第16話 破壊坊主と佐伯観光

 あと2里(8km)の道すがら、杉谷は豊後の寺などについて語った。


「野津院の普賢寺は義鑑公が大永2(1522) 年3月14日の夜に霊夢で童子が白象に乗って「どこかに寺があれば暫く休息せん」と言ったので寺を立て普賢菩薩を本尊とし普賢寺と号し、清住寺の和尚が天正の初め住持となった」

 とか

「西光寺の住持、無底西堂は本は佐伯惟教の家臣、柳井一家で佐伯因尾の人じゃ。天正6(1578)年夏に普賢寺と共に因尾の三竃大明神に社参した事がある」

 などという、地元民以外にはどうでもよい話だったので留吉は適当に相槌を打って聞き流していた。


 留吉の眼に映っていたのは、とうとうと流れる美しい川。

 目の前には悠然とした山々、背には耶馬溪のような奇岩。

 まるで中華の仙人郷のような浮き世離れした光景に留吉は旅の疲れも忘れて目を見張った。

 人里離れた場所がここまで心落ち着くとは思いもしなかった。

 杉谷殿はこのような桃源郷で今は暮らしておられるのだなと思うと留吉は少しうらやましくもあった。


 すると、川のほとりで一人の坊主に出会った。

「おや、あなたは」

 留吉も一目会った事がある。甚吉の部下で建治郎と言ったか。

 津で見たときと異なり、まげを切り坊主頭となっている。

「おや、留吉様。お久しゅうございます」

 昔と変わらぬ笑顔で建治郎は礼をする。


 十分に冨を貯めた建治郎は商人を辞めて、この地域の坊主になったのだという。

 修行の方はあまり身が入ってないが、多くの生死を見てきた無常観溢れる考えは村人から指示され好意的に受け入れられているという。

「適当に相手の顔色をうかがって、思った事を話すだけで食べ物や金…もといお布施が貰えるのだから楽な商売ですよ」

 悪びれもせずに笑う建治郎を見て留吉は『毒も転じれば薬となるとはこのような事なのだなぁ』と思った。

 建治郎は自前の船を所有しており、ここからは川上りの船旅となった。

 狭く深い川を悠々と漕ぐ姿は坊主と言うより船頭のそれだ。

 さすがは瀬戸内を何度も渡った方であるなと留吉が思っていると


「ちなみに、ここの川の水は三竃江神社から一度消えて、また姿を顕すんですよ」


 と商人だった時と同じ軽薄そうな声で建治郎が言いだした。

「川が消えるのでございますか?まさかそのような事が…」

 あるはずがない。と言おうとしたが

「いや、本当に消えるのじゃ」

 と杉谷が真顔で追認する。

「これは無底という和尚が語ったのじゃがな、平家が滅亡し一門の公卿が九州にたどり着いたが。緒方三郎が平家を九州から追い出し、船に乗り遅れた光西という兄弟が佐伯まで落ち延びた事があった」

 彼らは平氏の寵臣として戦功をあげた勇士だったが因尾で緒方三郎に誅伐され二人は緒方を祟った。そこで宮を建て、光西を三竈門江大明神【上宮】、光圀を前高大明神【下宮】と号した。

「この光圀が逃げていた時、赤土【はにう】の小屋に住んでいた老女に茶を所望したら『水が無い』とつれなく答えられた恨みで水が止まる時が有ると言い伝えられておる」

 と言った。

「言い伝えですか…」

 留吉はそう言いながら、信じていなかった。なので、船で川を上る事になった。


「この番匠川はたくさんの滝が支流を流れてましてな。」

 そう言いながら、船を進めると今にも落ちてきそうな急峻な山々が目の前に広がって来る。

 まるで水墨画で書かれた唐国の桃源郷のような光景だ。

「あちらには銚子の滝。こちらの先には轟の滝」

 と船を操る建治郎に解説されていると、急に川が途絶えた。


「何と」


 轟の滝と呼ばれた支流と、砂利が堆積した川底らしき場所の合流地点あたりから、川が消えたのだ。

 まるで地中から川水が溢れだしたとしか思えない奇景だった。


 この現象は令和の時代でも見られる。

 因尾盆地の地下の石灰岩層の中に大きな空洞があり地下水のように流れる為であると考えられ、潜流する川水の集水面積は約60㎢。2kmから4kmにわたって川が涸れたように見える。

 乾期には川水は地下だけを通り、雨期になると地表に水流が溢れるのだが科学的な調査ができない時代はそのような伝説で説明づけるしかなかったらしい。


 杉谷たちは川底を歩いて上流を辿ると、右手に神社が見える。

 20丈(60m)はありそうな高い絶壁の前にある社。これが前高神社だという。

「前高の名は、光圀の最期の場所に高山があり、これを見て「前高し」と言ったので前高大明神を建てた事から着いた名前と言われております」


 ――そのまんまではないですか。


 そう言いたかったが、もう少し良い名を付けられなかったものかと留吉は思った。

 この前高は現在ロッククライミングの名所として訪れる人間がいる。

 

 そこからさらに半里あるくと右手に別の神社が見え、その辺りから川が現れ始めた。

 枯れるような水量ではなく、深さ3尺(約1m)はある川。

 それが神社を境に、地面に吸い込まれるように忽然と消えるのである(※雨期を除く)

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「これは……不思議な光景ですなぁ」

 これだけで土産話になる。

 そう思いながら、留吉は狐に化かされたような心持で佐伯の奇景を眺めていた。

 それを満足そうに見た建治郎は、神社について解説を始める。

「この三竃江神社とは、竃を三つ据えたような奇石から付いた名でしてね。上宮の神前では氏子は馬に乗れず鐙を踏み外すといい、三竃江は折々雷のように鳴動することがありまして、佐伯の家が盛んになるに従い、強くなったと言われております」

 と解説する。


 そんな変わった川を見た一行は川下に帰ると川に突き出した大岩の上で酒宴を催した。

 岩壁は深淵の中に高く差し出て上には広々とした松原があり、青苔岩尾が衣のようにかかっている。

 藤の蔦は帯のように巡り、四季に従い彩りを変え化粧されたように見えるのだと言う。

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「ここは近所にある林雲庵の玉書記と永周庵の玉主座が府内から来た偉いお坊さん2人を馳走する時に「この下間が瀬に寄木(よせぎ)の岩壁という一景があるので見物しませんか」と誘う程の絶景なんですよ」

 そう言いながら、留吉が船をこぐと、まさにその通りの光景が広がっていた。

「不変なる岩壁も色を変えるか」

 府内から来た僧は感慨深くつぶやいたと言う。


 2丈(約3.6m)はある大岩の上に登れば澄んだ川に四方が見渡せる。

 ここで、杉谷たちは用意していた酒肴を取り出し酒宴を始めた。

 川のせせらぎに青々とした緑、人里離れた仙境での宴会は唐国の仙人の酒宴のようにも見えた。

 これで『般若湯、般若湯』と言いながら平気で酒をのむ坊主がいなければ、であるが。

 飲酒を咎めるような目で見られた建治郎は、弁解するように

「ここは府内から来た僧の皆さんが岩上に座り酒宴を行なったほどの由緒ある場所なのです」

 と言った。さらには

「そこで酒に酔って眠った永周庵の主座をある僧が岩壁から突き落とそうと脅かすと首座は傍の童子を掴み一堂どっと笑ったそうです」

 これは昔、東尋坊という口が悪い飲む打つの悪僧がいて、誰もが殺したいと思ったが、大力なので果たせない。

 そこで酒宴と偽り酔った所を崖から突き落とすと、傍にいた藤松丸を掴んで共に落ちた故事を模倣した高度な芸であると言った。


「生臭坊主ではないですか」


 と留吉は顔をしかめたが、建治郎は何食わぬ顔で酒を注ぎ

「美しい山に清涼な川。こんな絶景を酒も飲まずに眺めるなんて神罰が下りまさぁ」

 と商人時代の口調で話しだした。さらには

「おっと、猪肉…もといボタンが無くなったか。他に魚がないですかい?」

 と言う。

「あとは大根菜くらいですか」

「ふむ、仕方ありませんなぁ」

 そういうと建治郎は袋から糸と釣り針を取り出し、巨岩の上から糸をたらし、川魚を釣り上げる。

「こう見えてもワシは船頭の小松師匠から釣りと料理の手ほどきを受けたことがありますからね」

 というと、持っていた小刀で魚の臓物を取り、火を通す。

「肉食、飲酒、殺生…どれだけ戒律を破れば気が済むのですか」

 留吉があまりの罰あたりぶりに戦慄していると、当の本人は悪びれもせず

「まあ、私は日本式ではなく天竺式の仏教を学んでおりますからね」

 と言う。

「もともと仏教は托鉢、頂いたものは全てありがたく頂戴するというものだったのです」

 民は坊主に施しをすることで功徳を詰み、坊主はその供え物で生きて彼らの幸せを祈る。

 そんな分業制度が天竺では主流だった。

 それが唐国に渡った時に『働かざる者食うべからず』という思想と真っ向から対立し、坊主は自給自足の農耕をするように変化した。

 日本に伝来すると、これに不殺生の教えから何故か肉食が禁止という事になったのだとういう。

 詭弁も良いところだが、仏教は様々な宗派があり教典も異なる。

 そう言われるとそうかもしれぬと思いかけたが

「でも、あなた様は魚を要求したり、ふつうに釣って調理してませんでしたか?」

 と気が付く。

「まあ、それはこの地方に伝わる仏教を尊重しましたので」

 と笑ってごまかされた。

 だが、そこに悪意はない。

 この世のすべては方便。

 楽しく生きるためならいかなる思想をも使いこなして生きていこうという意志が感じられた。


 ――このくらい何者にも囚われず自由に生きることができるならば、生きると言うことは楽しいのかもしれませんねぇ。

 元来、真面目で気むずかしい杉谷とこの破壊坊主は案外ウマが合うのかもしれない。

 そう留吉は思った。


 坊主はうまそうに食後の一服を始める。

「杉谷の旦那。坊主が煙草を吸ってもいいんですかい?」

「わしもそう思うが「煙草は南蛮より伝わりしものゆえに、仏教の経典では定義されておりませぬ」と言っておる」

「ああいえばこういう。口の減らない坊主ですね」

「うむ。鼎物語で書いた仏教への疑問を全てぶつけても「それもまた正しい」で、はぐらかされておるからのう」

 遠回しに嫌味を言われるが、建治郎は笑いながら

「仏門は1000年以上の歴史と1兆を越える人間が救いを求めて問い続けてきた膨大な知の集積じゃもの。ある者には「人生とはこのように生きるべきだ」という指針書だるし、ある者にとっては「生きづらいこの世の中で心安く生きるにはこのように世界を捉えるとよい」という医書にもなる。お主のように「悪い部分を探して己の知の素晴らしさを示したい」という者にも、その御利益はあるというわけじゃ」

 そう坊主らしい口調で言ってのけると川の流れを肴に酒をうまそうに飲む。


「どうせ、人など災害一つで破滅したり死ぬんですよ?どうせならば楽しく毎日を送り悔いなく死んで生きたいじゃあないですか」

 

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