第53話 復讐

「グーグルが成功したって、発表したことも大きいですよね」

「ああ。こういうのを天運というのかもしれない」

 優弥はさらに苦笑するように笑う。

 そう、どうやって五十嵐陸人と接触するか。その悩みは意外な方法で解決されることになったのだ。

 それは量子コンピュータ。

 五十嵐が代表を務める、今や国内大手のIT企業であるこの会社から、量子力学の専門家として優弥はアドバイスを求められたのだ。それを利用し、何とか五十嵐本人と会うことを約束させ、そして説得する時間を得ることが出来た。

「ひょっとしたら、これも夏輝の罠なのかなとも思うが、さすがに量子コンピュータの開発状況まで把握できているとは思えないしな」

「そうですね。ラッキー、それが巡ってきたのは安倍さんだけではなかったというだけでしょう」

「ああ」

 世の中、急に物事が動き出す瞬間というのがある。それが二人に巡ってきたタイミングが重なったのは、偶然というより必然なのだろう。

 そんなことを思いながら、二人は夜の上野公園を歩く。さすがに昼間ほど人はおらず、不忍池の傍はひっそりと静まり返っていた。

 すでに見ごろを終えた蓮の花の残骸が、何だかおどろおどろしい雰囲気を作り出している。理土は思わずごくっと唾を飲み込んでいた。

「小林さんは」

「弁財天のところにいるはずだ。彼女はすでに野崎君か、もしくは夏輝からの手紙を受け取っているだろう。そして現れる」

 こちらに関しては止める手立てを打っていない。警察が守ることを条件に五十嵐から行くよう指示してもらっている。

 それは、優弥にとっても久々の再会になるのだが、感動的な再会ではない。

「あそこだ」

 池をぐるっと回ってきたから少し歩いた。弁財天を祀るお堂は池の中央にあり、今は街灯で薄ぼんやりと浮かんで見えた。橋を渡らなければいけないこのお堂に、理土は初めて近づいた気がする。あまりこういう場所と縁がなかった。

「橋を渡るというのは、神社に見られる一つの様式でね。彼岸を意味するんだよ。つまり橋を渡った向こう側にいるものはあの世のものという考え方さ」

「ま、周りも蓮の花ですし、まさにあの世って感じですね」

 今、その話をしなくてもいいのでは。

 思わずびくっとなる理土だ。やはりその手の話には弱い。それに優弥は苦笑する。

「わ、笑わないでくださいよ」

「いや、本当に君が助手でよかったと思うよ」

 そう言って笑ったところで、優弥の目がすっと鋭くなった。そして真っ直ぐに前を見据える。

 理土もそちらに目をやると、長い髪を靡かせた美しい女性が立っていた。纏っているワンピースは黒色。それがとても似合っている。間違いなく、小林美莉だ。

「美莉」

 優弥が呼び掛けると、美莉はびくっと肩を震わせた。そして、優弥を見て笑顔になった。

「藤木君」

「えっ」

 この展開は予想外だ。完全に推理が外れたとしか思えない。

 理土はどうするんだと、優弥を凝視してしまう。

「夏輝が来ると思っていたんじゃないのか」

 それは優弥も同じようで、動揺を隠しきれずにそう訊ねる。

「まったく。あなたっていつもそうね。どこまで鈍いのかしら」

 どうして夏輝のことばかり考えるの。そう美莉は頬を膨らませる。しかし、すぐに妖艶な笑みに戻った。

「そうか。お前は、五十嵐さんを選んだんだな。それを夏輝は知っていた。だから、恋愛に絡む事件ばかりを起こしていた。俺に、ヒントを出すために」

「――」

「美莉の選択にどうこう言うつもりはないんだ。ただ、どうしてこんな回りくどいことをしたんだ。こんな、夏輝を困らせるようなことを」

「夏輝はいいって言ってるでしょ。私は、私はあなたに振り向いてほしかったの。だから、ずっと我慢していたのに」

「――」

 美莉は横に理土がいるのなんて気にならないぐらいに、優弥しか見ていなかった。その目は熱っぽい。そして、そのことに優弥はさらに驚いていた。

「夏輝と付き合ったのだって、ちょっと当てつけだったのに。あなたは全く振り向いてくれなかったわね。そして、今もなお」

「そ、そんな。じゃあ」

 俺への復讐の意味もあったのか。優弥は膝から力が抜けそうだった。

「そんなことないって否定しないで。じゃあ、私と夏輝がどのくらいの関係だったか、優弥は知ってるの?」

「いや」

 予想外の展開だ。理土は思わず周囲を見渡す。

 すると、蘭子がいるのが見えた。丁度、池の周囲からこのお堂を見ることが出来る、少し出っ張った部分に立っている。不安いっぱいの顔をしているのが見えた。

 それで理土は総てを理解する。今までの疑問が一気に氷解した。

 つまりは、蘭子はこの美莉の秘めた思いを知っていたのだ。だから夏輝に近づき、そして優弥を監視していた。

 この秘めた思いをどちらにも気づかせるわけにはいかないと、孤軍奮闘していたのだ。だからこそ、優弥がフィールドワークに出る度に文句を言い、それでも協力していた。

 夏輝に手出しさせないため、そして、優弥に事件の真相を気づかせないために。

 でも、美莉の本音が二人にぶつけられる瞬間、総てが瓦解することも知っていた。

 だから、最後の仕上げの段階で彼女は身を隠すしかなかったのだ。

 夏輝に頼まれたのもあるだろうが、優弥が真相を知って愕然とするところを、見守ることしか出来ないと知っていたから。

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