第52話 布石

 誰だってハッピーエンドを願っている。

 そういうものじゃないのかと、理土はこの一週間悩まされることになった。そして、それは優弥も同じだろう。最終決戦を前に、あれこれと準備に勤しむその顔はいつも思い詰めたものだった。

 しかし、一つ糸口を掴むと真実への道は簡単に開けてしまい、そしてそれ以上の否定を拒絶するものだった。

 夏輝は総仕上げとして美莉を殺すため、この五年間を費やした。それはあっさり五十嵐の手に落ちてしまった美莉への復讐心なのか、それとも五十嵐への復讐なのか、それとも両方なのか。

 ともかく、夏輝は変わってしまった美莉を拒絶したのは間違いない。そして、多くの似たような負の感情を取り込み、まさに妖怪になってしまったのだ。

 夏輝はこの世で起こり得る恋愛での心変わりを、殺人という代償に置き換える魔物になってしまった。

「そう。負の感情、陰の気が妖怪を生み出すのは間違いないね。そういう訳の分からない感情を、人は妖怪として一括りにしてきたところがあるだろう。この間の河童ではないが、差別する相手を妖怪と考えるのもまた、負の感情のさせることなんだろう。あれは人でなしだと言ってしまうのと同義だからね」

「ううむ」

 優弥の運転する車の助手席にて、理土は大きく唸ってしまった。

 妖怪って何なんだろう。解らなくなってくる。今もまだドリンクホルダーに鎮座する目玉おやじを見つめ、ただ愛くるしいだけのキャラではないんだなと溜め息が漏れる。

「もちろん、怪現象に対しての妖怪は今の説明に当てはまらない。人間は理解できないものを妖怪とする場合もあるからね」

「でも、そこにも理解できない、したくないってのがあるんですよね。恐れることで、理解を拒否しているというか」

「まあね。しかし、それはちょっと現代的な解釈かもしれない。実際に昔は理解できないことも多かった。地震が地殻変動によるものだなんて知らないし、火山が噴火するもやはり地殻変動のせいだなんて知らないからね。雷が鳴るのは放電現象であり、星が流れるのは凶事の前触れのせいではなく彗星という星だと知るには、やはり科学の発展があったおかげだ」

「そうですけど」

 そこで妖怪を追い掛けている優弥に科学を持ち出されると困ると、理土は目玉おやじの頭を突いた。でも、前の時のように後ろから蹴りを入れてくる蘭子はいない。それもまた、辛くなる。

「蘭子さんはやっぱり、安倍さんを選んだんですね」

「そうだな」

「小林さんのことが、妖怪のせいではないとはっきり知ってしまったから、ですよね」

「そうなるな。二人の能力をもってしても、あれは人間の仕業だとしか考えられなかったんだろう。だから、夏輝は何も持たずにいなくなったんだ。違和感としていることは解るのに、現代に現れる現象の多くは人が起こすことを知ってしまったから」

「――」

 今は優弥の研究室にある大量の夏輝が集めたがらくた。それが本当にがらくたになってしまった瞬間だ。ああいうものに隠された現象を追う理由の消滅。それこそ、夏輝が妖怪になるしかないと思った絶望ではないか。

「俺は夏輝を止める。その義務があると思っている。今まで、俺は夏輝を理解しようとしているようで、まったく理解していなかった。あいつが興味を持っていたことを追い駆けていれば解る。そう思っていたけど、全然だ」

「それは」

「解っている。仕方のないことだ。俺は所詮、科学者でしかなく物理学を基に考えることしかできない。俺にとっての違和感は科学的な証明に繋がることでしかないんだ」

「――でも、それは安倍さんも、ですよね」

「――そう、だな」

 違和感を解っても、それが妖怪だと証明する手立てはない。だからこそ、夏輝だって物理学を極めようと思っていたはずだ。

 そう考えると、二人が得た結論は同じということになる。不可解なものを理解するためのツールはすでに持っているのだ。その中で、何をどう解釈するか。知らないことを知っていることに出来るか。そういう差なのだ。それは能力のあるなしではない。

 車はそんな沈痛な空気の中、すっかり暗くなった上野公園へと辿り着いていた。

 決着の場は、やはりこの始まりの場所であるべきだろう。それは夏輝も考えている。

 本来、ここで蘭子が襲われるはずだった。それを、長谷川が目撃したことで変えてしまったのだ。しかし、美莉には伝わっている。どこで何をしているのか、いとこの蘭子が知ったと伝わっているはずだ。

 そしてその公園で今度こそ起こる殺人こそ、夏輝がこれまで必死にノウハウを溜めて練り上げた集大成なのだ。

 殺人を犯すことになるのはもちろん、五十嵐の妻。それまで何となく気づきつつも容認していた不倫。それがとんでもない秘密を持った不倫だと知り、怒り狂っての犯行。

 それを、夏輝は描いている。

「五十嵐さんは、ちゃんと奥さんに謝れたでしょうか」

「さあね。ともかく、説得できたのは大きかった。近頃、量子コンピュータへの関心が高まっていたのが俺に味方してくれたな」

 そこで優弥は自嘲気味に笑った。

 五年前の事件を無視してでも研究し続けた物理学。それが最後に夏輝との決戦で布石として使えるとは、皮肉でしかないと思っているだろう。

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