第24話…「森林浴に馬蹄の音は似合わない…、え? 馬蹄じゃない? 知らんわッ!」


――――「迷いの森(昼過ぎ・曇り)」――――


 緑豊かな森…、木漏れ日の差す中で、草花の揺れる音がサラサラと聞こえてくる森…。

 そこは生命を育む、精霊の管理し森だ。

 人によっては、この空間を落ち着ける場所だとか、心地よい空間だとか、そういう言い方をするのだろう。

 しかし、その者にそんな感情は無く、別のモノを感じてばかりだ。


 鳥のさえずりが遠方から聞こえてくるが、その者達の近くに姿を現す事はしなかった。


 巨木生い茂る迷いの森を、魔族の軍は、南に向かって進み行く。


 バシャンッバシャンッ!と「竜馬」が地面を踏み締め、その度に、指から生えた鋭い爪が、ジャリッジャリッと引っ掻く音が響いた。

 全長が10メートルにも届く体は、全身を甲殻と鱗で覆われ、そのシルエットは何処かカバを彷彿とさせる大きな頭と、同じ太さの丸々と太った胴体を持つ。

 甲殻などを持っているからこそか、その足はカバではなくワニなどを思わせ、尻尾に至ってはそれそのものだ。

 カバとワニ2つを合わせたようなシルエットを持つその魔物は、名前を「岩砕顎竜・ロックブレイカー」、名を象徴する強靭な顎は、下顎に空へ高々と伸びた図太い牙を持つ。

 多くの敵を貫き、そして砕いた証か、その牙には、赤黒く、洗っても洗っても…取る事の出来ない血の汚れがこべり付いている。


 大きな括りで言えば、そのロックブレイカーもドラゴンモドキだ。

 クンツァたちを襲ったドラゴンモドキが、言うなれば土系列の力によって、防御力を高めた種ならば、そのロックブレイカーは攻撃力を高めた種とも言える。

 顎を強化し、岩石をも喰らって、自身の力にできる程の強さを持った種だ。

 一度走り出せば、その速さは優に50キロへと到達するだろう…、それに加えて甲殻や鱗に覆われた体だ…、体当たりでもされようものなら、馬車は一瞬にして粉砕され、噛みつかれれば生半可な防御力では、ペンで紙を貫くよりも簡単に鎧に穴をあけるだろう。

 ロックブレイカーも、モドキとはいえ、ドラゴンの名を関する種、魔物の中の上位種だ。


 迷いの森を我が物顔で進む、この魔族の軍の中でも、このドラゴンモドキは最高戦力の1つである。

 そして、このドラゴンモドキとは別の、この戦力に並び立つ戦力…、いや、その力たるや、ロックブレイカーの力を凌駕する強者が、その上…巨体の背に騎乗していた。


 この魔族の軍、その総数兵だけでも5000に達する。

 軍へ魔物を近づけさせないための「撒き餌」を含めれば、その数は7000を超えるだろう。


「おい。このつまらん森は、あとどれほどで抜けられるのだ?」


 竜馬に乗った竜族の男は、いつまでも続く代り映えのしない退屈な世界に、今日何度目かもわからないため息をつきながら、これもまた何度目かわからない問いを、近くに居た部下へと投げる。


「ハッ! このペースを維持できれば、あと1週間ほどで森を抜けると思われます」


 男と同じ竜族の兵士は、周りの人間にも聞こえるように、大きな声で叫ぶように答えた。


「・・・チッ」


 その返答に、男は一層不機嫌度を増し、舌打ちをした。


 竜馬の周りには、男と同じ竜族で固められた部隊が囲っている。

 竜族ではない魔族たちと比べれば、その装備は、どれも良質な素材で作られた一級品、統一性のあるデザインから、特別な軍、または親衛隊であろう事が見て取れた。

 全員が徒歩でありながら、疲労を全く気にさせる事のない平常ぶりを見せ、良く鍛えられている体の強さを窺わせる。


 軍の先頭を行く巨人族が、進行の邪魔となる巨木を退かしている光景を見ながら、返って来た返答に、男はまたため息をついた。


 魔族領は、その魔力の濃度が高い性質故に、緑が育ちにくい特性を持つ。

 その代わり、魔物が多く存在し、ソレを狩れば食うに事欠かず、魔物を祖に持つ魔族故に、その魔力の濃度…量は、数日食べる事ができずとも、魔力で生命活動や栄養を補えるので、さほど問題がない。

 緑豊かな自然が、人へ生きる糧を育む…と、人間領の者達はよく言うが、その糧が無くても生きていける魔族は、そのありがたさを、いまいち理解する事ができなかった。

 かくいうこの竜族の男も、その例に漏れる事はない。


 最初こそ、男も魔族領ではあまり見る事のない緑の多さに、目を奪られもしたが、ソレも数日どころか数週間続いていれば飽きもする。

 男は、再び深い…深いため息をつく。


 迷いの森…、その名の通り、目的地にたどり着く事の出来ない、深い深い森だ。

 しかし、ソレはあくまで精霊の大樹を目指した場合のモノ…、精霊の湖を目指した場合のモノ…、その大いなる聖地を目指さぬというのなら、迷いの森は、その者に…、迷いを与える事はほとんどない。

 そして、魔族領では、この迷いの森は、迷いの森ではなくなり、その者にとって、「死の森」へと変わる。


 死の森、ソレは死んだ森…という意味で付けられた名ではない。

 その森は確かに、生命が溢れ、そして生まれる森で、自然が多く育ち、動物が多く住まう…、その者達に牙を剝く事のない豊富な魔力は、いわば精霊に正しく管理された世界であると証明するものだ。

 その魔力は、自然を、動物をより強くし、そして魔物を生み出す。


 そんな生に富んだ森が、どうして死の森だと言われるのだろうか…。

 答えは単純だ。

 この森には強い生き物が多すぎる。

 動物にしても、魔物にしても…だ。


 動物は、同系種とサイズを比べて、倍以上の大きさのモノが多い。

 肉食動物は、魔物さえ喰らえるようにと進化を遂げ、種類によっては動物と魔物の区別がつかなくなっているモノさえいるとされ、肉食でない動物に至っても、そんな肉食動物や魔物に襲われないために、襲われても生き残れるように、より身軽な体を手に入れたモノや、より強靭な体を手に入れたモノがいる。


 魔物の方は、豊富な魔力を持って、進化をするか、新しい主として変質するとされている。

 ドラゴンモドキなどがイイ例だ。

 ドラゴンではないのに、その名を与えられる程に強力になっていったモノ達…、竜族の男が乗るロックブレイカーのように、攻撃力を強化した種や、クンツァたちを襲ったドラゴンモドキ…ロックリザードのように防御力を強化したモノ、進化の幅は多岐に渡る。

 種によっては、ドラゴンのように空を飛び、火を吐くモノや、魔法系のスキルを操るモノもいるとか。


 そんな動物や魔物の生息するこの大樹海で、人間など、実に…実に小さい存在である。

 修行をしようと森に入る者、何かから逃げる最中森に入る者、食べる物を求め森に入る者、森に入る理由は様々、分母は増えるが、戻って来た者は、そう多くない。


 何食わぬ顔で戻ってくる者は勿論いる。

 しかし、修行だ、自分は大丈夫だ…と、自身の力を信じて止まない者達は、総じて森の奥地に足を踏み入れて、結果ほとんど戻って来ず、戻って来たとしても、顔を歪め、自身の行動を恨むばかりだ。


 森の奥に行くという事は、森の中心部分に行くという事。

 森の浅い部分は、比較的平和だ。

 森の中心から離れれば離れるだけ、その魔力の濃度が薄まる…、外に近づけば近づくだけ、木々や草花の数が減るため、必然的に魔力濃度が下がる。


 そもそも魔力とは、万物が持つモノである。

 植物も、動物も、人も、魔物も、皆が等しく持ち、吸収し、放出するモノ。


 植物等は、動く事がないために、消費する魔力は少ないが、木などはその大きな体で魔力を多く放出するモノだ。

 そのため必然的に魔力濃度が高まり、そして、その魔力を求めて魔物が生まれ…集まり、そんな魔物達に食い殺されないために、動物たちは強くなる。

 そんなサイクルを、長い年月…月日を繰り返してきたために、この森は、植物は大きく、動物は強く成長していった。


 よって、森の奥…森の深い場所に行けば行くだけ、危険度が増していく。

 自信過剰な者達は、総じて森の奥地に行き、帰らず、森近辺に住む者達は、また帰ってこなかった…死んだ…と口にし、いつしか迷いの森は、別名死の森…と言われるようになった。


 魔力濃度が濃い理由は、他にも理由がある。

 ソレが森の少ない魔族領でも、人間領と比べて、魔力濃度が多い理由に繋がってくるのだが、ソレはまた別の話。


 ドラゴンモドキに乗る男は、そんな死の森の、弱肉強食の連鎖が、他とは段が違う事に胸を躍らせ、期待している節があった。


 ここ百年、魔族領では大きな戦がほとんど無い。

 5年ほど前、クンツァが罪人となるきっかけとなった戦が、直近の戦だ。

 戦争と呼べるモノはそれだけ…、それを除けばこの百年、戦争と呼べるモノは無い。


 力がモノを言うデモノルスト、その将たる男は、血気盛んな国の特色…性と言えばいいか、その例にもれず、戦闘狂のきらいがあった。


 手っ取り早い話が、たぎる戦いがしたい…ソレが男の望みだ。


 国同士の戦…殴り合い、死体から不要だ…と噴き出る魔力を一身に浴び、舞う血煙から香る鉄の匂いを肺一杯に吸い込んで、次の獲物に喰らい付く。

 弱者は、手も足も出ずにその臓物を喰われ、その身に蓄えていた魔力を奪われる…ただの食料だ。

 強者には、弱者を喰らい、その死地にて満たした濃厚な魔力を纏い、全力で拳をぶつける。

 血沸き肉躍る戦いこそ、自身の力をより強く実感できる瞬間、最後には周囲の魔力すらも食い尽くして、自分自身の魔力すら枯渇する中での殴り合い。

 何の底上げも無い、純粋な己の肉体の力…、後がなく、その瞬間での敗北が、自身を死へと誘うという確信を抱きながら、その死を…命を実感する…、その軽さを…綿毛のような…胞子のような、命など、所詮は小さく儚いモノだと思い知らされる感覚…。


 だからこそ、その瞬間に、命と呼べるモノを男は実感する。


 男は、5年前の人間との戦を、瞼裏に映して、思いを馳せた。

 不満はあれど、あの戦いは良かった…、男は思わず口元に笑みを浮かべる。

 魔力こそ、魔族領の魔族や魔物と比べて少ないが、その血肉は、その比じゃない程に美味であった。

 肉は柔らかく、血は芳醇で、何より臭みも無く、筋張らずに、喉越しも良い。

 鎧の下に隠れた肉は、汗をたぎらせて不純物で汚れている…と言えなくもないのだろう…、しかしそんな汚れも、臭いも、魔族の男にとっては大した不快感を与えなかった。


 人間の肉、死の森の強き生物たち、命のやり取りができる…戦いができる…と男は期待していたのだ。

 本番…力の振るい所は、この森ではない…、それも理解しているつもりでいたが、この森の魔力濃度は、実に心地が良い。


 魔族領の魔量濃度は、ただただ雑で暴力的だ。

 ひたすらに魔力が多く、そのせいで体に纏わりつく、ソレに体が慣れているから、不快感こそ感じないが、数週間森の中にいた事で、男は、アレはダメだ…と結論に至った。

 まず解放感が違う。

 体の中がスッキリし、魔力があればあるほど、力が湧くモノだが、魔力量が少なくなっているはずなのに、体は軽く、むしろ魔族領にいる頃よりも動ける有様だ。


 だからこそなのだろう。

 魔族領にいた時よりも調子の良い体で、強者の住まう森に…そんな場所に、戦闘狂とさえ言える男はいるのだ。

 闘争本能がうずいてしょうがない。


 しかし今は、撒き餌を用意し、戦力を減らす事無く、森を抜ける策を取っている。

 男にとっては退屈でしょうがないが、目先の馳走に目をくらませ、メインディッシュに腹を膨らませて挑むのは、良くない事だ。

 今回の戦が終われば、より自身が望む時代がやってくる。

 ソレを理解している男は、柄にもなく待ち続けるのだ。


「いっその事、ラミア共にスキルで森を焼き払わせれば、この生殺しも終わりを早まらせられる…か」


 だがしかし、自身の好物を目の前に、なかなか全てを押さえきる事ができない。


 炎を操る炎系魔法のスキルを使わせれば、森は一瞬にして黒焦げた道へと変わるだろう。

 そうなれば、歩を進める足も速くなるというモノ、どうあっても森では手を出せないというのなら、サッサと抜けて人間領に入りたい。

 「目的のスキル」を入手さえできれば、後は宴が待つばかり。

 目の前の馳走が食えないのなら、気が早まるばかりだ。


「やめとけやめとけ。そんな事をすれば、精霊の怒りを買うぞ?」


 男の独り言に、一際大きい体の竜族の男が、笑い交じりに返した。


「ふっ。精霊が何だというのだ。精霊だ…と高く留まっていても、蓋を開ければ、強者など一握りだ」

「へッ! 当代の「ドラゴンナイト」様は言う事が違うねぇッ! それでも無用に藪を突く意味はねぇだろ」

「事実を言ったまでだ。しかし、本気を出した連中は、楽な相手でないのも確か…。だが、確実にその首は取ってやる」


 顔の位置まで上げた手を、何かを握り潰すかのように動かして、強く…硬い拳を作る。

 巨漢の男は、ソレを見て、ゲラゲラッと楽しそうに笑った。


「お前が勝てても、この軍勢はデカい痛手を負う。スキル入手前に、戦える状態じゃなくなれば、意味がねぇ」

「わかっている。一口で終わる飯の為に、フルコース料理を遠のかせるなど、する訳がない」

「それならいい。こっちから言う事も無くなるからな」

「俺から言わせれば、お前も森を抜けるまでは余計な事をするな…だ」

「俺が?…がッはッはッ! 子供じゃあるまいし、待てぐらいはできる。俺はテメェと違ってただのウォーリアー…、しがない戦士だ。精霊からのムチは、身に染みてるよ」


 巨漢の男は、想いに耽る様に遠い目をする。

 ソレを見た男は、その目に真剣さを増させた。


「5年前に対峙したという精霊…、そこまでの強さを持っていたか?」

「ああ強かったぜ? アレは確実に何かしらのマスタージョブを納めている奴の強さだった」

「その精霊は、俺よりも強かったか?」

「さてね。俺は天上人の力量を測れる程、強くはねぇ。・・・だが」


 巨漢の男は、まるで仇でも目の前にいるかのように、視線を尖らせる。


「俺はその精霊に、「鬼」を見た」

「鬼…か」


 ソレは、ドラゴンの象徴の1つたる角を持つ人…と言い伝えられる。

 同じく角を生やす竜人族や竜族とは、また違う種と言われ、伝承にのみ残る力の証明とも言える1つの概念でもあった。


「5年前の戦争…か」


 戦いに参加はしていたが、男の戦地には、その精霊はついぞ現れなかった。


 戦争を終わらせるきっかけになった存在。

 とうとう始まった人と魔の戦い、長く長く、長期に渡り続くはずだったモノを、瞬く間に終わらせた神の子。


「恨めしいな…」


 恨めしい。

 自分の所に姿を見せなかった精霊に、男はひたすら恨みだけを飛ばすのだった。


 ぐおおぉぉーー、ぐおおぉぉーー、と、軍勢の前の方で巨人族が声を上げ始めた。

 男はその空気を震わせる声に、顔をしかめる。


「図体がデカい分、燃費も悪い連中だ…」

「そういう種だ。仕方がない。燃費は悪くても、連中のおかげで、このペースを確保できている…というもある。陰口なんて、マスタージョブのする事じゃないぞ?」

「ふッ」

「連中の燃費も考慮して用意した撒き餌連中だ。数も十分にある。便利だから使う。声の大きさぐらい目をつぶってやれ」

「そうである事を、そうだ…と言ったまでだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」

「それはそれは、かのドラゴンナイト殿に、余計な事を言ってしまったようだな」

「いいから、さっさと行け」


 男は面倒くさそうな雰囲気を隠す事もせず、まるで汚いモノでも遠ざけようとするかのように、シッシッと手を振る。

 巨漢の男は、がッはッはッと何が面白いのか、笑いを周囲に響かせて、前の方へと走っていった。


 ほどなくして、嫌だやめて…と、遠くから悲鳴が聞こえてくるが、男はソレを歯牙にもかけず、今だ続く退屈な時間に目を向けるのだった。


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