vierzehn. ラスキアイスプッラ
3月。春はもうすぐそこだというのに、スオミの冬は長くまだまだ氷点下と曇り空の多い日が続く。
「早く春にならないかなぁーっ。ね、あんまりこう青空が見えないのも、気が滅入っちゃうでしょ?」
「ルセーな。俺は別に天気に機嫌なんか左右されねーんだよ、アホくさっ」
「んもうっ、バスクはいっつも不機嫌ぶってるもんねー」
滑走路が見えるバルコニー。綺麗に手入れされた指先で頰をつんつんされ、「ガキ扱いすんなや、クソ花畑」と返せば「だってほら、すぐムキになっちゃって。お子ちゃまじゃなーい」と嫌味のない笑顔で即座に返されてしまい、バスクはそのまま押し黙る。
天気に機嫌が左右されるのは、各国の戦闘事情だけでいい。
最新機器の力をもって圧倒的な技術力と兵力差で攻めてくる新人類派にとっては、天気なんて着弾の精度云々にもうさほど重要視されてないのかもしれないが。
だけど——。
いつも春の日向のように暖かい、隣にいる整備官。彼女の笑顔が曇るのはなんだか好きじゃない。
お
それを今の自分の保護者は「友達ができたんだね」と朗らかに笑う。
(すごく、変な気分……)
——危険な出撃が少ない日の方がいいだなんて。
***
今の俺の置かれている状況は、ちょっと……というかかなり特殊だと思う。
そもそもが生体兵器だ。人間の機能を残している部分なんて、心臓から上だけで、果たしてこれを人間と呼べるのかどうかも怪しい。
何百回とテストを重ねて、最新鋭の戦闘機に一人で搭乗するくらいの適合性はあったし、母国上空や国境線では結構な数を撃ち墜としてきたと思う。
言うなれば俺も向こうじゃエース級の一人だったって事だ。
撃墜された戦闘機パイロットに待つのは「死」のみ。自爆装置だってその為に埋め込まれてる。墜ちた時点で遠隔操作でドカン、なんてのもよくある話だ。まぁ何で俺に遠隔装置が付けられてなかったかというと……。
「バスク、どうした? どこか痛む?」
……あー、重い話はよそう。めんどくせーけど、俺には今保護者とか担当の整備官がいて、考え事をしているだけでもやたらめったら心配される。正直ウゼェ。
「うるせーな、考え事してただけなんだよ」
「そっか。今日は気圧も低いから、どこか痛むんならすぐ言うんだよ?」
「だから何もねーって言ってんだろ」
耳にデカい包帯をつけたまんま、人の心配をしてるのが今の俺の保護者。ねーちゃんの婚約者だったシルト・バルクホーンだ。
すげぇむかつくけど、俺らの中でも人徳者だから狙いやすいなんて言われてたくらい、あまり人を苛立たせるような事もしなければ、残忍さを身につけていた方が色々とラクな軍人らしからぬ気配りのできるやつ。あーむかつく。
今回の怪我だって、部下を怪我させないために自分の耳くらいいいかって感じでわざと刃を避けなかった結果らしいので、自業自得だと思う。つーか耳も大事にしろって話だよな、バカじゃねーの。
俺のねーちゃんはもうずっと前に死んでいて、俺はねーちゃんの命と引き換えに生かされた。まだ11歳、悲しいのと悔しいのと、どうしていいかわからない気持ちでいっぱいになってしまった俺は、とにかく全てを恨んだ。
「バスク、やっぱどっか痛むの? 眉間のシワ、すっごいわよ」
「ンだから、考え事くらい一人でさせろや、ころすぞ」
ああもう、昔を振り返るなってか? マジでウゼェ。第一てめーこの家の住人じゃねーだろーがよ。
俺に血の繋がった家族はもう一人も遺ってない。
しかもあろうことか、ここは敵国家だ。せっかくねーちゃんの婚約者に会えたから道連れにして死んでやろうとか思ってたのに。
「んー、熱はないよね。どっか痛む?」
「……だから、考え事してるって言ってんだろ! 触んな!」
まぁ、何だかんだあって、俺は生きて。ここに保護されてる。捕虜にしちゃ随分といい生活させてもらってる。居候って言ってもいいくらいのな。
本は読めるし、柔らかい布団もある。花畑と、火の鳥バカと一緒に飯食って勉強するのも悪くない。たまに白いのがおやつを分けると言ってやってくる事もあるけど、俺は成長が止まってるだけでお前みてーなガキじゃない。
まぁ、平和ボケごっこにくらいは付き合ってやってもいいと思ってる。
「……とりあえず休憩しよっか?」
「アンタもコーヒー飲む? ミルクは?」
「こんな甘そうなモン食うときにミルクいらねーだろーが」
「はいはーい」
いつのまにかテーブルの上に置かれた皿には、不思議なスイーツが盛られている。クリームがこれでもかと生地に詰められていて……シュークリーム? じゃねーよな、これは何だろう?
俺が言うのも何だが、ねーちゃんは可愛い人だったと思う。
だけどスッゲー天然だ。
ふんわりしすぎていて、料理を焦がす事も結構あった。
俺には優しくて素敵なねーちゃんだったけど、よく転んでたし泥だらけになる事もあったし。あ、別に料理が下手くそだったとかじゃねーんだけど。
認めたくねーが、そりゃあ彼氏がコイツだったんなら安心だろうなとも思う。
……オーブン爆発しても、多分こいつならねーちゃんの心配はするけどオーブンがどうなっても怒らねーだろうなと思う。
……もしかして。こいつの卓越した家事能力はまさか。
「なぁ、ねーちゃんって洗濯物全部吹き飛ばしたりとか……しなかった?」
「えっ……いやぁ」
「誤魔化さなくていい。天然だろ、あの人。俺の頭にアヒージョ落とした事もある」
「……バスク、よく無事だったね」
「熱いし滲みるしで、大泣きしたけどな」
「むしろどうしてアヒージョなんてハイリスクな料理を……。あー洗濯物といえば、洗剤の量間違えて家の中泡だらけにしたことは、うん、あったけどね」
呆れたような俺の顔に、そう言って困ったように笑い返すだけ。
はいはい、そういうところ含めても一緒にいてくれたんですね。ごちそーさま。
「えっ、なになに、恋バナ? わたしも混ぜてー!」
コーヒーを一滴も溢すことなく持ってくる手際の良さ、手助けがいらなそうな器用さ。口調は女のそれなのに、見た目はやたら綺麗な男……の変なやつ。
今この空間にいる中で、この家の住人じゃないのはこいつだけだ。
どうも二人はスオミに移住した頃からの同じ部隊の同期らしい。それにしちゃ、お互い抱えてるもんが色々あるっぽくて、ひとくくりに同期だの友人だの言える関係でもなさそうで。
あんまり聞いちゃいけないと思って、聞いてない。
つーか、はたから見たら結構いい感じなのに、多分本人たちが一番気づいてない。だから俺もそこんところは言わねーようにしてる。
最初はビビったけどな。えっ? 男? 何そっちに走った? って。まぁ、人間やめてるみてーな俺が言うことでもねーけど。
ねーちゃんが死んでしまって10年。
さすがにもう他の誰かと結婚してるだろうと思ったシルト・バルクホーンは、ずっと律儀に婚約指輪を持っている未婚者で。それも何だかむかつくけど。
俺と住むようになって。一人だけそのプライベートな生活空間にずかずかと入り込んでくる人間ができたらしいことは、何となくわかった。
「どうしたのよー。今日は本当、いつもより不機嫌そうね? ノーラと喧嘩でもしちゃった?」
「してねーし、何で俺が不機嫌そうな理由の候補に花畑の名前が出てくんだよ」
「えー? 自分で考えたらぁ?」
舌打ちをしたらなぜか頭を撫でられた。「とりあえず落ち着こっか?」と口元に差し出されたコーヒーをゆっくりと飲む。
「ああ、メイヴィスいいよ、俺がやるから」
「はーい、バカな怪我人はお役御免なんで座っててくださーい」
俺を挟んでソファに座る二人は軍人で、まぁまぁ名の知れたパイロットだ。
家に帰ればすげー普通の人間だけど。
「変なの……」
「ん? なにが?」
「こいつ、ねーちゃんと全然タイプ違うじゃん」
「えっ?」
「はっ?」
あ、やべー。つい口に出ちまった。
「もう、アンタの素敵なお姉さんとわたしなんか並べちゃダメでしょーっ」
「むぐっ……!?」
照れ隠しなのか、何なのか。
ちょっと寂しそうにその泣きぼくろが目立つ顔で笑って。
きっとねーちゃんなら、ここで盛大にコーヒー溢してただろうにそんな事もせず。
隣に座ってたソイツは、俺の口にそのやたらクリームが詰め込まれたパンを捻じ込んできた——。
***
「ん、んぐっ……あまっ!!! 何だこれ、イタリーの菓子パンか!?」
「
「そーいうところがゴリラっつってんだろーが!」
「そっ、そんな事言わなくていいじゃなーい!!」
勢いよくバスクの口に突っ込んだからか、はみ出したクリームがべっとりとついた手に、バルクホーンがナプキンを渡す。バスクは口の周りを拭かれ、されるがままになってふがふがと声にならない音を出していた。
「えーっ、もったいないじゃない」
そう言って指のクリームを舐めとると、ナプキンを受け取り手を拭くメイヴィスにバルクホーンは苦笑する。
「おいし〜わたしも食べちゃお」
「太るぞ、クソアマ」
「ひっどーい! 今んとこちゃんと体型維持できてるからいいでしょ、スイーツくらい」
「そのうち来るぜ、特にオメーみたいな細いやつは気付いたら腹だけ……って」
「ちょっとぉ!!!」
「んーでも、メイヴィス、昔っから食べろって言われても太れなかったよね。でもスイーツ好きなのは知らなかったなぁ、そういうとこ女の子だよね」
「何よ、悪い?」
「えっ……いや俺、今フォローしたつもりなんだけどなぁ」
「いや、つーか三十路超えて女の子呼びはキツくね?」
「もう、二人とも黙って食べなさい!」そう押し付けられるように唇に当たるのは、ベリーソースと生クリームのラスキアイスプッラ。
「いや、これオマエが作ったんじゃねーだろ……」
元は
元々はセムラという名前で隣国から伝わってきたものだ。
イースターが消えても。人々の愛する味の文化や季節だけが残っているのは、北欧に住む全ての人の心の癒しになっていることは間違いない。
「ていうか、スオミの季節料理やスイーツも網羅してるだなんて。流石は女の子にも人気のバルクホーン中尉!」
「からかうなって。あれはハートマンのついでだろ」
「ふぅーん、知らないんだぁ」
にやにやしながらも、バスクの口元にクリームがついているのに気づいてそれをゆっくりと拭うメイヴィス。
どうもノーラから聞いた話では、バルクホーンは特殊部隊の小隊長という立場や独身という身の上で、まあまあ狙いどころな物件だと言われているらしい。
にやにやしながらそれを告げるメイヴィスと、結構困った顔で否定するバルクホーンを見て、バスクは小さなため息をついた。
あれだけバレンタインから大騒ぎしておきながら、この落ち着き方。二人とも実はバカなんだろうか? そう少しだけ呆れつつ、差し出されたスイーツを再び口に含む。
ラスキアイスプッラは少し大ぶりで、カルダモンの香りと甘さ控えめなクリームがマッチしてとても美味しい。コーヒーを合わせれば最高の午後のひとときである。
「あのねぇ」
仕方ないなぁという顔をして、そのふにゃりと微笑むメイヴィスの口元に残ったクリームを拭くバルクホーン。
自分の姉とはどう接していたのか、今更それを見る事は叶わないが。
「……まぁ、わるくねーよ」
「口にあったみたいでよかった」
嬉しそうに微笑むその人は、きっと姉にも同じように優しかったはずだ。
自身はさほど甘い物を食べないくせに、こうして自分やメイヴィスの為に、休日は必ずと言っていいほどスイーツを作る彼を見ているとそう思う。
「……そういう事にしといてやるよ」
花も人も、同じように分け隔てなく優しく接するこの男は。
……別に、誰かを同じように愛したって。
(ねーちゃんなら喜んで応援すると思うんだけどな〜)
この場に姉が居ないことを寂しく思う反面、姉が居ないからこそ出逢った二人を眺め見ては。
甘さ控えめのクリームに、ほんの少しだけ甘さが増したように感じるバスクなのであった。
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