第九話「開花 ーかいかー」 (前編) ③

「虹も言ってたけど、死んだ人間が蘇るなんてあり得ないわ。あなたが夜長と似ているのは事実だし、偶然にしては出来すぎているけど」

「……僕がこの世界に来たことと、何か関係があるんでしょうか?」

「憶測にすぎないけどね。だからこそ、もしおかしなことがあったら遠慮なく私に言ってちょうだい。私はあんたの教育係なんだから」

「はい……あの」

「何よ」

「ありがとうございます。その……いろいろと気を回してくれて」


 花鶯さんが目を見張り、ほおを赤らめた。


「……べ、別にあんたのためじゃないわ。これも、巫女としての務めよ」


 ぷいとそっぽを向いてしまった。ただお礼を言っただけなのに。

 ちょっと可愛いと思ったけど、吊るされたくないので口には出さない。


「それと、定期的に自分の気を確認すること」

「え、自分のをですか?」

「気は鏡越しでも見えるわ。国の気を整える巫女が、自分の気一つ管理できなかったら話にならないでしょう?」

「確かに……」

「その白い箇所の状態も、念のためにしっかり把握しておきなさい」

「分かりました」

「じゃあ、私はそろそろ失礼するわね」


 花鶯さんの講義が一区切りついたところで、黄林さんが背を向けて歩き出した。


 どうやら、僕に気を見せるためにわざわざ来てくれたようだ。見方を教わるとはいえ、イメージを事前に知ることができたのはありがたい。


「そうそう、かおちゃん。厳しいのはいいけど、あんまり意地悪しちゃ駄目よ?」

「しないわよ!!」


 顔を真っ赤にする花鶯さんを尻目に、黄林さんは「ふふ」と笑いながらふすまを開いて部屋を出ていった。完全に遊ばれてる。


「全く……」


 花鶯さんが溜め息をつく。

 だけど、すぐに先生モードへと切り替えて、再び僕に視線を向けてきた。


「じゃあ早速、私の気を見てみて」

「え? いきなりですか?」

「当たり前でしょ。そのための授業なんだから」

「でも……どうやって見るのか、全然分からないんですけど」

「やってみてとしか言いようがないのよ! 巫女に選ばれた者は見えるようになるんだから、とにかく見ようと努力するの!」


(そんな無茶な……)


 まさかの実践からだった。習うより慣れろということなのか。


「もっとも、気が見えること自体は、巫女に限った話じゃないわ」

「えっ?」

「と言っても、見える人間はごく少数だし、それだって個人差があるけどね」


(霊感があるみたいな感じなのか……)


 あの会議の時、門の結界が見えるのは巫女に選ばれた者くらいだと、虹さんたちは言っていた。だから僕には見えたのだと。


 でも、巫女にしか見えないとは言っていない。


(あ、そういえば――)




『いいえ! そのお姿、お声、そして清らかな気!! 間違いなく姫様です!!』




 あの夜、僕を襲った人がそんなことを言っていたなと思い出す。


 確か、月国の従者だったという話だ。

 今は、どうしているのだろう。そもそも、生きているのだろうか。仮に生きてたとしても、二度と会いたくないけど。


「だけど、赤と白の線が見えるのは巫女だけよ。黒湖様に選ばれて初めて、見ることが許されると言っても過言ではないわ」

「それも、黒湖様の加護ですか?」

「その御加護に報いるために、黒湖様が与えてくださったものよ。巫女にしか見えないから、線に触れられるのも巫女だけ。つまり気を整え、国の平穏を維持し続けることは、巫女にしかできない使命なのよ」


 だから、としんな眼差しを向けてきた。


「巫女として生きると決めたからには、絶対に見えるようにならないと駄目よ」

「……分かりました」


 不思議と、できないという焦りが消えた。

 他の人にはできないというのなら、それで国を守る必要があるというのならやるしかない。僕が、やらなきゃいけないんだ。


 僕は目を凝らし、花鶯さんの顔を見つめた。


「ちょ、私の顔を見てどうするのよ!! 頭の上を見るの!!」

「すみません!!」


 顔を真っ赤にした花鶯さんに叱られてしまった。覚悟は決まっても怒られるのは怖いので、慌てて視線を上げた。



 見つめて、見つめて、見つめ続ける。



「…………」

「どう?」

「……すみません、全然見えません」

「気合が足りないのよ」

「根性論ですか!?」

「でも事実、静国の社町から逃げようとした時は見えたんでしょう? だったら見ることはすでにできてるのよ。見方がなってないだけで」

「容赦ないですね……」


 覚悟を決めたと思ったのに、急に自信がなくなってしまった。


「とにかく、黒湖様に選ばれた者は例外なく気を見れるようになる。これは確かなの。自分も気を見れるんだって、ちゃんと信じなさい」

「はい!」


 自分に発破をかけるつもりで背筋を伸ばし、大きな声で返事をする。


 僕は再び、目を凝らした。






    ***






 ふすまが開き、いつの間にか外が暗くなっていたことに気が付いた。


「し、失礼しま――ひゃっ!?」


 僕は、たたみの上でうつ伏せで倒れていた。


「え、葉月くん!?」

「見事なまでに伸びてらっしゃいますねぇ」


 襖を閉める音と共に、李々さんの声がした。


 右往左往する蛍ちゃんとは反対に、冷静かつ通常運転だ。むしろその声色には、どこか軽蔑すら感じる。よほど間抜けな姿なのだろう。


「は、はは早く医者を――」

「大丈夫よ。少し休めば回復するわ」


 なんとか首だけ動かして、状況を確認する。


 おろおろと立ち尽くす蛍ちゃんをよそに、李々さんは襖のそばで正座をしていた。主人を差し置いて座っているけど、いいのだろうか。


 そして花鶯さんはといえば、畳の上で無作法に足を伸ばしていた。

 生真面目な彼女らしくない恰好だ。声も、いつものはつらつとしたものではなく、覇気がない。顔が紅潮していて、額は汗ばんでいる。


「あら。花鶯さまも、ずいぶんとお疲れのご様子で」

「もしかして……ずっと気を見てたのですか?」


 蛍ちゃんの問いかけに、花鶯さんが「えぇ」と溜め息混じりで答えた。


「かれこれ一刻半いっときはんほど」

「い、一刻半!? それは疲れますよ!」


 一刻というのは、二時間のことだ。それに半刻加えて三時間である。

 だけど、舞の練習の方が倍以上の時間だったし、その間ずっと体を動かしっぱなしだった。当然、体力もかなり消耗する。


 それなのに、今は舞の練習の比じゃない。


 全身がなまりになったかのように重いのだ。それはもう、部屋に入ってきた二人に声をかけられず、間抜けな姿のまま倒れ伏せているほどに。


(あ、でもそれって……)


 気を見ようとしただけの僕でも、起き上がれない状態なのだ。ずっと僕の気を見ていた花鶯さんの疲労は、僕の比ではないだろう。



 だけど花鶯さんは今、座ってはいても、しっかりと体を起こしている。



「…………うっ」


 重力に引きずられそうな体に鞭を打ち、やっとの思いで起き上がる。

 花鶯さんに「ちょっと」とたしなめられた。


「休んでなさいって言ったでしょ」

「でも、僕より花鶯さんの方が……」

「私は慣れているから大丈夫よ。そろそろ桜が迎えに来るから、今はそのまま倒れてなさい。続きは明日にするわ」

「……すみません」

「謝らなくていいから、まずは体力をつけること。あと、頭を慣らすために、日常的に気を見るよう心掛けなさい。無理がかからない程度にね」

「はい」


 ここまで気を遣われては、どうしようもない。


 とはいえ、再び寝転んだら冗談抜きで畳と一体化してしまいそうだ。ひとまず近くの壁にもたれかかることにした。


(あ、なんかすごい楽になった……)


 今度は壁と一体化してしまいそうだ。


「それで葉月くん、どうでしたか?」

「全く見えないみたい」


 花鶯さんの返答に、蛍ちゃんは「え?」と目を丸めた。そんなことあるはずがないと言わんばかりの反応だ。


「でも、巫女に選ばれた人って、みんな見えるようになるんじゃ……」

「そのはずなんだけど、どういうわけか手応えが全然ないのよ」

「そうですか……お疲れ様です、花鶯さん」

「ごめん、蛍。あんたの今日の授業を取り消したっていうのに」

「いえ、そんな。私は大丈夫ですから、どうかお気になさらないでください」

「そんなわけにいかないでしょ。約束を反故にしたのは事実なんだから」


 どうやら花鶯さんどころか、蛍ちゃんにまで迷惑をかけていたらしい。


「……蛍ちゃん、ごめん」

「そ、そんな、葉月くんまで。えっと」


 蛍ちゃんが、あたふたしながら僕のところにまで歩み寄ってくる。しゃがんで僕と同じ目線になり、そして微笑んだ。


「私は大丈夫。元々気が見えるから、授業の日数はそんなに必要ないみたいなの」

「えっ?」

「ぼんやりとしか見えないから、今のままじゃ駄目なんだけどね」

「……すごいです」

「え!? なんで急に敬語なんですかっ?」

「姫さまも敬語になってますよ」

「あ!」


 蛍ちゃんがバッと口を押さえる。李々さんがあからさまな溜め息をついた。 


 桜さんとは別の意味で、従者というには砕けている。蛍ちゃんの緊張を和らげるためか、単に忠誠心が薄いだけかは分からないけど。



(……蛍ちゃん、見えるのか)



 気を見るだけなら巫女以外でもできる人はいると、さっき聞いたばかりだ。


 それなのに、蛍ちゃんが気を見れると知って、軽くショックを受けている自分がいた。同じ地点に立っていると、勝手に思い込んでいたのだ。


(僕……ダメダメじゃん)


 自分の駄目さに気付いて、さらにへこんだ。

 それを敏感に察したのか、蛍ちゃんが「あっ」と声を上げた。


「だ、大丈夫だよ! 気が見える人って本当に珍しいし、今日は調子が悪いだけかもしれないでしょう? まだ始めたばかりだし――」

「ほんと、つくづく甘いお方ですねぇ」


 李々さんがあろうことか、主人の言葉をさえぎる形で吐き捨てた。しかも若干眉をひそめている。前言撤回。これは忠誠心ゼロだ。


「姫さま。人って一度甘やかしたら、もう取り返しがつかなくなっちゃうんですよ? しかも男相手とか、軽率すぎにもほどがあるでしょう」

「え、軽率?」

「まぁ、姫さまがよろしいのでしたら、存分に葉月さまを甘やかしてくださいまし。そして、桜ちゃんのことがどうでもよくなるくらいにろうらくしぃ――!?」


 突然、李々さんが横に大きく飛び退いた。ズザザッと畳が擦れる音と共に、なんとも軽やかな動きで着地する。



 ぐったりと座っていたはずの花鶯さんが、なぜかふすまの前に立っていた。


 拳が、襖の直前で静止している。その状態のまま深く息を吐く姿は、巫女のイメージから大きくかけ離れたものだった。



(え、なに今の!? 八極拳かなんか!?)


「……ちょっとぉ。あなた一国の姫君ですよね? 巫女さまですよね? ていうか体力消耗してるんですよねぇ? なんですか、その物騒な動き」


 李々さんが、ドン引きですと言わんばかりに口角を上げる。やんごとなき身分の人に向けてはいけない顔だ。


 花鶯さんは拳を下ろし、挑発的な笑みを浮かべる李々さんをじっとえた。


「ただの護身術よ。あんたこそ、その泥棒猫みたいな見た目に反して動けるのね」

「子猫のような愛らしい見た目と言ってくださいまし。過去に芸事をいろいろとたしなんできたものでして、多少の荒事ならば対応できますよ」


 なぜか突然、バトルが始まりそうな雰囲気になった。二人の間には、常人でも一目で分かる殺気が充満している。


(いやいや、ちょっと待って!! この超展開にどうついていけと!?)


「例えばそうですねぇ。気の見過ぎでへろへろな巫女さま程度なら、無様に転ばせて差し上げることくらいはできますよ?」

「蛍。この小娘のよく回る口が、しばらく開かなくなるくらいには叩きのめすつもりだけど……構わないわね?」

「だだ駄目ですよぉ!! 花鶯さんがそのつもりでやったら一週間は動けなくなりますから!! それに花鶯さんもお疲れなのに」

「大丈夫ですよ、姫さま。わたしも従者です。姫さまのお顔に泥は塗りません。ちゃあんと、半々殺しで済ませますから」

「は、半々でも駄目ですよぉ!」


(お、恐ろしい……っ)


 冗談抜きで今にも殺し合いを始めそうだ。起き上がって正解だった。さっきの場所で転がったままだったら、確実に巻き添えを食らっていた。


(…………あれ?)


 一瞬、自分の目を疑った。

 花鶯さんの授業を受けていなかったら、間違いなく幻覚だと思っただろう。




 そのくらい、とうとつに見えた。


 二人から伸びる、鮮やかな桃色をした桜が。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る