fünfzehn. リハプッラ

 春も近づいてくると、出撃回数は目に見えて増えていった。

 圧倒的な撃墜数のハートマン、戦車撃破数のルードルマンを有するバルクホーンの小隊は特に、空に地上にと連日飛び回ることが多くなっていく。


 哨戒任務の多い偵察部隊であるメイヴィスの小隊は朝夕の二度の飛行が多く、それ以外にも参謀本部への顔出しなど連日てんやわんやだ。


 休息が欲しいなど、思ったところで言えるはずもない。武力を持つ自分たちが飛ばなければ、犠牲になるのは武器を持たぬ国民だ。

 しかし今日に限っては運が良く、四○四小隊と陸第4中隊がまるで悪魔のような圧倒的な暴れっぷりで国境沿いを鎮圧して来たのだという。

 参謀本部もいくばくか落ち着きを取り戻し、ユカライネン大尉と共にメイヴィスも下がってよしということになったらしい。


「おかえりなさいっす小隊長どのぉ〜」

「今日はラッキーすね、夜間哨戒はナシらしーっす」


 庁舎でユカライネンに挨拶を済ませた後、分隊部屋に戻ればいつものようにディーとダムがそこで待ち構えている。


「あんたたちもお疲れさま、ゆっくり休みなさい。それとも今日は久々にパーっとやっちゃう?」


 グラスを傾ける仕草でにこりと微笑めば、部下たちはその顔をパッと明るくさせて身を乗り出して来た。最近は夜の緊急飛行に備えておちおち好きな酒すら飲めなかったところだ、ここらで少し気分転換しておかないと正直腐りそうでもある。


「俺らはいーんすけど、」

「小隊長どのはいーんすか?」

「はぁ? なにが?」


 ジャケットも脱がず、そのまま呑みに行ってやる気満々の様子のメイヴィスに、二人は少し遠慮がちに声を掛ける。


「今の時間なら、バルクホーン中尉帰投してますよ。最近すれ違ってすらいないっしょ」

「なんでここでバルクホーンの名前が出てくんのよ」

「いや、ほら。飯とか、行きゃいいんじゃないかって……」


 少々歯切れ悪く話す二人に、メイヴィスは部屋の入り口できょとんと首をかしげたままだ。あーもう、とディーが眉をひそめながら立ち上がる。


「中尉がいねー時は、あの小僧の面倒見に行ってたでしょーが。やっぱ育児にはコミュニケーションが大切ってか」

「はぁ? なに言ってんの」

「いやほら、小僧の体調とか日々の記録とか、直接話さなくていーんすかぁ」

「えっ、でも……」


 こちらとしてはメイヴィスとコスケラと呑みに行けるのであれば、正直万々歳だ。しかしせっかく何かしら芽吹きそうな上官ふたりである、そこのところは少々背中を押してやったとてバチは当たらないだろうと、ディーは内心呆れ気味に口を開いた。


「俺らは毎日会ってるっしょ、この部屋戻ってきたらいつでもいますし。だから、その……今日はバルクホーン中尉に小隊長どのと話す時間くらい譲ってやってもいいかな……とか。えーっと」

「うん! うん! 俺もそれに賛成っす! バルクホーン中尉の飯食った方が、小隊長どののお肌のツヤも良さそうな気ぃするってか」

「そうそう、俺らは部屋で大人しく飲んでお帰りを待ってるんでね。小僧にもよろしく伝えてくださいっすよぉ」

「えーっ、なんなのよ二人して」


 いつもと違う二人の態度に少しだけふくれっ面をしつつ、名前を聞いたら顔を見に行こうという気持ちにもなったらしい。「仕方ないわねぇ」と言い訳のような呟きをするメイヴィスに、しめしめと二人は顔を見合わせて笑う。


「せっかくなんでなんかお土産ほしーっす!」

「酒かつまみか、どちらかお待ちしてますよぉっと」


 ニヤニヤと笑いながら、メイヴィスの気が変わらないうちにと。二人は仮にも上官である彼女をドアの方へと通しやるのであった。





***




「えっと、そんなわけで……来ちゃった」


 相変わらずの氷の女王さまよろしく「おい、いるなら開けろ」と高圧的な言い方をして玄関を開けさせておきながら、入って来たらこれである。

 軍という組織の中において、線も細く目のつけられやすかったメイヴィスが身につけたであろう処世術とはいえ、ここまでの二面性があると、それはもうギャップと言っていいものかどうかすら迷うレベルだ。


「お疲れさま、飯食った?」


 そしてまた、そのギャップを笑いもせずに、当たり前かのように受け止めて接してしまうのがこのバルクホーンという男である。

 帰宅してシャワーを浴びたばかりなのか、ゆるい部屋着と肩にタオルをかけた姿で、その髪がまだほんのりと濡れていた。


「……まだ」

「そっか、せっかくだし食べてったら?」

「うん」


 何話そうかな、どうしようかな……と考えてはなぜか黙りこくるメイヴィスを、いつものようにリビングの食卓へと促す。先にそこへ座って本を読んでいたであろうバスクが、視線をページからメイヴィスに移した。


「ンだよ、てめーも今日は上がりなのか?」

「そうよー。誰かさんの部隊のおかげでね、久々にちゃんと寝れそう」


 ふぅーん、と睨むような目つきのままだが、少しだけため息をつくような言葉の節々には、二人ともが今日も無事に帰投した事に安堵しているのが感じられて可愛くも見える。


「メイヴィス。シャワーまだだったら使っていいよ、タオル棚の上にあるから」

「あっ、うん」


 あまり皆と同じ時間帯にシャワールームを使いたくないというのまでバレている。そんな急いで会いに来たように見えるのヤダな……なんでかそうも思ってしまった。


「ほら、貸して」


 自分より少し高い背、いつのまにか目の前に来た彼の影に顔をあげれば、ジャケットをかけるためかその手にハンガーを持って立っているバルクホーンがいた。


「ほんと、お母さんみたい」

「そりゃどーも。じゃあ飯作るからその間にシャワー浴びといで」

「うん」


 促されるままに脱いだ軍服のジャケットを手渡す。「お疲れさん」と空いた手でぽんと軽く頭を撫でられて、ああそっか自分は確かに疲れてたのかもしれないな……とか。自分よりもはるかに大変な現場に遭遇したであろうに、彼はやっぱり大らかで優しくって……変に安心しちゃったのかなとか。

 自分の不思議な戸惑いをめまぐるしい日々のせいにして、一旦メイヴィスは落ち着いたのであった。




***




 茹でたジャガイモをペースト状になるまで潰し、玉ねぎもみじん切りにして炒めておく。

 少し冷ましたら合挽き肉と一緒にボウルで混ぜて、そこに卵と生クリームを加えていく。塩胡椒とほんの少しカルダモンを入れて混ぜたら、今度はそれを一口大に成型していく。

 つなぎは小麦粉の代わりにジャガイモ、こうする事で柔らかくしっとりとした北欧風のミートボールができるのだ。


「あーっ、リハプッラだ。かわいい」


 フライパンにころころとしたミートボールを投入した段階で、シャワールームから出て来たメイヴィスが髪を拭きながら楽しそうにキッチンをのぞいてくる。

 酒呑みの自分がいつ寝落ちてもいいように、と今やメイヴィスのサイズの部屋着まで置いてある始末だ。これに関しては「いや。俺の貸したら「ぶかぶか!」って怒るじゃん」とはバルクホーンの談である。


「なんか手伝う?」

「いや、匂いつくでしょ。髪乾かして座って待ってて」

「ちぇーっ」


 自分はじゅうじゅうと音を立てているフライパンの前にいるくせに、と軽く睨みながらもソファーに座って言われた通りに髪を乾かす。

 目の前で本を読んでいるバスクの頭からも、同じシャンプーの香りがしてクスッと笑ってしまった。


「ンだよ?」

「うふふ、今日は髪乾かしてもらったんだねーって。わたしバスクの頭乾かすの好きなんだけどなー」

「はぁ? 意味わかんね」


 つんつんの少し硬い金髪は触り心地が良くてすぐに乾く、いつも憎まれ口を叩きがちな彼が、その時だけは黙って気持ちよさそうに温風に撫でられている。その時間がなんだかメイヴィスは好きだった。


 出来上がったリハプッラにマッシュポテトと少しの温野菜を添えて、生クリームとブイヨンで仕上げたクリームソースをかければ完成だ。

 食卓に並べられる皿に合わせて、グラスが三つ目の前に置かれる。


「今日は、何にする?」


 少し困ったような、そんな笑顔。

 別にわたし疲れてなんかないのに、とメイヴィスも困ったような笑顔で返す。


「ベリーのがいい」

「了解」

「一杯くらい付き合ってくれるでしょ」


 わたしこっちがあればひとまず大丈夫だもん! とベリーワインの注がれたグラスをとり、バスク用のフォークを掴めば「キミねぇ」と再びバルクホーンは笑った。


「違うのよ? おじさんこそお腹空いてるでしょと思って」

「はいはい、ありがとうね。じゃ……お疲れさま」


 久しぶりに、いつものように。バスクの目の前に置かれた水入りのグラスに、コツンと二人のグラスが合わさった。



 濃厚なクリームソースに柔らかいリハプッラを絡めていただく、リンゴンベリーのジャムを添えて食べればほのかな酸味と甘みも加わってまた楽しい。


「おいしい? バスク」

「ウルセェ、黙って食ってんだろーが」

「ジャムつける?」

「それねー方が好きかも」

「えーっ、美味しいのにぃ。あっ、でも好きかもってことはクリームソースはお好みってことね?」

「……」


 器用にバスクの口元にフォークを運びながら、ちびちびとメイヴィスはワインを飲んでいる。

 バスクもここ数日に比べれば少し食が進んでいるようでなんだか嬉しい。


「なんかあった?」

「へっ?」


 変わるよ、とそのフォークを下から掬われて。


「ちょっと元気ないように見えたから」

「えっ? そんなことないし」

「久々の夜暇な日に、ディーとダムと呑みに行かないって。なんかあったのかなって」


 そんな二人をバスクはもぐもぐとリハプッラを頬張りながら、睨むように交互に見るだけだ。


「別に理由なくてもいーじゃん、いつも厚かましく飯食いに来んだしよ。お前も、クソアマだって中尉だぞ。ちょっと心配性ってか過保護すぎ」


 俺にもそうだけど……とぶすっと呟いたかと思えば、「水よこせ」と言い放つバスクに、「厚かましくって何よぉ」と言いながらメイヴィスはその口元にグラスを運んだ。


「えっ? 過保護っ?」


 心外だとでも言うように目を丸くするバルクホーンを見て、「自覚なしかよ、バカじゃん」と意地悪そうにバスクは笑う。今日初めて見せる表情に、つられてメイヴィスも笑ってしまった。


「じゃっ、おじさんもう一杯くらいいけるでしょ?」

「いや、あの俺は……」

「俺のめねーから、俺のぶん呑んどいて。ほら、かんぱーい」

「オッケー! かんぱーいっ」


 棒読みに近いバスクもバスクだが、さっさと自分のグラスは一気飲みで開け、次の一杯を注ごうと目の前で待ち構えるメイヴィスは楽しそうだ。


「お酒も料理も美味しいっていいよねぇ」

「はいはい……」


 向けられたボトルに「早く呑み干せ」という強い意志を感じて、呆れた口調でグラスに口をつける。

 飲み干した自分の口元が微笑むように緩んでいるのを、バルクホーンは気づいていない。




 その夜、多めに作ったからと持たされたリハプッラを片手に分隊部屋に戻れば、なぜか食べてもいないのに「うひゃーっ、マジごちそうさまっすー」と部下二人に言われメイヴィスは小首を傾げるのであった。

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