第17話 1650年 大友宗麟のキリシタン改宗に悩む
留吉は数日、豊後に滞在して津に帰った。
これで杉谷と会う事は無いかもしれないが、生きているならば続巻が来る。
そう思えばそれほど悲しくもなかった。
ここからは豊後の衰退だ。
1578年に島津に敗北し、肥前の龍造寺と筑後の秋月が反乱をおこす。
ところが豊後内でも反乱が起こり、大友家は対外政策がとれずにかつて治めていた領地のほとんどを失った。
かつての仲間たちが別の陣営に分かれて殺し合い消えていく様は悲劇の最たるものだろう。
そこを書いてこそ、大友興廃記は完成すると言っても過言では無い。
その物語がやっと始まるのだ。
そんな見立てで続きを待っていると、翌年に
『すまぬ』
とだけ書かれた紙を上紙にして、留吉は大友興廃記13巻を渡された。
いやな予感がしながら表紙をめくると留吉は
「あの野郎……」
2巻の時と同じ言葉を吐き出した。
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終に破局の始まりかと思われた大友興廃記の13巻は、豊後にいつ南蛮船が来たか、大友家が所有していた名物はどのようなものがあるか書いた後、留吉が佐伯で案内された三竈江神社に寄木の岩の話が書いてあるだけだったのだ。
名物に関して言うならば
『宗麟公所持の茶湯道具と絵の名物を少々記す』と題して
●似たり茄子【茶入】●新田肩衝【秀吉の所持。北野茶会で用いられる】
●肩衝【前は渡邊妙通所持】●合子【前は坂東屋宗椿所持】●束の肩衝【前は硫黄屋所持】●有明肩衝【前は毛利兵部少輔所持】●瓢箪茶入【前は臼杵越中守所持】●虚堂墨跡【前は田北九郎所持】
●志賀茶壺●二見【たらいの水差し】●花真壺●セイコウノ壺●珠光茶碗
●玉楓市絵【八幅の内の一つ】●驢蹄茶入●小肩衝●大肩衝●文殊(小)琳茶入●漁夫の絵●青楓の絵【青楓は黄昏とも言う。小児の手を押し付けたような七葉で絵の姿が暮れに物を見るように姿が確かでないので黄昏と號す】
●枯木の絵【柳】●古木の絵【松】●梅竹の絵【仁斎】
●印陀羅【天竺の梵僧】●釈迦三幅【一対で白象、黒龍】●舜舉【花鳥自賛】●恵祟【山水墨絵】●楊月龍虎●張思恭【釈迦三幅一対脇竹に虎】
●李安忠【鷹色取】●葵山【意馬心猿の図】●任氏明【花鳥】
●顔輝【達磨、脇に龍虎】●恕斎【松竹梅・薄彩】●亀石滝水の硯【硯の池の上に石亀があり、墨を摺って水が少なくなると亀が水を吐き滝水のように岩を流れる】
以上は一の名物。茶道具として著名な品々が大友宗麟の元に集められていた。
また、家中の者が所持する名物として
▲吉弘嘉兵衛尉(統幸);大軸雪の絵、郭濫(山水薄彩)、老融(黒絵の牛5匹)
▲吉永(水)四郎;北野茄子 ▲田北六郎;虚堂黒跡、肩衝
▲臼杵紹冊;徽宗鶉(うずら)の絵、肩衝、楊枝梅(黒絵の梅)
▲毛利(森居)兵部少輔;徽宗鳩の絵、肩衝士廉鶴(彩色) がある。
などと列記している。国の一つくらいは買えそうな名物の数々である。
「こんなもの書く暇があるならば、合戦を書いて下さいとあれほど申し上げたものを…」
と留吉は思ったが
『もう少し話を集めねば、足りぬのだ。すまぬ。すまぬ』
そんな詫び言が豊後の方から聞こえた気がした。
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「うーむ。どうするか…」
佐伯の山中で覚書に囲まれ、杉谷は首をひねっていた。
杉谷は本当は1578年の日向合戦について書く予定だった。
そして、そこで佐伯惟重の祖父 佐伯宗天に準じて散って行った佐伯武士126人の名を記そうとした。
しかし、そのためには大友宗麟がキリシタンに改修したことについて書かねばならない。
島原の乱以降『キリシタンは邪教』であるという論調が定着した今、仮に大友宗麟は西洋宗に入信したと書いただけで、日本中の読者は『大友宗麟は悪人だ』との印象を受けるだろう。
だが、15年以上大友家を題材に書を連ねた杉谷にとって宗麟が単純に悪人とは考えられなくなっていた。
大友興廃記は今現在1578年の内容までしか書かれていないが、杉谷は豊後に来てから5年の間に終盤の1587年に向けて豊後の各地で聞きこみ調査をしていた。
津久見の四浦半島で天正14(1586)年10月に島津軍200叟、約2000人を200人で撃退した漁師たちは誇らしげに
「うちのじっさまは宗麟様の為に戦っただ!種子島で敵の大将さ討ち取ったら、宗麟様が褒美に鉄砲200丁と玉薬、兵糧を送ってくれたんよ!」
と我が事のように胸をはった。
また、臼杵城で籠城していたとき宗麟の側に仕えていた古老は
「島津の大軍が城を包囲していたが、急に囲みをといて退いて行った。追い討ちしようとすれば横矢を討たれそうだが新手の武士が出陣しようとしたので、宗麟公は『追いうちで数十人討ち取るより味方に手負い死人がいない方が大利だ。ことごとく引取れ』と命じられた。まだ若造だったワシらの命までもを案じる心優しきお方じゃった」
と、昨日の事のようにしみじみと語ってくれた。
筑後筑前(福岡西部)の書いた大友家の軍記では悪口にまみれた大友宗麟だが、ひざ元の豊後では大友家を6国の大大名に引き上げ、日の本に豊後の名を轟かせた英雄のようだった。
狩りの手伝いをさせられた佐伯の村人も、文句を言いながらも高貴な人間を傍で見た事は輝かしい記憶であり、自慢の種だった。
だからこそ、佐伯の民は狩りの日付から場所までを昨日の事のように憶えていた。
彼らの中に残る宗麟の姿と、軍記物で書かれている邪教を崇拝した極悪無道な宗麟の姿は一致しないのだ。
実際に会った事のある者と、
どちらを信用するのかは言うまでもない。
『仮に宗麟公が悪人だとすれば、そのような人間に人はついていくものだろうか?』
そう考えると、杉谷は宗麟のことを悪く書くことが豊後の民にとって酷い侮辱であり、先祖の功績を汚す事のように感じられた。それに――
『縁というのは大事なものじゃ。下らぬ者にまで誠意を尽くせとは言わぬが、先祖が世話になった方たちの悪口は書かぬ方がよい』
杉谷は佐伯惟重の言葉を思い出していた。
偉大な旧主として、純粋に宗麟を慕う佐伯の領民の顔が頭に浮かんでは消えていく。
「やめた」
杉谷は途中まで書いていた宗麟がキリシタンになる話を書いた紙を破り捨て、書き直し始めた。
ついでに、大友家の名物茶器や佐伯の名所を書いたもので13巻を作って甚吉に渡した。
留吉には悪いが、豊後人の名誉を守るためにも大友宗麟公の書き方には繊細な忖度が要求されるのだ。
すまぬ。と東方に詫びて杉谷は考えた。
キリシタンに改宗をしながらも、悪人と見られない様にするにはどうすれば良いか?
そもそもキリシタンに改宗したと書く必要はあるのか?
悪い僧侶に騙されて悪い宗教に改宗した事にすれば良くないか?
大友宗麟がキリシタンである事は周知の事実である。ならば、読んでいる人間が『なるほど、こうきたか』と感心するよう婉曲表現でごまかせば笑って許されるのではないか?
そんな詭弁と言い訳と詐欺を考えながら、杉谷はいかに筆を曲げるか考えた。
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「大友宗麟公がキリシタンだった事を無かった事にする方法?あるわけないじゃないですかそんなもの」
結局、良案が思いつかなかった杉谷は建治郎に相談し、きっぱりと切り捨てられた。
「そこを何とかできぬかのう?ほれ、仏教もキリシタンも敵対する相手を宗論で論破しようとするし、寺は焼くじゃろう?」
仏教徒同志の戦いで各地の寺はけっこう焼かれていた。
「そんなの、人間はみんな口は一つあるって言っているようなもんじゃないですか。そもそもキリシタンはデウス。仏教は大日。商売道具が違いまさぁ」
そう言われるとそうなのだが、ここで退いても名案はでない。
「じゃが、キリシタンたちが日の本に来た時は最初、大日(如来)の教えを広めに天竺から来たという事で、多くの僧たちが来たらしいではないか」
通訳の日本人はデウスとは何者か説明できずに、至高のお方として大日と言う言葉を選び『大日の教えを広めに来た』と薩摩の人に説明したらしい。
細かい教義は異なるがこの世を作るほどの素晴らしい存在を崇拝すると言う点では両者は同一のものだと言えるだろう。
「そう考えれば、キリシタンも仏教の一宗派みたいなものではないか?」
「色々と怒られそうですが、秀吉公もそんな認識だったみたいですな」
1587年に豊臣秀吉が、日本人向けに公布した伴天連禁止令にはこう書かれている。
・(大名などよりも)下の身分の者が思いのままにキリスト教徒になることについては問題にならない。
・キリスト教徒は、一向宗以上に示し合わせる事があると聞いているが、一向宗は年貢を納めず加賀国のように大名を追放し越前国まで取ろうとし、天下の障害になっていることは隠しようがない事実だ。
このようにキリシタンと一向衆を同列に扱っている。
天下人にとって宗教とは統治の助けになるか障害になるかの違いでしかなく、邪魔で無ければ信仰の自由は認めていたのである。
「それが、どうしたんですか?」
「つまりじゃな。キリシタンとは一向衆や禅宗の一宗派のようなものといえなくもない事はないのではないか?という事じゃ」
「言えませんよ。ひでえ詭弁だ」
そう言う建治郎の肩を杉谷はがしりと掴むと
「いや、言える。言える事にした」
と勝手に納得して勝手に家に帰って行った。
「…………旦那は一体何を書こうとしてるんですかなぁ」
建治郎は呆れながらその後ろ姿を見送った。
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こうして、一年の時をおいて書き上がった大友興廃記14巻。
そこにはキリスト教に改宗した大友宗麟の姿が書かれて…………いなかった。
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