not a dream but reality(ᚄ)

「ただいま」

 ――懐かしさを孕んだ、穏やかな声。それは確かに、ノアの背後から聞こえた。

「久しぶりだね、ノア。また会えて嬉しいよ」

 徐々に近づいてくる、優しい空気。彼は昔と全く変わらない様子で、ネイ湖のほとりにやって来た。

「どうしたんだい? そんなにぼろぼろ泣いて。僕に会えたこと、そんなに嬉しかった?」

 ゆっくりと振り返ると、そこには詩人が立っていた。ぶかぶかのフードを被り、キャラメル色のミディアムヘアを風とともに揺らしている。その爽やかな緑の瞳も、美しい容姿も、全て過去の記憶のままだった。

「お、オシーン……?」

「そうだよ。ふふふっ、本当に大きくなったね」

 これは、夢なのだろうか。詩人は青年の姿のまま、ネイ湖に帰ってきたのだ。到底、信じられるはずもない。

「今日はね、君を迎えに来たんだ。僕をずっと待ってくれた、君を」

「迎えに来た……? 俺を……?」

 ……幻想的な蝶々が、オシーンの周りをパタパタと飛んでいる。光の粉を散らしながら、楽しそうに宙を泳いでいる。

「悲しい思いをさせて、悪かった。これからは、僕と一緒に行こう。この湖から飛び立って、本当の世界へ向かうんだ」

 ノアの目の前に、白い右手が差し出される。透き通るような、オシーンの手だ。

「僕の世界を信じてくれた君は、本当の世界に選ばれた。そう、僕が招待したんだ」

「本当の、世界……?」

「うん。ここは儚い夢の世界。本当の世界にはね、影の女王も英雄も、みんなみんな存在しているんだ」

 影の国の女王・スカアハ。短命の英雄・クー・フリン。この世界ではない、どこか別のアイルランドに、彼らは確かに存在している。その中には、異界で三百年を過ごし、やがていつしか不死になった詩人、オシーンも含まれていた。

「さぁ、ノア。僕の手を取って。僕と一緒に、本当の世界で、本当の冒険をしよう」

 フィンレーは言った。オシーンは神話にしか登場しない、架空の人物だと。しかし今、青年詩人は目の前にいて、こちらに向かって手を伸ばしている。……ノアにとっては、その事実だけで十分だった。

「……うん」

 ――彼は握った。白くて長い、オシーンの指を。そこには確かに、生ける者の温かさが感じられた。

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アイルランド詩人を懐かしむ夢 中田もな @Nakata-Mona

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