深淵
夜、ベッドへ入り、数十分の思案を経てから眠る事が私の日課であるが、時々にその思案は数十分の枠を超え、数時間の思考の旅路へ出る事がある。
それはだいたい、何か取りとめのない些細な事から広がる不安であるが、それはしばしば私の心へ闇を落とした。
部屋の隅の黒い隙間であったり、クロゼットの側面であったり、果てはベッドの下の隙間であったりと、私は小さな暗がりへの恐怖を抑えることはできなかった。
何か恐ろしい深淵に繋がっていて、そこから語ることすら憚られるような怪物が私の喉元を狙っており、ベッドから身を起こせば途端に噛み殺してくるような、そんな不安感に駆られる日があったのだ。
そんな夜は、いつも傍らに置いた短刀を手元に携えて眠った。いつ、どんな化け物が襲ってきてもいいよう、私は眠りながらも警戒していた。
ある時、私の深淵への恐怖心は具現して私のもとへ現れた。
その時々現れる思考の旅路を続けていたある日、不意にクロゼットからカタリと音がした。
私の体から汗が吹き出るのがわかった。体を出さぬよう、毛布から手だけを出して枕元に置いてあった短刀を手に取り、体を猫のように丸めながらぶるぶると震えていた。
カタリ、カタリ
その音は小さくも確実に、私の心を弱らせてゆく。音は絶えず鳴り続け、ついに私は叫んだ。
「いるのはわかっているぞ!化け物!出てこい!お前なんぞ、この手で仕留めてやる!」
言い終わると同時か、それより早くクロゼットがばだんと音を立てた。私はひゃっ、と声を上げたところに、何かわけの分からないものが首元に掴まっているのが分かった。
人間の根源的な恐怖は、自分の理解し得ない、常識の外からやってきたものに対するものが最たる部分であると認識している。今まさに私の喉元へ掴みかかってきたそれは、完全に常識の外からやってきた姿形の見えぬ恐ろしい化け物である。
私は必死に、喉元のそいつへ短刀を突き立て、えいやと一気に刺した。ずぶり、ずぶり、ずぶり。
三度ほど突いたところで、喉に暖かな感触を覚える。姿は見えずとも、血を流しているのは感じ取れたため、私はようやく落ち着いた。やがて喉元を掴んでいた感触もなくなっていった。
恐怖に打ち勝った、私はまさに、私の思案した先の恐怖に打ち勝ったのだ!
───新たに見えた先の恐怖に震えたことは、言うまでもない。
暴漢 北海ハル @hata
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