dreizehn. ナッキカスティケとハッピージョー

「バルクホーン中尉、ちょいと俺とも剣術の稽古をしてくれやしませんかー?」

「……いいよ」


 本来ならこの午前訓練の場にいないはずの別小隊の部下にそう声をかけられ、バルクホーンは少し困ったようにそう返した。


 軽い口調と「いや、俺必要ないんで」と普段は最低限の体術訓練にしか参加しない彼——ディーことヘイモ・ランピール曹長——のその発言に、周囲にいた人間が少しだけ静かになる。

 それもそのはず、いつも常に一緒! とばかりにニコイチで行動しているはずのダム(コスケラ軍曹)もいなければ、彼がこれまで剣術の訓練をやっている姿など誰も見た事がなかったからだ。


「真剣使っていいっすよ?」

「いや、流石にダメだろ」

「……俺には当たりませんから」


 常に楽しそうにケラケラと笑う第8中隊の悪戯コンビ。

 別師団の所属だったダムが、広報部の活動で当時できたばかりの第13師団及び第8中隊に接触。その愛嬌ある性格で瞬く間に部隊のメンバーの素の表情をとらえた写真や記事で気に入られ、こちらへの転属が許可された。その際に幼馴染であるランピールを一緒に引き抜いてほしいと必死の表情で頼み込まれてから早数年……。


 基地の緊急警報機器を誤作動させ大パニック、軍幹部のヅラをミーティング前に隠して大目玉、隊舎で幽霊騒ぎをでっち上げる……等々。

 基本彼らはメイヴィスの言うことしか聞かない。しかしきちんと機能すれば偵察部隊として彼らほどの適任はいない。そういった背景から配置換えもされずに、この第8中隊のある意味予測不可能なもう一つの・・・・・名物コンビ。


 真実が視えるダムと、人の心が聴こえるディー。

 人懐っこくどちらかと言えばその可愛げから相手の懐に入って情報を探れるダムと比較して、喋れば一発で機密事項が手に入ってしまうディーの方が、人と距離を取りながら面倒くさそうにチャラけてる節はある。


 ——その、読めない方の部下が。今俺の目の前で多分盛大に怒っている。


「あのさ、ディー……」


 無駄な争いは避けたいと声を掛けたものの、無言で彼はさっさと軍刀を鞘から抜いてチェックしているだけだ。

 ぱちん、と指を鳴らす音だけが返事の代わりに辺りに響く。


「……わかってると思うが、訓練での能力の行使は軍規違反だぞ」

「ええ、でもご存知の通り。俺別に軍とかどーでもいい人間なんで」

「……口調、素に戻ってるけど大丈夫かお前」

「べつに。音は遮断してますから問題ないです。ご自由にくっちゃべってください」

「いや……だからさぁ」


 呆れ気味に言えば、いつも捻くれたように下がっているその眉が一文字の無表情になっていて。


「こんな時に俺と小隊長殿の心配をしてくださるとは、流石貴方は人間ができていらっしゃる。俺とは比べものになりませんね」

「あのねぇ……」

「その優しさはどこまで覆りませんか?」


 言うなり正確に顔面を狙ってきた剣先を、バルクホーンは鞘で弾いた。


「落ち着け、大方何に怒ってるのかは予想がつくけど、それについては俺が全面的に悪くって」

「謝れば済むんすか? 小隊長殿の気持ち知っててそれでゴメンナサイで済ますつもりですか?」

「いやっ、だからね……」

「男はこういう時自分本位だから嫌いなんです、何してくれてんですか?」


(えっ、何そういうこと? まぁメイヴィスの事凄く慕ってるもんな。えっ、ごめん、俺盛大にディーの地雷踏み抜いちゃった感じか?)


 正直剣術なら自分の方にかなりの部がある。こちらの牽制は動きが読まれているため当たらないが、それも考慮した上でバルクホーンは鞘をつけたまま応じていた。


 幼馴染とはいえ、普段飄々と訓練を躱しているとはいえ。兵士としての素質なら、間違いなくダムよりもディーの方が上だ。戦闘においてのクレバーさも同様。当てる気のないバルクホーンの防御の隙をかい潜って、本気で刺しに来ようとしている一閃が何度も掠める。


「勘違いしてるとこ悪いんですが、俺、別にそういうんじゃないんでっ。ただ……、優しいだけじゃ誰も幸せにはなれないんすよ!」

「それは俺も思うよ」

「何してくれてんですか。小隊長殿はね、今のままでいるのが一番傷つかないんすよ、余計なことは! いくら貴方でも」

「傷つかないように……っていうのは、幸せじゃなくて仮初めの逃げだよ」

「じゃあ!? 本当に! 小隊長殿が大尉とくっつくとか思ってます!? それこそ偽善でしょ」


 声が聞こえないにしても、流石にその鬼気迫る二人の応酬にギャラリーが増えてきた。よくわからないにしても止めた方がいいと身を乗り出してきたハートマンに、視線で来るなと伝える。


「随分と余裕ですね!」

「いやいや、結構これでも必死」

「ちいっ……!!」


 その切っ先を——正直一撃くらい貰ってもいいかと避ける気もなかったが——スレスレで避けて。掠めた刃で切れた血がディーの顔にかかる。


「うぐっ……」

「ディー、お前がいい子なのはその太刀筋でわかるよ。だけど、お前が内心諦めて信じてないなんて。メイヴィスは悲しいんじゃないかな」


 避ける気が無いのを読んでか、一瞬ためらったその鳩尾に手元で返した柄で打撃を入れる。

 少し折れるように前のめりになったその身体を、支えるように受け止めた。


「なん、で。そこまで」

「えっ?」

「自分が、幸せにしてやろうとは……思わない、ンすか」


 どういう意味? そう、その顔を覗き込もうとした瞬間。


「何をしている貴様ら!!!」


 尋常じゃない空気を感じてか、誰も割り込めなかった二人の間に。

 一人には敬愛する上官として。

 もう一人にはたった一人の同期、そして友人として。

 今ここにいないはずの誰かの拳が思い切り振り下ろされたのだった。




***




「ンだからぁ〜! そこは「私のために喧嘩しないで!」ってアレでしょ、乙女のテッパンってやつっしょ! なに一番オトコらしく仲裁してんすか。くけけっ、いっやぁ小隊長殿が一番勇ましかったっすねー」

「だって、だって! 本当に喧嘩してるんだと思って」

「俺の決死のお膳立てもマジで無駄っていうかー」

「流石俺らの小隊長! もう皆惚れ惚れしてたっすよぉ!」

「ダムも! そんなこと! 言わないでってばぁあ」


 顔を真っ赤にしていたたまれない表情でソファに座っているメイヴィスを、ニヤニヤ笑いながら挟むようにして座る部下二人。ディーの顔面にはでかでかとした湿布が貼られている。


「いや、そのクソアマには無理だろ。ンだよ、相変わらず戦闘力ゴリラだな」

「ひどいっっ」


 突然ディーとバルクホーンが訓練中に乱闘を始めたと聞き、駆けつけたメイヴィスが素手で二人を引き剥がしてブン殴ったのが数刻前。

 切羽詰まったような場面にもかかわらずあまりのスピード解決と、音声を遮断していたおかげか事の真剣さは周囲に何一つ漏れておらず。拳で二名を沈めたメイヴィスの剣幕にユカライネン大尉が爆笑、"訓練がエキサイトしすぎてしまった"と今回はお咎めなしだという。


「いやぁ、良かった。大尉の厚意に感謝だねー」

「アンタは! 黙って! 止血してなさい!!!」

「あっ、隊長サンの前で大の男二人沈めたのかよ。やべーじゃん、ゴリラ決定じゃん」

「このクソガキ!!! えーん、大尉にきっと引かれちゃったぁあ!」


 避けるつもりもなかった剣先で思い切り裂いてしまったバルクホーンの左耳は、まだ血の滲む包帯でぐるぐる巻きだ。

 それを見たメイヴィスの表情が再び歪む。


「なんなのよ、なんでいきなり二人してやりあってんのよ、バカなの!?」

「いやぁ、そこはね。我が麗しの小隊長殿を取り合おうってか」

「誤魔化さないでよーっ!!」


 氷のような表情で二人をのして止めたのが信じられないほど、メイヴィスは半泣きの様相である。


 訓練と哨戒シフトも無事に終え、メイヴィスの号令のもとで今夜はバルクホーンの自宅に集まる事となった。もはや仲直りという名目の飲み会だ。

「はぁ!? ウチは託児所じゃねーんだよ」とバスクが少々反発していたが、無駄に怪我して帰ってきた家主を心配して不機嫌なのはもうバレバレで。初めて訪れる上官の自宅にディーとダムは興味津々といった様子だった。


「アンタもなんでそう怪我しちゃうわけ」

「いやぁ、避けられなくて」

「……嘘つき」

「嘘じゃないよ」

「バァカ」


 そう零しながらむっと少し頰を膨らませつつも、自然にバルクホーンの横でキッチンに立つメイヴィスを見て、ディーは目を丸くした。


「なぁエイノ、俺もしかしてやらなくてもいい事やったか?」

「かもねー」


 気まずそうに下を向きつつも、ここは上官の自宅である。

 勝手知ったるメイヴィスと違い、何を手伝っていいのかもわからないディーとダムは「座ってなさい」と大人しくソファに座って待たされていた。


「まっ、いいんじゃなーい? 二人とも無事なんだしさ」

「いや……多分手抜かれてたしよ」

「それはヘミもでしょ?」


 見透かされたようにニヤリと笑われ、更に口角が下がる。


「ディー、ダム、これ運んでくれるー?」

「ういっす」「りょっす」


 キッチンから少しだけスパイシーな香りが漂ってくる。

 呼ばれた二人は大皿に盛られた料理と取り皿やカップをそれぞれ食卓へと運んだ。


「うっわぁ。これバルクホーン中尉が作ったんすか? スッゲェ!」

「今日はあり合わせのものが多いんだけど、そう言ってもらえると嬉しいね」


 山盛りの大皿を楽しそうに運ぶダムを横目に、ちらりとその背中を伺いディーも声をかける。


「バルクホーン中尉、さっきのは」

「ああ、冷蔵庫に入れてるから出していいよ」

「うっす」


 なんとなく気まずくて、まだその顔は見られない。

 気にしなくていいのになぁーという彼の穏やかな心の声まで一緒に聴こえてしまって、ますます気まずい。


 冷蔵庫から出して並べたのは"Happy Joe"。「幸せはシンプルなものから」をコンセプトに造られたスオミのシードル(りんごのお酒)だ。ドライなものから甘めのものまでいくつか種類があるそれを、メイヴィスに頼まれ悪戯コンビは袋いっぱいに持参していた。


 栓抜きで開けるプシュッという小気味良い音。

 りんごの甘みと酸味、ドライな喉越しが人気で。王冠の裏には幸せのメッセージが書かれている、思わず笑顔になれる一本だ。


「じゃあ皆で食べましょー!」


 メイヴィスの音頭でハッピージョーの瓶がコツンと合わされる。


 四人掛けの食卓、「俺こっちでいいっす」とディーがソファの方に座ると、メイヴィスが困ったように少し笑った。


「どう? それ口に合う?」

「……ンまいっすよ」


 自然な動作で自分の左横に座ったバルクホーンに、逃げ道を塞がれた気分になってディーはそう返す。


 大皿に盛られた二種類のNakkikastikeナッキカスティケ。炒めたソーセージと玉ねぎにビーフコンソメ、トマトピューレ、スパイスで味付けしたブラウンソースをかけて少し煮込むスオミの家庭料理だ。

 パンと一緒に食べても美味しいが、これまた山盛りのマッシュポテトが添えてあって、これと合わせると最高にうまい。

 普通の慣れ親しんだ味と、もう一つは……。


「カリーヴルストみたいにしてるんすか?」

「そう、よくわかったね」

「いや、そりゃわかるっしょ……カレーの味するし」


 なんでこの人そんな笑えるんだろ、そう思いつつナッキカスティケを口にする。


 ——いろんな声が、聴こえてくる。


 メイヴィス中尉殿が昔救われた……と言っていたこの人の性格は、こういうところなんだろう。エイノはエイノで自分に対して「素直になればいいのに」とか思ってやがるが、俺はいつだって正直だ。

 機械の身体の義弟だって、当初精神が安定しない時は本心を探るために自分がカウンセリングをやらされていたものだが……口は悪いが現在は物凄く安定している。

 皆の意識はそうやって、バルクホーンの人柄のことに向いていて——その次に考えていることは。


 ハッとして顔を上げれば、全員の視線が自分に向いていた。


「あっ、すんません」


 別に盗み聞きするつもりじゃない。でも聴こえるのだ。

 悪意のない空間は、人を出し抜かなくていい空間は、正直居心地が悪い。


「あーっ、ヘミまた無理してる」

「ああ? ンなのしてねーって」

「違うよ、嬉しい時は笑っていいんだよ」

「はぁ?」


 嘘だ、本当はわかってる。

 このぬるま湯みたいな優しさに浸れたら、一緒に笑えたら、楽しいだろうなって。でも、失くすのは怖いから。壊れるのは……嫌だから。


「はぁい、ちょっと詰めなさいよ」

「ちょっ、なんすか小隊長殿」


 ディーをバルクホーンと挟むように、メイヴィスが隣に座る。


「はぁーい、かんぱーいっ♪」


 コツン、と音を鳴らすのは手に持ったハッピージョー。


「そこのバカもだけど。幸せがどっか行っちゃったらまた掴めばいいのよ。それはね、生きてる奴の特権よ。忘れなくていいけど……それ含めて一緒に幸せになんなさい」


「ねっ?」と首を傾げるメイヴィスの手には、もう新しいハッピージョーの瓶と開いた王冠が。


「Fall for happiness. Fall for our new Apple Parade cidersだってー! ってことでもう一本!」

「いやキミ、早々から飲み過ぎじゃ」

「うるさーい! 誰よ怪我して飲めない奴は。わたしその人のぶんも飲むんでーすっ」

「じゃぁ俺もっ、弟くんのぶん飲んじゃうーっ」


 ニコニコとした笑顔で、バスクのグラスにコツンと瓶を合わせるのはダム。

 居心地悪そうな表情をしつつ、皆を静かに眺めるバスク。


 ふわっと、頬を撫でる風が一陣。静かに流れたような気がした。


「ディー、これをね。貰ってくれないかなって」

「はぁ? なんなんす……」


 さっきから何かを自分に渡そうと思っていることは分かっていた。だけど……差し出されたそれを見て、ディーは言葉を失う。


 バルクホーンが差し出したのは、古ぼけた一枚の写真だった。

 そこに写っていたのは、アッシュグレイの髪の毛を伸ばした、銀色と紺色のオッドアイの女の子。それは記憶にあるその姿より、少し幼くて。


「ずっとね、メイヴィスもダムも気にかけてたんだよ」

「なん……で、これ」

「グスタフ大尉のところの、オディール。彼女、連邦から来ただろ」

「昔ね、近所に住んでいたオッドアイのお姉さん。彼女が機械にされるために連れて行かれたのを見て、あの子は連邦から逃げ出すことを決めたらしいわ」


 その数少ない思い出の持ち物から。


「い、いや、もらえないっす。そんな……」

「だってー、お礼に何かしたい〜なんてあの子言うんだもの」


 ねっ、とメイヴィスにウインクをされて。震える唇のままディーはバルクホーンの方へ向き直る。


『ジナイーダ・レイラ・バラキレフ』


 差し出された写真の後ろには、連邦の言葉でそう書かれていて。


「これ……」

「彼女の名前だそうだよ」

「あ、あの。嬢ちゃんには、ドロ……いや彼女のことは」

「はっきりとは言わなかったけどね、わかってると思う」


 こんな時代だから——。そう静かに告げるバルクホーンの寂しそうな表情を見つめる。


「……受け取れません」

「えっ、でも」

「条件がひとつ。もしバルクホーン中尉が何か自覚したら……全力でその人を愛して、大切にしてください。でねーと、俺ちょっとこんなん受け取るの重いってかァ」


 ニヤッといつも通りのひねた笑顔で笑いながら、ディーはスッとその手元から写真を抜き取る。


「あ? えっ?」

「んじゃ、交渉成立ってことでェー」

「ちょっとディー、どういう……」

「ああーっ、そちらさんの小隊、結構情緒がマトモな人いないっすもんねー。ハートマンくらいか、奴に相談したらいいかもしれんっす」

「だから何を……」


 ぱちん、と指の鳴る音がした。


「バルクホーン中尉、俺ね、どんな人間も当たり前に隣で笑って愛し合える。とりあえずそんな国のしくみ作りたいっつーか。まぁ作るんでね、頼みますよー」


「えっ?」と返す間に、再び指を鳴らす音が響く。


「何よー、内緒話?」

「ま、男の約束っすね〜」


 困ったように笑いながらも、メイヴィスはハッピージョーを飲みながらディーの頭を少し強めに撫でた。


「痛いっすよ小隊長どのぉ!!」

「ほんっと、ウチの部下は可愛くておばかねー!」


(下を向かせなきゃ素直に泣きもしないんだから)

 そこまでバレてちゃ仕方ないか、とディーは甘んじてその強めな手のひらを受け入れるのだった。



 その背中にある黒い片翼が、そっと彼の涙を拭うように頰に触れたのを。相棒のダムはハッピージョーを口に含みながら優しく見守っていた。





本編にあるディーの過去編(前中後編の3話)とその後の話が少し含まれております。

https://kakuyomu.jp/works/16816452220445705173/episodes/16816927860442353693





 


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