第17話 アイドルも結局曲が一番大事ですよね?
「そろそろ、行こうか」
「うん、そうね」
巨大なショッピングモールなので、今いるレストランから駐車場に着くまで10分くらいはかかりそうだ。
もう陽も暮れてショッピングモールは様々な色の光に彩られていた。白い街灯と暖かいオレンジの街灯で交互に照らされているメインストリートは、終わりなくどこまでも伸びてゆくのではないかという気がした。その中に赤、青、緑といった色のそれぞれの店のライトアップがランダムに差し込まれとても綺麗だった。小雨でも降っていたらもっと幻想的だったかもしれない。
ふと、手でも握ってみたらどんな反応をするだろうか?と気になり、彼女の右手に触れてみた。彼女は特に表情を変えることもなく俺の左手を握ってきた。それだけなのにとても嬉しかった。これ以上の幸せはもう何も残されていないんじゃないだろうか、という気さえした。
帰り道は渋滞で、思ったよりも車が進まなかった。一時間経っても帰路の半分を少し過ぎたほどしか進んでいなかった。まだ時刻は20時を少し過ぎた程度だったし、事故渋滞だということなので、現場を過ぎれば車の流れもスムーズになるだろう。
「塚本はさ……東京で、どうだったの?」
不意に吉田が訊いてきた。
「どう、って言われてもな……。楽しかったと思うよ」
不意に訊かれたので、俺も漠然と答えることしか出来なかった。少し考えてから言葉を繋いでゆく。
「……まあ俺の場合は東京に出たい、っていうか地元から出たくて進学して、向こうに居座るために就職したようなもんだからな。でも、最後の方は息切れしてたかもな」
「息切れって?」
「なんか、何を見ても何をやっても楽しくなくってさ……。その頃だよ『花町佳織』の作品に出会ったのは。……言ったら悪いかもしれないけど、今時グラビアアイドルのイメージDVDなんて普通、手出さないぜ」
「うん、それは私の方が分かってる」
吉田は実感を持って答えてくれた。何か当時の売り上げ枚数だとかが思い浮かんだのかもしれない。
「良かったのか悪かったのかは分かんないけど、一時期は『花町佳織』で頭が一杯だったんだぜ」
「あらあら、それはそれは。ご愁傷様で御座いましたこと」
頭を下げる彼女に、俺は苦笑して話を続けた。
「それに、最後のフォトブックの舞台は地元だろ?あの美しさが頭のどっかに染み付いてたのかもな。だから、この前帰ってきた時に地元が新鮮で楽しく思えたのかもしれない」
「……ふーん、そうなんだ。そんなこと言ってくれたのは塚本が初めてだよ。ありがとね」
『花町佳織』の作品を通してもっと色んなことを感じていたし、もっと伝えようと言葉をいつか考えていたのだが、出てきたのはそれだけだった。でもこれで充分だとも思う。きっとこれからも伝えてゆく時間はたっぷりあるはずだ。
その後の少しの沈黙も悪くないものだと俺は感じていた。
「吉田の方はどうだったの?」
「何が?」
「東京での生活だよ」
『花町佳織』をやりながら大学を卒業して、念願だった研究職に就いたけど三年前に移動した部署で上司のパワハラに遭い、精神的に病んで退職した。ということは聞いていたが、それを彼女がどう感じていたのかという部分に関してはあまり触れていなかったのだ。
「うん……。三年前までは充実してたよ。本当にやりたかった仕事だったし、会社の人との人間関係も悩んだことは一回もなかった。休みの日は彼氏と過ごすか、大学の同級生と遊ぶかで毎日楽しかった……もちろん小さなことは色々あったよ。でも一回鬱になってからは、本当に世界から色が無くなったみたいだった。こっちに帰ってきてからは大分良いんだけどね。……でもまだ私、薬飲んでるんだよ。精神薬って一回飲みだすと止められないって言われててね、ひょっとしたらもう治らないかも……って毎晩寝る前に薬を飲むと思っちゃうよね」
「……そうか」
初めて見る彼女の弱気な一面に驚いて、俺は返す言葉が見当たらなかった。でもそれが今の彼女の本当の姿ならば、それを見せてくれたことが嬉しいような気もした。
「でも、吉田ならきっと大丈夫だよ!……だってあの吉田香奈だぜ。男子も女子もみんなお前に憧れてたぜ!」
「……ありがと。でもそういう感じじゃ、もうダメなんだと思う。私自身がそうやって自分を励ましてきたんだけどね」
「そうか……」
「……アハハ、何でアンタが暗くなってるのよ!私は自分のペースで自分と付き合ってくから、大丈夫よ!」
「ああ。……まああれだぜ、昔の誰も寄せ付けない感じのお前もカッコ良かったけど、今の柔らかくなったお前の方が接しやすくって、好きだぜ」
「ふ~ん」
そう言うと、彼女はニヤニヤしながら何も言わずこっちを見ていた。それで俺は告白とも捉えられかねない言葉を発したことに気付いた。
「……そう言えばさ、昨日夢を見たんだよ。」
俺はちょっと恥ずかしくなって、話題を変えた。
「ふ~ん。……え、わたしの?」
続く言葉が即出てこなかった俺の間を、彼女はそう捉えたようだ。
「いや、『花町佳織』の」
訂正と言って良いのか、俺の単なる強がりとも言えそうな言い訳に、彼女は少し笑った。
昨夜の夢は、『恋吹雪』を買った直後に見たものと雰囲気は似ていた。中井川の堤防沿いの道を、俺と彼女が二人で歩いている……それだけのものだった。季節は新緑の頃のようで、中井川の水勢もとても強く感じられた。
車の中はまた沈黙に包まれた。でもそれは心地良い沈黙だった。
「悪い、ちょっとコンビニ寄るな」
渋滞は依然として解消されておらず、帰宅まではまだ1時間近くかかりそうだった。少し眠気を感じた俺はコーヒーのカフェインを欲していた。
『研修中』というバッジを付けた高校生のバイトの子が、先輩バイトに教えてもらいながらレジをやってくれた。
戻ってくると吉田は助手席で眠っていた。その姿を見て俺は幸せというものを感じた。
思えば俺は色んな人に迷惑をかけてきた。でも今目の前の幸せが本当に手に入るならば、回り道をしてきたことなんて、人生のほんのスパイスでしかなかったと思う。彼女がまだ精神的に弱っているならば可能な限り支えてあげたいと思う。彼女ならきっとすぐに復活してくるだろうし、仕事も始めたということは調子も上向きだろう。
彼女の頬を指で触れてみる。
「…………うん?」
彼女が目を開けた。
(なあ?お前は本当に幸せになるに値するような人間か?)
不意に頭の中に声が響いた。
(自分勝手な理由で家族を嫌い、東京での暮らしが嫌になったと思えばノコノコこっちに戻ってきて、親が築いてきた仕事や家に寄生して。……それで今さら親孝行を気取ってるんじゃないだろうな?笑わせんなよ)
やめろ。
(大体彼女にとってもいい迷惑極まりないだろ?本当はお前みたいなクズ、相手にしたいわけないだろ?でも不運なことで調子を崩して、地元に戻ってきてみれば寄ってきたのがお前ってわけだ。本当は相手になんか死んでもしたくないけど、30近くなって仕事で失敗して実家に戻ってきた女にとって、親を安心させる方法は結婚して子供でも作るしかないだろ?選択肢のない彼女は、たしかにお前との結婚を考えているかもしれないけど……もう自分の人生終わったようなもんだと思ってるぜ)
「やめろーーー!!!」
気付くと俺は夢中で彼女の首を絞めていた。
動かなくなった彼女の首が、前に倒れ掛かってきたのを支えたところで、俺の意識は戻った。
車内にはラジオからアイドルの曲が流れていた。新しいんだけどどこか懐かしさを感じさせる曲で、とても良い曲だと俺は思った。
(完)
花街吹雪は恋の色 きんちゃん @kinchan84
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