夏の模様替えは互い違いレイアウト

悟房 勢

第1話

 そりゃぁ、しょうくんと紗英さえは最高の夏を迎えるでしょうね。小説やらドラマやら、映画やら漫画やらでスポーツを題材に栄光までの奮闘をドラマチックに描いたサクセスストーリーはよく見かける。


 他に思いつくのは、信念を持って行動し、社会に変革を与えようとひたむきに頑張る主人公を題材にした学園ものとか、青春ものとかも定番で、最後に奇跡が起こったりして感動させられたりする。


 二人はまさにその両方を兼ね備えたかのようで、しかも、恋人関係だというのがまたいい。これこそ青春だという、見ていてこっちのテンションが上がる、グルーヴ感というか、高揚感が湧く。


 そこにきてこの私はどうか。間違いなく脇役の一人で、しょうくんと紗英さえの二人を主人公にしたストーリーでいうと、私はまさに『非恋愛』パートを担当している。


 確かに、私のパートは重要だ。登場人物が全て恋愛脳では話は成り立たない。リアリティーに欠けるし、事実、現実世界では恋愛だけで生活はできない。働いて稼がなければならないし、将来稼ぐために学校に通わなくてはならない。恋愛だけが主人公の悩みじゃないはずだ。


 その『非恋愛』パートを任されているならまだしも、私の場合、お笑いのパートも担っている。これもよくある定番でそういった三枚目はストーリーでは欠かせない。


 にしても、納得がいかない。私はただスポーツ男子と戯れ、明るく、オーバーアクションで、時には甘え、時には怒り、軟式野球部で、普通のマネージャーとして高校生活を楽しみたいだけだった。それがだ。


 柴田の野郎ぉ。やつのおかげで私はお笑い担当女優でなく、ただのお笑い女芸人に成り下がってしまった。その元凶たる柴田が今まさに私の二十メートル前でバットを振っている。


「いてっ!」


 ボールが私の太ももに当たった。軟式とはいえ、女子の私が痛くないはずがない。


「せんぱーいっ。今、考え事してたっしょ。ノックを受けている時ぐらいはボールを見てないと」


 そもそもが、紗英がマネージャーを辞めてチームに入ると言い出したことが始まりだった。宮ノ下高校は県下有数の進学校で、練習をしっかりする部活は二年生で現役を引退する。軟式野球部のような部活は勉強の息抜き以外の何物でもなく、グダグダと卒業まで部員は在籍し、まるで同好会か、野球でいえば、酔っ払いの親父が集まる草野球のようなものだった。


 気分転換か、憂さ晴らしか、気分が乗れば練習するし、乗らなければ部室やら木陰やらでだべっている。


 私たちも、マネージャーという立場でそこに加わっていた。それがこの六月、いきなり紗英がマネージャーを辞めて、チームでプレーすると言い出した。三年が四人で二年は三人。一年に至っては柴田だけだった。今年も大会への出場は見合わせるか、と誰もが思っている時だった。


 紗英が入れば九人となる。それでチームが出来上がるってわけだ。確かに、出場したいのなら妙案だ。紗英は中学の時、ソフトボールで全日本に選出されるほどのビックネームだった。おそらくは軟弱軟式野球部の中でキャプテンの翔くん、そして柴田に次いで上手いんじゃないだろうか。


 しかも、紗英は翔くんとデートで、公園とかでキャッチボールとかもしていたという。紗英は軟式の扱いも慣れたものなんだろう。


 部員はというと、色めき立った。女子が選手として出場する。パッとしない軟式野球部に脚光が当たるかもしれない。もしかしたら、地元新聞やらテレビが取り上げてくれるかも。学校の宣伝に貢献した自分たちは進学のための内申もきっと高評価を取れる。


 そんな下心というか、打算が皆に働いたのだろう。私としても、翔くんと紗英の思い出作りは喜ばしいことだった。青春じゃないっすか。グルーヴ感ありありでぞくぞくする。


 ところが紗英は一つ条件を付けた。私を気遣ったんだ。私のことはどうでもいいのに、私にもユニホームを着せたいと言い出した。


 私も中学の時、ソフトボール選手だった。野球が好きで、男ならどんなに良かっただろうと当時は思っていた。


 「試合に出ることはない、ユニホームを着てベンチに入るだけ」


 その言葉は私にとってどんなに魅力的な言葉だったか。観客席から見守るだけじゃぁつまらない。ベンチに入って、高校球児のようにヤジを飛ばしたかった。


 で、紗英の申し出を快く承諾した。それがだ、それが柴田の野郎ぉ。


 私は足元に落ちていたボールを拾った。柴田が放ったノックのボール。太ももにヒットしたボールだ。


 糞野郎ぉ!


 大きく振りかぶり、ボールに渾身の力を込め、柴田に投げつけてやった。


 ボールはシュルシュルと、風切り音を上げて柴田に向かう。


 柴田は、ニカっと笑った。目はとろけ落ちそうだというのに、口はというと、口角が上がり、歯のほとんど全てが並んで見える。褐色の肌だから整然と並ぶ白い歯は白さが際立つというか、この薄気味悪い笑いを、柴田は私に向けてちょくちょくする。一体なんなんだ、こいつは。


 中学の時、柴田はこの界隈かいわいで有名な選手だったようだ。逸材だったらしい。本人もまんざらではなく、本格的な硬式野球部に入りたかったそうだ。


 ところがだ、親が反対した。硬式に入るどころか、部活自体を禁止した。軟式野球部に入れたのは部員が少なく試合に出られないという話を親が聞いたからだ。


 紗英がチームに入ると聞いて一番喜んだのは柴田なのかもしれない。やつはまっさきに、マネージャーの仕事は僕が引き受けます、と言い出した。


 私がやつの申し出を手放しで喜んだのは言うまでもない。だって私は選手だ。それも三年。ボール拾いは当然やらないし、マネージャーじゃぁもうないんだ、ユニホームの洗濯だって、飲むか飲まないか分からないポカリだって造りたくはない。


 引き受けると言った通り柴田は、本来私たちの仕事だったことを自分一人で全部やっていた。なかなか手際もよく、しかも楽しげにやっていた。その姿にちょっと感動し、たまに手伝ってやったりもした。


 ある日のことだ。私と柴田はキーパーに水を入れ、ポカリを作っていた。


「先輩、ユニホームを着たからには試合に出たいですよね」


 私は何の気なしに、いや、その頃は柴田に心を許していたのだろう。


「そりゃぁ、出られるなら出たいわ」


 そう答えてしまった。


 その日の練習終わりにキャプテンの翔くんが皆を集めた。翔くんが切り出した言葉はこうだ。


「僕らは勝つために試合に出るのではない。そうだろ? 皆」


 そして、私をレギュラーにすると言い出した。それはまさしく柴田の提言だったのは言うまでもない。


「試合を最後までやり遂げるなら、やはり諸岡もろおかさんに出てもらうしかない。補欠でベンチに入ってもらうと考えていたけど、もし誰かが熱中症で倒れたとしよう。そしたら試合を断念するか、諸岡もろおかさんに出てもらうしかない。我ら軟式野球部がこれだけ脚光を浴びたからには試合を放棄するわけにはいかない。宮ノ下高校は進学校だ。間違いなく、遊び半分で試合に出てきたと、身に覚えのないそしりを受けるはめとなろう。だが、なんと嬉しいことに、そんな僕らの気持ちを汲んで諸岡もろおかさんも選手となって出場してくれるという。僕らの目指す全員野球だっ!」


 あの時、チームは一体となった。


 てか、なんでそうなるのっ!


 やっぱ柴田だ。柴田が翔くんに吹き込んだんだ。許せねぇ。何度もいうが、わたしはただスポーツ男子と戯れ、明るく、オーバーアクションで、時には甘え、時には怒り、軟式野球部で、普通のマネージャーとして高校生活を楽しみたいだけっ。


 確かに、野球がしたくて男子に憧れた時期はあった。でも、今は女の子の方がいいっ!


 そんな想いも届かず、皆の勢いに押された私はサードを守らせられるはめになった。外野が負傷して私がそこに入るのは難しい。サードは守りやすいっていうこともあり、最初からそこに入って、ピッチャーでもどこでも守れる柴田が補欠に回った。ちなみに紗英はファーストだった。


 それで今まさに、私が放った渾身こんしんのボールが柴田に向かって行っている。倍返し。ぼーっとしていると知っていてわざとボールを当てた報いとしれっ!


 私の怒りのオーラをまとったボールはシュルシュルとうなりを上げている。柴田の悲鳴を聞けるのはもう間近だ。


 のたうち回れ! 柴田―っ!


 けど、柴田はそれをこともなくバントした。絶妙に力を逃がし、ボールは柴田の三メートル前でコロコロと転がった。


 私は呆然とするしかなかった。柴田が苦しむさまを見たかった。なのにこの怒りぃ、どこにやったらいいっ。


「先輩、サードでしょ。取りに来ないと」


「て、てめぇー、柴田―っ」


 私は走った。そして、ボールを握った。バックネットにマットが立てかけてある。そこにボールを投げつけ、急いでバック。定位置に着いた。


 それから私は柴田に、徹底的に仕込まれたのは言うまでもない。





 居残り練習が終わり、私は女子更衣室でシャワーを浴び、着替えて、校舎を出る。もうへとへとだ。すがすがしさなんてこれっぽっちも感じない。校門を出ると柴田が自転車に乗って私を待ち受けていた。


 いつものことだ。せんぱーい、と手を振っている。よくわからない。私がシャワーを浴び、帰り支度をしている間に、ボールを拾い、グラウンドをならし、部室を掃除して、校門で待機する。


 ずっと前、手際がいいなと褒めてやったら、本人曰く、はしょらず毎日キチンとやるとそう時間がかからないものです、だそうですぅ。


 まぁ、それはいい。柴田が私を待っているっていうのは、私を駅まで送っていくつもりなんだ。自転車の後ろに私を乗せて駅に向かう。疲れてへとへとで、私が送って行けと一度甘えてからはずっとそうするものだと、柴田は思っている。


 それだけではない。ラーメンでも食べていきましょうよ、って毎日誘ってくる。初めは付き合ってやった。柴田は自炊だった。お母さんは大学で教鞭を取っていて、お父さんは病院を経営している。


 家に帰ると家庭教師が待っているだけだそうで、それを聞いてしまっては断りづらい。けど、今は、断っている。ラーメン代を私の分まで払うんだ。


 女性に払わせたらいけない、というのはフェミニストの母親の教えだそうだ。母親は、どうやら女性の権利やら、女性の働きよい社会やらを研究しているようだ。


 女性参画社会の実現。今回の私たちの行動も応援しているそうで、母親は部活禁止から積極的参加に考えを変えたそうだ。でも、何度でもいうが、私は男子に憧れた時期は、確かにあった。でも、今は女の子の方がいいっ。


「先輩、疲れたっしょ。早く乗って下さい」


 私はやり切れない思いのまま、柴田の後ろに乗った。どう見ても恋人同士なのである。柴田とは色々あるが、柴田は勉強もでき、スポーツもでき、見た目、山下智久だった。


 一年の女子の間では一番人気なのだという。そりゃぁそうだ、と思う。金持ちで、勉強もでき、スポーツもできる山下智久が同学年にいたら私だって惚れるわ。


 よくわからない。私は真っ黒クロスケ。ちんちくりんで、胸もない。


「先輩、ラーメンでも行きましょうか、久しぶりに」


 柴田は、しこしこ自転車をこいでいる。こいつ、また代金を払うつもりなのだろう。私はあんたの恋人でも何でもない。ただの先輩。それでおごってもらったら、ただのパワハラじゃないっすか。御高名な学者先生のお母様はそう教えてくれませんでした?


 私は自転車からそっと降りた。柴田は気付かず自転車をしこしここいでいる。私を置いて先に進んでいった。


「あれ、先輩?」


 気付いたようだ。後ろを振り返っている。柴田は十メートルさきで止まった。


「どうしたんすか? 先輩。落っこちちゃったんですか?」


 柴田は自転車の向きを変えた。戻ってくる。私は走った。来た道を戻り、学校へと向かう。


 自転車が追ってきているのは分かった。が、なんせ相手は自転車。すっと追い抜かれ、私の前に立ちはだかった。


 そして柴田の、あの笑みである。たまに見せる薄気味悪い笑い。いや、これは笑っているのではない。間違いない。ムラムラしているんだ。こいつ欲情してやがる。


「このド変態のサイコ野郎―っ!」


 私は蹴りを入れた。柴田は自転車ごと転んでアスファルトに這いつくばった。


 私は走った。駅に向けて走った。


 あれ?


 いつもの柴田なら、子犬のように追ってくるはず。が、柴田は追ってこないようだ。自転車のタイヤがアスファルトをこする音が聞こえて来ない。私は立ち止った。


 ずっと向こう、柴田は倒れた自転車の横でうつむき、突っ立っている。


 なんか、罪悪感にかられた。私が後輩をいじめたようじゃないか。


 ふぅー。しかたないか。


 私は戻っていき、自転車を起こした。そして、サドルにまたがり、ハンドルを握った。


「柴田、乗れ」


 柴田はうつむいて、動こうとはしない。


「乗れって言ってんだろ、柴田」


 柴田はすごすごと後ろの荷台にまたがった。


「行くぞ、つかまれ」


 そう私が言うと、なぜか柴田は私の腰に手をまわした。


「おい、やめろ。つかまれっていうのはそういう意味じゃない」


 柴田は聞いちゃいないのか私の背に頬をうずめてきた。密着姿勢。


 な、なんじゃこりゃぁ。


 私は恥ずかしくなって自転車を走らせた。誰にも見られたくない。駅に向かわず、左手の小道にハンドルを切った。


 曲がりくねった狭いあい路を進んでいく。軽トラがやっと走れる細い道だ。背中には柴田の温もり。正面がパッと開けた。大海原と、水平線に浮かぶ大きな太陽、そして、空を真っ赤に染めた夕焼けが坂道の向こうに見えた。


 私はブレーキを一杯握りしめて、坂道をゆっくりゆっくり海へと下っていく。


 あれ? これは! もしかして夏色。


 というか、そうじゃない、逆夏色!


 って、なんじゃこりぁぁぁぁぁっー。


 もう、どうにでもなれってんだ、もう。私は坂道を下っていき、海沿いの歩道に自転車を止めた。


 呆然と、沈んでいく太陽を見守る。


「先輩」


 いまだ背中にくっつく柴田が言った。


「なんだ」


「先輩は僕より先に卒業するんですね」


「当たり前だ」


「先輩。僕、卒業式には泣いちゃうかもしれません」


 しるか、ボケっ。


 私と柴田は沈んでいく太陽をずっと眺めていた。





 夏の大会は一回戦で敗退したのもあってか、マスコミにもさして話題には上がらず、夏は遠い昔の記憶のようになって、そんなこともあったな的な空気が漂う中で月日は経ち、大学受験が佳境に入った。部員は試験でおのおの全国各地に散っていき、私はというと、浪人せずになんとか大学に滑り込むことが出来た。


 卒業式は晴れ晴れした気分であったが、やはり柴田だ。卒業式が終わり校門を出るといつものように柴田が立っていた。泣きじゃくっている。


「先輩、卒業式はやっぱり泣いてしまいました」


 卒業式はって、今も泣いてるじゃねぇか。


「分かった、分かった、泣くな、柴田」


「あのぉ、先輩」


「なんだ、柴田」


「あのぉ」


「柴田らしくないな、言ってみろ」


「では、お言葉に甘えて。ご卒業おめでとうございます」


「はいはい」


「で、先輩、なにか記念品をもらいたいんですが」


「は?」 


「ですから、記念品下さいと」


 逆だろぉがよぉ、柴田。私が貰いたいわ。


 とはいえ、可愛い後輩にそうせがまれては。私は制服のリボンをくれてやった。


 それからも私たちの変な関係は続いている。一緒に飯をくったり、ドームに野球観戦に行ったり、公園でキャッチボールもする。


 映画を見に行ったり、遊園地にも行ったり、まるで恋人同士のようだ。でもいまだ私は柴田を、柴田と呼びつけで呼んでいる。







( 了 )

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