NEO独歩

西田河

NEO独歩

”朝のニュースです。今日、2150年8月21日。ついに、全世界でカーボンニュートラルの達成が確認できました。これにより、長年人類を苦しめてきた地球温暖化の進行は完全に止まるものと思われます。また、カーボンニュートラルを達成に伴い、国連では”


 男はテレビを消し、カーテンを少し開けた。そこには、一日の始まりを告げる朝日や心を癒してくれる緑、地面を歩き回る人間すら存在しない。在るのは、ただ高いだけのビル群と空を飛ぶ車。それだけだ。


 ここはムサシノ22区と言われており、娯楽が発達している14区とはかなり離れている。そのため、ここら一体は家賃が安く、住んでいる奴も金の無い奴らばかりである。


 過去の文献によると、昔はここも鳥のさえずりや枯葉が割れる音がよく聞こえる、緑豊かな場所で、人と自然が共存する素晴らしい土地であったと言われている。


 ではなぜこんなことになったのか? 原因は2120年、武蔵野が未来大型都市に選ばれたのが始まりであった。それからというもの、木を伐り、コンクリートで地面を覆い、国はわずかに残っていた自然を徹底的に排除した。


 こうして約10年の歳月を費やし、未来大型都市ムサシノが完成した。


 ***


「……完成だ」


 数時間前から部屋に響き渡っていたタイピング音は止まり、男は首をゆっくりと回した。


 男の目的はただ一つ。


 それは、国木田独歩を現代に蘇らせること。正確に言うと、国木田独歩の生い立ちや書籍、行動などの情報を全て学習装置に入力し、国木田独歩を完全に再現したAI、NEO独歩を作り出すことであった。


 そして、今のムサシノの歪さと醜さ、昔の武蔵野の正しさと美しさをNEO独歩と共に全国民に知らしめることが男の使命であった。幸いなことに、現代においても国木田独歩の利用価値ネームバリューは絶大である。国を変えることは出来なくても、国民の考え方を少し変えるくらいなら出来ると男は確信していた。


 そして今日、ついにNEO独歩は完成した。


 ***


 なぜだろう。体が落ち着かない。本来ならば、15分程度の仮眠を取った後、ゆっくりと実験に取り掛かるのが当初のプランであった。


 しかし、そんな思考とは裏腹に作業を進める手は止まらない。そして、気が付くとNEO独歩を起動するための準備は全て終了していた。残りの作業はEnterボタンを押すこと。ただそれだけである。


 これまで数百万と押してきたはずのEnterボタンが重く感じる。だが、このボタンを押さないことには、始まらないし、終わらない。


 男は一呼吸置いた後、思い切ってEnterボタンを押した。


 その瞬間、研究所の中央にある大型学習装置が光りだした。部屋中の電気が持っていかれたのか、照明やエアコン、冷蔵庫などの電気機器は全て動きを止める。


 この部屋で動いている機械は、部屋の中央にある学習装置ただ一つとなった。



 行動情報  100%

 精神情報  100%

 文献情報  100%


 国木田独歩 100%


 NEO独歩 起動します



 抑揚のない人工音声が聞こえたのち、部屋に明かりが戻る。目を開け、部屋の中央を確認すると、学習装置は発光を止めていた。


 学習装置の周囲を見て回ったが、起動時に破損したところはないように見える。起動時の光が想像よりも凄まじかったため、心配だったのだがどうやら杞憂だったようだ。


 男はゆっくりと部屋の中央に近づき、NEO独歩に最初の質問をした。


「お前の名前を教えろ」

「………ワタシハ。わたしは私。私の名前は……く、国木田独歩?」


 まだ少し混乱しているようだが、会話は成立している。どうやら、難関であった言語理解は達成しているようだ。


 それから、NEO独歩にいくつか質問をしたが、返答はどれも入力した情報と合致しており、実験は成功したと言えるだろう。


 体が熱く、喉が渇く。柄にもなく興奮しているせいだろうか。早く落ち着けなければ。


 男はペットボトルに入っている水をがぶ飲みする。


 NEO独歩の方を見るが、何も話さない。恐らくまだ現状を理解できていないのだろう。協力してもらうため、第一印象は大切だが、そのために嘘をつくのは己の信念に反する。これは正直に話す以外道はないだろう。


「おい、国木田独歩」

「な、なんだね」

「最初にはっきり言っておこう。お前はもう死んでいる」

「そ、そんなばかな。私はこうして生きて………。おい、私の手はどこにある?」

「そんなものは無い。研究所を壊されては敵わないからな」


「では、私の脚はどこにある?」

「そんなものは無い。ここから逃げられては敵わないからな」


「……では、私は誰なんだ?」

「……お前は国木田独歩だ」



 その後、NEO独歩には今が2150年であること、今いる場所がムサシノであること。そして、独歩が過去の情報から生み出されたAIであることを正直に話した。


「私が機械で、ここが2150年だと……」

「信じられないかもしれないが、全て真実だ」


 NEO独歩は困惑しているようで、少しの間ブツブツと独り言を発していた。だが、しばらくすると堰を切ったように質問を始めた。


「なぜ私をこの時代に呼び出したんだ?」

「やってもらいたいことがある。これから、お前には俺と一緒にムサシノを歩いてもらう。そして、昔と比べて劣っている部分があれば教えてほしい。かつて、武蔵野を愛していたお前ならば容易いことだろう」

「なぜ私がそんなことをしなければならない!」

「もちろん、ただでとは言わない。協力してくれれば、これから数十年、いや数百年小説を書ける環境を提供しよう。」

「……それは本当か」

「ああ、嘘は嫌いだ」


 しばらくの間、部屋を沈黙が満たす。恐らく機械の頭で悩んでいるのだろう。


「早く決めろ。やるのか。やらないのか。どっちだ?」

「……分かった、協力しよう。だが、私も正直な感想しか言わないぞ。嘘は嫌いだからな」

「気が合うじゃないか。それじゃあ、契約成立だ。」


 ***


 数日ぶりの外出だ。歩いている人は一人も見えず、大量の車だけが群れを成して空を飛んでいる。つまりはいつも通りである。いつもと違う点を挙げるとしたら、右手にNEO独歩の目となるカメラを持っていることぐらいだろうか。


「どうだ? これが今の武蔵野だ」

「…………」


 NEO独歩は絶句していた。

 それもそのはず、約300年の時が経っているのだ。面影などかけらも残っていないだろう。


「これが武蔵野……」


「そうだ、日の光はほとんど見えず、草木は一本たりとも生えていない。こんなところは地獄以外の何物でもない。はっきりと言ってやってくれ。ムサシノは最低最悪の場所であると!」


「ここは…………とても美しい」


「…………は?」


 あまりに予想から外れた感想を言われたため、気の抜けた声が出てしまった。


「すまないが、もう一度言ってくれないか」

「何度でも言おう。ここは空虚で無機質、人々の営みなど微塵も感じれないが、とても、とても美しい」


 NEO独歩は続けて言う。


「確かに人間の営みも見えず、温かみを感じれるものは一つも存在しない。だが幻想的で、反自然的なこの空間を醜いとはとても言えない」

「そんなことはない! 昔と、お前が時を過ごしていた武蔵野と比べ、ここは明らかに劣っているだろ」


「私だって最初から武蔵野が好きだったわけではない。むしろ最初に来た時は、何もないところに来てしまったと後悔したもんだ。ただ見て、聴いて、嗅いで、暮らしているうちに、だんだんと武蔵野のことを好きになっていったんだ。」


 NEO独歩は責め立てるように言葉を続けた。


「では逆に聞こう。君は今のムサシノに本当に住んでいると言えるのか? ムサシノという街を隅々まで見て回ったのか?」


 黙れ


「街の外観ばかりに目がいって、文化に触れていないんじゃないのか?」


 黙れ、黙れ


「単にこの街の揚げ足取りがしたいだけじゃないのか」


「……黙れ黙れ黙れ! お前に何が分かるんだ。お前に故郷が、故郷のすべてが景観にそぐわないという理由だけで塗りつぶされる苦しみがお前に分かるのか?」


「お前が故郷を愛していたことは分かった。だが、その愛をなぜ少しでもムサシノに向けることが出来なかったんだ? それだけでお前は幸せになれたはずだ」


 分かっていた、そんなことは。ただそれを認めてしまえば、犠牲になっていった仲間を裏切ることになってしまう。それは男にとって何よりも耐え難いことだった。



「もう十分だ。協力感謝する。報酬として、最低でも数十年の執筆活動をサポートしよう」

「そのことだがな。もういい、私は満足だ。消してくれ」

「なぜだ? 死ぬ間際まで後悔していたのではないのか?」


「ここに来て、君と歩いて、やっと分かった。私はここにいるべき人間ではない。書きたかった作品はたくさんあったが、それはあの時代のあの場所で、書きたかった作品だ。ここで書いたところで意味はない。」


 NEO独歩は声はとても晴れやかであった。


「本当にいいんだな?」

「ああ」


「最後に聞かせてくれ。お前が暮らしていた『武蔵野』はどんなところだったんだ?」


「そうだな……」


 NEO独歩は少し悩みこう言った。


「ここよりも歩きづらくて汚い、時より堆肥の腐った匂いがする



 どこにでもある普通の場所だったよ」


 顔を持たないNEO独歩は笑顔で最後の音声を発した。


「そうか。ありがとう。」



 データを消去します



 部屋に久しぶりの沈黙が訪れる。


 終わりとは、こうもあっさりしているものなのか。

 脱力感? 達成感? よく分からない感覚が私の体を覆う。だかそれは不思議と心地よいものだった。


 ドンドンドン


 誰かがドアを叩く音が聞こえる。


「警察だ。お前には窃盗罪、建造物侵入罪など4つの容疑で指名手配されている。早くドアを開けろ。仲間たちが牢屋で待ってるぞ」


 夢のために随分と多くの罪を重ねてしまった。塀から出られるのは何十年後になるだろうか。


 もしその時まで生きていたら、ゆっくりとムサシノを歩いてみるとしよう。


 もしかしたら、違うムサシノが見えるかもしれない。


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