第九話「開花 ーかいかー」 (前編) ①

 疲れが溜まってきたのか、睡眠不足でもないのに眠気が襲ってきた。


 欠伸あくびが出そうになり、必死に噛み殺す。目尻に溜まった涙で、持っていかれそうになった意識が再びめいりょうになった。

 

 今は、全集中力を注がなければならない。

 目の前にいる、おうさんに。








 さかのぼること三十分ほど前。午前の東語の授業を終え、昼食を済ませるや否や「こちらにございます」と花鶯さんが待つ部屋へ案内された。


「え、りんさん?」

「お邪魔してます」


 ふすまが開いた瞬間、思わずうわった声が出た。


 花鶯さんの隣で、同じ巫女服姿の黄林さんが微笑んでいたのだ。本当に、いつ見ても同じほがらかな笑顔だ。何を考えているのか全く読めない。



 そしてなぜか、けいちゃんの姿がなかった。



「あの、蛍ちゃんは?」


 同期である彼女は、僕と同じ授業を受けるという話だったはずだ。

 具合でも悪いのかと心配になったものの、花鶯さんの一言でゆうに終わった。


「今日は集中力を要するから、一人ずつよ」

「そうですか……」


 自分でも驚くほどに落胆した声が出た。少し仲良くなったことだし、休憩の時にもっといろいろ話をしたかったのだ。



「早速だけど」



 花鶯さんのよく通る声で、反射的に背筋をピンと伸ばした。

 彼女の声には、人を律する力がある。気落ちしかけた今の僕にはありがたい。


「まず、昨日覚えた舞を通しでやってみて」

「え? 舞の授業って一日だけなんじゃ……」

「いくら時間が足りないとはいえ、自主練習だけじゃ心細いでしょ? だから授業の始めに、毎回通しでやってみせてもらうわよ」

「いいんですか!?」

「いいも何も、それが私の役目よ。任せられたからには、きっちり果たすから」


(かっこいい……!)


「かっこいいですって。かおちゃん」

「えっ?」

「声に出してたわよ? づき君」

「え!?」

「出してないわよ。黄林、変に気を乱さないでちょうだい。あと、かおちゃんは止めろって何べん言ったら分かんのよ」

「いいじゃない、可愛いもの」

「あぁもう! いっつもこれなんだから!! 入ってちょうだい」


 怒りながらも、ちゃんと授業の準備に取りかかる花鶯さんだった。

 再び襖が開き、昨日と同じように二人の侍女がほこすずを運んでくる。二人分だ。


(ん? 二人分?)


「あの、黄林さんのは?」

「いいのよ、私は見ているだけだから」

「はぁ……」

「葉月! ぼさっとしてないで始めなさい!」

「はい!」


 花鶯さんの声でまた反射的に背筋を伸ばす。今は授業に専念するべきだ。

 緊張しながらも、僕は昨日教わったばかりの舞を通しでやった。



「全然駄目ね。なってない」



 終わった瞬間、速攻で駄目出しを食らった。寝る前にも練習して割と自信があっただけに、ちょっとへこんだ。


「体が右に傾いてるし、猫背になってる。それじゃあ、に足を取られるわよ」

「も?」

「舞装束の一部で、腰部分に着ける衣服よ。腰から下に垂らしてあるから、舞う時に足に絡まないようにしないといけないの」

「え? 当日って、巫女服じゃないんですか?」

「みこふく? あぁ……この服のこと? これは『はらい装束』というのよ」

「はらい……悪霊を祓うの『祓い』ですか?」

「そう。祓い装束は巫女のお務めの服で、いわば普段の仕事着ね。舞装束は、これに何枚も着物を重ねるのよ」

「あぁ。会議の時に皆さんが来ていた着物も、確かそんな感じでしたね。女性の皆さんはじゅうひとえでしたっけ」


 地味に驚いたことだけど、着物の名称の多くが、元の世界と共通している。

 着物だけじゃない。食べ物、動物や植物など、元の世界でもみのあるものが多々見受けられる。例を挙げるとキリがないくらいだ。



 偶然なのか必然なのかは分からないけど、共通の認識があることはありがたい。



「あれは祝い事や改まった場でしか着ないわ。舞装束はもっと軽装よ」

「あ、そうなんですか」

「それでも、祓い装束よりはずっと動きにくいから、きもめいじておきなさい」

「はい」

「それとひじはもっと高く上げる。以上!」


 本当に一回通しただけだった。手厳しい。

 それでも、毎回見てくれるのは助かる。花鶯さんの言う通り、自主練だけではどうしても客観的な視点に欠けるのだ。


「じゃあ、次はこっちを見て」

「あ、は――い!?」


 花鶯さんの真後ろに、黄林さんが移動した。そこから、にこにこと笑顔で見つめてくる。戸惑う僕の様子を面白がっているのかもしれない。

 対して花鶯さんは、僕の頼りない反応に苛立つのか、眉をひそめて鋭い視線を向けてくる。女子の視線のダブルパンチだ。


(ていうか一体どういうことなの!?)


 困惑していたら、急に視界が暗転した。

 驚く間もなく、すぐに視界が明るくなる。


「え……っ!?」




 目の前にいるのは、花鶯さんでもなければ、黄林さんでもない。


 他でもない僕自身だった。




「葉月君、私の声が聞こえる?」

「え? あ……はい」


 黄林さんの声だ。目の前にいるのは僕だけど、声はそこから聞こえてくる。


「それはね、私の視界」

「黄林さんの……?」

「試しに腕を動かしてみて」


 言われた通りに腕を動かしてみると、目の前の僕も同じ動きをしてきた。

 だけど奇妙なことに、鏡のように反転していない。右手を動かすと目の前の僕も右手を動かし、左手を動かすと目の前の僕も左手を動かす。



 つまり、人から見た自分ということになる。


 目の前の僕は、黄林さんから見た僕なのだ。



(視界ってことは、見ているものを伝えているということかな)


「いいえ、違うわ」

「えっ?」

「共有してもらっているのよ。私の視界を、あなたの視界にね」

「……共有?」

「いったん、戻すわね」


 再び視界が暗転した。すぐに、黄林さんたちが見える普通の視界に戻る。


「実はね、私の力は『伝える』ものじゃないの」

「え?」

「私の感覚や心を相手に共有してもらい、逆に相手の感覚や心を私が共有する。それが私の力よ。さっきあなたが、かおちゃんを『かっこいい』と思ったと分かったのも、私があなたの心を共有しているからなの」

「…………」

「うーん……『てれぱしー』というのは、ちょっと違うわね。それは共有するのではなく、心を一方的に読むものでしょう?」

「――――っ!」


 僕は驚きのあまり、返す言葉を完全に失った。


 さっきから、やけに僕の心を読んでいるような発言をしているけど、それは話の流れや相手の表情から、ある程度は予測できるものだ。高度な話術だけど、心を読んでいるかのように受け答えすることはできなくはないだろう。



 だけど、今のはそうじゃない。


 彼女が知るはずもない言葉が、その口からはっきりと出たのだ。



 しかも、『テレパシー』という言葉の意味さえ一瞬で理解した。ほんの数秒、頭をよぎっただけの言葉の意味をだ。


 話術や予測のはんちゅうを、明らかに超えている。



「気持ち悪い?」



 黄林さんの困ったような笑みを前にして、全身がこわっていることに気付いた。

 下手に嘘をついても意味がないので、思ったことをそのまま話すことにした。


「えっと……気持ち悪いというか、正直、ちょっと怖いなと思いました」

「でしょうね」

「でも、なんとなく、誰かはそんな力を持っているような気はしてました。僕は、すみさんがそうなのだろうと思ってましたけど」


 あの会議で落葉さんが男だと知った時、巫女なのに男なのか、巫女は『姫』と呼ばれているのではないかと驚いた。


 その疑問に、炭さんが素早く答えたのだ。まるで心でも読んでいたかのように。


 でも、実際は違ったということだ。よくよく思い返してみたら、こうさんも似たような反応をしていた。それに、黄林さん自身も。



(黄林さんが共有した僕の心を、他の巫女たちと、さらに共有していた……?)



「ご明察」


 自身の力を理解してもらうためか、またもや黄林さんが僕の心を共有してきた。いや、もしかしたら、この部屋に入ってからずっと共有しているのかもしれない。


 分かってはいても、やっぱり心がざわついてしまう。例えるなら、プライベートを堂々とのぞかれているような感覚だろうか。


「あなたの推測通りよ。私が共有したあなたの心を、他のみんなとも共有していたの。必要な時に、代わりに言葉にしてもらうためにね」

ずいぶんと、回りくどいことをするんですね」

「私の力の詳細を、周りに悟られないようにするためよ。あれなら、あなたが考えたように、私以外の誰かが心を読んだと思うでしょう?」


(カモフラージュってことか……)


「誰がどんな力を持っているかは、基本的に口外しないのよ。やしろの関係者でも、ほとんどの者は詳細を知らないわ。話してもいいのは、同じ巫女の他には従者や侍女頭、そして親兄弟といった、巫女の身辺にいる者のみよ」

「でも、巫女が不思議な力を持つという認識は、割と一般的みたいですけど」


 町の人たち、主に大将から何度かそういう話を聞いたし、小さい子向けの本にも『巫女は不思議な力を持ち、神様にお仕えする特別な存在』として描かれている。


 くろ様の存在などを除けば、僕が聞いた詳細とそれほど違いはない気がする。


「それはね、巫女だから特別扱いされているにすぎないのよ。巫女は神様にお仕えするから、不思議な力を授かったのだとね」

「どういうことですか?」

「普通はね、力を持つ者は恐れられて、周囲から『鬼』だと迫害されるの。鬼狩りの歴史や二島の存在が、それを物語っているわ」

「確かに……」



 静国しずかなるくにやしろまちでは、致命傷が瞬時に塞がったことで化け物呼ばわりされた。


 ながひめだと、鬼だと呼ばれて、仕舞いには殺されそうになった。



 実際には力ではなく、黒湖様の加護によるものだけど、知らない人からしたら力と何も変わらないのだろう。


「私たちは、それを逆に利用しているの」

「利用?」

「力をあえてほのめかすことで、人々に『巫女は特別な存在だ』とより認識してもらうのよ。今の体制を保つためには、必要なことだから」

「なるほど」


 四十年前の平和条約まで、七国は『』という一つの王朝だった。晩年の王朝によって乱れた世を、巫女の存在が立て直したともいえる。


 それが崩れれば、かつての王朝国家に戻そうとする者が現れるのは必然だ。

 王朝国家に戻れば、いずれ同様の乱れが再び起こるかもしれない。巫女の立場なら、それを危惧するのは当然だろう。


「もっとも、力の詳細は明かさないけどね」

「え?」

うやまわれる前に恐れられてしまうもの。さっき、あなたが私を恐れたみたいに」

「あ…………」

「人々が神を信仰するのは、形がないからなの。形のあるものとして牙をむかないからこそ、安心して敬うことができるのよ」


(形がないからこそか……)


 そういえば、先日も似たような話を花鶯さんから聞いた。黒湖様の存在を民衆に教えないのは、人々に悪用されないようにするためだと。


 隠すことで維持する平穏。

 それが巫女の、強いては社の方針なのだろう。


 そのことに異議があるわけではない。むしろ、この世界においては一番平和的だと思う。社町で襲われた僕だからこそ、断言できる。




 だからなのだろうか。


 みんなが、僕の力について何も聞かないのは。



 

「……あの、一つ質問してもいいでしょうか」

「何かしら?」


 黄林さんがにこやかに微笑む。僕の言葉を待っているけど、今も共有したままなら、言わんとしていることは分かるだろう。


「巫女に選ばれた者は、みんな人ならざる力を持っているんですよね?」

「えぇ。そうよ」

「僕……人ならざる力とか全然ないんですけど」


 やはりというか、黄林さんの表情は変わらず柔らかいままだった。

 妙なのは花鶯さんだ。目を見張ったかと思いきや、すぐに脱力したのだ。


(え……なに、この微妙な空気?)


 なんだか、僕が想像していたのと違う。

 力を明かすことの恐ろしさを、たった今聞いたばかりだ。重い空気になるか、黄林さんに流されるか。そのどちらかだと思っていたけど。


 慌てふためく僕の内心がおかしいのか、黄林さんがくすくすと小さく笑った。


「大丈夫。自覚がないだけで、あなたもちゃんと持ってるから」

「えっ?」

「力を大っぴらに使えない世だから、自分の力に気付かないこともめずらしくないの。おそらく、その体もそうだったんじゃないかしら」

「そう……なんですかね」


 そもそも、この世界で見てきたような力なんて、元の世界には存在しない。だから、僕に人ならざる力がないのは当然のことだ。


 だけど、体はこの世界のものだ。

 その体が人ならざる力を秘めているのなら、巫女に選ばれたというのも筋が通る。力があるような感じは全くしないけど。


「実感はないでしょうけど、大丈夫。そう遠くない内に見つかるわ。社の中なら、力を使っても鬼呼ばわりされたりしないから」

「そうですか……」

「ただ、あなたがどういう力を持っているのかは分からないわ。あなた自身が自覚していないから、いくら共有しても分かりようがないのよ」

「あ、いえ。大丈夫です。力そのものには特にこだわりもないんで」


 別に、人ならざる力が欲しいわけじゃない。巫女に選ばれた理由である『人ならざる力』についてあいまいだったのが、気持ち悪かっただけだ。


 ただのゆうだったのなら、それでいい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る