第6話 同年 任務完了
「杉谷様ぁぁぁぁ!!!!!!」
怒りの剣幕で留吉は屋敷にあがりこんできた。
大友宗麟を期待していたのに、出てきたのは佐伯と杉谷の話では、そりゃ怒るだろう。
「おや、留吉どのではないか?一体どうされた?」
杉谷は笑いながら貸し本屋の亭主を迎える。
「どうしたもこうしたもありますかぁぁぁ!!!!大友興廃記という題名なのに一巻は大神興廃記、二巻は佐伯興廃記とはどういう料簡だぁぁ!!この野郎!!」
怒髪天を突かんばかりに起こる留吉。まあ、天を突けるほど髪は残っていないのだが…
そんな猪のごとき男をなだめるように杉谷は言う。
「これこれ、良く見てみよ。これは天文13年(1544)年に豊後の高崎山城で起こった朽網という男の反乱の話を書いておるじゃろう?その乱が終わってからは宗麟公の少年時代の話をちゃんと書いておるではないか」
言われてみれば、その次には『五郎(宗麟)御曹司、御育ち』『御曹司御鷹狩;山居僧』『入田親真五郎殿を諫める』と、宗麟に関する話が続いている。
一巻で言われた『編年体』というものに従うとすれば、これは正しい。
釈然としないものを感じながら留吉は杉谷の言葉に耳を傾けた。
「大友興廃記は編年体の作品じゃ。本来なら、宗麟公の話の間に挟んでも良いのじゃが、正しい年代で書くとこうなってしまう。かと言って一巻に収録すれば佐伯様のお話が多くなってしまう」
あくまで分量割合を考えた結果なのだと言う。
「逆に2巻が五郎様のお話だけ、と言うのも読むほうは退屈するじゃろう。立ち読みだけで終わらぬよう、あえて本編は後ろにおいたのじゃよ」
あくまで互いの幸せの為と杉谷は主張する。
そう言われて、留吉は納得できないながらも一応落ち着いた。
たしかに、立ち読みだけで済ませようとする人間からしたら、最初が大友宗麟と関係ない話ではどこから読めば短時間で判断するのは難しいだろう。
金を出して借りる方は、最初の話を読み終えれば宗麟の話となるのは目次があるからわかる。
順序と道義的にはかなりの問題があるが、そこまで怒る事ではないのかもしれない。
「……なるほど。当店の売り上げまで考えてくれて有難うございます」
商人として瞬時に銭勘定をした留吉は何事も無かったかのように頭を下げる。
「わかればよいのじゃよ。ワシも佐伯惟治様の御兄弟が家を継いだ事と、肥後に隠棲してた杉谷家の祖先がそのお手伝いをして佐伯に戻った事が書けて満足じゃったしな」
と杉谷は鷹揚に答える。
売れるかどうかは分からないが、立ち読み対策ということで前半は削らないことになった。
良いように丸めこまれた気もするが、どうせ仕入れは無料だ。店先に置いてみて売れなければそれまでである。
そう思いながら帰宅する中、留吉はふと思った。
「はて?豊後の朽網の乱と言えば天文13(1544)年ではなく永正13(1516)年の事だった気が………(※)」
杉谷が意図的に元号を間違えたと知ったのは、だいぶ後の事だった。
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「これで佐伯様から与えられた主命と、杉谷家の名を残すと言う任務は全うできたな」
伊勢湾から吹く海風を感じながら、留吉を見送った杉谷はつぶやいた。
杉谷の狙いは単純だった。
大友宗麟と言う有名人の話の前に、死亡した佐伯惟治の跡継ぎとなった親戚の佐伯惟勝・惟常兄弟と、それに仕えた杉谷遠江守という自分の祖先を書けば多くの者が立ち読みで読むだろう。
そうすれば買わなくても『佐伯』『杉谷』の名は憶えてもらえるだろうという一巻と全く同じ考えである。
まるで成長していない。
「2巻はそこまで売れないかもしれぬな」
杉谷は自分の分際と言うものを知っていた。
他人が驚くような美文は書けないし、『てにをは』も長文を書けば怪しくなって来る。
他の書からアイデアを貰っても、根が生真面目なため突き抜けて荒唐無稽な話はかけない。
元々1巻が売れたというのが奇跡なのだ。
『ならば2巻は一回も借りられずとも、立ち読みで手に取ってくれた者たちにだけでも主命を完遂したい』
最初に佐伯と杉谷の話にしたのは、果てしなく後ろ向きな決意から打った苦肉の策だったのである。
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それから一カ月。
面倒な義理と人情で構成された江戸時代の人間関係は付き合いは、強固な鎖のようだった。
お情けでの借上げはまだ継続しており、売り上げはほぼ変わらなかった。しかも
「ほほう。惟治様だけはなく惟常様の事も書いてくれたのか」
2巻が発売されて佐伯惟重はいたくご機嫌だった。
今まで悲劇の主として有名だった佐伯惟治だけでなく、その後の当主である佐伯当主も登場させたためだ。
さらに宗重の上司である親類の杉谷猪兵衛からも褒められた。
佐伯惟常を補佐して手柄を挙げた彼の先祖 杉谷遠江守の事を書いたからだ。
大阪夏の陣と冬の陣で手柄を挙げた虎の様な髭面の猪兵衛は、普段は仏頂面の武人なのだがめったにないほどの満面の笑みを浮かべている。
「我が家の系図を見れば分かることだが、こうして本になるとまた違った趣があるな」
と、自分の祖先の活躍を同僚が語るのを聞いて嬉しくてたまらないらしい。
普段は武の槍奉行らしく「文など惰弱。武士の本分は武である」と言い放っていたのだが、凄い変わりようだ。
彼も知り合いに宣伝したため、新たな読者が生まれた。
紙数にして約60枚。これで杉谷はささやかながら津の町で佐伯氏と杉谷氏の名を残したのである。
「これで主命は完遂できたかのう」
ちらほらと入って来る副収入を見て杉谷は安堵した。
これで記すべき事は書き終え、いつ打ち切っても問題は無いように見えた。だが、
「このような不完全な物語では読者が減るであろう。大友宗麟公の記述を増やして、最低でも毛利元就を鎮西から追い出したあたりまでは書くべきであろう」
と佐伯惟重からは言われた。
それはもっともだと思った杉谷は、宗麟が家督を継いだ原因となった父親の襲撃事件、現在で言う『二階崩れの変』の後をいかに書くかを構想し始めた。
固定客はついた。
主命は果たした。
後は何を書いても許される気すらしていた杉谷は、次巻の構想を考え始めた。
しかし、ここで一つ問題が起こった。
「大変です!!!」
城の使いから注進が入る。
「何だ、そんなに慌てて」
「肥前で反乱が起こりました!!!」
島原の乱の勃発である。
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(※)大分県史料32巻 688号文書によると、永正13(1516)年12月2日朽網親満謀反における軍忠を賀している。
本来なら佐伯惟治の乱より前の話だが、1巻に収録できなかったので元号をわざと間違えたのではないかと推測される。
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