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第九図 大ぼさつ」への応援コメント


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    『伊勢物語』第八段「浅間の嶽」で

    むかし、男ありけり。京や住み憂かりけむ、あづまのかたにゆきて住み所もとむとて、ともとする人、ひとりふたりしてゆきけり。信濃の国、浅間の嶽に、けぶりの立つを見て、

     信濃なる浅間の嶽にたつ煙
      をちこち人の見やはとがめぬ

    と、六歌仙・三十六歌仙の一人として有名な在原業平が軽井沢の借宿で詠ったことに由来して、明和8年(1771)に建立した借宿村の神社が遠近宮と名付けられ、祭神として国津神である磐長姫命(いわながひめのみこと)、木花開耶姫命(このはなのさくやびめのみこと)、神大市姫命(かむおおいちひめのみこと)が祀られているそうです。

    立札にある遠近宮の由緒には祭神として磐長姫命のみ記されているようですが、磐長姫命は富士山の木花咲耶姫命の御姉神と記されてますが、磐長姫命は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫・瓊瓊杵尊命(ににぎのみこと)が木花咲耶姫命に求婚した折り、共に嫁がされて追い返されたため、怒った父の大山津見神の誓約により瓊瓊杵尊命とその子孫は神としての永遠の命を失ったという逸話もあるようです。また神大市姫命についても大山津見神の娘で天照大御神の弟である素盞鳴尊(すさのおのみこと)の妻の一人となり、農耕神・食料神として信仰されているようです。

    また、『新古今和歌集』巻第十、羇旅歌の中に

    東の方に罷りけるに淺間の嶽に立つ煙の立つを見てよめる
          在原業平朝臣
    信濃なる浅間の嶽にたつ煙 をちこち人の見やはとがめぬ

    と、あり、『伊勢物語』の主人公である男と推察される在原業平の和歌が収載されているそうです。


    そして、『古事記』、『日本書紀』では初代天皇、神武天皇が瓊瓊杵尊命と木花開耶姫命の曽孫として記されているようですね。

    後篇 懸想文のことより、いろいろと勉強させていただきました。私訳をありがとうございます。


    作者からの返信

    中澤樣

    お返事が遅くなりまして失礼しました。この一週間は先週一週間の「秋休み」のツケの精算をしておりました……我乍ら浅はかなことこの上ありません。

    さて、色々と調べても下さったのでしょうか、詳細にご教示下さいまして有り難うございます。軽井沢の遠近宮、初めて知りまして検索してみたのですが、随分と古い、趣のある社殿、そして業平はこんなところにも事蹟を遺しているんですね……。

    『桜梅草子』に登場する「富士の大菩薩」はやはり「浅間(仙元)大菩薩」の別名を有する現在の富士山本宮浅間大社を意識したものだと思われますが、富士山周辺に点在する各地の浅間神社も、調べてみますと主祭神は同じものの、配祀されている神々の組み合わせは必ずしも同じではないようですね。恥ずかし乍ら私など上代の文献は余り熱心に読んではおりませんで、神々の系譜などにも疎いため頭がこんがらがりそうで、中途で諦めてしまいました……(笑)

    ただ、個人的に興味深かったのは、ウィキペディアの孫引きで恐縮乍ら「富士山の神霊をコノハナノサクヤヒメに当てる起源は明らかでないが、文献の初見は江戸時代初期の『集雲和尚遺稿』である」とされている点でした。「山の美しさを女性に擬える」とか「火山を女神の水徳で宥める」とか諸説あるようですけれど、富士信仰と女性・女神との結びつきが古来より強いことは慥からしいとは言え、その女神が木花開耶姫という「花(恐らく桜)の女神」に当てられるようになったのが如上の説に従って仮に近世だとすると、ではそれより少しく溯る室町後期に『桜梅草子』が成立した段階で、既に「富士の大菩薩」が「花の女神」、木花開耶姫として意識されていたのか否か、あるいはそう見做して良いのかは非常に気になるところでした。

    然るべき先行研究にも当たり切れていないものですから、何時も以上に要を得ないお返事となってしまいで恐縮です。