第15話 府内からの来訪者
「御免」
そういって因尾村を訪れたのは日岡(大分市日岡)の武士 牧源五郎と若杉清吾という二人の武士だった。
牧氏は地名のごとく#牧場__まきば__#、馬を放牧させる土地の領主であり、今の大分市牧駅の近くの領主で大友家の馬を管理していた武士だったと推測される。大友家の始祖の親戚 藤原氏の末裔と言う事で大友家に仕えていたという。
若杉氏は大友家の有力領主 田北家の分家らしい。
「この村に大友興廃記という本を書かれた杉谷宗重どのという方がおられると聞いたのだが、御存じないか?」
そんな人間は一人しかいない。
因尾村の村人は二人の武士を案内すると興味深そうに外から中の様子をうかがっていた。
彼らが言うには『昔ここを治めていた大友義統という領主の50回忌が近づいている。そこで大友家の事績を集めているのだが、都の方で大友家の本を書かれていた杉谷様にもご参加いただきたい』という勧誘だった。
何もやることのない杉谷にとってこの誘いは渡りに船だった。
今まで自分が集めた記録や伝承を伝え、佐伯氏に関する聞書も伝えた。
二人は満足して帰っていった。
ただ、それだけの話だった。
だが、娯楽のない村では『わざわざ府内(大分市街)からお侍様が来て教えを請う人間がこの村にいる』というのはかなり珍しいことだ。
杉谷は村中に知られるようになった。
元から各種の書籍を読みあさり古典に精通していた杉谷。
それゆえに暇を持て余した村人たちが話を聞きにきたり、自分の家の武勇伝を話すとその裏事情を教えてくれるので人気が出た。
いつの間にか杉谷は先生と呼ばれ、暇を持て余した老人や子供たちが話を聞きにくるようになった。
「先生!今日は史記の話をお教えください」
「先生!家で茶と野菜が採れました。良かったら皆でお食べください」
家族のいない杉谷の家ではどれだけ騒いでも文句を言う者はいない。食事の時間も自由。そのため居心地がよく、勝手に食材を持ち込んで来るものもいる。
杉谷の家は因尾のサロンのような場所になっていった。
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「芸は身を助く。とはいうが、このような幸運に預かるとは、思いもしなかったわい」
そういいながら杉谷は村人の会釈を受けて手を振った。
もしも府内から武士が尋ねてこなければ、杉谷は家に籠ったまま廃人のような生活をしていたかもしれない。
村人の方から関わりを持とうとしてくれたのは幸運と言わざるを得ない。
それを聞いて留吉は
「杉谷様は人付き合いが下手そうですもんね」
と無意識のうちにつぶやいた。
「何か言ったか?」
「いえいえ、別に」
人は人が作る。
今までは誰とも付き合わず、無聊を囲っていた杉谷だったが、他人が期待すればそれに応える形で文を書いた。
それは伊勢で佐伯から頼まれたのと同じである。
場所が変わっても人の性というのは変わらないようだ。
「まあ、人も老いれば役目も力も失われていく。そういうときに頼りになるのは知恵と知識だけよ。お主も隠居してからもワシのように頼られる人間になれるよう精進したほうがよいぞ」
と調子にのった杉谷は言う。
その上から目線の言いように
『…………本当にこの方を受け入れてくれる村があってよかった』
と留吉はしみじみ思った。
「しかし、何でまた豊後の伝承話ばかり書かれたのですか?」
「それがのう。ワシは物語を思いつけなくなったんじゃ」
創作とはかなりの力を必要とする作業である。
存在しない者を一から考え、それを他人に説明しつじつまが合うような嘘をつかないとならない。
表面上は明るさを取り戻したものの、親しい人を失った杉谷の心には深い傷が残っていた。
「それでも何かを書きたいという思いは募るばかりでな。そんなときじゃ。とある子供から佐伯様の事を聞かれたのは…」
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「先生。大友宗麟公と言うのはどのような方だったのですか?」
「先生。大友家は、あの毛利や龍造寺を討伐したというのは誠ですか?」
今まで静かだった家は今日も多くの客人が訪れ、昔話に花が咲いた。
「ああ、あの頃は佐伯様が豊後の警備にあたってな。周防の秋穂浦や村中城(今の佐賀城)を攻めたものじゃよ」
今では小藩に分立した豊後も、全てを合わせれば鍋島や毛利に勝てた。
遠い祖先の活躍に村人は感心したものである。
そんな時に子供の一人が
「佐伯様ってどんな人じゃったん?」
と聞いてきた。
「佐伯様とは、ワシの父が若い頃、この佐伯を治めておった方じゃ」
そういって、祖母岳大明神の逸話辺りから話してきかせると、周囲の若者たちも感心したように見ている。
まだ十歳を過ぎない幼子ならわかるが、二十を超えた者たちが感心するとはいかなることか?
――もしかして、この者たちは佐伯様の事を全く知らぬのか。
大友家が改易され、佐伯氏が豊後を離れてから50年以上の時が過ぎた。
幼い子供にとって、佐伯の地の領主は毛利殿なのだろう。
この土地に土着している者たちは世代が変わっても佐伯様の話は伝承として残しているものだと思っていた杉谷にとって、これは衝撃だった。
今の殿様にしては昔の領主の話など出されても迷惑なのだろうが、佐伯の名が本領地で消えるなどあっては成らない事である。
「あのな、佐伯様は緒方三郎様の子孫で…」
と大神家の由緒から語りだした。
「へぇぇ。平家物語にも書かれた方の子孫じゃったのか」
「蛇神様の血を引いてたらどのような奇特があるんじゃ?」
などと質問が出てくるたびに、杉谷はその由緒を語って聞かせた。
そして、佐伯氏が神の子孫であるということを強調するため不思議な刀の話なども加えた。
それが本になると、村の古老たちや牧・若杉たちも
「先生!うちの家にこんな紙があっただ」
「先生!うちのじっさまが教えてくれた話を思い出しただ!」
と杉谷が豊後を離れた間に記されていた記録や家伝書を持ってくる物があらわれるようになった。
彼らは自分の家を物語に登場させようという気持ちに薄く、単に『ウチの家にこれこれこういう書状があった』という物置から骨董品を出してきて寸評してもらうか程度の気分だった。
それが家格で張り合う武家たちと違い、杉谷には心地よかった。
そして、そんな農民たちの心に残った人物の話を愛おしく思うようになった。
原大隅や藍沢兵部などの一風変わった逸話。
一時は栄えたものの衰退した商人がなぜ成功したのかという話。
戦場では知り様のない、宗麟公の狩りのご様子。
そんな佐伯に住む者たち心に残った話はいつか消えるだろう。
――ならば、その話も佐伯様との思い出とともに記してもよいのではないだろうか?
今までの軍記物では顧みられる事のなかった市井の人間。
これらを取り上げる書籍というのはこの時代の話では唯一無二だろう。
だが杉谷はこれらが大変貴重で後世に残すべき物事のように思えた。
「同世代人のために書く話は十分書いた。あとは佐伯、いや豊後でこれから生まれてくる子孫たちのためにワシは大友興廃記を書いていこうと思う。それがいつ終わるかはワシにもわからぬが、もしもこの世に天命というものがあるならば、それまでは生きていくとことをお許しになるだろう」
『意味がなくても生きて良い』
長い山村生活で杉谷はそう思えるようになっていたが、心が回復していくとそれでは退屈だった。
なので『生きる意味があるはずだから生きている』。そう信じながら杉谷は心の赴くままに筆を走らせた。
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「成るほど、それが『大神氏事始』と『剣の巻』から、豊後の聞書のような話を書いた理由ですか」
留吉が合点がいったとばかりに手を叩く。
「ああ、佐伯様の名を世に残そうというのに、本領で名が消えては本末転倒も良いところじゃからな」
そうして話をしているうちに、別の古老たちも集まり豊後で聞いた昔話を知ることができた。
それは大友家とは直接関係があったわけでもないのだが、豊後に存在した者たちの記録である。
歴史に埋もれさせるのも惜しいのでそのまま書き移したというわけだ。
「まあ、それもほぼ終わったし、次回からは大友家の凋落の話になるじゃろう」
「さようですか。それはようございました」
この時代、喜劇よりも悲劇の方が人気があった。
笑いはどこにも満ちているが、死別以外の他人の悲しみというのはなかなか出会えないからだ。
そこまで話がまとまると、ちょうど山を一つ越えて本匠村の奇景の中が見えてきた。
仙境のような奇岩奇壁にの間に広がる田園と、傾斜に植えられた茶畑が印象的な唯一無二の光景である。
「おお。ここが杉谷様の過ごされている村ですか」
奈良の山中や那智大滝にも異なる人里離れた村。
その風景を見て、かなり疲れたが来てよかったと留吉は思った。
このようなのどかで穏やかな場所にいれば、物書きに没入できようと言うものだ。しかし
「何を言っておる」
感慨にふける留吉に杉谷は、異議を唱えた。
「はい?」
「ここはまだ、村への入口。半分まで来た所じゃ。ここからが、本当の風光明美な因尾村の風景じゃわい」
少し歩いただけで全ての用事が事足りる街と違い、田舎の時間と距離はゆっくりと流れているのだ。
『自然は十分見ましたから、帰ってもよろしゅうございますか?』
思わず口にしそうになった言葉を留吉は飲み込んだ。
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