第四話「花の宴 ーはなのえんー」 (前編) ①
というより、初めて社町に入ってから一度も出ていなかった。
(……だいぶ散っちゃったなぁ)
あちこちで桜の木を見かけるが、所々に緑が目立ち始めている。一週間も経つとほとんど散ってしまうのは、この世界でも一緒らしい。
「――わっ!!」
一段と激しい揺れが来て、体がふらついた。
結果、頭をもろに打ち付けた。
「おいまたか! うるさいぞ!!」
「すみません!!」
同乗している衛兵に、また怒鳴られた。
未知の揺れに
「……大丈夫? これで三回目よ?」
「あはは……ご心配なく」
とはいえ、これで少しは口を開きやすい空気になった。無駄口を叩くことを暗に禁じられているせいで、少しの会話もろくにできないのだ。
この際だから、僕は衛兵に訊ねることにした。
「あの、一つお聞きしてもいいですか?」
「なんだ?」
「さっき、僕らを引き留めようとしてくれた人はどうなるんでしょうか? その、罪に問われたりとかは……」
「あれしきのことで民間人をいちいち捕縛するほど、我々は
「……そうですか」
それを聞いて、僕は一安心した。
社町を出る直前のことだ。
手を縛られ、馬車に乗せられるところで、大将が慌てた様子で駆けつけてきた。
『ちょっと待ってくれ!!』
『なんだ貴様!』
棒で行く手を塞がれても、大将は必死にもがいてくれた。拘束されていて、
『何かの間違いだろ!? そいつが
『それを確かめる必要がある』
『確かめるも何も、夜長姫は死んだんだろ!?』
『胸を貫通されたにも関わらず、こうして生きて動いている。その上、手も触れずに人を吹き飛ばした。
『だけどそいつは……って、おい! お前ら無視すんじゃねぇ!! おい!!』
(あれで、町での立場が危うくなってないか心配……いや、大丈夫か)
どんなに周囲から慕われている人でも、ひとたび場の空気を乱すような真似をすればその瞬間、はみ出し者になる。一度壊れたら元に戻せないのが人間関係だ。
だけど、大将はあの場に居合わせていない。僕の傷が治るのも、人を吹き飛ばすのも目にしていないのだ。それなら、あんな風に取り乱してもおかしくない。
僕が町に戻らなければ、全て丸く収まる。
(餅屋の主人にも、お礼言いたかったな)
寂しいけど、大将も餅屋の主人も一週間ちょっとの付き合いだ。だから、お互いにそこまでの傷にはならないだろう。
「――うわっ!」
馬車が急に止まった。今度はバランスを取れたので、頭を打たずに済んだ。
「着いたんですか?」
「んなわけあるか。行先は
「え、国境を越えるんですか?」
「
確かにそうだ。社町は、国の中心なのだから。
つまり
(夜長姫だから、なんだろうな……)
かつて人々が恐怖した鬼狩りを、僅か十歳で再び引き起こした少女。
そんな恐ろしい少女が蘇ったかもしれないというのなら、この事態も無理はないのかもしれない。実際は、夜長姫でもなんでもないけど。
「とにかく、今日はここで野営だ」
「え、まだ日は沈んでないですよ?」
「馬を休める必要があるからな」
「あぁ、そっか……」
考えてみれば当然の話だ。ガソリンさえ入れれば動く自動車とは違うのだから。
「ひとまず、拘束は解く」
「いいんですかっ?」
「飯を食う間だけだ」
「ですよね……」
そんな甘いわけがなかった。
「お前たちは連行中の身だ。逃げ出そうとすれば、
衛兵はぶっきらぼうに言い放ちながらも、体が痛まないように僕らの縄を解いてくれた。多分、根は優しい人だ。
「少し席を外す。戻るまで、ここを動くなよ」
衛兵が仏頂面を保ったまま出ていく。馬車の中が、たちまち静かになった。外にいる衛兵たちの話し声が、
「
静かな空間で、桜さんの声が上がった。
「彼らを、恨んでいいのよ」
「……いえ、仕方ないかなって。
『こいつが、俺の家族を……』
『みんな、この女のせいで……』
正直、彼らに恨まれる
でも、彼らにとってはそうじゃないのも事実だ。僕にはどうしようもできない。
「……ごめんなさい」
「えっ?」
「あんな嘘をつくべきじゃなかった。最初から、ちゃんと話しておくべきだった。あんたが感じていた、視線の意味を」
「嘘? あぁ……」
確かに、桜さんは『
だけど、別に
(夜長姫と似てるからだなんて、言えなかったんだろうな……)
「別に、僕は気にしてないですよ」
「いいえ。町の生活に慣れてからでも遅くないなんて、考えが甘かったわ」
桜さんの口から出たその言葉に、意表を突かれた。今回のことがなかったら、嘘を貫き通すつもりだったとばかり思っていた。
同時に、やっぱりと頬が緩んだ。
桜さんのそういう強さが、僕は好きだから。
「それって、僕を気遣ってくれたんですよね? むしろ嬉しいっていうか……」
「だけど、話しておけば、あんたは大将のところに行かなかった」
僕は思わず「えっ?」と声を上げた。
「大将に聞いたんでしょう? 夜長姫とあんたが、瓜二つだと」
「……知ってたんですか?」
大将に口止めされていたから、桜さんにも詳細は伏せたはずなのに。
案の定、桜さんは首を横に振った。
「巫女の名前が貼り出された日に、鬼について調べていたでしょう? その翌日に、それも夜遅くに大将と会うって言うから、なんとなくそうだろうと思っただけ。その様子だと、図星みたいね」
「あはは……」
「せめて私がついて行くべきだったわ。そしたら、あんたがあんな目に遭うことはなかったかもしれないのに」
返すべき言葉が、すぐに思いつかなかった。桜さんの気持ちは嬉しいけど、あの時の状況を考えると素直に喜べない。
もし一緒にいたら、真っ先に刺されたのは、多分……桜さんの方だ。
『……姫様の……仇!』
彼女のことを、相当恨んでいるみたいだから。
「……いや、自業自得ですよ。桜さんにもご主人にも、今夜は泊まらせてもらえって言われたのに、そうしなかったんですから」
「強制はしなかったわ」
「でも、桜さんがしんどかったと思いますよ。夜遅くに出歩くなんて」
「なぜ?」
「町の外に出かけた後は、いつも疲れた顔をしてましたから」
桜さんが、驚いた様子で目を丸める。そして「参ったわね」と苦笑した。
「最初に会った時から思ってたけど、あんた、本当に人のことをよく見てるのね」
「そう、ですかね」
「えぇ。本当に、あんたは……」
「おい、飯だ。出て来い」
桜さんが何か言いかけたところで、衛兵が外から顔を出してきた。「すぐ行きます」と返事をしたら、顔をひっこめた。
「……大丈夫よ」
「え?」
不意に、桜さんの唇が耳へと寄せられる。
その状況に慌てふためくより先に、桜さんがぼそりと呟いた。
「あんたは大丈夫。大人しくしていれば、けして危害を加えられたりしないわ。あんたには、なんの罪もないのだから」
内容に反して、声色はとても静かだった。
桜さんの唇が、耳から離れた。それから僕に背を向けて、何事もなかったかのように馬車から降りようとする。
言い様のない焦燥感を
「桜さんも、大丈夫ですよね?」
桜さんが、振り返る。
その顔を見て、僕は言葉を失った。
「さっきの男が言ったことは事実よ。私が、夜長姫を殺した」
桜さんの顔は、澄みきっていた。
悲観も、
「人殺しなのよ、私は」
それだけ言って、桜さんが馬車から降りた。呆然としている間に、彼女の背中はだんだんと遠ざかっていく。
馬車の中から、一切の音が消えた。
***
目を開くと、そこは見慣れた白い天井だった。
(あれ? 確か、僕は馬車に……)
ふと、視線を横に向ける。
お母さんだ。担当の先生もいる。何か、話し込んでいる様子だ。
(……もしかして、今までのは夢?)
一瞬そう思ったけど、違うとすぐに分かった。
こっちを見たお母さんと先生の顔が、真っ黒に塗り潰されていたから――――
「――――起きろ!!」
突然の大声に、思わず「うわっ」と叫びながら飛び上がってしまった。
「やっと起きたか」
しかめっ面をした、水干のような着物の少年が
髪は僕と違って、耳が隠れるくらいの長さしかない。端正な顔立ちだけど全体的に細身だ。僕の容姿ほどではないにしろ、女装をしても差し支えないだろう。
少年だと思ったけど、それにしてはどこか
あまり見つめていても不審に思われるので、周囲に目をやった。
簡素な机と椅子。硬いけど、馬車よりは各段に眠りやすい寝床と枕。窓がないことを除けば、ごく普通の部屋だ。
(そうだった。昨日、ここで寝たんだった)
昨日の夜、中つ国の社に着いた僕たちは、巫女が全員揃うまで待機することになった。男女別ということで、桜さんは別館にいる。
そういえば、僕らには監視がつくという話だ。
「……もしかして、巫女の従者の方ですか?」
「あぁ。
昨日の夜に部屋に入れられてからずっと一人で、その上やることもないので、話し相手ができたことに少し心が弾んだ。
その話し相手の方は、すごく嫌そうな顔で見下ろしてきているけど。
(やっぱり、罪人だと思われてるのかな。何も悪いことしてないんだけど……)
「
「え?」
しかも間抜けだと言われてしまった。事実だと思うから、何も言えないけど。
反応に困っていると、なぜか三郎さんの方が目を泳がせ出した。妙な空気になりそうだったけど、その前に彼の視線が戻ってきた。
「……ただの独り言だ。鬼女もどきと聞いていたから、拍子抜けただけで」
「あの、『鬼女もどき』ってなんですか?」
口を突いた言葉に、内心で焦った。
話をしなきゃと思うあまり、独り言に突っ込みを入れる野暮をしてしまった。これでは間抜けと言われても仕方ないだろう。
そんな野暮な質問に気分を害する様子もなく、三郎さんは律儀に答えてくれた。
「男なのだろう、貴様。
「あぁ、なるほど」
「……貴様、鬼と言われて否定しないのか?」
意外な質問に、僕は面食らった。
「えっと……否定する根拠がないというか、自分でもよく分からなくて」
「抵抗の意思もないようだが」
「いや、全くないってことはないですけど……逃げ切れる自信ないですし、そもそも桜さんを置いてはいけませんから」
三郎さんが、急に真顔になった。
「あの、もしかして、何か変なことを言ってしまいましたか?」
「誰もそんなことは言ってない!!」
静かになったと思いきや、今度は声を荒げた。
「何が鬼女だ!! 夜長姫が蘇ったとかいうから何事かと思えば、中身はただのへらへらした軟弱男ではないか!!」
「え? えっと……すみません?」
「そうやって軽々しく謝罪の言葉を口にするのも気に喰わん!!」
「あ、はい……」
彼の沸点はよく分からないけど、もしかしたら僕が失礼な態度を取ってしまったのかもしれない。ここは素直に受け入れるのが吉だろう。
「少しは堂々とするか怯え震えるかしろ!! これではどう接すればいいか分からんではないか!! 姫様にお仕えする貴重な時間を
「…………」
「なんだ? 文句があるなら言ってみろ」
「……ふふ」
思わず、笑いがこぼれてしまった。
不機嫌なのには違いないけど、どうやら僕の不始末のせいではないようだ。
「おい、何を笑っている……?」
「すみません、つい」
「笑うな!!」
三郎さんの顔が分かりやすく真っ赤で、どうしてもにやけが抑えられない。さっきまでちょっと怖かったのに、今は可愛く見えてしまう。
(この人も、僕と同じなんだ)
それなら今の僕の気持ちも、分かってはもらえないだろうか。
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