第51話…「森は成った…、これでクエスト達成じゃ」
――――「ラピスの精霊湖(早朝・晴れ)」――――
アレッド達が、思うように事が進まず、予定が後ろへ後ろへ…と押されていく中、精霊湖ではちょっとした事が起きていた。
湖の住人がいつもの日課として、ラジオの無いラジオ体操の為に、墳スイ広場へ行こうとしていた時、誰もが変わらぬ今日が訪れている事を信じ、疑っていなかった。
だが、その光景を見て、全員が口をあんぐりと開けて、その光景に目を疑う。
「こ、これは…」
思わず声を上げたのは、誰よりも早く広場に向かうために外へ出た竜族の男クンツァだった。
続々とラジオ体操の為に住人が出てきて、彼と同じようにその光景に驚愕し、動けなくなっている…というのが、今の状況だ。
精霊湖、精霊樹の根元にある深く…広く…、そして清らかで、魔力がふんだんに含まれた湖だ。
その湖の水は、いつも溢れんばかりに満ち満ちていたというのに…。
クンツァ達の目に映るのは、その水が消費され、水位がごっそりと落ちていた。
2メートルは落ちているだろうか…。
ドームがいくつも入りそうな大きさの湖の水位がそれだけ落ちたというのは、一体どれだけの水が一晩のうちに無くなったというのだろうか、見当もつかない。
確かに、昨日寝る前に見た湖は、いつも通りに水で満ち満ちていたはずだ。
それだけ減っても、未だに水底が見えない辺り、相当深い湖だとうかがえるが、目の前の現実にその程度の驚きなど、彼らからしたら些事となる。
そしてクンツァ達と精霊樹との丁度中間付近、その湖の上に、宙に浮く精霊ラピスの姿があった。
いつものように、スキルで浮かせた移動用の水の中に、自身の体を浮かべながら、水位の減った湖を見下ろしている。
「ラピス様ッ!
これは一体ッ!?
何があったというのですかッ!?」
この水位の低下は明らかに異常だった。
その精霊湖の主たるラピスの姿を見て、クンツァは思わず声を上げる。
少し離れているからと、大声で問うのだが、彼の声など、全く耳に入ってこないかのように、ラピスに反応はない。
そんな彼女は、彼の声など…いや、周囲の音など全く耳に入らないレベルで、満足の行く達成感に満ち溢れて、自分の世界に入っていた。
精霊湖の水は、魔力の塊のようなモノだ。
精霊樹から溢れる魔力を常に溶け込ませているからこその、もはや命の水と言っていい代物。
ラピスは、その水を…魔力を使ってでも成し遂げたい事があった。
これは計画の一旦。
自分の世界の変化に自分だけでなく、周囲も変えていくための手段の1つ。
計画としては、徐々に…徐々に…と、一気にやる事は避けたかったが、背に腹は代えられない。
ソレが必要だったのだ。
進めている計画に集中している時、お母様からの連絡があった。
ちょっと面倒な事になったから…、このままじゃ、帰るのが遅くなるかもしれない…と。
金目のモノが売れない状態…、それを売れるようにするのは問題ないが、いかんせん時間がかかる…と言われ、その原因をどうにかしようと、母と話し合った。
そして、結果として、彼女はやりきった。
母の頼みを達成し、そして妹への手助けをしてのけた。
妹と会えない時間が増える事…そんなの冗談じゃない…、たったそれだけの理由で、やり遂げた。
あなたの悩みを、姉が解決して見せたぞ…と、1人胸を張る。
誰にその成し遂げた事…達成感を自慢する訳ではないが、思わず大声を上げて笑ってしまいそうだ。
今すぐにでも、よくやったッ…と褒めてもらいたい…、褒美に頭を撫でてもらえるのなら、これ以上の喜びはないだろう。
あと、妹が本気で作る唐揚げがあったなら、もはや死ねるかもしれない。
湖の住人たちには背を向けているため、彼らからは、ラピスの表情をうかがい知る事は出来ないが、いつもと違うその雰囲気に、誰も彼も、不気味さを感じるのだった。
――――「トラシーユ領・平原?(朝・曇り)」――――
顔に当たる日差しの眩しさに、アレッドは目を覚ます。
アパタのスキルで、暑さに対しての耐性を上げている事もあり、ベッド代わりに背中を預けていたハティの体毛のふわふわ感が、何とも心地良い。
まだまだ暑い日が続くというのに、その暑さを物ともせず毛皮の柔らかさに身を委ねられるなど、何て贅沢な事だろうか。
さしずめ、真夏の熱帯夜にクーラーをガンギメして毛布にくるまるような所業だ。
しかし、朝だ。
それも普段ラジオ体操をしている時間よりも、恐らく遅い目覚め。
完全に寝坊である。
とはいえ、クエストで外にいる以上、そちらに体力を回せ…と、その寝坊を咎める奴もいまいが、日課が熟せないのは気持ち悪い。
緊張感が無いと言えばそれまで。
魔物が住まう地、昨日だって襲われたというのに、呑気なモノだ。
一応、夜だって見張りを立てていたはずだが、何故だか皆眠りについていた。
ハティも居るし、アレッドの索敵もある…、もし外敵が来ても、襲われる前に気付ける環境は整っているが…、長期休暇にキャンプ地にキャンプをしに来た…とかでないのだから、やはりこの辺は考えを改めた方がイイだろう。
ちょっとした反省を頭の中で羅列していく間に、眠っていた頭も、徐々に覚醒、二度寝に入る必要が無い程に、目が覚め始めた。
頭の中がスッキリし始めたからこそか、体を起こして、視界に入ってきているモノに、違和感どころか驚きでいっぱいになる。
昨日は周囲に林が点在してはいるが、どこまでも続くかのように平原が広がっていた野営地、平原へ適当に作りはしたが、そこがどんな場所だったかを、一晩で忘れる程思い入れが無いわけではないし、頭も悪くはない。
覚えている…、自身がキャンプを作った場所の姿を。
しかし、アレッドの視界に広がっていたモノは…、そんな彼女の記憶にある景色とは違っていた。
平原に居たはずなのに…。
アレッド達は、大きい樹木に囲まれた森の中に居た。
「・・・」
思わず目をパチパチと瞬きし、自分が幻でも見ているのかと、自身の目を疑ってしまう。
何度瞬きしても、その光景が変わる事はなく、彼女は呆気にとられた。
彼女にとって、ココはファンタジー世界、魔法もあれば魔物だって魔族だって、角や獣の耳を生やした人間だっている世界だ。
一晩で平原が森になる事だって、もしかしたらあるのかもしれない。
もしかしたら、自身が眠っていたのは一晩じゃなく、何年何百年と、途方もない時間なのかも…。
自分の体を見る…、特に何ともない。
体は問題なく動くし、一晩寝ただけの鈍り具合だ。
アレッドの横にはアパタがハティに身を預けながら、未だに寝息を漏らしている。
荷台にはヘレズが、火の消えた焚火の近くにはナインザと、空になったシャンパンボトルを抱えて泣きじゃくったインカロが眠っていた。
泣いた理由は…、またの機会に語るとしよう。
とにかく、全員見た目だけなら問題はない。
途方もない時間が経過して起きるような装備類の劣化も見られず、老け込んだ様子もなかった。
みんなの異常が無い事を確認すればするだけ、この森が短時間で生まれ、そして自分達を飲み込んだ事を証明してくる。
『お~、コレはまた、張り切ったんね、あの子は』
状況を理解できないアレッドとは打って変わって、起きたヘレズは、呑気に伸びをしながら欠伸をかます。
この状況に動じていない事に加えて、寝起き様に放った言葉に、この状況の犯人が誰なのか、アレッドは確信する。
問題がややこしくならないように、周りが未だ眠りについている事を確認して、ズカズカッとヘレズに歩み寄った。
「これはあなたの仕業か?」
「ん~…、そうとも言えるし、そうとも言えない感じだね?」
意味深にニッと笑うヘレズに対して、アレッドは呆れと共にため息を漏らす。
「頑張ったのは僕じゃなくてラピスだ。
森がどうのこうの言ってたから、昨日の内にね。
ソレに丁度いいと言えば丁度いいし、この際やってまえッ…て事だよ」
ヘレズは、人差し指を立てて、自信ありげに言う。
何が丁度いいのか…というのは、アレッドのあずかり知らぬ事ではあるが、ランク上げの問題の事はあれど、流石にこれはやり過ぎだ…と思う。
「大丈夫だって。
こんな事人間技じゃできないから」
人間技じゃないからこその焦りというモノをアレッドは感じているのだが、ヘレズはそんな事素知らぬ顔で、周囲を満足げに眺めた。
こんな事人間にできるはずがない…、確かにその通りではある…、アレッドにだってできないしわからない。
他のメンバーが起きて、この状況を目に入れたとしても、わからないと答えて終わりだ。
まさに神の御業を見た…というヤツである。
アレッドは、考えるのを止めた。
「ココは迷いの森になったから、はれてクエスト達成だなッ!」
「ははは…、そうだね~…」
――――「トラシーユ領都(昼間・曇り)」――――
それはもう慌ただしかった。
目が覚めると、平原で夜営していたはずが、迷いの森に飲まれるなんて、そうそう経験できる事ではあるまい。
元々領都にクエストを切り上げて帰る予定ではあったが、この状況に、ナインザ達はまさに異常が起きていると改めて認識、そこから3日ほどかかる道のりを、1日分短縮した2日で済ませた。
ここでちょっとした種明かしだが、ラピスが本来ならあと1日分の距離を一晩で迷いの森に変えた…というのは、少々語弊があるらしい。
領都に帰る道すがら、ヘレズがアレッドに教えてくれた話では、元々森の拡大を最近始めていたそうだ。
その拡大具合は場所によってまちまちだが、アレッド達がいた付近で言えば、森まで1日とかからず、半日超で到着できる程に、森は広がっていたようだ。
何日もかけて半日分森を拡張したのに対して、ソレを一晩でこなした事で、アレッドは様子を伺う事は出来ないが、ラピスは疲労困憊らしい。
という訳で、フォレストウルフがあそこにいたのは、森の拡大に伴って、周囲の魔力濃度が上昇、ソレと流れの変化によって、魔物の移動か何かが起こった事に起因している。
あのフォレストウルフ達が、住む場所を追われたという訳ではなく、住める場所が増えた事と、魔物達動物達の縄張りが変わったのだ。
森の変化…異常により魔物の動きに変化あり…、それがナインザとインカロの結論だ。
ゴブリンの件はまた別である。
ハンターギルドに帰って来たアレッド達は、結果としてフォレストウルフの素材を手に入れ、そしてその場所が迷いの森に「なった」事により、無事クエスト達成という運びになった。
最初こそ渋っていたインカロも、最後には承諾、迷いの森に変化する予定の場所に目標が出没し、そこで素材を入手した…という筋書きだそうだ。
結果として証拠となる素材はあるのだから、ギルド側も頷く事しかできまい。
そして、アレッド達のランク昇格手続きの横で、ナインザ達は森の異変についての報告を行っていた。
話によれば、森の異変は今回の件よりも前から異変を察知されていたらしい。
今まで森ではなかった場所が森に飲まれている…と、ソレに加えて、森の奥地にいるはずの魔物が浅い部分に出没しているだの…と、今回の森化と比べれば些事ではあるかもしれないが、人間領からしてみれば大事だ。
ナインザもインカロも、その情報が出回る前まで、クエストで領都を離れていたために、その事を知り得なかったらしい。
森の方に昇格試験へ行くのだから、その辺の注意喚起をするのがギルドの仕事では?…とアレッドは思うのだが、イレギュラーの対応ができてこそのハンターだ…と、ナインザ達の言葉が突っぱねられるばかりだ。
何はともあれ、アレッド達は、晴れて昇格が完了し、2星ハンターとなった。
この時を待っていたんだッ…と言わんばかりに、必要のないモノを売りに出す。
といっても、下手に珍し過ぎるモノを売って目を付けられても困るから、アレッドは、この世界に来てから入手した素材を古い順に出した。
懐かしきエレメンタルボアの素材、ちょっと生臭いブロックハンドベアの素材、後はアレッドのアイテムボックスの枠を大量に占領しているシャンパンボトルを数本。
ボトルに関しては別に売らなくてもイイかな…と思ったが、インカロがこういうのも買い取ってもらえるから…と、強く売る事をお勧めしてきた、理由は知らない。
素材達を出した時、妙にギルド内がざわついたが、この時のアレッドは、そのざわつきの理由を知らず、彼女に向けられる視線に、気づく事も無かった。
『うっそ、マジッ!?』
他のどよめき、ギルド内の喧騒の中、少々毛色の違う驚愕の声が混じっていたのだが、それもまた、アレッドは気付く事も無く、ざわめきの中に掻き消されていった。
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