最終話 妖怪は存在する
「悲しかったの。悔しかったの。そんな時、あの人と会ったの。嬉しかったわ。私だけを見てくれる人が出来た気がして。でも、どこかで諦めきれなかったの。だって、ずっと憧れだったのはあなた。優弥ですもの。だから誘拐に見せかけてって、頼んだのは私」
「――」
「神隠しにあったように見えれば、夏輝は騒ぎ出す。そして必ず、あなたに連絡を入れる。その後どうするか、私はずっと待っていた。でも、動いたのは夏輝だけだったわ。私は、だから夏輝に言ったの。別れましょうってね」
「なるほど。じゃあ、夏輝の狙いは初めから俺だったのか」
だから、夏輝の執着は自分に向いていたのか。
それに気づき、優弥は唇をぐっと噛みしめた。
これでは道化ではないか。何も解らず、自分は二人の友人の駆け引きに使われていた。そして、真相を悉く見誤っていた。
夏輝は初めから美莉なんて探していなかった。ただ、自分の掛けた暗示のままに動く優弥を楽しんでいただけだ。
「そう。蘭子から聞いてびっくり。夏輝があなたのことを苦しめているって。研究の邪魔までしてるって。だから、なんとかしてって頼んだわ」
美莉はそう言って苦笑する。
本当に夏輝のことなんて何とも思っていない。そんな態度だ。
しかし、理土からすると、ちょっと納得する関係性でもあった。どうあっても、夏輝と美莉は釣り合わない。そう思っていたのだ。
だって、夏輝の話において重要なのはどう考えても優弥だった。そして妖怪だった。美莉に対してどう思っているのか。これが本当に重要なのか。ずっともやもやしていた。それが今、すっきり取れた気分だ。
そしてそれこそ、優弥が五年前の事件を真剣に追えない理由でもあったのだろうと思う。つまり、夏輝は本当に美莉を追い掛けているのか。追い掛けているのならばなぜ、こんな回りくどい方法を取るのか。ずっと疑問だった部分の答えでもあるのだ。優弥は夏輝を追うことばかりに集中している理由にもなる。
そもそも、夏輝は五年前の事件を書き換えていた。上野を調べていたせいで美莉が神隠しにあった。それは龍やら弁財天に絡むと嘘を教えた。
すでに人間のやったことだと知っていたのに、優弥にはあたかも妖怪の仕業であるように誤信させた。それはもちろん、自分の復讐劇に巻き込むためだ。
「夏輝は、だから恋人たちばかりを狙っていたのか」
自分が利用されたことへの恨み。そして、あっさりと別の男に気持ちを移してしまったことへの恨み。様々な恨みが、夏輝の妖怪としての要素を作り上げていったのだ。
「あなたは、最後まで夏輝しか見てなかったのね。五十嵐から話を聞いてびっくりしたわ。まあ、いいわ。これで奥さんとは別れてくれるみたいだし、私もようやく宙ぶらりんの状態じゃなくなるもの」
そこで美莉は艶然と微笑んだ。
「っつ」
まるで魔性のようで、理土は戦慄してしまった。
本当に怖いのは人。それを間近で目撃した気分だ。
「なるほど」
優弥からは、その一言しか出て来なかった。そして、帰ろうと理土を促す。それしか出来ないのだと、そう確信している行動だった。
「さようなら、藤木君」
艶やかな美莉の声に、優弥は答えなかった。
五年間の総てが何だったのか、最も解らなくなったのは優弥だった。それが、この事件の結末となってしまった。
「女ってのは怖いねえ」
「そうですね」
二日後。無事に退院した長谷川と理土は、大学の食堂でコーヒーを啜りながらしみじみと呟いていた。
結局、夏輝は姿を見せなかった。誘拐事件は存在しなかった。
ちなみに長谷川を刺したのは船越という男で、こいつは美莉から頼まれたと主張しているらしいが、真相は闇の中だ。もはや誰もが、どうでもいいという気分になっている。それは刺された長谷川さえもその気持ちだった。
「何を、どうすればいいんでしょう」
「解らん。というか安倍は?」
「さあ」
それさえも不明だ。
確かにあの日、理土の部屋に現れた。だから必ず生きているはずの安倍夏輝。しかし、最後まで優弥の前には姿を見せなかった。
「藤木は」
「研究室です。論文の締切りだとか言って、パソコンから顔を上げてくれませんでした」
「ふうん」
仕事に没頭してすべて忘れようというところか。長谷川は剃ってすっきりした顎を撫でる。
「まあ、藤木先生はどうにかなると思うんですよ。蘭子さんも、戻ってきましたし。ちゃんと謝っていましたし」
あの日、帰ろうとした理土と優弥に駆け寄り、蘭子は深々と頭を下げた。それに対し
「戻って来てくれればいい」
優弥はそう言った。それで終わりにしようと、頭を下げる蘭子の髪を優しく撫で、それで終わりとなった。だから、優弥の周囲に関しては問題ない。
「やっぱり、出て来ない安倍か」
「ええ」
ただ、懸念は夏輝だ。これで復讐の総ては終わったはずだが、では、今後どうするのか。まったく見えない。
「俺の今後の心配をしてくれるとは、有り難いですね」
「えっ?」
「なっ!?」
そんな二人に向け、そんなことを言うのは前の席にいた人物だ。そして、くるっと正面を向く。
それは間違いようもなく安倍夏輝だ。部屋に現れた時とは違って白のシャツとジーンズというラフな格好。おかげで全く気付かなかった。
「あ、安倍さん」
「俺は今後も妖怪として生きていきますよ。意外と需要があるんですよね。そう、優弥に伝えてもらえますか」
にこっと笑う夏輝に、理土も長谷川も呆気に取られてしまう。そしてその隙に、夏輝は立ち上がって去ってしまった。
一体何だったのか。唐突かつ一瞬過ぎて、理解した時には夏輝の姿はもうどこにもなかった。
「まさに妖怪だな」
「ええ。どうやら、藤木先生が妖怪研究という副業から解放されるのは、まだまだ先みたいですね」
そう苦笑し、理土は優弥の研究室が全く片付けられていなかったのを思い出す。
ひょっとして、夏輝はまだ何か企んでいる。それを知っていたのではないか。いや、単にまだ片付ける気分じゃなかっただけか。
どちらにしろ、もうしばらくあの研究室はあのままだろう。夏輝と直接相まみえる、その日まで。
「妖怪は、いるってことですね」
「だな。人間の中に紛れ込んでいやがる」
理土と長谷川はそう言い合うと、思わず大笑いしていたのだった。
怪異は人の心を嘲笑う 渋川宙 @sora-sibukawa
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