第18話 キリシタンにならない大友宗麟と蘇る佐伯人

 大友興廃記13巻が発行されて1年が過ぎた1652年、津へ大友興廃記の14巻が届いた。


 ――今度は どんな豊後の豆知識が掲載されているのか?


 留吉は、そんな諦めの境地で表紙をめくると

「やっと…やっと話が動きましたな」

 まるで眠っていた龍が海底から飛び上がり、天に昇らんばかりの怒濤の勢いで大友の、いや九州の歴史がそこには刻まれていた。

 そこには5年かけて集められた様々な逸話が数珠のように一本の糸でつなげられていったようだった。

「いままで、ゆっくりと話を進めていたのは、この下調べをするためでしたか…」

 内容の正誤はともかく、現地で言い伝えられた彼らにとって正しい歴史に杉谷の見解を加えた豊後の姿が克明に加書かれている。

 まさに当時の豊後人が郷里の歴史をどのように捉え、どのように語り伝えてきたのかが500年後でも分かるほどの情報量だった。


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 大友興廃記14巻はこのような始まりを迎える。


『過ぎたるは及ばざるが如しという。

 如露法師は年月を重ね、禅を伝え一休禅師の再来と持て囃された。これは簡単な言葉で皆に仏の教えを説いたためだ。万事いい加減に修行をして悪道に落ち「真の伽藍を見る(見よ?)」との言葉を聞けば(民は)「これ以外は偽物だ」と心得て寺社仏閣を破り、盗み、私宅を飾る傍如無人な者もいた。宗麟公は諏訪寺で参学すると神道を尊ばなくなった。』


「どうだ!」

 杉谷はやり切った顔で言った。


「出鱈目だらけじゃねぇですか!」


 建治郎も言った。


 杉谷は『宗麟は怪しい法師が説くに傾倒したので道を誤った』と仏教に全ての責任を押し付けたのだ。

 万事いいかげんな建治郎でも流石にこの事実歪曲は見逃せなかった。しかし杉谷は平然とした顔で

「キリシタンも一向衆も戦乱の大名にとって厄介な存在だったのは事実。同じ宗教だからそちらの方が分かりやすいではないか」

「分かりやすいのと、詐欺は別でございますよ」

 建治郎は抗議した。第一、一向衆は禅宗では無い。

「そこは宗麟公は臨済宗の信徒じゃったからのう。それに武士と言えば禅宗じゃろ?なるべく史実どおりに話を書こうとするワシとしてはそこだけは譲れなかったのじゃ」

 どの口でそんなたわごとが言えるのか?お侍と言うのは商人の取引や僧の方便よりも酷い嘘を平気で付けるものなのだなぁと建治郎は感心した。

 なお如露法師の如露とはポルトガルのJORO(じょうろ)から取ったのだと言う。

 南蛮渡来の物品名を名前にしているので、分かる人間には如露法師とは外国人だと分かるという仕掛けらしい。

「まあ、そんな事はどうでもよいのですが」

 そう言いながら建治郎は紙をめくり


「それはそれとして………よくここまで人名を集めましたね」


 と言った。


 14巻では日向に出陣した豊後武士が島津の籠る高城で戦い敗北する話である。

 この話は大友記でも「耳川合戦」でかかれているのだが、佐伯の人間に言わせると

「あれは、嘘っぱちだ。実際の戦いは高城で起こったし、耳川じゃなくて美々川だ。実際に日向に行ったことのないやつが伝文だけで書いたのだろう」

 という事らしい。

 実際の戦場は耳川から20km南に離れた高城川であり日向高城合戦というのが正しい。


 この高城で、総力を集めた薩摩の島津軍と、豊後の武士は戦う。

 6国と3国の大名の戦い。

 普通に考えれば大友家の勝ちである。

 しかし、島津軍は物量の不利を覆した。

 川を渡った大友軍を横から決死の軍が突撃し、川の淵へと追い落としたのだ。

 

 杉谷は、この戦いで死亡した佐伯の武士の名を全て記した。

 名字ごとにならべると以下の通りになる。


 ●阿南猿之介、半助●安藤藤内兵衛、織部●池辺吉左衛門●衛藤大和守●大津喜兵衛●岡宮之介●岡部市之助

 ●柏江原ちゃく阿彌●上岡之大力●神志那左近●神毛蔵人●狩野左京亮、源三郎●河原大藏●河辺六郎、勘六、大造、七郎●吉良大介●木屋勘解由●小倉惣左衛門●後藤出羽守、新次郎

 ●佐井左介●才田與三兵衛●才野市兵衛●佐田民部、弥七郎(弟)、五左衛門(弟)、掃部助、玄蕃、弥十郎●柴田図書、惣左衛門、左吉(子兄)、三左衛門(子弟)、甚助●塩月内記、大学、源左衛門、弥兵衛、刑部、勘解由、大藏、●城弥四郎、弥九郎●白井隼人佐●出納新兵衛●菅弥兵衛●末松左近●染屋新十郎平次郎●谷口與四郎●高司次郎左衛門

 ●高畑左京亮、與五郎●高木織部●津井左馬介、舎人佐●寺嶋大介●寺田相模●中野主税介、藤十郎●戸敷新次郎、與四郎

 ●長田左京亮、将監、源五兵衛●橋迫右馬介、図書

 ●泥谷監物、喜左衛門、伊予守、内膳(子)、雅楽助、右京、五兵衛、勘右衛門、三郎、十兵衛●飛田(騨)宮内●平井内記●広末市之介、與左衛門●兵士市大夫●藤原徳力●古市又四郎、四郎五郎、孫十郎、又次郎、與五郎、新兵衛、又左衛門、孫左衛門、忠左衛門、四郎兵衛、藤十郎

 ●松浦嶋之介●御手洗玄蕃●宮脇藤七兵衛、宮内●森田三介、善四郎、十郎兵衛、又四郎●盛岡蔵人介、左馬之丞、藤左衛門●本越右近

 ●矢野與一兵衛、左介●由布右馬介、

 ●龍護寺●河俣寺●宗徳●けいそく坊●坊万力●護真寺の兵士●金剛寺の兵士


 また与力(宗麟公から預かった大友家の武将)も5人書いた


 ○内田孫太郎○恵良主計○亀井左馬介○徳丸彦三郎○都甲孫三郎


「うむ。彼らは佐伯様の為に戦い散っていった勇士たちじゃ。後世に名を残す資格がある」

 と杉谷は言った。

 因尾の住民や豊後の住民の協力によって書かれた大友興廃記は、もはや杉谷と佐伯だけの本ではなくなっていた。

 佐伯氏という家と、それに命をかけて仕えた家臣たち。

 そして今は亡き大友家という家をいまだに想う旧臣たちのための物語である。

 彼らが、この祖先が死亡した戦いの中に祖先の名を見出す時、彼らが命を賭けてでも守ろうとした命の繋がりで己たちが今ここにいる事を思い出せるように、杉谷は土砂に埋もれた墓までも調べて戦没者の名前を書き連ねたのである。

 当時の武士は20人くらいの部下を連れて従軍している。つまり実際に死亡したのは2000人にのぼるかもしれない。


 ――こんなに多くの者が亡くなったのか


 杉谷は戦没者の名を集めて終えて戦慄したものである。

 領主になると言うのはこれだけの人間の運命を左右し、責任を持つと言う事だ。

 当時 当主だった佐伯宗天は戦死したので、自然と怨嗟と怒りの矛先は息子の惟定に向いただろう。

 佐伯惟重は軍記を書いて名を後世に残す事を『10万の兵を率いて勝利する事に勝る』と言ったが、この程度の働きでそのような名誉を受けるほどの務めを果たしたとは到底思えなかった。

 それゆえに、佐伯のために死んだ者たち一人一人の名を集め、せめて弔いの代わりに名を記そうと思った。

 そんな杉谷の心が乗り移ったのか、14巻は今までにない正確な記述で書かれている。

 建治郎も興味深げに続きを読む。しかし

「ただ、これだと生き残った方たちは彼らを見捨てて逃げたと誤解されませんかねえ」

 そう建治郎に言われて杉谷は「そうじゃなぁ」と言い、次の文を付け足した。


『以下のものは佐伯の指図で陣に残り敗軍時、新納岳に引き取った者である。

 ●赤木彦太郎●河野勘介(甚助)、五郎兵衛、藤兵衛、與兵衛●神毛藏人●●染矢孫十郎

 ●高畑宮内少輔、刑部少輔、備後守●中野縫殿介●長田下総入道天楽●奈須右馬之丞●稗田右馬介●深田新三郎

 ●三代勘解由●三俣内蔵丞●盛武(岳)惣左衛門

 ●柳井右京亮、将監、隼人介、備後守、兵庫頭、彌左衛門

 ●山出宮内、大藏●吉野舎人介●因尾の武士

 以上に山毛田代の武士700も加わる。他は略す。

 因尾の20人は坪屋の斎藤内記らに組し、13日まで耐えたが、日州の郷人が敵となり、これを退治した後15日に引取った』


 城主の指示で陣地を守ったあと数日防衛し退却したとする事で、生存者の名誉を守った。

 ついでに杉谷氏を2名入れることで、作者は運よく生還できた一族の子孫だとした。


 この話を書いてから、先祖の追善供養とばかりに自分の家の話を聞かせに来る人間が増えた。

 杉谷の家はますますにぎやかになった。


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 人間、一人の調査力や想像力には限界がある。だが千人の当時を知る者たちから話を聞けば、その限りではない。

 大友興廃記は15巻では若杉氏と牧氏の協力により、豊後領主の田原親貫や田北氏の反乱と誅伐、それに戸次道雪の檄文を掲載した。

 16巻では肥後から同姓の杉谷家の者が教えてくれた肥後の甲斐宗雲の話を書いた。

 そして17巻では筑後の戦いとして日田の財津氏と坂本氏の二者を出した。

 これは佐伯藩の坂本氏の祖先、坂本道烈と玖珠の野上一閑が大将を務めた戦いだからである。


「では、杉谷殿。筑後での当家の伝承をお教えしよう」

 そう言って坂本は日田記と題した書きかけの家伝書を片手に、情感を込めて語り出す。

『宗麟公は筑前国長尾口に坂本道列、野上一閑を大将に日田・玖珠の軍を出した。秋月種実は、弟の高橋元種と6000の軍で迎え撃つ。この元種は高橋鑑種の養子で鑑種が死んだ後、高橋家を継いだのだ』

 と、まるで見てきたかのように熱のこもった由緒を語る坂本。ただ、

『豊後勢は周淵の陣を取り、鉄砲合わせの後、は一騎で川に入り2・3反(50m?)進むと名乗りを挙げ金の団扇を挙げて挑発した。秋月勢は鉄砲を撃ったが、兜に7つ当たるも体には1発も当たらなかった。』

「あのぅ、財津家は日田の一族ではなかったですか?」

「そうだったかのう?まあ、たいした違いはあるまい。それで」

 現在残る大友興廃記では話し手か聞き手に痴呆が始まっていたのか、基本的な部分での誤りが散見される。

「味方の大将が討たれ退却する豊後衆、追いかける秋月衆。ところが急反転した坂本と野上の兵に逆襲を受け7騎の敵を討ち取った。しかしそのとき伏兵に囲まれ日田の野上は…」

 と二転三転、手に汗を握る激戦が次々と語られるので杉谷はそのまま口述を筆記する。

 野上家は玖珠の豪族だった気がするが、在郷の者がこれでよいと言うのだ。

 杉谷は内容をそのまま記していく。

 筑前の住人から見た戸次道雪や高橋紹運を書いた軍記物は多いが、豊後住民からみた戸次道雪や高橋紹運と筑後の合戦を書いたのは本書が唯一のものであろう。

 財津氏はその後子孫が自家の由緒書きを『日田記』と題して神社に奉納したのだが、この時点ではまだ門外不出の本だった。

 それゆえに、日田人の子孫が語る戦国時代の豊後情勢は、多少の勘違いはあったとしても貴重な話であった。


 杉谷は豊後の人々が語る昔話を書き続けた。

 今自分達はここにいて、祖先を思い出しながら言い伝えられてきた記憶を頼りに後世へ豊後の話を残している。

 自分達は確かに生きて、子孫にその心を伝えようとする事に喜びを感じるようになっていた。

 18巻では竹田の19巻では佐伯の戦いが語られる。


 ――読者の母数は大きければ大きい方が良いと思っていた頃もあったな。


 若いころの杉谷はそう考えていたが目先の人気の儚さに気がついた後は『本当に内容を読み込んでくれる真の読者、語り継ぐ未来の読者を意識すべきである』

 そう確信しているかのような姿だった。


 後年、軍記物の研究が進むと当時を克明に記録した太田の信長記は史料的価値があるとして注目され多くの研究者が参考資料とし、太田の名は500年後も残った。

 一方、小瀬が書いたデタラメだらけの『信長記』は明治まで大衆に大人気を博し明治の参謀本部も桶狭間合戦の参考にしていたが、昭和になって内容の検証が進むにつれ注目されなくなり、今では誤った伝承の例として名だけあがり、内容は見向きもされなくなった。

 創作の質は向上するが、史実は金剛石のように揺るがず、ただ永遠に鎮座するのだ。


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 ただ、このような真面目な話はそこまで人気が出ない。

 事実の羅列は無味乾燥で、そこまで面白い物ではないからだ。


 ――これは畿内の人間には人気がでないでしょうねぇ。


 留吉はそう思いながらも、やっと進みだした物語に安堵した。

 人脈の繋がりを築いた佐伯が亡くなってからは大友興廃記もそこまで借りられる機会は減って行った。

 しかし、意外なことに14巻を発行してから各地の武家から大友興廃記について問い合わせが相次いだ。


「どうなっているのでしょう?」


 留吉は首をひねった。

 店番に聞いても要領を得ないので、返却に来た客にどのようにしてこの本を知ったのか問うてみると

「それがしは元々佐伯の出の者である」

 という答えが返って来た。

 佐伯には泥谷ひじやという地名がある。

 そこを本領にしていた泥谷一族は文官としての才能に優れていたのか、江戸時代になって各地に家老の待遇で散ったという。

 大名の転属に従って随行するもの、その地に残るもの、様々いたが、故郷を離れ代替わりした一族の者が

「故郷である佐伯で、我が一族はどのような活躍をしたのだろう?」

 と興味で読み始め、口コミで興廃記の存在が知られるようになったのだという。


 これは平成の時代でも同じだったらしく、関東や東北にまで住む泥谷姓の方々が自分のルーツを探すために佐伯を訪れ史談会の扉をたたくらしい。

 豊後にゆかりのあった人間は大阪や江戸にもいる。

 大友義統に従って、その途中で職を見つけた者たちが500人以上いるからだ。

 そんな彼らの子孫が祖父や曽祖父がいた頃の豊後の物語を読むために借りていく。

 それは杉谷と佐伯が望んだ『名を残す』という思いの結実した姿だった。


「杉谷様。ようございましたな」


 留吉は遙か西にいる杉谷の労を思い、つぶやいた。


 ~どうだ留吉~


 満面の笑みで杉谷が返事が聞こた気がした。

 杉谷の本からは売れ行きなど歯牙にもかけず、ただただ己の信じた道を駆け上がるかのような自信が感じられた。


「……まあ、売れるならもっと早く売れて欲しかったのですがね」


 留吉は充足感に包まれたため息をついた。


 なお大友興廃記が活字化されるのは1934年。

 郷土史料集成という本に収録されてからである。

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