第三話「残花 ーざんかー」③
気が付けば、僕はその場に倒れ伏していた。
「…………い……っ」
視界が、赤い液体で満たされる。胸が痛くて、息が上手くできない。
病気のせいですっかり慣れた臭いがして、僕はようやく理解した。
男に、刀か何かで刺されたのだと。
「姫様……お体に傷をつけてしまったこと……お許しください」
(僕には謝らないんですか……)
「でも!! ここまでしなければ、あなたはお姿を現さないでしょう!?」
怒鳴っているのに、どこか笑っているように聞こえた。血の臭いで、頭がクラクラする。思考が上手くまとまらない。
急に、笑い声が止んだ。
「……何を、しておられるのです?」
また、声色が変わった。今度は、なんだか
声が変わったかと思えば、叫び声が上がった。
「早く目を覚ましてください!! 早く!!」
(いや……無理でしょ……そんな……)
「おい、なんだあれ……?」
「きゃあああああ!!」
その悲鳴を皮切りに、周囲の民家からざわめきが起こり出した。
「た、大変だ!! 女の子が!!」
「早く医者を!!」
「いや、もう駄目――あれ――」
「衛兵――呼ん――」
「あい――取り押さ――」
(……聞こえなく、なってきた?)
急に、意識が朦朧としてきた。
音も、光も、分からな――――
「……葉月?」
凛とした声が、やけに鮮明に聞こえた。
「葉月!!」
駆け寄ってくる足音が聞こえる。顔を見たいのに、動けない。
(桜、さん)
桜さんの声と足音が聞こえて、真っ先に頭を
僕はどのみち助からないけど、このままでは桜さんまで危険に
それだけは、絶対に嫌だ。
「油断してた。こんな時間に、一人で出歩かせるべきではなかった」
「……はっ!」
声が出た。避けるような痛みが胸に走り、血が
せっかく声が出たのに、
伝えないと。早く、一刻も早く伝えないと。
なのに、伝えられない。
いっそ、この傷が塞がってくれればいいのに。今だけでいいから。
「は……に……っ」
「ごめんなさい」
この緊迫した場にそぐわない、恐ろしく落ち着いた声だった。
顔は見えないけど、桜さんは多分、冷静だ。
(あぁ……)
安心したからだろうか。心なしか、胸の痛みが和らいでいる気がする。
よかった。これなら、僕がわざわざ伝えなくても状況を把握してくれるはずだ。
「……姫様の……仇!」
(え――?)
「殺してやる……ここで……!!」
姫様の、仇?
僕は、自分の耳を疑った。一体、何を……
(いや、今はそんなことどうでもいい!)
「桜さん! 逃げて!!」
周囲が、静まり返った。僕も、固まった。
(……声が、出た?)
桜さんと男が、こっちを凝視している。
二人だけじゃない。この場にいる全員が、同じ表情をしていた。
周りの様子が見えたことで、今、自分が体を起こしていることに気付いた。
(一体、何が……?)
しかも、痛みもない。
何より、周りにできていた血溜まりが、嘘のようになくなっている。あるのは、ペンキを盛大に零したみたいに広がった血痕だけだ。
(いや、そんな、まさか……)
恐る恐る、視線を下ろす。そして、真っ赤に染まった着物を左右に開いた。
胸の傷が、ない。
塞がったなんてものじゃない。
綺麗さっぱり、跡形もなく消え去っていた。
「おぉ……ついに……姫様が……っ」
男が、
僕が後ずさりしたのと同時に、桜さんが華麗な動きで男を取り押さえた。格好いいけど、押さえられてる男はすごく痛そうだ。
「葉月走って!! 今すぐ町から離れて!!」
「桜さん、何言ってーー」
「夜長姫だ」
僕は、声がした方を見た。
そして、
「でも、夜長姫は死んだんじゃなかったの?」
「馬鹿いえ。今の見ただろ? 不死身なんだよ、鬼女なんだから」
「それに、あの髪の色……」
「間違いねぇ……」
暗い上に離れたところにいるので、僕を見下ろす彼らの表情はよく見えない。
だけど、一瞬にして空気が黒くなった。
憎悪。
そんな言葉が、脳裏を
僕とは縁もゆかりもなかった言葉が、驚くほど、自然に。
「こいつが、俺の家族を……」
「みんな、この女のせいで……」
周囲にいた数人が、じりじりと近づいてきた。
それも
(いや、ちょっと待って……)
「早く!! 早く逃げなさい!!」
「で、でも、桜さんは!?」
「私は大丈夫だから!! 早く!!」
(絶対、大丈夫じゃない……!)
混乱しているけど、僕が夜長姫だと認識されていること、そのせいで危険に
そして僕を
(……桜さんがいるのは、門とは逆方向か)
だけど、そんなことは関係ない。桜さんをここから引き離した上で町を出る。
「おい待て、さすがにそれは!!」
「うるせぇ!!」
後ろから怒声が聞こえる。確認する余裕なんてない。とにかく走り出す。
突然、背後で悲鳴が上がった。
思わず足を止めて振り返ってしまい、危うくこけそうになった。
男の人が、
「おい! 大丈夫か!!」
「やっぱり化け物よ!!」
(いやいや、まさかそんな……)
「うわあああああ!!」
悲鳴にも似た声が耳をつんざく。
いつの間にか、草刈り鎌を持った女の人が横にいた。その鬼の形相を前に、声にならない悲鳴が口から漏れる。
鋭く大きな瞳を見開いている。まるで、獲物に刃を突き立てる狩人のように。
あの日、初めて目にした眼差しと同じだった。
激しい炎のようで怖いと、それ以上に綺麗だと感じた、あの眼差しと。
「きゃああああ!?」
「お前何やってんだ!?」
「早く手当てを!!」
気が付いた時には、桜さんの拳が女の人の
(うわぁ……)
それどころじゃないのは分かるけど、なんだか物凄く居たたまれない。
「突っ立ってないで早く!!」
桜さんに手を強く掴まれる。
そのまま、引っ張られながら走り出した。慣れない着物のせいでまた転びそうになるが、立ち止まるわけにはいかない。
「あ、門だ!! これ――でっ!!」
「喋らない!! 舌噛むわよ!!」
(もう噛みました……)
「なんだお前ら!?」
「止まれ止まれ!!」
門が見えて安堵したのも束の間。閉まっている上に門番がいることを思い出した。また勝手に吹き飛んでくれることを祈るしかない。
万事休すかと思いきや、なぜか門が開き出した。門番たちは明らかに動揺しているので、まず違うだろう。
「お前たち、待――ぐわっ!!」
吹っ飛んでいく門番たちを横目に、門をくぐる。これでーーーー
「あっ!!」
桜さんが、何かに弾かれたかのように飛んできた。真後ろにいた僕も、桜さんの体に押される形で地面に叩きつけられる。
すぐに飛び退いた桜さんが、僕に声をかけた。
「葉月、大丈夫っ?」
「はい、なんとか……」
顔を上げて、僕は
門に、
「桜さん、あれ、なんですかっ? なんか、門に変な膜みたいなのが」
「……見えるの?」
「え? そりゃあ――」
何が起こったのか、考える余裕はなかった。
気が付くと、僕たちの周りは衛兵たちでぎっしりと固められていた。
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