第九話「開花 ーかいかー」 (前編) ④
「見えた……見えましたっ!」
睨み合っていた二人が、一斉にこっちを見た。
殺気立った二人の視線に少し怯んだけど、今はそれどころじゃない。
「気が、二人の気が見えました! 少し赤めの、濃い色をした桜が……!」
「えっ!?」
李々さんに殺気を向けることも忘れて、花鶯さんが大きな目を瞬かせた。
「う、嘘でしょう……? あれだけやっても見えなかったのに」
「あんたは真面目すぎるんだよ、花鶯」
声がした方へと目を向ける。
いつの間にか、虹さんが入り口で腕を組んで立っていた。
虹さんは襖を閉めると、そのまま何食わぬ顔で部屋の中に入ってきた。
「ちょっと虹! 何勝手に入ってきてんのよ!」
「いいじゃん、別に。ただの練習だろ。相変わらず頭固いなぁ、花鶯は」
「あー、それは同感ですねぇ」
「お、李々も分かるか。気が合うな」
「好きで合わせてるわけじゃありませーん」
「あんたらね……」
妙なところで息の合う二人を、花鶯さんが白い目で見る。頭が固いのはまぁ……悪いけど、否定できないかな。
「はなせ! はなせっつってんだろおい!!」
廊下から、お馴染みの声が近づいてきた。またひと
「花鶯様、桜です。時間になりましたので、お館様をお迎えに参りました」
(あ……!)
「ご苦労様。入ってちょうだい」
「失礼します」
襖が開いた。桜さんだ。
その声と姿だけで、もう家に帰ってきたかのような安堵感に包まれる。
だけど、それも束の間だった。桜さんの
「このクソ女!! 肉じゃがに変なもん入れて引きずるとか、マジでなに考えてんだ!! 頭どうかしてんじゃねーのか!?」
「黙りなさい
(本当に薬を盛ったのか……)
どうりで文句を言いながらも暴れる様子がないわけだ。
「大体、あんたが大人しく応じないからでしょう。私だって、わざわざ餓鬼を引きずって無駄な労力を消費したくなかったわよ」
「うるせぇ! テメーがメシのジャマすっからだろ! こっちは朝からこき使われて腹へって死にそうだってのによ!!」
「虹様、仰せの通りに連れてきましたが……」
「おいムシすんな!!」
(桜さん、やっぱすごい度胸あるなぁ)
「ご苦労。こっちに放り込んでくれ」
「
「どわぁ!!」
桜さんにぶん投げられた彩雲君が、部屋のど真ん中に転がり込む。
腕力がないと言ったけど、入口から男子中学生を部屋に投げ入れるくらいの力はあるようだ。女の子としては腕力のある方だと思う。
「テメーらマジでふざけんじゃねぇ!! 薬使うとか犯罪だろ!!」
「葉月、こいつの気をさっきみたいに見てみな」
「えっ!?」
(そこで僕に振るんですか!?)
全力でお断りしたいけど、この場の皆さんの視線が痛い。ライオンの入った檻に閉じ込められたような気分だ。
案の定、彩雲君がすごい顔で
僕を
「……なんか、ごめんね?」
「うっせぇ死ね!!」
「ひどっ!?」
謝ったのに八つ当たりされてしまった。
理不尽な気がしてならないけど、仕方がない。この状況を一刻も早く終わらせるために、さっきの感覚を思い出そうとする。
いや、思い出すまでもなかった。
見ようと思ったその瞬間に、彩雲君の背後から桜が現れたのだ。さっきの二人と同じ……いや、それ以上に鮮やかな赤みを帯びた桜が。
「み……見えた」
「な? 簡単だろ?」
「…………はい」
特別な力を使うとか、頭を回転させるとか、強く意識するとかですらない。
ただ、見ようと思っただけだ。
「でも、なんで……」
「気っていうのは、自我の強い奴ほどはっきり見えるんだよ。そうだろ、花鶯?」
「…………」
花鶯さんは、未だに呆けた顔で固まっている。
当然だ。あれだけの時間を費やしても何一つ変わらなかったのに、あっさりと見えるようになったのだから。
「あのさ、気の見方なんか丁寧に教えなくたって、頭に血が上った自我の
(それで彩雲君を連れてきたのか……)
僕の気を見る練習のためだけに、ご飯の邪魔をされ、薬を盛られた上に引きずられてきたのだ。今回ばかりは彩雲君に同情する。
「あのぉ」
何やら、李々さんから不満げな声が上がった。
「まさか、その自我の塊にわたしたちも入ってます? 石頭の凶暴なお姫さまと
「私だってお断りよ!」
「あっはは!!」
虹さんの痛快な笑い声に出鼻をくじかれたのだろう。自我の塊二人が再び散らし始めた火花は、あっさりと鎮火した。
「お手柄だな。李々。あんたが喧嘩を吹っかけたことが突破口になったわけだ」
「別に吹っかけてませんし、あなたに
「まぁ、そう言うな。褒美はくれてやるから」
虹さんの視線が、桜さんに注がれる。
この場における自分の役割を察したのだろう。桜さんが小さく溜め息をついた。
「……李々、おいで」
桜さんが両手を伸ばした次の瞬間、李々さんの姿が消えた。
「桜ちゃあああん!!」
李々さんが歓喜の叫びと共に、桜さんの胸に飛び込んだ。胸に
「じゃあ、私はもう行くよ。よいしょっと」
虹さんは言うや否や、
「おい、はなせ!! どいつもこいつも人を荷物みてーに持ちやがって!!」
「本当にやかましい奴だな。あんまうるさいと、晩飯抜きにするぞ」
「はぁ!? テメーマジで殺す気か!!」
「ほらほら、うるさいと~?」
「…………ちっ!」
「そんじゃあ、後はよろしくー」
そうして彩雲君を
「桜ちゃん! 会いたかったよぉ!!」
「ほんの
「李々にとっては数週間だよぉ!!」
「全く……」
溜め息をつきつつも、桜さんは小さく微笑んでいた。世話焼きな桜さんのことだ。困りはしても、李々さんの好意は素直に嬉しいのだろう。
「…………」
昨夜の会話が、再び頭を
あれは夢か幻だったんじゃないか。そう錯覚しそうになるくらい、あの李々さんは別人だった。底なしに黒くて、凍りつくほどに冷たくて。
この体は夜長姫のものではないと、花鶯さんは言っていた。
だったらあの言葉は、あの時の冷たい表情は、一体どういう意味なんだろう。
「お館様をお送りするから離れなさい」
「あぅ!」
片手で突っぱねられ、李々さんが玩具を取られた子供のような声を上げる。
「うぅ……もう勤務時間外なのに」
「従者に時間外なんて実質ないわよ。常に巫女を補佐してお守りするんだから」
「そんなぁ」
なんか、だんだん居たたまれなくなってきた。
ていうか、このまま送り届けられたら李々さんに恨まれそうだ。
「桜さん、僕は大丈夫ですよ。部屋に戻るだけですし、そんなに遠くないんで」
「しかし……」
「夜くらい、友達とゆっくり話をしたってバチは当たりませんよ」
「…………」
桜さんが少し目を丸め、それから細めた。
(あれ?)
怒っているのではないだろうけど、気のせいだろうか。どこか不満げに見える。妹がよくこういう表情を浮かべて、その直後になぜか不機嫌になったものだ。
(……え? てことはもしかして、なんか変なこと言った!?)
急いで何か言葉を探そうとしたけど、それは
「お気遣い、感謝致します」
僕に
そして、蛍ちゃんを見た。李々さんを連れていくことの承認を得るためだろう。
蛍ちゃんはその視線で理解したのか、申し出を待つことなく自ら口を開いた。
「あ、私のことは気になさらず、ゆっくりしていってください。今夜は月が綺麗ですから、景色も楽しめますし」
「ありがとうございます」
桜さんが礼儀正しく頭を下げる一方で、李々さんは「まぁ……」と目を丸めた。
「これは驚きました。景色を楽しむなんて、姫さまにそのような粋な気回しができるとは夢にも思――いったぁ!?」
「ほら、さっさと行くわよ」
李々さんの足を踏みつけたかと思えば、そのまま腕を掴んで引きずり出した。ていうか桜さん、人を引きずることに慣れ過ぎてません……?
「え、えっ? なんか、ゆっくりお話って感じじゃなくない!? ちょっと待……いや、これはこれで悪くないかも」
(ドM発言ですか……)
まぁ、桜さん限定だろうけど。
李々さんは
「それでは、お先に失礼致します」
「待って、無視はひどいよ! わたしって、この見た目通りに繊細なんだよ!?」
「うっさい黙りなさい。繊細な女は、人前でそんなはしたない声を上げないわよ」
「葉月」
不意打ちで後ろから声をかけられたので、少し驚いてしまった。
振り返ると、花鶯さんが僕を見つめていた。心なしか
(まぁ……そりゃそうか)
三時間かけてもうんともすんとも言わなかったのに、いきなりなんの苦労もなく見れるようになったのだ。教えた身としては面白いはずがない。
「今日はゆっくり休みなさい。明日からは、気に触れる練習に入るから」
「はい。あの、すみません」
「何がよ」
「その、あんなに時間をかけて教えてくれたのに全然駄目で、そのくせあっさり見えるようになったから……」
「馬鹿ね」
「えっ!?」
たった三文字で罵倒されてしまった。
言葉足らずで謝罪にすらなっていないから、逆に腹立たしいのかもしれない。
一瞬そう思ったけど、目の前にいる花鶯さんの表情に怒りはなかった。
「あんたが謝ることなんて、何もないでしょ」
「でも……」
「私の教え方では至らなかったのは、私の問題よ。変に気負いされても逆に困るから、そんな駄々っ子みたいな顔しないでちょうだい」
「え? 僕……そんな酷い顔してるんですか?」
間違っても女の子に向ける顔ではない。ちょっとこの場から消えたくなった。
「とにかく!」
僕の情けない顔を
そういうわけで、僕の耳と心臓がダメージを食らった。せっかく粉砕してもらったのに、別の意味で情けない顔になっていそうだ。
「よくやったわ。これからも巫女として、しっかり励みなさい」
「え?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
数秒ほど置いて、
「――はい! ありがとうございます!」
「あと、万が一にも、蛍に邪な感情を抱いたりしたら承知しないから」
「え?」
「か、かかか花鶯さん!? 何を言って」
蛍ちゃんがたちまち顔を赤くして、おろおろと
僕も見た目だけなら女の子のはずだけど、周りの目にはどう映ってるんだろう。可愛くても中身が男だから、やっぱり情けないだけだろうか。
「あんたもあんたもよ、蛍。そんな無防備でいたら、変な勘違いされても仕方ないんだから。ちょっとは警戒しなさい」
(……もしかして、それで睨まれてたのか?)
蛍ちゃんの小動物的な愛らしさに癒される僕の有り様は、傍から見たら変質者そのものだったのかもしれない。
ちょっと複雑な気持ちになりかけたところで、蛍ちゃんが「それなら大丈夫です!」とやけに弾むような声を上げた。
「葉月くんの好きな人は、桜さんですから!」
「えっ?」
思わず、蛍ちゃんの顔を見た。喜びが
常に周りの目を気にする小動物のような女の子は、そこにはいなかった。
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