第九話「開花 ーかいかー」 (前編) ②
「全く、悩むくらいなら私に聞きなさいよ。授業に身が入らないなんてことがあったら、ただじゃ済まないんだから」
「すみません」
花鶯さんに
「何よ」
「かおちゃんは責任感が強いものね。不甲斐ないと思っているんでしょう? 後輩が人知れず不安を抱えていたことに気付けなくて」
「な、なんで私の心まで共有してんのよ!?」
(心配してくれたのか……)
勝手に共有された花鶯さんには悪いけど、彼女の内心を知れたのは嬉しい。
素直に心配してくれればいいものを、キツイ言葉に置き換えてしまう辺りも、きいちゃんと本当によく似ている。
顔を真っ赤にする花鶯さんをよそに、黄林さんは「ちなみに」と言葉を続けた。
「みんなが力のことについて聞かなかったのは、会議の時から翌朝まであなたの心を共有していて、
「そんな長いことですか!?」
「ごめんなさいね、監視も兼ねていたものだから。でも安心して。会議の後に関しては、他のみんなには一切共有していないから」
苦笑する黄林さんを前に、改めて戦慄するほかない。全然気付かなかった。
(ていうことは、まさか……桜さんの前で大泣きしたことも!?)
人目がなかったらのたうち回るレベルで恥ずかしい。生き恥もいいところだ。
「黄林、そろそろ話を
さらっと、とどめを刺された。
なんとか
「そうね。でも、あと二つだけ言わせて」
「え、二つですか?」
「そうよ。どちらも大事だから。まず一つ目」
改めて、黄林さんが神妙な顔つきになった。
「今言ったように、力の存在はむやみに表に出していいものではないの。だから、私の力の詳細は、従者以外には内緒よ。
思わず「え?」と声を上げた。
「伝えるなんて言葉でわざわざ
「でも、彩雲君も
「大丈夫よ。仮に誰かに話したとしても鼻で笑われるだけでしょうし、口下手で頭も態度も利口とはいえないから、まず正確に伝わらないわ」
本人のあずかり知らないところで、好き放題に言われまくってる彩雲君だった。
「それに、仮初の従者にしているのは、虹さんの
(そういえば、出発前にも言ってたっけ)
部外者なのにって、花鶯さんが連れていくことに猛反対してたっけ。差別というより、巻き込みたくないといった口ぶりだったけど。
彼は、この状況をどう思っているんだろう。
有無を言わさず連れ回されているのに、部外者扱いされる。そんな、彼からしたら矛盾した自分の立場を、どう
やたらと反抗的なのは、もしかしたらその矛盾に起因しているのかもしれない。
「……そういうことなら、分かりました」
「もう一つはね」
ごくりと、
「ごめんなさいね。勝手に共有しちゃって」
「え? あ、いえ」
「もう必要に迫られない限りは、勝手に共有しないわ。今は私の力をちゃんと知ってもらうために、あえてそうしただけだから」
「あんた、私の心を普通に共有したけど?」
花鶯さんがじろりと、恨みがましく黄林さんを睨みつける。
「必要だと思ったからよ。どうせなら、優しい先輩だと思われたいでしょう?」
「余計なお世話よ!」
睨みが一切効かないどころか、軽くあしらわれてしまう花鶯さんだった。
二人の寸劇が終わったところで、僕は「あの」と声を上げた。
「……それが、二つ目ですか?」
「えぇ、そうよ。大事なことでしょう? いつ心を共有されるか分からなかったら、溜まったものじゃないもの」
子供のような満面の笑みだ。少々わざとらしいくらいに。僕の緊張を解きほぐそうとしてくれているのかもしれない。
「もっとも、必要な時は共有させてもらうこともあるし、事前に断りを入れられないことも多々あるわ。気分悪いでしょうけど」
「いえ、大丈夫です。そうせざるを得ないんだと分かってますから」
「……ありがとう」
黄林さんの顔が、ふわりと
普段から笑顔を絶やさない人だけど、これは多分……自然に零れた笑顔だ。
「私の話はこの辺にしましょう。早速だけど、また視界を共有してもらうわね」
「はい」
「じゃあ、前をしっかり見ていて」
視界が暗転する。
再び、目の前に僕が現れた。黄林さんが今見ている、僕の姿だ。
そして次の瞬間、視界が桜色で満たされた。
「うわぁ……」
僕の頭や肩から、桜のような可憐な花弁を
枝は、なんとも不思議な色をしていた。
透明だけど、花弁の色と同じ淡い桜色を帯びている。光が反射して、所々が虹色に
さらにその周りには、いくつもの赤と白の線が渦巻いていた。まるで体の一部だと言わんばかりに、ぴったりと桜にくっついて離れない。
体から伸びて、宝石のような枝を持ち、紅白の線を
だけど、美しかった。
言葉を忘れてしまうくらいに、息を呑んでしまうくらいに。
「それが気よ。私から見える、葉月君の気」
「僕の気……」
「桜の木みたいでしょう? だから桜は、神聖な木として大切にされているの」
以前、
「五国の形が桜の花びらみたいに描かれるのも、実のところ、桜の木が神聖だという概念からくるこじ付けにすぎないのよ」
「そういうの、僕の世界にもありますよ。月で餅をつく兎とか」
「あら、そちらの世界にも月があるのね」
「はい。自然とか天候とか、結構この世界と共通していることが多いですよ。文明も昔の日本……僕のいた国に似てるんです。言葉とか、着物とか、高札とか、和装本とか。あと、日本にはなかったんですけど、社町を囲む壁とかも――」
ふと、一つの疑問が湧いた。
「……あの、聞きたいことがあるんですけど」
「なに?」
黄林さんが、うっすらと微笑みを浮かべる。
会議の時の彼女と重なって怯みそうになったけど、気のせいだと思うことにした。聞ける時に聞いて、この疑問を解消しておきたい。
「僕が
「あれは気よ」
黄林さんが口を開くかと思いきや、花鶯さんが代わりに答えた。
「膜のように見えたっていうけど、あれも例外なく桜の木の形をしているわ。きっと、ぼんやりとしか見えなかったんでしょうね」
「気って、門にもあるんですか? 人間とか動物なら分かりますけど……」
「もちろんあるわよ。気というのは、始まりと終わりがあるもの全て……すなわち万物に宿るものなの。何も生き物に限らないわ」
(そういえば、黒湖様は『湖に宿る意思』だったな……)
湖に宿る『意思』に、万物に宿る『気』。
前にも思ったけど、まるで八百万の神々みたいだ。もっとも、この認識が合っているかどうかは分からないけど。
そしてあの膜が『気』だというのなら、やっぱり気になることがある。
「……気に触れるのって、巫女にしかできないんですよね?」
「もちろんよ」
「桜さんは、あの結界に異常事態として認識されたと言ってましたけど……あれは、触れた内には入らないんですか?」
臨時会議の際にも、似たようなことを聞いた。
あの時は、はぐらかされてしまって結局よく分からなかった。僕が巫女じゃなかったから、多くを話せなかったのだろう。
巫女になった今だからこそ、改めて知りたい。
「えぇ、入らないわ」
きっぱりと、黄林さんが言った。やはり、あの時とは違う反応だ。
「触れるというのは、そもそも見えるものに自発的に接触するということだから。桜ちゃんは単に、気に捕らわれただけ」
隠す素振りもなく説明をしていることから、僕の想像は的を射ていたらしい。
ただ、言わんとしていることがいまいち分からない。結局は接触していることに変わりがない気がするけど。
「桜ちゃんが捕らわれたのは、あの結界がそういう風に作られてるからよ。いざという時は、一般人でも捕えられるように強化されているの」
「えっ?」
「もっとも、桜ちゃんが異常事態の要因だと認識されたからこそよ。普段なら、どんなに強化したところですり抜けてしまうわ」
「同じ接触でも、触れるのと捕らえられるのとでは、全く別ということですか?」
「そういうこと」
つまり、気に触れることができるのは巫女のみだけど、気を操作して一般人に干渉することは可能ということだ。
巫女からしたら、気は道具でもあるのだ。
人から見えない道具なんて、使い方次第では立派な兵器になり得る。
(僕もこれから、それを扱うのか……)
「あのね」
「言っとくけど、気の強化も操作も、巫女のお務めの一つよ。あんたもこの視察中にできるようにならないと駄目だから」
「あ、はい!」
花鶯さんの
どんなに怖くても、やることに変わりはない。
桜さんの
「まぁ、それも気を自分で見れないことには話にならないわ。花びらを見て」
花鶯さんの声に従い、花びらに視線を移した。
「この花びらが白に近いほど『陰』の気を、赤に近いほど『陽』の気を有しているわ。そして、周りの赤と白の線」
今度は、
「この線が、私たちが手を加えるものよ。陽を減らすには赤い線を、陰を減らすには白い線を切る……つまり、多い方の線を切って、花びらを桜色に近づけるの」
「あぁ、なるほど。赤と白を混ぜると桜色になりますもんね」
「もちろん、人によって個人差はあるけどね。元々白よりの人もいれば、赤よりの人もいる。あなたの場合は白よりね」
「あ、本当だ」
確かに、言われてみれば若干白みがかった桜色をしている。
「僕の気は、陰が多いということですか?」
「そうね。まぁ、要は極端に赤すぎたり白すぎたりしなければいいだけ。まずはそれを頭に入れておきなさい」
「分かりました……あれ?」
ふと、ある一点が目に入った。透明な枝の中に、白く染まっている箇所があったのだ。まるで、木に生えた白カビのように。
いや、一つだけじゃない。
よく見ると、同じような白い
「あの、その白いのはなんですか? なんか、枝にいくつかあるんですけど」
「……分からないわ」
「え?」
「でも、確かなことが二つある」
黄林さんが視界の共有を止めたのだろう。桜があっけなく
何やら、難しそうな顔をしていた。
「一つは、枝が白く染まるのは
大切なことであるとでも言わんばかりに、繰り返して言った。
「もう一つは、夜長がそうだったということ」
「え……っ?」
先日の
『もし、世界の敵になったらどうしますか?』
『生きていることで、愛する人を不幸にしてしまう……そんなおぞましい存在になったら、あなたはどうしますか?』
「……あの、変なこと聞いてもいいですか?」
「なに?」
「この体って、もしかして……夜長姫のものなんでしょうか?」
「…………」
花鶯さんが沈黙した。
だけど、不安に駆られるほど待たされることはなく、すぐにその唇が開いた。
「……夜長の気は、白い箇所どころかほぼ白だったわ。もはや白い枝に白い花よ。共通点があるというだけで、あんたの気とはまるで違う」
「じゃあ……っ」
「えぇ。その体が夜長のものということは、まずあり得ないわ」
「……そっか」
安堵の息が、声と共に漏れた。
正直、ずっと気にかかっていたのだ。夜長姫だと言われた、あの夜からずっと。
だけど、それを今、花鶯さんがはっきりと否定してくれた。ずっと圧しかかっていた肩の荷が、彼女の言葉で全部下りた。
「大体、その体は男なんでしょう?」
「あ……」
今になって、何を馬鹿なことを言ってるんだろうと、ちょっと恥ずかしくなった。せっかく肩の荷が下りたのに、今度は羞恥心で全身が熱くなってしまった。
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