グッドナイト、シスター

尾八原ジュージ

グッドナイト、シスター

 ミッション系の寄宿舎ってやっぱ結構独特の雰囲気があって、寮監はみんなシスター服だし、服装厳しいから長めのスカートだし、ご飯食べる前にお祈りするし、そもそもめちゃくちゃ山奥にあるし、なんていうか世俗から隔絶されたって感じがすごい。特にあたしのいる学校は建物が古いうえにバカでかくって、なんていうか「ファンタジー映画でも撮るんですか?」みたいな西洋風のお城みたいなところで、何十年も前の卒業生が迷って未だに建物内をうろついてるとか、地下に秘密の実験室があって謎の生き物が飼われてるとか、絶対に開けてはいけない扉があるとか、そういう噂には事欠かなかった。

 で、そんな乙女の巣窟の中でもとびきり可愛い、そして救いようのないバカのミンミが、本当にあったその「絶対に開けてはいけない扉」をどういうわけかうっかり開けてしまった。中に閉じ込められていたのは身長およそ二メートル、人間と骸骨とアリクイを足したようなよくわかんない化け物で、かくして悲劇は幕を開けたというわけ。

 めちゃくちゃ腹を減らしていたそいつは、まずミンミと一緒にいたアンジーに飛びついて生血をちゅうちゅう吸い始めた。ミンミはその隙に逃げてきたっていうからバカなうえにタチが悪い。「リナ強そうだから一緒に来てよぅ」なんて、あたしがミンミに泣きつかれてそれを確認しに行くと、開かずの部屋にはシワシワになったアンジーの死体しかなくって、化け物は姿を消していた。つまりとんでもないものが封印から解き放たれたというわけで、もうその頃には寮はパニックに包まれていた。

 休暇中で人が少なかったからこちらの戦力はあってなきがごとし、まして強そうな男の人なんてひとりもいない。さっきみんなを食堂に集めて「夜明けまで絶対に出てはだめよ」と言い残し、単身散弾銃を担いで果敢に飛び出していったシスター・ハシモトは一向に戻ってこず、多感なお年頃の乙女五人ばかりが取り残されたこのホールの広いことといったら! こんな状況でもミンミのバカは治らず、キッチンからこれ食べれるかなぁとか言いながらでかいビーツを持ってきたので、ボーイッシュで気の強いルイコが黙って4の字固めをかけた。食堂にはミンミの悲鳴が響きわたり、委員長が立ち上がって、てっきりルイコを止めるかと思ったら、「うるさいから」と言いながらミンミの口に、カトラリー置き場からとってきたナプキンを突っ込んだ。

「さてと、静かになったところでどうしようか」

 委員長が綺麗な顔をいつもより冷たく尖らせて言う。

「誰か携帯持ち込んでない?」

 あたしたちは一斉に首を振る。ルイコもミンミも、おっぱいの大きいマイマイもそろってそうする。委員長はため息をつく。

「ううん、無駄に厳しい校則が仇となってしまった。どこかに電話くらいはあると思うんだけど」

「ていうかもし電話があったとしてさ」とルイコが4の字をかけながら言う。「何て言って警察呼ぶんだよ?」

 それだよねぇ。あたしたちはシュンとなる。化け物がうろついているんです、なんて本気にされるわけがない。それにモンスターパニックものの映画だと、警官隊って被害者を増やすために投下されるのが相場じゃない? たくさんの血を吸った化け物がさらに強くなったら? 警官を襲って武器を手に入れたら? ろくな未来が想像できない。

 ああ、バンパイアハンターみたいな人の連絡先ってどこかに控えてないかしら。実際専門のハンターがいたっていいと思う。あんな化け物が現実に存在してるんだから……そこまで考えたとき、急にズキン、とあたしの頭の奥が痛む。偏頭痛だろうか? あたしは目頭を押さえてみる。

「大丈夫? リナ」

 委員長があたしに声をかける。あたしは「大丈夫、ちょっと頭が痛いだけ」と言って笑ってみせた。ただでさえ大変なのに、余計な心配をかけている暇はない。

 とにかく、あたしたちにできる最良の方法はたぶん、食堂から出ないこと。ここに隠れて朝を迎えること。何でかああいう化け物っていうのは、大抵朝に弱いと相場が決まっている。今は夜中の一時、夜明けは六時すぎくらいだろう。五時間は結構長い。がんばって凌がないと。

「そうと決まればドアを塞がなきゃ」

 委員長が部屋の隅に置かれていた長机を抱える。一人でもなんとか持てそうだ。あたしたちもそれに続く。ミンミはようやく4の字固めから開放され、床にしゃがんでべそべそ泣いている。委員長が長机をドアの前にどんと置く。

「この上にみんな重ねて」

 と言ったところで、食堂のドアを突き破って白く骨ばった手が突き出し、委員長の首を掴んで引き寄せた。委員長のすらりとした身体が食堂のドアにぶち当たり、首の骨がばきんと折れて顔があらぬ方向にぐりんと向く。その顔がみるみるうちにしわくちゃになっていく。ドア越しに血を吸われているのだ。

 あっという間にシワシワの死体になった委員長が、完全に力を失って床の上にぐちゃりと落ちる。あんなに美人で文武両道だったのに、なんてもったいない。ここにきてようやくマイマイが派手に悲鳴をあげ、ホールのステンドグラスがびりびりと震えた。

 ドアに空いた穴からは化け物の、人間に似た、でも絶対に人間ではない醜い顔が見える。尖った口の周りは血でべとべとだ。言葉なんか通じなさそうだけど、あたしにはなぜかそいつが嘲笑っているとわかる。またズキン、と頭の中に痛みが走る。視界がふらりと歪む。。なぜかそんな気がする。

 化け物の手がドアの穴から出て、縁を掴む。ばきばきと音を立てて木が折れ、穴が少し広がる。わざとらしく、少しずつ、そいつは穴を削っていく。

「くそっ! くそっ!」

 ルイコが震える脚を叩き、キッチンから持ってきておいた肉切り包丁を両手で握る。

「余裕こいてねぇで入ってこいよ!」

「やめてぇ!!」

 マイマイが鋭く叫んだ。その声で、あたしはようやく現実に帰ってくる。

「ほんとに入ってきたらどうすんの!?」マイマイは怒っている。いや、怖がっているのだ。「ほっといたっていつか入ってくるに決まってんだろ!」と怒鳴り返したルイコだって、それは同じだ。

「ふぐー、ふぐー」と声を上げているのはミンミで、口に突っ込まれたナプキンがまだそのままだ。騒がれるより鬱陶しいので、あたしは涎まみれのナプキンをとってやった。

 バキバキ! またドアが壊される。もう吸血鬼の身体が半分がた見えている。マイマイがべたっと座り込んで失禁した。ルイコは何も言わない。真っ青な顔でドアを見つめている。床には委員長の死体が転がっている。

 あたしだって黙って死ぬのはいやだし、何か一発かましてやろうというルイコには賛成だ。あたしたちみんなそんなに頭いい方じゃないけど、なにせ若いしぴちぴちだし、黙って死ぬには惜しいと思う。だから考える。委員長だったらこんなときどうするかなって……で、あたしは至極当然の方法にたどり着く。

「奥に逃げよう!」

 そう、食堂のホールはキッチンに繋がっている。キッチンには搬入口があるから外に出られる! 夜の山だってそれなりに危険だけど、ここにいるよりはきっとマシだ。そんなことも思いつかなかったなんてどうかしている。

 あたしは走った。背後でバキバキっとひときわ大きな音がする。おしっこの水たまりの中で腰を抜かしていたマイマイが「あーーー」と泣き声みたいな悲しそうな悲鳴を上げるけど、助けに行ってる余裕はない。マイマイが喰われている間に、あたしとルイコとミンミはキッチンのドアにたどり着く。

 転がるようにキッチンに入ってドアを閉め、鍵をかける。ぴかぴかの調理器具や冷蔵庫、コンロ、オーブンなんかが並んでいる。キッチンとホールの境はカウンターになっているので、あたしはカウンターのシャッターを閉める。直後、シャッターがばん! と叩かれた。ばん! ばん! ばん! ばん! びっくりしてあたしも漏らしそうになる。というか食堂にはトイレがないので、ここに閉じ込められたままだとたぶんいずれ漏らす。

 ルイコが搬入口を開けようとするが、「開かねえ!」と悲鳴のような声を上げた。ここを開けるには内側からもカードキーが必要らしいのだ。こんな中世のお城みたいな建物だっていうのに、なんでこのドアだけこんなハイテクでめんどくさいことにしたのだろう。ああ、こっそり寄宿舎から脱走しようとする生徒がいるからか。たとえばミンミみたいな。まったくバカはロクなことをしない。

 ともかくあたしたちはキッチンで雪隠詰め、ちょっと韻を踏んだ感じになる。こんなバカみたいなことを考えてしまうのはあたしに余裕があるからではなく、あまりに切羽詰まってパニックになっているからだ。また頭が痛む。

 ええい、頭痛なんかにかまっているばあいじゃない。とりあえずあたしは頭を振って正気を取り戻し、ルイコを見習って包丁を持つ。何にもないよりはマシだ。

「来るなら来い!」

 ルイコが叫ぶ。ミンミは厨房の隅っこで膝を抱えて「ごめんねぇぇみんなごめええぇぇん」と泣いている。あたしはまた頭痛。空いている左手でこめかみを押さえる。痛い。視界がぐらぐら歪んで、さっきからあたしがあたしじゃないみたい。普段こんなことなんかないのに、きっと恐怖のせいだ。

 そのときボコボコになったシャッターの向こうから「皆さん! 大丈夫ですか!?」という声が聞こえた。あたしたちは顔を見合わせた。

「シスター?」

 ルイコがあたしの顔を見つめて呟く。そう、今の声はさっき出て行ったシスター・ハシモトの声とそっくりだ。

「皆さん、ここにいるの? 返事してちょうだい!」

 厨房の隅でミンミが「はい!」とでかい声で応え、あたしは「バカ!」と押し殺した声でミンミを叱った。

「なんで?」

「罠だったらどうすんだよ。あいつの物真似かも」ルイコがあたしの代わりに言う。

 そう、それだ。だって化け物がすぐ外にいるはずなのに、銃声の一発も聞こえなかったなんて絶対におかしい。シスター・ハシモトの武器は散弾銃のはずだから、もし化け物を倒したんだったら銃声がしたはずなのだ。

「ああ、よかった。南川さんはそこにいるのね! 早くここを開けてちょうだい!」

 時すでに遅しで、シスターらしき声がそう言う。直後、ホールとキッチンの境のドアがコンコンとノックされる。

 ミンミが泣きそうな顔でこっちを見る。

「ど、どうしよう……」

 知らねぇよ。ルイコが深いふかい溜息を漏らす。コンコン。ノックの音は続く。コンコン、コンコン、ドンドン!

「何かあったの!? 早く開けて!」シスターの声がする。本当に本人の声なのかどうか、聞きなれているはずなのにわからない。本人であってほしいけど怪しい気もする。頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。頭痛がまた強くなる。おかしい、普段こんなことないのに。普段のあたしはどうしちゃったの? 今のあたしは一体なに?

 ルイコがミンミを手招きする。「ちょっと来いよ」

「え、なになに?」

 ミンミがノコノコと寄っていく。

「外見て来いよ」

「ふぇっ! なんで!?」

「もとはと言えばお前のせいだろ!? そこのシャッターちょっと開けてやるから、顔出して外見ろ」

「やだやだやだやだ、偽物のシスターだったらどうすんのぉぉ」

 ルイコはミンミをシャッターの方にひきずっていく。あたしは止めない。その代わり、シャッターの手前でべそべそしているミンミの顔の前に包丁を突き出す。

「見てきてよ、ミンミ」

 ミンミが真っ暗な目であたしを見つめる。平常時はバカでも可愛いからいいかと思ってたけど、非常事態だからバカは罪。しかも元凶はこいつ。見て来い。せめて役に立ってから死ね。

 ミンミのほっぺたを包丁の先っちょで突くと、白い肌につつっと赤い血が垂れる。ミンミは恐怖と憎悪を込めた眼差しであたしを睨む。あたしは黙って睨み返す。本当にあたしがあたしじゃなくなったみたい。頭が痛い。

「……わかったよ、見ればいいんでしょ」とミンミがふてくされたような声で言い、

「ああそうだよ」と、ルイコが慎重にシャッターを開けるためのスイッチを押す。

 ガラガラ! ととんでもない音を立てて四分の一ほど開いた隙間に、ミンミが勢いよく顔を突っ込む。「あっ!」と声が上がった直後、ミンミの体が引っ張られて胸から上がシャッターの向こうに消えた。

「痛い! 痛あぁい!」

 悲鳴が上がる。ルイコが足を引っ張ろうとしたけど、ミンミが激しく暴れて足をばたつかせるので掴めなかった。もう「痛い」という言葉にもならないわけのわからない叫び声が、食堂のホールの高い天井に響いている。ミンミの体はどんどん引き摺られて、とうとう足がズルッと外に出た。

 あたしは勢いよくシャッターを閉めた。外からミンミの一際大きな悲鳴が聞こえて、静かになった。

「もう駄目かもね」

 ルイコがべたっと座り込む。

 あたしもさっきまでの「やってやる」という気持ちがすっかりどこかに行ってしまって、もうこうなったらいっそ早く死にたい、という気持ちになってしまう。あたしたちはぴったり寄り添って座る。ルイコの心臓の音が聞こえる。

「なんか、バカみたい」

 あたしが呟くと「ほんとな」とルイコが言う。どうしてあたしたち、こんな死に方しなきゃならないんでしょう? そもそもあの化け物っていったいなに? 神様は何にも答えてくれない。なんかもう何もかもめちゃくちゃでわけがわからない。あたしはルイコの肩を抱いて笑ってしまう。ルイコも笑っている。タイプが違うからそんなに仲良くなかった子だけど、もっといっぱい話とかしておけばよかったなと思う。

「あたし、殺されるのやだなぁ」

 と呟くと、ルイコも「私も」と言う。たまらなく可笑しくなって、あたしたちはまた笑ってしまう。外からシャッターがガンガン叩かれる。

 こんな状況だっていうのにあたしたちにはもう包丁を持つ気力すらないので、あたしは生まれてはじめて真剣に神様に祈ることにする。あたしとルイコを助けてください。さもなくばあんまり痛くないように死なせてください。また頭痛がする。じっと座って静かに祈っていると、その痛みの中に光のようなものが瞬き始める。思い出すのです、あなたの本来の姿を――という声が聞こえる。それがあたしたちを作った創造の神だとしたらそうかもなって思えるような、とても厳かな声が。

 あたしは目を開けて、自分の両手を眺める。

 黒くて毛むくじゃらで、握力500キロくらいはありそうな屈強な手を。

 この後に及んであたしはようやく、自分が女学生の制服を着、人間並みの知能を持ったマウンテンゴリラだったということを思い出す。ようやく。

「ごめんねルイコ」

 あたしは隣に座っているルイコを、そっと、壊さないように抱きしめる。ルイコだけじゃない。ほかのみんなもごめん。あたしがもっと早く覚醒していれば、みんな死なずに済んだかもしれないのに。ミンミは別にいいけど。

 あたしは立ち上がる。

 さっきから叩かれて歪んでいたシャッターがついに壊れて、アリクイめいた化け物の顔が覗く。遅い。あまりに遅い! 平和な寄宿舎生活ですっかり忘れていた野生の目を、あたしはすでに取り戻している!

 あたしは化け物の口を掴み、満身の力をこめて握りつぶす。化け物の喉の奥で悲鳴が爆発し、骨ばった手がカウンター越しにあたしの首に伸びる。しかしこの枯れ木のような指では、とてもあたしの太い首を締めることなどできない。

 今、こいつが泣きそうな顔をしているのが、あたしにはよくわかる。こいつもあたしも、この寄宿舎の地下実験室で作られた実験体だから。いわば姉妹みたいなものだから、何を考えているかくらいわかってしまうのだ。

「おやすみ、姉妹シスター

 あたしは化け物の首を捻る。ぶちぶち、と厭な音がして、化け物の首が千切れていく。人間そっくりの瞳があたしを見つめている。あたしも見つめ返す。おやすみ。

 そして静まり返った食堂の中に、あたしとルイコの呼吸の音だけが聞こえる。背が高くてかっこよく見えていたルイコが、今はあんなに小さくてか弱い存在に見える。

 あたしは彼女に背を向けて、キッチンを出ていく。

「待って! リナ!」

「あたし、地下に戻らなきゃ……元の力を取り戻してしまったもの。このままこっちにいれば、きっと誰かを傷つけてしまう」

 あたしはもうルイコと気軽にハグすることもできないのだ。うっかりそんなことをすれば、彼女を大怪我させてしまうかもしれない。最悪この化け物のように、あたしもどんどん人の心を失ってしまうかもしれない。

 ルイコが立ち上がって追いかけてくる気配を感じて、あたしは走り出す。あたしのトップスピードは時速約50キロ、スポーツ万能のルイコだって追いつけない。

 あたしは、あたしが生まれたこのお城の地下の、閉ざされた実験室へと戻るのだ。もしもあたしが完全にゴリラに戻ってしまったら、きっと取り返しのつかないことになる。みんなを傷つけるくらいなら、ひとりぼっちでいた方がずっといい。

「リナ! 会いに行くから! 絶対行くからね!」

 背後から、ルイコの声が追いかけてきた。

 地下に続く階段は暗かった。そこをひたすら下って下って下りながら、あたしはまだちゃんと残っている人間の心でひっそりと泣いた。

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グッドナイト、シスター 尾八原ジュージ @zi-yon

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