久世を見た。久世は真剣な表情で、ずっと講義に集中している。


 そんな久世の方からふんわりと、柔らかく甘い匂いが漂ってきた。このまま目をつぶってさえいれば、女の子の隣に座っているようなんだがなぁ――と、つまらないことを考えた自分に思わず嫌気が差した。


 この甘ったるい匂いについて、一度久世にその理由を尋ねたことがあった。久世曰く、男性用のボディソープやシャンプーはどうにも合わないらしく、自分の髪質や肌に合うものを色々と探しまくった結果、最終的には女性用のものに落ち着いたらしい。


 理由が理由なだけに、別段文句をつけるようなことでもないのだが、久世が振りまくこの甘い匂いが、結果的に周囲の男女を色々と惑わせているように思う。事実、こいつにアプローチしてくる女子達も「すっごくいい匂いがする」「やっぱり王子様」などと言って、キャーキャー騒ぐことが多い。それに、ごくたまにだが道すがらですれ違う男の中でも、思わず久世を見て振り返る奴がいる。何かと罪作りなイケメンだ。


 やがて一講目が終わるチャイムが鳴り、伊東達三人はそれぞれ別の講義を受けるために俺達の前から姿を消した。二講目がフリーだったのは、俺と久世の二人だけだった。


 三講目からはそれぞれ別の講義を受けるので、俺達はそれまでの間に早めの昼飯を済ませておくことにした。久世は天ぷらそば一杯、俺はカツカレー大盛り。久世の奴、相変わらずの小食だ。


 学食に向かうまでの道中も、昼飯を食っている間も、久世は比較的無口だった。まだ二週間ほどしか付き合いがないが、こいつは存外に口数が多いことを俺は知っている。


「おい、久世よ。お前、まだ今朝のやり取りのこと根に持ってんのか?」


 昼飯の後で立ち寄ったカフェテラスの一画で、さっき大学生協の売店で買った缶コーヒーのプルトップを開けながら、俺は久世に尋ねた。


「……」


「まあ、あいつらも別に悪気はないんだから……多分。だからよ、そうカッカすんな」


 俺の言葉に、冷たいミルクティーのペットボトルの蓋を開けた久世は、少し唇を尖らせて呟くように言った。


「そんなこと言われたって……」


「お前、普通にダチを作りたいんだろ? あんなやり取りだって、男同士で一緒にいたら別段珍しいモンでもないぜ?」


「……


 そう言って、久世はミルクティーのペットボトルに口をつけた――あ、やっべ。これは俺、ひょっとして久世の地雷を踏み抜いたのか? 何か気まずいなぁ。


「まあともかく、あいつらの冗談をいちいち真に受けるな。根は良い奴らなんだから。あとお前、あいつらの思惑はとりあえず脇に置いといて、せっかくなんだから女友達でも作ってみたらどうだ?」


 缶コーヒーをあおる俺を横目に見ながら、久世は一つ大きなため息をついて苦笑した。


「そう言えば、一吾クンはボクと女の子達との会話に口を挟んでこないよね」


 久世にそう言われて、俺は今まで二回ほど、そういう場面に出くわしたことを思い出す。


「いや、それは……あの子達のお目当てはお前だからな、俺の出る幕なんかないだろ?」


 それにぶっちゃけ、どう首を突っ込んでいいものやら、俺にはさっぱり分からない。その辺り、北川の奴はすげぇ根性をしていると思う。いやホント。


「北川君なんかはその辺り、凄く上手に話の輪の中に入ってくるよ?」


「ありゃ一種の才能だな、俺には真似出来ん」


「君も女の子達と仲良くなりたいかい?」


 キャップの開いたペットボトルを手にしたまま、久世が軽く首を傾げて笑った。あ、少し離れた席で数人の女の子達が、こっちを見ながらキャーキャー騒いでる。


「そうだなぁ……ま、仲良くなりたくないって言えば、たぶん嘘になる」


「そうかい。じゃあ」


「でもまあ、ダチを上手く利用して女の子と仲良くなるっていうのは、俺の流儀とはちょっと違うな」


 俺の言葉を耳にした久世は、黙って俺の目を見つめてきた――いや、だからな、そんな目で俺を見るな。性別不詳のイケメンに見つめられても、全然嬉しくもねーよ。


「って言っても、別にのことを悪く言うつもりはないぜ? ダチの紹介で女の子と仲良くなるのだって、立派な一つの方法だろ。だからこれは、ただ俺自身の問題だよ」


「キミ自身の、問題?」


「ああ。それにな、俺はこう見えても結構デリケートなんだ。事後報告で彼女が出来たって話をするぐらいならともかく、女の子を口説くところをダチに見られるのは嫌だ」


 缶コーヒーの中身を飲み干した俺がそう言うと、久世は一瞬きょとんとした顔になり、続いてぷっと噴き出した。


「あはは、それは確かに嫌かも知れないね」


「だろ?」


「それにしても、キミの口からデリケートなんて言葉が出てくるとはねぇ」


「あン? お前、喧嘩売ってんのか?」


 俺がじろりと睨むと、久世は頭を掻きながら軽く舌を出して「ごめん」と言った。あ、また女の子達が騒いでる。あーうるせえ。


「ふん。彼女が出来ても、てめーにだけは絶対に教えねぇ」


 俺がそう言うと、久世は白くて細い右手で形の良い顎に触れながら、何やら真剣に考え込み始めた――いやお前、そこはそんなに悩むところじゃないだろ?


「うん、そうだね……その話をボクは聞くべきか、聞かざるべきか」


「はあっ?」


「それはキミにとっては、きっと良い話なのだろうね……でも、ボクにしてみれば、キミを取られるようで何だか嫌だな」


「……もしもーし、久世くーん。自分が一体何を言ってるのか、分かってますかー?」


 そこで久世ははっと我に返り、途端に顔を真っ赤にして両手をブンブンと振った。


「あ、いや、今の話は『友達を取られるみたいだ』って意味だから、誤解しないでね」


「誤解なんかしねーし、したくもねーよ。馬鹿」


 何とも馬鹿らしくなった俺はバッグを持って席を立ち、少し離れた場所にある缶の回収ボックスに空き缶を突っ込んだ。久世は飲みかけのペットボトルの蓋を締め、バッグに入れて後をついてくる。腕時計に目を向けると、午後一時十分だった。そろそろ次の講義へ向かう時間だ。


「サークルの勧誘、さすがに無くなったなぁ」


 大学の構内を歩きながら、俺はぼそりと呟いた。入学式から数日の間は、構内のいたるところに各サークルのブースが設営され、上級生達が通りがかる新入生と思しき人物へ、手当たり次第に声を掛けていた。実際に目にした時には少々面食らったが、どのサークルも新しいメンバーの確保で血眼になっていた、ように思う。


「一吾クンは、どこかのサークルに入るのかい?」


 隣を歩いていた久世が、俺の顔を覗き込むようにして言った。


「んー、もう今更な話だし、何か面倒くせぇ」


「面倒臭い? 確か、キミの特技は空手だったよね?」


「ん、ああ。でも俺がやってた空手は部活とかじゃなくて、地元にあった道場に通ってたクチでね。そりゃ道場でも先輩後輩の間柄ってのはあったけれども、部活やサークルみたいに暑苦しい関係なのは苦手だ」


 それに、空手のサークルだと基本は男ばっかりで、女の子との出会いはほとんど期待できそうにない。俺が通っていた道場は、案外そうでもなかったけれど。


「へぇ……じゃあ、空手以外のサークルには興味が無いの?」


「ねぇなぁ。って、そういうお前はどうなんだよ?」


 俺が尋ねると、久世は顔の前で右の掌をぶんぶんと振った。


「い、いや、ボクにサークルとかは、ハードルが高すぎるよ」


 確かに、今までのこいつを見ていると、サークルで楽しくやっているって姿が想像できそうにない。とは言え、何事も慣れだとか言うし、こいつの人見知りの癖を矯正するには、多少の荒療治があっても良いのかも知れない。


「でもよ、お前だったら、あっちこっちで散々勧誘されたクチだろ?」


「……うん、まあ。劇団とアコギとイベントのサークルからは、今でも時々勧誘が来るよ」


 劇団は――そりゃ、こいつが入ったら大盛況間違いなしだろうな。イベントサークルも同じく。コミュニケーション能力は全然ダメでも、とりあえずの客寄せパンダとしては十分すぎるインパクトがあるだろう。


「アコギ……って、確かアコースティックギターの略称だよな? それ、お前の特技って言ってたじゃねーか」


「まあ、ね。サークルのブースでギターの試し弾きが出来たから、つい調子に乗って弾いてみたのがボクの失敗だったよ。それ以降、部長さんやその時にいたサークルのメンバーさんに出会うたびに、勧誘されるようになっちゃった」


「ふうん」


「アコギそのものは、今でも好きなんだけれどもね……あ、そうだ。キミ、ボクと一緒にアコギのサークルに入らない?」


「はあっ?」


「知らない人達の輪の中に入っていくのは苦手だけれど、キミと一緒だったら何とかなりそうな気がするんだ。ギターを弾いたことがないのなら、ボクが一から教えるから」


「断る」


「ええっ、何で!」


 あのなぁ――今でさえもお前のいない場所で、伊東や北川からは、お前のお守り役だの何だのってからかわれているんだ。お前とダチになったのは認めるが、サークル活動まで一緒だなんて勘弁してくれ。


 そんな話をしているうちに、次の講義の教室がある学館の前まで来た。


「んじゃ、次の俺の講義、こっちだから」


「えっと、うん……それじゃあ」


 俺の言葉に、何とも心細そうな表情で手を振る久世――いやホント、頼むからそういうのやめてくれって。鳥肌立つから。

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