第50話…「やったぜあっちゃん、家族が増えるぞッ!」
――――「トラシーユ領・林(昼過ぎ・曇り)」――――
周囲の中で、一際大きな木がある。
もちろん精霊樹と比べれば雲泥の差、月とスッポンだが、その根元には大きな花畑が広がり、その美しい光景だけなら、きっと負けずとも劣らない。
しかし、色とりどりの花が咲き乱れる場所も、残念ながら今は戦場と化した結果、花はその花弁を赤黒く塗り替えられ、踏み荒らされ掘り返されて、所々に死骸が並ぶ。
そんな見るも無残な花畑の先、木の根元を覗き込むように、ヘレズはしゃがみ込んでいた。
「急にいなくなったら心配するだろ~?」
何が起こっても、危ない事はないだろうが、居たはずの人が居なくなるというのが怖いアレッドは、気持ち足早にヘレズの方へと駆け寄っていく。
「何してんの?」
「ん~」
「掘り出し物でもあったか~?」
「ん~」
すぐ近くで声を掛けても、ヘレズから帰ってくるのは空返事だけだった。
彼女は、木の根元を見続けて、アレッドの方を見る事も、動こうともしない。
「お~い、聞こえてる~?」
「ん~」
普段うるさいくらいの相手が大人しくなると、ソレはソレで心配になるのが人間だ。
何かあったのか、何か見つけたのか、何でもいいが、気になってヘレズが見ているモノを、アレッドは彼女の肩越しに覗き込む。
そこには悪魔が居た。
いや正確には魔性の小悪魔といった方がいいだろうか。
全身を濃い茶色の体毛で覆われ、全体的なシルエットはまさに丸…〇…マル。
人を誘惑する事に特化した存在だ。
大きさは人の頭程、濃い茶色から覗く2つのくりくりとした黒いお目目は、いっぱいに涙を溜め、生え揃ってすらいない白い歯を剥き出しにしながら、差し出されたヘレズの手を渾身の力で噛みついている…、噛みついている…。
「ほら、怖くない怖くない。
そんな怯えなくていいのだぞ?」
慈愛すら感じる笑みをヘレズは浮かべ、ソレに語り掛ける彼女は、その手を退かそうとせず、相手が自分の意思で離すのを待ち続けた。
シタシタ…とヘレズの手には赤い血が滴っているが、当の彼女は、そんな事気にも止めずに、目の前のまん丸な毛玉を注視していた。
「なにしとんじゃッ!?」
アレッドは思わず声を上げる。
ヘレズの手を必死で噛んでいたのは、子犬だった。
見惚れるのはイイが、自身の手から血が滴り落ちているのなら、せめてそれへの対処をしてほしい。
思わずアレッドは叫んでしまう。
野生の犬に嚙まれるのは、ホントに怖いんだぞッ…と。
「フォレストウルフの赤子だな。
毛色が茶色になっているって事は、この群れの唯一の生き残り、最後の1匹だ」
子犬ではなく子狼だったようだ。
力一杯噛みついているモノだから、さぞ引き剥がすのに苦労をするだろう…と思っていたのだが、難なくヘレズの手から引きはがす事に成功する。
そして、子狼は全てを使い果たしたかのように、トテッ…とその場に倒れた。
弱々しくハァ…ハァ…と息をする姿も、今にも止まりそうだ。
「では…」
ナインザは、スッと腰の刀を引き抜く。
「マジ?」
「当然だ。
赤子といえど魔物。
このまま放置しても死ぬだろうが、万が一生き残って、人間を襲うようになったら問題だからな。
見た所、産まれたばかりのようだし、他に仲間もいない以上、誰も世話をしてくれない。
怪我もしている。
今この瞬間も苦しみ続け、1匹では生きてもいけない、ならばせめて、ひと思いに介錯してやらねば」
説得力がスゴイ。
まさにその通りだが…。
ソレがわかっているからこそ、アレッドは反論できなかった。
「・・・」
そしてナインザは、ジッとアレッドを見続けた。
その手にキラリンッと刀の刃を光らせて…。
「ん…ん~?」
介錯してやらねば…と言っておいて、一向に実行に移さないどころか、自身を見続けられて、どこか無言の圧力すらアレッドは感じる。
何となく察しは付くのだが、それはアリなのか?…とも思うのだった。
――――「トラシーユ領・平原(昼前・曇り)」――――
「という訳でッ!!
やったぜッ、あっちゃんッ、家族が増えたぞッ!」
アパタ達の下へ戻った時、ヘレズが開口一番に口を開く。
毛玉を空高く、まるで次世代の王の誕生を、巨岩の上で配下たちに見せびらかすかのように両手で持って…。
「お帰りなさい、ご主人様。
アレは?」
当然ながら、ヘレズのその行動に、アパタは首をかしげた。
そんな事を聞かれても困る。
その毛玉を見せびらかされて、ハティは興味津々に、目の前のその毛玉の臭いを嗅いでいた。
アレッド達は、結局、その毛玉…いやチーフフォレストウルフ(赤子)を拾ってきていた。
お腹付近に斬られた傷があって、今にも息を止めようとしていたその毛玉に、手持ちの回復薬を、体に悪影響が及ばない程度に飲ませて、今は容態も安定している。
苦しかった状態から、自身を救ってくれた事を理解しているのか、毛玉は暴れる事もせずにヘレズの腕に抱かれた。
「かくかくしかじかです」
とりあえずお留守番組に、事の顛末を報告しておく。
「それはまた、えらく穏やかじゃない事だな」
話を聞いて、インカロは困った顔をしながら頭を掻く。
「これからどうします?
私としては、クエストを一旦中止して、街へ戻る方がイイと思うんだが」
「拙者も、可能であればそうした方がイイと思う。
しかし、それではアレッド殿が昇格できずに困る事になる。
できれば、ソレをクリアしたいのだが…」
「でも、クエストは迷いの森周辺のフォレストウルフの討伐だろ?」
「ソレは、フォレストウルフが迷いの森周辺にしか出没しないからだ。
遭遇して素材を入手出来ているなら、そこは問題じゃない。
森近くの個体と、そうじゃない個体、両者の区別なんて、誰にもできんさ」
「ソレはそうだが、試験官として同行している我々が、ソレをしちゃあなぁ。
できる事なら、そうしてやりたいんだが…」
ハンターランクを上げなければ、魔物などの素材を売れない…。
そんなイレギュラーの元で、無一文から路銀を確保できない状態が続くのはよろしくはない。
アレッド達としては、出来る限り今回の試験を何としてでもクリアし、周りの人からの慈悲を受けている状態を脱却したかったが…。
この2人は真面目だった。
受付とか、ギルド側の接客の対応は、なかなかに低評価だが、この辺は大事な事だから、ちゃんとした人に対応させている…という事だろうか。
ありがたいが、アレッドはこういう時ぐらい、目を瞑ってほしい…とも思うのだ。
それをやっちゃダメなんだが。
『つまり、この辺が迷いの森周辺になればいいのか』
試験の続行か否か、ナインザとインカロが意見を言い合う中、その様子を眺めていたアレッドの横で、ヘレズが小さい声でつぶやく。
ソレをアレッドは、聞き取れはしたが、その意味までは理解ができなかった。
ナインザ達の話し合いは、最終的に領都の方に帰る方向で決まった。
ひとまず、今日はこのまま夜営し、明日の早朝に領都へ発つ。
ソレに当たって、夜営の準備をアレッドとヘレズが行うと同時に、ナインザとインカロは、アパタを連れて死骸の散らばる場所へと向かった。
死骸の数が多い事に加え、今のアレッド達には、ソレを燃やす手段はあっても、燃やしきる道具が無かったために、アパタの炎系の魔法スキルに白羽の矢が立ったのだ。
彼女の魔法なら、どれだけ死骸が山になっていようとも、一瞬にして皮も肉も燃やし尽くし、骨と灰と化すだろう。
「こーら、サボらないで、キャンプの準備をしろよ~?」
馬や荷車を道から外し、適当に雑草等々を処理して、これまた適当にキャンプ地を作ったアレッド達。
今は腹が減っては戦が出来ぬ…と、夕食の下ごしらえ中だ。
もう少し時間が経てば、夕暮れとなり、すぐに日が落ちるだろう。
まだまだ日が長いとはいえ、暗くなるのはあっという間だ。
そうなる前に下ごしらえを終え、さっさと調理も終わらせたい所なのだが…
一緒に準備をしていたはずのヘレズは、いつの間にか、未だ元気のない毛玉を撫でながら、心ここにあらずとでも言えばいいか、空を見上げながら呆けていた。
「お~い?」
アレッドが声を掛けても、反応が乏しく…、思わずため息が出る。
とはいえ、食材を切る事ぐらいはヘレズにもできようが、下手に手を出すよりも、全部任せた方が、美味い飯にありつけるだろう。
別に彼女がソレを見越してサボっているという訳ではないだろうが。
食材の下ごしらえを終えた所で、離れた場所で空高く火柱の上がるのが見えた。
例の場所付近だろう事から、ソレがアパタの魔法だとすぐにわかる。
魔物と魔族、思い入れなんてモノ、アレッドには皆無だが、あの光景はしばらく頭を離れないかもしれない。
前世であんな事が起これば、全世界に発信されるニュースになる事間違いなしだ。
ソレがこの世界では当たり前のように起きている事、別に珍しい事じゃないのかもしれないが、やはり十二分に衝撃的で、目に焼き付く。
なんでこんな事ばかり…と、別の意味でも、アレッドは溜め息を漏らすのだった。
――――「トラシーユ領・平原・夜営地(深夜・曇り)」――――
夜が更けた丑三つ時…、問題はあれども、その日も、怪我無く終わった。
別にその辺の事を心配した事はない、あり得ない事だから。
そんな彼女は、再び意識を飛ばす、ある目的を遂行するために。
相手方も、きっとノリノリであろう。
アイツの役に立てるのだから、拒否する理由は皆無だ。
目的のためにやる事があるにしても、ある程度の助言はできても、ソレを成すのは、ほぼほぼ全て、相手方だ。
彼女には、ソレを成すだけの余力がない。
この世界に対して、それだけの事をしてやることができない。
本来、ソレができる立場にいるのに、ソレができない事に対する非力さを噛み締めながらも、その口元には明日が楽しみだ…と笑みを浮かべる。
翌日、フォレストウルフの討伐に赴いた一行は、寝起き一番に、口をあんぐりと開ける事となるのだった。
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