第八話「桜ふふむ ーさくらふふむー」③

「蛍さん……体力あるんですね」

「い、いえ、そんな! 私なんか、腕立て伏せ五十回しかできなくて」

「充分体力あると思いますよ!?」


 そもそも、なんで侍女が腕立て伏せするんだろう。いろいろと謎すぎる。


「単に、葉月の体力がなさすぎるだけよ」

「えぇ……」

「言っとくけど、まだ全部じゃないんだからね」

「マジですか……」

「え?」

「あ、いえ。なんでもありません」


(明日、筋肉痛になってるかも……あれ?)


「あの……僕たちって、くろさまの加護で守られてるんですよね?」

「それがどうしたのよ」

「手首……まだ痛いんですけど」

「口を慎んで舌を噛みなさい」

「それ死んじゃいますよ!?」


 いきなり死刑宣告されてしまった。体力のない奴は死あるのみなのだろうか。


「黒湖様を侮辱ぶじょくするからよ」

「え? 侮辱……?」

「あの、姫さま」


 蛍さんが遠慮がちに声を上げた。


「まだ黒湖様のことがよく分からないだけで、けして侮辱ではないと――」

「『姫さま』じゃないでしょ、蛍」

「あ! す、すみません!!」


(そういえば、花鶯さんの侍女だったんだっけ)


 つまり元上司だ。今は同等とは言っても、急に意識を変えるのは難しいだろう。


「葉月にそのつもりがなくても、今の発言は侮辱になるのよ。黒湖様への侮辱は死に値するものと思いなさい」

「はい。でも、何がどう侮辱なのか、分からないんですけど……」


 花鶯さんが小さく溜め息ついた。


「黒湖様の御加護は、あくまでも命の危機に瀕した時のみよ。黒湖様は守り神であって、なんでも屋じゃないんだから」

「それは、確かに……」

「知っての通り、巫女は常に黒湖様から守られているわ。その御恩返しとして、私たちは七国の平穏を守り続ける。黒湖様は、私たちの守り神様であると同時に、七国の守り神様でもあるのよ」


 そういうことか、と合点がいった。元の世界では神頼みなんてありふれたものだったけど、この世界では違う。



 黒湖様という神様に値するものが、確かに存在しているのだ。



 あんな致命傷が一瞬で塞がったことが、何よりの証拠だ。存在を確信しているからこそ、軽々しく神頼みなんてしないのだろう。


「もっとも、民衆は黒湖様の存在を知らないし、教えることも禁じられているわ」

「え? あ……」


 そういえば、どの本にも黒湖様に関する記述はなかったし、そういった話を聞いたこともなかった。もちろん、桜さんの口からも。

 巫女があがめられているこの世界において、神様の存在が言及されていないというのは、考えてみれば不自然な話だ。


「なぜですか?」

「汚されるからよ。神というのは姿形がない分、利用されやすいの。下手をすれば、争いの種になってしまいかねないわ」

「あぁ……」

「だから、私たち巫女が黒湖様と民衆の間を取り持つの。それが黒湖様への御恩返しであり、私たちの存在意義よ」


(神様への恩返しが存在意義、か)


 もし元の世界でそんなことを口にしたら、普通じゃないと思われる。精神疾患を疑われてもおかしくないだろう。



 だけど僕は今、彼女の話をなんの抵抗もなく受け入れている。



「ねぇ、葉月」

「はい」

「突然知らない世界に来て、突然訳の分からない場所に連れていかれて、突然巫女になれと言われたんですもの。戸惑うのも、当然だと思うわ」

「…………」

「だけど、私たちはけして強制してない。最終的には、あなたの意思を尊重したつもりよ。あなたにとっては、そうじゃないかもしれないけど」


 この世界の常識に慣れてきたからというのもあるけど、それ以上に、花鶯さんの言葉に耳を傾けたいという思いが強かった。


 巫女の使命について語る口ぶりからは、黒湖様への信仰心以上に、何も知らない僕が今後困らないようにという気遣いがかい見えるから。


「だから」


 花鶯さんが、真剣な目でじっと見つめてきた。


「巫女に選ばれたからには、巫女になると決めたからには、黒湖様をちゃんと敬わないと駄目よ。それが、あなたのためにもなるから」

「……分かりました」

「よろしい」



 花鶯さんが満足げに笑った。


 笑顔を見るのは初めてだけど、なんとも素直な笑い方をする人だ。自分の感情を押し殺すのが苦手な反面、必要以上に偽らないからだろう。



「さて! 練習再開と言いたいところだけど、いったん休憩に入りましょう」

「え?」

「手首が痛いんでしょう? だったら休めるのも練習の内よ」

「……ありがとうございます」

「礼はいいからちゃんと休んでなさい! 私は少し席を外すから」


 なぜかムキになりながらも、気遣いは忘れない花鶯さんだった。

 花鶯さんが部屋を出るや否や、蛍さんがそっと声をかけてきた。


「大丈夫、ですか?」

「あ、はい。体力がないもので、ちょっと疲れちゃいましたけど」

「その、無理とかは……?」

「いえ、全然。むしろ、ちょっと生き生きしてるっていうか」

「え?」

「この世界に来てから、体がへとへとになることが多くなったんです。知らない場所を歩き回ったり、社町で仕事を手伝ったり、舞の練習をしたり……こんな風に人並みに疲れるなんて、元の世界では考えられなかったから、楽しくてーー」


 ぽかんと、口を開いた蛍さんの顔が目に入る。

 蛍さんが呆けているのだと気が付いた瞬間、僕は我に返った。


「あ、すみません! いきなりこんな話して」

「あ、い、いえ! こちらこそすみません! 黙ったままで……気が利かなくて」


 逆に謝られてしまった。

 何か思うところがあるのか、蛍さんはうつむいて目を細めた。


「姫さま……花鶯さんなら、ちゃんと応えるんです。はっきり言いすぎて厳しいところはありますけど、それは相手を思いやってるからこそで」

「…………」

「私ときたら、十五にもなってまともに話をすることすらできなくて……あ、すみません! 私、いきなり変なこと言っちゃって」

「……ふふ」


 思わず笑いが零れた。蛍さんが、目を丸くして顔を上げる。


「僕と同じだ」

「あ……」

「あの、もし良かったらその……『蛍ちゃん』って呼んでも良いかな?」

「えっ?」

「なんか、年下だって分かっちゃうと、かしこまるのが逆に変な感じしちゃって」


 それに、昔の僕と少し似ているのだ。周りが怖くて、自分が嫌いで、それでも尊敬できる人が身近にいた、あの頃の僕と。


 ドン引きされるだろうから、もちろん口には出さないけど。


「あ、はい。私はそんな、畏まってもらえるほど立派な人じゃありませんし」

「僕もだよ。だから、もっと砕けて話してくれて構わないよ」

「え!?」

「あ、無理にとは言わないけど」

「はい。あっ! えと……うん、『葉月くん』」


 それだけ言って、黙りこくってしまった。少しは緊張が解けたようだけど、照れてるのか顔を真っ赤にしている。


(……かわいい)


 最初に会った時も思ったけど、本当に小動物みたいだ。花鶯さんが世話を焼こうとするのも無理はないかもしれない。


「手を出したら吊るすわよ」

「うわっ!?」

「はわぁっ!!」


 二人して声を上げながら振り返る。

 いつの間にか、背後で花鶯さんが仁王立ちしていた。なぜかちょっと怖い顔で。


「いつからそこにいたんだって顔しないでよ。普通に入ってきただけなんだから」

「「す、すみません!」」

「なんで二人して謝ってるのよ」


 仁王立ちしつつ、若干戸惑う花鶯さんだった。


「ほら、手首の傷みもだいぶ治まったでしょ。練習を再開するわよ」

「「あ、はい!」」

「……あんたたち、本当に気が合うのね」


 蛍ちゃんの顔が、またりんの色に染まる。

 可愛さにいやされてほおが緩んだところで、花鶯さんににらまれたのはここだけの話。






    ***





 舞をなんとか覚えた頃には、すでに日が沈みかけていた。程なくして空の赤は溶けて、全てが闇に染まるだろう。


 夕食まで部屋で待機ということで、李々さんが部屋まで送ってくれることになった。廊下を歩いていると、生暖かい夜風が頬をさわりと撫でた。


「はぁ……ついてないにもほどがあるよぉ。桜ちゃんと離れ離れになった上に、こんな羽虫のために二度も時間をくことになるなんてぇ」

「すみません……」

「ただの独り言なのでお気になさらず」

「いや、普通に聞こえてきましたけど……?」

「えぇ。聞こえるように言いましたから」

「それ独り言じゃないですよ!?」


 ちなみに、夕食の後に今度は通しでやるとのこと。あれで終わりじゃないだろうとは思っていたけど、いざ宣言されると心身ともにこたえる。


「でも、お気持ち分かります。僕も桜さんが離れると寂しくなりますし」

「出会って二週間程度のあなたに言われても、まるで説得力がありませんね」

「まぁ、確かにそうかもしれなーー」



 ふと、視界の端に人の気配がした。



 桜さんだ。一つにまとめた長い黒髪が、夜の闇に綺麗に溶け込んでいる。

 歩いている方向からして、駅から出てきたらしい。もうすぐ夕食のはずだけど、今から新たに食材を調達でもするのだろうか。


 よく見ると、かごを持っている。

 餅屋で見た、薬草を入れていた籠に似ていた。


「さ――――!?」


 桜さんに声をかけようとしたが、できなかった。後ろから口を塞がれたからだ。姿は見えないけど、李々さんだろう。


(あ、行っちゃう)


 桜さんの後ろ姿が小さくなっていく。

 見えなくなるまでそのままかと思いきや、意外にもすぐに開放された。僕が抵抗しないと踏んだのかもしれない。


 程なくして、桜さんの姿が見えなくなった。

 振り向いて、李々さんを見る。


「あの、李々さ――」


 そこにいるのは、桜さん命のはっちゃけた李々さんでも、愛くるしい笑顔でさり気なく毒舌な李々さんでもなかった。




 冷たくて、無関心で、だけど黒い何かをその瞳の奥底に隠している。


 李々さんの形をした、得体の知れない何かだ。




「……李々、さん?」

「仕事中ですよ、葉月さま。いくら巫子さまとはいえ、下々の仕事の邪魔をするのは、さすがに関心できませんねぇ」


 にらまれているわけでもなければ、攻撃を仕掛けられているわけでもない。

 なのに、動けない。呼吸がままならない。心臓の音がだんだんと激しくなっていくのを肌で感じる。さながら、へびにらまれたかえるのように。


「邪魔するつもりは、ないですよ? ちょっと声をかけようと思っただけで」

「いいえ、声をかけるだけで邪魔になるんです」

「そう、ですか」

「……ねぇ、葉月さま。一つだけ質問してもよろしいですか?」


 猫がのどを鳴らすような声で、言葉を紡ぐ。

 疑問形だけど、僕が拒絶したとしても構わず質問をするだろう。猫なで声には、そんな有無を言わさない圧があった。


「もし、世界の敵になったらどうしますか?」

「え?」

「生きていることで、愛する人を不幸にしてしまう……そんなおぞましい存在になったら、あなたはどうしますか?」

「…………」


(何を、言ってるんだ……?)




 世界の敵というのは、『鬼』ということか?


 そんな存在というのは、『鬼』だと忌み嫌われている夜長姫のことか?




 僕が……そうだって言いたいのか?




「そんなに固まらなくても、例えばの話ですよ。ただの気まぐれです」


 李々さんが、ゆっくりと距離を詰めてくる。


「でも、もし……仮にですよ? 本当にそうなってしまったとしても、これだけは絶対に忘れないでください」


 逃げたい。そんな言葉が、頭をよぎった。

 だけど、できない。今度は動けないのではない。逃げたら人ではないと認めることになる。なぜか、そんな気がしてならなかった。


 気が付くと、李々さんが目の前にいた。

 手を伸ばせば触れてしまうくらい、近くに。


「わたしは、桜ちゃんをこれ以上苦しめたくない。たとえ本人が望んだとしても」

「…………」

「あなたはどうです? あなたには、絶対に譲れない何かがありますか?」

「僕は…………」

「ふふ」



 李々さんの顔に、愛らしい笑みが浮かんだ。

 


「…………あ」


 全身から、一気に力が抜けた。間抜けな声が出てしまったが、今は座り込まないように体を支えるので精一杯だった。


「行きましょう。春でも、夜風は冷えます」

「……そう、ですね」


 冷えるというけど、今日はそれほど寒くない。

 それなのに、鳥肌が立った。全身を撫でるほのかな夜風が、急に肌に刺さるほど冷たくなったような気がした。

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