第十二話「桜の便り ーさくらのたよりー」(後編) ③

「……それ、ここで言っちゃう? しかも、よりによって俺に」


 小春が肩をすくめて苦笑した。


 面の下をのぞかせたのは、ほんの僅かな間だった。私が相手でも、小春にとってはけして見せたくない顔なのだろう。


「あんただからよ。それに、わざわざ聞くまでもないでしょう? 今の私は、あんたの力を拒絶してないんだから」


 私が拒絶するのは、巫女の力のみではない。人ならざる力全てだ。

 そして今は、桜の葉を服用することで、人ならざる力全てを受け入れている。



 だから、今の私の声は聞こえている。



 その証拠に、小春は二人分の桜餅を頼んだ。


 茶屋に入る際に、桜餅の宣伝に少し気を引かれたのを聞き取ったのだろう。

 だからあの時、わざわざ私の目の前でお品書きを広げたのだ。私が本当に茶だけでいいのかを聞き取るために。


 葉月や李々のことを考えていたことも、過去に思いをせていたことも、この男には何もかもお見通しなのだ。


「だからって……そんな真正面から来る? もうちょい遠回しに言うとかさ」


 呆れたと言わんばかりに溜め息をつく。


「ていうか、いくら人気のない場所だからって、こういう話をするのは危険だぜ? 俺はもちろん、お前もな」

「私だって『鬼』よ。他の『鬼』と一緒にいたところで、危険も何もないでしょ」

「……そういうところだよなぁ。ほんっと」


 小春の言うとおり、力のことは基本的に外では口にしないものだ。


 もし露見してしまえば、それは社会的に自分を殺すことになるし、周囲の者も同様の差別にさらすことになる。

 あがめられる存在へと昇華した巫女ですら、力をむやみに見せることはない。それくらい、鬼という存在は人々にとってきょうなのだ。


「それで、なんで私をかばってくれたの? あんたの力があれば、私と葉月を容易に社へ突き出せたでしょうに」

「……それ聞いてどうすんの?」

「別に、どうもしないわよ。ただ、あんたが姉さんに負い目を感じたとしても、私にまで感じる必要はないと言いたいだけ」








 むら鬼狩り再来事件。


 あの事件の始まりに、私は居合わせていない。

 姉さんの役に立ちたくて、数か月前から社町の薬師の下で奉公していたからだ。


 本当は、一時も姉さんから離れたくなかった。


 だけど、姉さんが師事した村の薬師はすでにこの世の人ではなく、村には他に薬師がいなかったので社町におもむくしかなかった。


 鬼狩りの不穏なうわさは、あっという間に私のいた社町にまで及んだ。


 姉さんのことは心配だったが、手紙のやり取りは週に一度していたし、所詮ただの噂にすぎないと聞き流していた。



 それ以降、姉さんからの手紙が途絶えた。



 姉さんは、村の薬師から継いだ薬屋の切り盛りに家事、桜の葉の研究と、実に目まぐるしい日々を送っていた。


 その上、姉さんは人より少し不器用だった。

 だから、なかなか手紙を書く時間を作れずにいるのだろうと思っていたが、一週間経ってもなんの音沙汰もなかった。


 もしかして、過労で体を壊したのかと思い始めたその矢先に、鬼狩りの発端が衣瀬村だという噂を聞きつけた。



 居ても立っても居られず、大急ぎで戻った時には、既に村は地獄と化していた。



 付近の木々には首吊り死体がぶら下がっており、村全体に死人特有の腐臭が充満していた。村の一角には、死体が無造作に積まれていた。


 何かに祈るような思いで、家へと駆けこんだのは言うまでもない。


 家の中は、恐ろしく静かだった。

 姉さんが伯父と呼んでいた男がいないのは知っていた。首を吊られた死体の中には、その男もいたから。それは別にどうでもよかった。


 私が見たのは、最も見たくない光景だった。


『姉さん……?』




 姉さんは、眠るように横たわっていた。




 体は冷たくなっており、満月のように白い顔はより青白くなっていた。

 現実味のない光景だったが、丸いほおはえが止まり、もうこの世の人ではないのだと否応なしに突き付けられた。


『姉さん!?』


 かたわらには、空になったちょが置かれていて、毒をあおったことは容易に想像できた。想像したくもなかった。


『なんで……嘘でしょ!? 姉さん!!』


 揺すっても、泣き叫んでも、何も変わらない。

 分かっていても、そうせずにいられなかった。


 その直後、近くにいた村人に「鬼の子だ」と捕まりそうになった。

 必死に抵抗して逃げ出した直後に、突然、村が炎に包まれた。


 炎に限らず、未だにあの事件に関しては謎が多い。確かなのは、十二人の子供の内、三人は分かっているということだけだ。



 夜長姫に姉さん、そして小春。


 夜長姫は、公式の記録には名を残していない。

 そして、生き残りは二人の少女と言われているが、正確には私と小春の二人だ。



 小春は、あの村では女として暮らしていた。


 恰好も、仕草も、話し方も女の子そのものだったし、小春が男だと知る者はいなかった。私も、五年前に再会するまでは知らなかった。


 小春には女装癖などない。前の子供が死産だったことから、息災であり続けるようにと十二歳まで女として育てられただけだ。古い風習でたまに聞くがんけの一種だろう。皮肉なことに、事件は彼が十二歳になる前に起こったわけだが。


 迷信とはいえ、親は必死だったのだろう。戸籍まで女として届ける徹底ぶりだった。故に、記録としては少女二人で間違っていない。



 もちろん、その時の私は何も知らなかった。


 小春が抱える事情はもちろん、村が地獄へと至った経緯も。



 それでも、あの地獄が自然に発生したものではないことくらいは分かった。

 鬼への差別はあれども、なんの前触れもなく、あんな殺し合いが起こるはずがない。平和条約によって、鬼狩りは規制されたのだから。


 何より、私を襲ってきた大人たちの目は、明らかに正気じゃなかった。

 鬼への嫌悪というより、見えない何かに酷く怯えている様子だった。


 誰かが、意図的にあの状況を引き起こしたとしか考えられない。




 つまり、そいつが姉さんを追い詰めたのだ。


 姉さんが、自ら死を選んでしまうほどに。




 許せなかった。姉さんを死に追いやった奴を。

 そいつを見つけ出して、この手で八つ裂きにしなければ気が済まなかった。


 しかし、十歳の子供ができることなどたかが知れている。それくらいは、怒りで気が狂いそうな頭でも理解できた。


 まずは、復讐のための資金を稼ぐために社町での奉公を続けることにした。

 そして、年に二度ある長期休暇を利用して『衣瀬村の小春』を探した。


 首を吊られていた中には、小春の両親も含まれていた。それにも関わらず、そこに小春の姿は見当たらなかった。


 鬼狩りとはいうが、実際のところ、見ただけで誰が鬼かなど分かりはしない。

 故に誰かが『鬼』とされれば、その家族も『鬼』となる。要は皆殺しだ。だからこそ、小春だけが見逃されるなんてことはあり得ない。


 村から逃げ出したとみて、間違いなかった。


 私は、小春が生きている可能性に賭けた。

 生き残りであろう小春に事件の全容を聞き出して、元凶を見つけ出すために。



 もし小春が元凶ならば、その場で殺すために。



 戸籍上の性別が男に戻っていたので身元の特定に苦労したが、二年の時を経て静国の酒屋で働いているところを捕まえた。


 小春の恐怖心と罪悪感を徹底的に、これでもかというほど揺さぶった。

 そして事件の詳細を吐かせた。小春が元凶ではないことはすぐに分かった。



 夜長姫。月国の巫女になったばかりの少女。


 その少女が元凶だと、この時に初めて知った。



 亜麻色の髪という浮世離れした外見をしていることから、まだ巫女の候補でしかないというのに、すでに知らぬ人はいない有名人だった。


 村には、お忍びで来ていたそうだ。


 巫女に選ばれるのは、巫女を多く輩出する家の者か、ある日突然巫女に選ばれたかのどちらかだ。そして、お忍びというからには前者であるのは確実だった。



 にわかに信じ難い話だったが、それが嘘ではないという確信があった。



 なぜならあの日、村の近くで馬車とすれ違ったからだ。きらびやかな馬車は、山に囲まれた田舎の風景からあまりにも浮いた存在だった。


 その馬車から、すれ違いざまに声が上がった。




『赤い桜が咲いているわ』




 子供の声であることに驚き、思わず足を止めて振り返った。


 すだれから顔を出したのは、亜麻色の髪の美しい少女だった。

 堂々とした話しぶりから同世代だろうと思ったが、顔付きや雰囲気は年より幼い印象を受けた。あまりにも幼くて、拍子抜けしたくらいだ。


 一方で、幼い外見に不相応な威厳があった。

 人を見下ろすことに慣れている様子は、他の子供とは一線を画していた。


『見頃は過ぎたけど、まだ間に合うわ。本当に……とっても綺麗だから』


 少女は何がそんなに嬉しいのか、上機嫌にほおを赤く染め上げていた。

 美しい少女だとは思ったが、それ以上に気味が悪かった。人の姿をしたものだと言われても、すんなりと納得できただろう。


 それ以上は聞かずに走り去った。


 馬車は村の方から来ていた。事情を知っているのは間違いなかったが、聞いたところでまともな返答は得られない。


 そう感じるほどに、少女の微笑みは不気味で得体が知れなかった。


 だけど、小春の口から出た『夜長姫』という言葉で、全てが繋がった。

 この瞬間に、自らの人生を投げ打ってでもすことが決まった。




 この手で夜長姫を殺す。冷酷に、むごたらしく。




 なぜ、あんなへんな村におもむいたかは謎だったが、どうでもよかった。


 ただ殺す。それだけで充分だった。




 それから私は、幾度となく小春を利用した。裏切る素振りを少しでも見せれば、力のことを七国全土にさらすとおどして。


 実は、姉さんに聞いたことがあったのだ。

 小春も私と同じ『鬼』なのかと。


 村では「私以外にも鬼がいる」といううわさを度々耳にしていた。

 私と同じく、小春の一家も突然村にやってきた異邦人だったからだ。素性の知れない余所者が「鬼だから故郷を追い出された」と疑われるのはよくある話だ。


 しかもその一家の子が女子だと聞いて、幼い私は淡い期待を抱いた。その子が自分と同じだったら、友達になれないだろうかと。


 結局、そんなことを軽々しく口にしてはいけないと優しくさとされた。

 今思えば、あの時の姉さんは大層困っていた。幼心に友達が欲しかったとはいえ、せんりょなことをしたものだ。


 その困った笑顔から、私は察してしまった。小春は『鬼』なのだと。姉さんは人の良さからか、どうも嘘をつくのが下手だった。



 姉さんは知っていたのだ。小春が、人ならざる力を持つことを。



 小春が言うには、隠し通せない状況だったから、仕方なく話したのだという。

 それでも、姉さんに対する信頼があったからこそだろう。力を知られるというのは、心臓を握られるのとなんら変わりないのだから。


 だけど私は違う。信頼などお構いなしに、彼の心臓に爪を立てた。


 心臓に爪を立てられた小春に、選択肢などあるはずがなかった。

 私に黙って従うよりほかなかったのだ。夜長殺しの罪などあるはずがないし、それこそ負い目を感じてもらう必要もない。



 小春が背負うのは、姉さんだけで充分だ。








「復讐は終わった。だから、もう私に必要以上に気を遣わなくていいわ。あんたが損するだけだもの。今回の謹慎みたいにね」

「……『背負う』ねぇ」


 ぼそりと、小春がつぶいた。

 とうとつな言葉だが、おそらく私の心の声だろう。


「なぁんか勘違いしてるみたいだけど、『背負う』とか『選択肢』とか、別にそんな難しいこと考えてないぜ?」

「だったらあの時、なんで追及しなかったの? あんたなら、聞こえた情報からいくらでもしぼり取れたでしょうに」

「よく言うぜ。それされて困るのは桜だろ?」

「そのくらいは想定内よ。あの時は、あくまでも時間稼ぎでしかなかったもの。近い内にあの町を出ていくつもりだったわ」

「さっすがー」


 重い空気をふっしょくするためか、小春がひゅーと口笛を吹く。感心している風を装っているが、小春だって知っていたはずだ。


 機を見て、町を出ようとしていたことも。

 そのために、葉月に職を探させていたことも。


 黒湖の調査を命じられた時は、薬を服していた。連絡を取り合うのに黄林姫の『共有する力』が必須だったからだ。



 だけど、葉月をかくまった日から薬を絶った。


 黄林姫の『共有する力』を拒絶するために。



 当然、連絡が途絶えた理由を、静国の社を通して追及された。その際に使者として私を訪ねたのが、炭姫の従者である小春だった。


 彼が私と同郷なのは、戸籍からも明らかだ。

 それなのに他の者を寄越さなかったのは、力のとくのためだ。巫女が力を使う対象は、基本的に同じ巫女同士か、巫女の身辺に限られる。


 加えて、同郷の者を寄越すことで、私にぼろを出させようとしたのだろう。


 黄林姫は『奇跡の拒絶』のせいで、私はもちろん、小春とも繋がれない状態だったはずだ。それなら、物理的に情報を引き出すほかない。



 もちろん、同郷だからとて関係ない。


 小春には、本当のことは一切話さなかった。



 黄林姫の力が途切れたことに関しては、私は何も知らないし、知る術もない。

 そもそも、薬で抑えられるだけであって、完全にこの体質を失くすことはできない。国の気が未だに見えないのが証拠だ……と。


 巫女から見ても未知数な体質であるのをいいことに、それらしい理由を並べ立てた。駄目押しで、距離が遠いから力が及ばなくなった可能性もあると付け加えた。


 ただし、その言い訳を通すため、小春と会う時はあえて薬を少量だけ服用した。少量なら、黄林姫の力が及ぶことはないと知っていたから。




 当然、小春には葉月のことが筒抜けだった。



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