第10話

 次の日、兄ちゃんの退院の許可が下りた。ずっと眠っていたから、いきなり激しい運動は控えるように言われている。少しずつ日常生活に慣れていけば、一週間もすれば元気に動き回れるようになるとのことだった。

 帰りの車の中、久しぶりに家族四人がそろった。父さんが運転して、母さんが助手席に座り、兄ちゃんが母さんの後ろ、僕が父さんの後ろ。いつもの家族の形だ。

走る車の窓を開けて兄ちゃんが言った。気持ちいい風が入ってくる。

「あ~、やっぱ娑婆の空気はうまいぜ。」

「何言ってんの。」

母さんが小さく笑う。

「兄ちゃん、あのさ。」

僕は小声で、兄ちゃんに話しかけた。

「ん?」

「僕、気になってることがあるんだけど・・・。」

「何?」

「あのバケモノ。あいつさ、もう居なくなったのかな?それともどこか別の場所にでも行ったのかな?」

「あ~、あいつね。いるよ。」

「えっ?」

「あのバケモノは、ミナトの中にいる。」

「そうなの。」

「そうだよ。また小さくなってたけどね。アオイ先生も言ってたじゃん。受け入れることでしか解決できないって。ミナトはあいつを受け入れた。自分のしたことを受け入れたんだよ。逃げずに戦って、倒して、そして受け入れた。ほんと、よく頑張ったよ、ミナトは。」

僕は、自分の胸に手を当ててみた。あのバケモノのことを想ってみる。

 あのバケモノは僕の弱い心が生み出した。でも兄ちゃんのお陰で、ううん、兄ちゃんだけじゃない。母さんも父さんも、アオイ先生先生もユウちゃんも、それにあの電気屋のお兄さん。それにきっと学校のみんなも。みんなのお陰で僕は強くなれた。ずっと下を向いて、ずっと逃げてばかりだったけど、最後は逃げずにあのバケモノと戦えた。そして、受け入れることが出来たんだ。

「あっ!笑った。今、あのバケモノが笑った気がするよ。」

僕は嬉しくなった。あいつは僕が生み出したんだったら、僕はあいつの親だ。だったら僕が面倒を見なきゃ。しっかりと、責任を持って。そして出来れば、あいつと友達になれるといいな。

 窓の外を見る。晴れ渡った群青(ぐんじょう)色の空。窓を開ける。気持ちいい風が髪をなびかせ、顔に強く当たる。

「あっ!ユウちゃんだ。ミナト!ユウちゃん。」

声を掛けられ、そちらを見るとアオイ先生とユウちゃんが歩道から手を振ってくれていた。

 父さんが少しスピードを緩めながら走ってくれる。

 僕たちも手を振り返した。もしかしたら、今日兄ちゃんの退院の日と知っていて、ずっとあそこで待っていてくれたのかな?なんて考えていると、兄ちゃんがこっちを見て、

「へへっ。」

と笑ってきた。

「何?」

「何でもないよ。」

なんだかいやらしい笑い方だ。

「アオイ先生ってきれいだよな。」

ふいに兄ちゃんが言葉を漏らす。

「えっ?何て?」

「ううん、何でもないよ。」

母さんが振り返りながら、

「何話してるの?」と声をかけてきた。

「何でもないよ。」

「何でもないよ。」

二人の声が重なる。

 僕たちは目を合わし、そして笑った。

「そうだ。家に着いたら二人にプレゼントを用意してるのよ。ねぇ父さん。」

父さんは、少し恥ずかしそうに返事をする。

 何だろう?楽しみだな。




 家に着いた。兄ちゃんにとっては久しぶりの我が家だ。母さんがカギを開けて兄ちゃんと僕を先に入れてくれる。

「おかえり。」

「おかえり、ユウイチ。」

母さんと、父さんが感慨深げに言った。

「あ~、やっぱり家が一番だ。」

照れ隠しなのか、兄ちゃんはふざけてそれに答えた。

「なに旅行から帰って来たおばちゃんみたいなこと言ってんだ。」

父さんが後ろから兄ちゃんに突っ込みを入れる。

 靴を脱いで上がり、リビングに入るとソファの上に二つの大きな物体があった。ランドセルだ。キャメルのランドセルと、マッドシルバーのランドセル。僕と兄ちゃんのランドセル。前に持っていたやつと同じやつだ。

 僕たちは、はっとして振り返り両親の顔を見る。二人は微笑んでいる。僕たちは自分の色のランドセルに飛びついた。

「新しいランドセルだ!え~、やったぁ!いいの?」

僕たちは大騒ぎ。父さんが、頭を搔きながら言った。

「ミナト。遅くなってごめんな。ずっとリュックサックで学校行ってたもんな。父さん、仕事終わりにいろいろ探し回ってたんだけど、なかなか同じ色のやつが見つからなくて。似たようなランドセルはあっても違う色のラインが入っていたりで。インターネットで探せばすぐに見つかったんだろうけど、父さん、なんかそれ嫌でさ。古い人間なのかな?どうしても自分の足で探して見つけたかったんだよ。」

僕は、新しいランドセルなんて買ってもらえるとは思ってなかった。嬉しくて、また涙が出そうになったけどぐっとこらえて、

「ありがとう。大事に使うね。」

と言った。

兄ちゃんは、

「ありがとう。明日からピカピカの一年生だな、こりゃ。」

またふざけたことを言っている。

「今日は、ユウイチの快気祝いよ。何が食べたい?」

と母さんが聞いてきた。兄ちゃんは、迷わず、

「お寿司!」

と答える。

「え~、母さんの手作り料理じゃないのぉ。」

「だってさ、特別な日にしかお寿司食べられないでしょ。母さんのご飯は、これから毎日食べるわけだから、今日はお寿司。お寿司が食べたい!」

「もぉ、しょうがないわね。父さんそれでいい?」

「もちろん。好きなもの食べればいいさ。今日の主役はユウイチだからな。」

「やったぁ!」

僕も一緒になって喜んだ。

「あっ、そうだ!兄ちゃん。ココア飲む?僕、美味しいココア入れられるよ。」

「おっ、アオイ先生に習ったやつだな。飲みたい飲みたい。」

「母さん、牛乳ある?」

「ええ、確かあったと思うけど。」

「じゃあ僕、ココアの粉買ってくるよ。」

自分の部屋に財布を取りに行こうとすると、父さんが、

「ちょっと待って二人とも。言っておかなきゃいけないことがある。」

急に神妙な顔つきになってこう言った。。

「今回のことで、ユウイチもミナトも、母さんも父さんも、すごく、すごく大変な思いをした。それに、たくさんの人に心配をかけた。もう二度と誰もこんな思いはしたくないと思う。だから二人とも約束してくれ。もう二度と、絶対に、増水した川には近寄らない。約束・・・出来るか?」

僕たち兄弟は、姿勢を正し返事をした。

「はい。もう二度と増水した川には近づきません。約束です。」

「はい。もう二度と増水した川には近づきません。約束です。」

僕たち兄弟を見つめる父さんと母さんの目はきらきらとして、まるでとても澄んでいる川のようだった。




 これで、僕たち兄弟の物語はおしまい。

 今はあれから六年が経って、兄ちゃんはこの春から高校三年生。将来はカウンセラーの先生になるんだって頑張っている。相当頑張らないと厳しいかもって言われてるみたいだけど、僕は兄ちゃんならきっとなれると思う。だって僕を助けてくれたんだもの。みんなもそう思うよね。

 僕も父さんに、もう高校生になるんだから将来のこと、少しずつでいいから考えておくようにって言われたんだ。で、考えたんだけど、こないだテレビで水難救助隊のことやってて、それを見て思ったんだ。カッコイイって。やっぱ僕、自分で自分をカッコイイって思えるようになりたいんだよね。だから将来何になるかを考えた時、真っ先に思い浮かんだのが水難救助隊。まだ具体的にどうすれば入れるのかは知らないけど。

 その水難救助隊の人が言ってたんだ、

「ほんとは、僕たち水難救助隊は活躍しない方がいいんです。」

って。

 僕はすぐにその人が何を言おうとしているのか理解したよ。それは、まず僕たち自身が日ごろから気を付けること。そうだよね。だから僕はこの物語を書いたんだ。これを読んだみんなも約束してほしい。


 増水した川には近づかないこと。約束だ。


                                  終わり

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少年と川と色とりどりの世界 浰九 @kiyushito

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