第十二話「桜の便り ーさくらのたよりー」(後編) ④

 どんなに嘘が上手くても、心だけは偽れない。

 それが小春の持論だ。物心がつく前からずっと『声』を聞き続けた小春だからこそ、生々しいほどに説得力がある。


 力を受け入れた時点で、葉月のことを隠せなくなるのは承知の上だった。


 だけど、力は無限に使えるわけじゃない。

 力の悪用や乱用が起きないよう、力をもって物事を証明していいのは巫女だけと法で定められているのだ。その巫女だって、自由に力を行使できるわけではない。


 つまり、小春の口から葉月のことを伝えることはできない。それでも、得た情報を元に追及して自白させることは可能だ。


 なのに小春は、それをしなかった。

 私が言ったことを、ただそのまま伝えた。だから職務怠慢なのだ。


 謹慎処分で済んだが、平和条約前だったら間違いなく首が落ちたはずだ。


「次に同じようなことがあったらどうするの? また私をかばうつもり?」

「さぁね……そん時の気分かな」

「二度目も謹慎処分で済むとは限らないわ」


 今回は、はたから見ても甘い処分だった。


 おそらく小春だったからだろう。

 なまけ癖はあるが仕事はできるし、何より小春の力は使える。条約によって平和が約束された今でも、下々の者がこまであることに変わりない。



 それでも、二度も同じあやまちを見逃すほど、社という組織は甘くない。



「あんたはもう、私に縛られる必要はないのよ。だから――」

「だったら、俺の自由だよな?」

「え?」

「何を考えようが、何をしようが、それで首が飛ぼうが俺の自由……だろ?」

「――小春! 私は」

「考えてもみろよ。おどされたってだけで、ご丁寧に協力し続けると思うか? 途中からは社に入って、力を隠す意味もなくなったのに?」

「それは……」


 確かに、その通りだ。


 夜長姫の侍女として社に入れば、小春と連絡を取ることは容易ではなくなる。

 だから、小春にも社に入ってもらった。月国以外ならどこでも、どんな形でもいいから、とにかく巫女に仕えろと。


 社のに入ることは、世間の差別から離脱することを意味している。

 巫女たちが力を使えるように、下々の者も力で差別されることがないのだ。そういううわさを聞きつけた者が、社に駆け込むこともめずらしくない。


 社に入った時点で、私に従う理由はなくなったのだ。私に従っていたのは、力のことをさらすとおどされたからなのだから。


 私自身、社に入った後の協力はそれほど期待していなかった。


 あくまでも保険として連絡手段を確保したかったにすぎないし、仮に裏切って情報を流したところで、大した痛手にはならないと踏んでいた。

 そばづかえの私と他国の者となら、間違いなく私を信じる。そう断言できるほどの信頼を得るつもりでのぞんでいたから。




 だけど、小春は私に協力し続けた。恨み事を吐くことも、裏切ることもなく。


 全部、小春の意志による行動だったのだ。

 たとえそれが、姉さんや私に対する罪悪感から来るものであったとしても。




「最初だけだよ、仕方なくだったのは。その後はずっと、俺が自分で選んできたの。だからあの時もそうしたし、これからも変わらない」

「…………」


 何も、言葉を返せなかった。

 ここまで警告しても、今まで通りに自分の意思を貫くというのだ。


 返す言葉など、あろうはずもなかった。


「……分かったわ。私からは、何も言わない」

「そっか」


 小春がにかっと歯を見せて笑った。この話はもう終いだと言わんばかりに。


(伝えるべきことは、伝えた)


 今まで散々、小春の人生をめちゃくちゃにしてきたのだ。勝手な私心で、今ある小春の意志までかき乱すべきではない。




 小春の心は、小春だけのものだ。




「そろそろ行こうぜ? このままだと、桜まで職務怠慢の共犯になるかもだし」

「冗談じゃないわ」


 さっさと帰ろうと早足で歩き出したら、頭の悪そうな笑顔が隣に寄ってきた。


「もう少し離れてくれる?」

「相変わらず冷たくいらっしゃる。まぁ、そこが良いんだけど」

「黙って歩いて」


 へらへらと笑いながら歩く様は、いつもの小春そのものだ。今まで話していたことなど、始めからなかったかのように。


(……妙ね)


 なんだか、いつも以上に女たらしの自分を前に出している気がする。

 まるで、私に知られたくないことでもあるかのような――――


「ん? どうかした?」

「……別に」


 聞いたところで、どうせはぐらかすだけだ。

 私は、何も気付いていないことにした。








 隣で適当に笑いつつ、密かに物思いにふける。


 桜の声が聞こえることに、間違いない。

 間違いないが、断片的にしか聞こえない。桜には問題なく聞こえるかのように言ったが、実際のところ、ばらばらの言葉をそれらしく結び付けているだけだ。


 確かに、目の前で飲んでいたのは桜の葉をせんじたものだった。

 だけど、あの聞こえ方から察するに、少しずつ薬の量を減らしている。



 同じだ。夜長姫に仕えていた頃と。



 夜長姫のそばづかえとしての地位が揺るぎないものとなったことで、今度は夜長姫を殺すために、薬漬けの体を戻していたあの頃と。


(過去に縛られてんのはどっちだか……)


 だけど、夜長姫の時とは明らかに違う。

 今の桜には、激しい怒りがない。


 あの頃と変わらず涼しい顔をしているくせに、さっきからずっと、泣きそうな『声』を引っ切りなしに聞かせてくるのだ。




 嫌だ――――と。




 桜はまた、人を殺そうとしている。

 しかも今度は、自分もろとも。


 俺に隠し通せるとでも思っているのだろうか。どんなに嘘が上手くても心は、とりわけ無意識下の声は、けして偽れないというのに。



 だから、どうした?



 声なんか聞こえても、意味がない。宝の持ち腐れだ。俺のような小心者が何を言ったところで、この女は絶対に止まらないのだから。


(……どうしろってんだよ)


 己の傷さえ物ともせず、我を貫き通す。

 そんな彼女に、昔からずっと憧れていた。そうでなきゃ、人生を棒に振ってまで七年がかりの復讐に付き合ったりなんかしない。



 だからこそ考えてしまう。我を貫く桜が、己を殺すなんてあっていいのかと。



 もちろん、いいわけがない。

 分かっちゃいるけど、何もできやしない。


 小心者の俺には、心の声を盗み聞くことしかできない。どうしようもないのだ。夜長姫の時だって、俺は止められなかったのだから。


 今もこうして馬鹿みたいに笑いながら、見て見ぬふりを続けている。




 そんな俺は、力なんて関係なく『鬼』だ。




『妙ね』


 さり気なく目をやって、桜の視線が鋭くなっていることに気付いた。

 この五年間の付き合いで、心を読まずとも分かる。何かに勘づいた時の眼だ。


『女たら――前――私――知られ――』


 そして、実際に勘づいている。

 厄介な流れになる前に、それとなく先手を打つことにした。


「ん? どうかした?」

「……別に」


 俺の性格を熟知している故だろう。桜は、言葉を続けることを止めた。


 それでいい。俺は桜に干渉しないし、桜も俺に干渉しない。

 ただ同じ村で育ち、過去を共有するだけ。それだけの関係なのだから。






   ***






 社に着くや否や、悪鬼の顔をした三郎をおがむことになった。


「昼間から優雅なことだな……小春」

「んげぇ!!」


 眉間にしわを寄せて仁王立ちする三郎に睨まれた者は、もれなく説教とせっかんの嵐に見舞われる。三郎が下々の者に恐れられるが所以ゆえんだ。


「えーっと、これには事情が――」

「どうせ用事のついでに、華町で女と遊ぼうとしていたのだろう?」

「仰る通りです」

「桜ぁ!?」


 私の簡潔かつ真っ当な報告に、小春の顔が絶望一色に染まる。

 かばってもらえるとでも思ったのか。あいにく、馬鹿の肩を持つ義理などない。


 これ以上は時間の無駄だと言わんばかりに、三郎が小春の腕を掴んだ。


「あー!! 痛い痛い腕折れ――」

「黙れ」


 ぴたりと小春の声が止んだ。どんなに痛かろうと、三郎の機嫌をこれ以上損ねるくらいなら、腕の一本や二本は安いものだろう。

 それにしても、自分よりも図体の大きな男を握力一つで黙らせるのだから大したものだ。小柄な体のどこにそんな力があるのやら。


 感心していると、三郎がづなを掴んだまま私へと目を向けてきた。


「もう大丈夫なのか?」

「はい。おかげさまで」

「そうか。お前が出ている間に、葉月様がお目覚めになられた」

「えっ!」


 不意打ちもいいところだ。

 さらりと告げられたことづてに、はしたなく声を上げてしまった。


 今は仕事中だ。落ち着けと、己に強く命じる。


「後で医官にさせるが、今のところ異常は見受けられない。熱があるという以外は、なんらお変わりないご様子だ」

「そうですか……」

「ただ、なぜか異様に興奮なされていたから、大人しく休まれるよう伝えておいた。それと、お目覚めになって早々にお前を探しておられたぞ」

「は――」


 葉月と、危うくつぶやきそうになった。


 巫女に馴れ馴れしく接するのは、本来ならごはっ。名前を呼び捨てにするなどもってのほかだ。素を出すのは李々や小春、そして虹姫の前でのみと決めている。


「ありがとうございます。花鶯様に報告をしてから向かいます」

「構わん。報告は僕が済ませるから、すぐさま葉月様のお部屋に向かえ」

「しかし……」

「こいつのくだらん遊びの報告より、葉月様の方が大事だろう。さっさと行け」

「お気遣い、感謝致します」

「では行くぞ」

「ちょ、いででで腕が千切れる千切る!! ちゃんと自分で歩きますって!! ああああ!! 待って桜ぁ!! 見捨てないでー!!」


 引きずられ出した小春の横を通り過ぎ、葉月の部屋へ向かう。

 三郎に会ったのは運が良かった。早々に小春を引き渡せた上に、花鶯姫への報告の任まで引き受けてもらえた。


(……葉月が、目を覚ました)


 改めて意識した途端、周囲が一気に静まり返ったような錯覚におちいった。自分の足音が、やけに耳に刺さる。




『大丈夫! 今のあたしは無敵だから!!』




 葉月が目を覚ましたのは嬉しい。


 なのに、頭をよぎったのは『あの子』の明るい笑顔と快活な声だった。記憶の中だというのに、笑顔が痛いほどまぶしい。


 部屋の前で足を止める。

 胸の鼓動が、激しく主張し出した。


 虹姫は言った。自分の経験から、間違いないと。


 虹姫は、私をあざむくことはけしてしない。あの人は、私の命と意思を可能な限り尊重する。それが、あの子の願いだからと。


 その虹姫が、自分と同じだというのだ。

 つまり葉月は、確実にということだ。


 だけど、私にはそれが分からない。

 気を見るどころか奇跡を拒絶してしまう私に、葉月が夜長姫に侵されているという実感など、あるわけがない。




 だからこそ、確かめなければならない。


 葉月がどのように変化したのか、この目で。




 ふすまの前で深呼吸をして、口を開く。


「葉月様、桜で――」


 襖の向こうで、盛大な音がした。

 倒れたのだと察した瞬間、礼儀作法も忘れて襖を勢いよく開いた。


「葉月!?」


 布団は乱れ、そのかたわらで葉月が倒れていた。

 うつ伏せの状態から「いたた」と、間の抜けた声を漏らしながら起き上がる。ひたいが赤くなっていた。起き上がった拍子にふらついて、頭から転んだのだろう。


 沸騰した頭が一瞬にして冷めたのは、言うまでもなかった。


「目覚めて早々、何やってんのよ」

「すみません。桜さんの声がして、つい……」


 謝りながらも、ほんのりと赤いほおはふにゃりと緩みきっている。ついさっきまで昏睡していたとは思えない能天気さだ。

 そういえば、異様に興奮していたと三郎が言っていた。あの時は、訳の分からないことを言っていると思ったが……。

 

(一体、何をそんなに興奮しているのやら)


 もちろん、体の方は呑気に興奮していい状態などではない。

 頬は紅潮していて、汗もしっかりとかいている。熱はもう上がることはないだろうが、顔色は病人のそれだ。


 私はすぐに葉月へと歩み寄り、肩を掴んだ。


「さ、桜さん?」

「全く……いきなり立ち上がろうとするからよ。ほら、寝てなさい」


 半ば強引に布団へと寝かせる。


 葉月は困惑するも、逆らうことなく大人しく布団へと横たわった。興奮が少し冷めたのか、ようやくけんたいかんを自覚したらしい。


 額にそっと触れる。手のひらに、じんわりと熱が伝わってくる。

 いつもみたいに慌てふためくかと思いきや、気持ちよさそうに目をつむった。外から戻ったばかりで、少し手が冷えているからだろう。


 ぐう、と腹の虫が鳴いた。


 熱を持った葉月の顔が、さらに赤くなる。

 その様子が可愛くて、思わずくすりと笑った。

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