第二章 春の終わりにカサブランカを
You define beauty yourself...,
(こちらは『春の終わりにカサブランカを』に入っている短編です。季節が五月になっております)
扉を開ければ、花の香りがした。
「メイヴィス、綺麗だね」
振り返った同期がにっこりと微笑みながらそう恥ずかしげもなく言うので、なんだか腹が立って後ろ手で少々乱暴に扉を閉めた。
「ばっ、ばっっかじゃないの!? ここ式場よ、んなアホみたいなこと口走んないでよ」
「えっ、正装似合ってるし綺麗だよ?」
不思議そうに目を丸くして首を傾げるこの男は、そこらへんが少々鈍感というか、穏やかすぎて何にも意識していないというか……簡潔に言ってしまえばポンコツ仕様らしい。
「ウーン、ほめたのに。女性は難しいなぁ」などと呟きながら、自身はさっさと式場のフラワーアレンジメントの仕上げに取り掛かっているのだから呆れたものだ。
アンタも大概わかりづらくて難しい人間よ、なんて思ってその背中に近づく。
今日は二人の部下であるエリク・シュペーア・ハートマンの結婚式。
世界は未だ戦争中。連合軍所属の軍人である二人と、新郎であるハートマンはその精鋭部隊の戦闘機パイロットだ。なんだかんだ日程が伸びてしまい、春も終わりの五月初めになってしまった。
大小色とりどり、様々なフラワーアレンジメントの中に埋もれているのが、その直接の上官であり小隊長を務めるシルト・バルクホーンである。スピーチまで頼まれているくせに、実家が花屋だったからという理由で他の人間よりはるかにこういうのを作るのが巧い彼が式場を彩る係の一端まで担っている。
正直、何でもできすぎてそろそろいい加減にしてくれとさえ思う。その姿を後ろから眺めていた同期のメイヴィス・リリーは思わずため息をついて肩を竦めた。
「ほんと、花屋継げたんじゃないの……?」
「そうだなぁ。ま、戦争始まらなかったら継ぐつもりだったしね実際」
嫌いじゃないよ、花は繊細だけど扱い方次第でどれだけでも綺麗になって。むしろ楽しいんだ。そう呟く優しい手が、どれだけ愛に満ちているのか、それを独占していたであろう彼の元婚約者が羨ましく感じてしまう時もある。
——そんな未来は、残酷にも奪われたのだが。
なんとも思わず、部下の結婚式を心から祝える彼が。正直羨ましいとメイヴィスは思う。
戦争なんてなかったら、彼はとっくに婚約者と一緒に花屋を継いでいただろう。その手は、剣も銃も握らなかっただろう。そうしたら、自分と会うこともなかっただろうけれど……。
「ほら、また何か考えてる」
ちょっと困ったように笑いながら、手を止めてバルクホーンがメイヴィスの方を振り返った。
「だって」
「色々考えるだろうけどさ、今はハートマンの奴を祝ってやろう? それはめでたいとキミも思ってるでしょ」
こんな日に暗い顔を見せる自分を責めもせずに、優しく諭すだけの彼の方が何倍も人間ができてる。悔しいのと感心する気持ちが混じって、メイヴィスは唇を尖らせた。
北欧の連合軍。欧州の国から移籍してきたバルクホーンは、十年前の祖国の内戦で愛する人を亡くしている。当初はその人生を諦めきった表情に腹が立ち、殴り飛ばして罵声を浴びせたものだが、なんだかんだ今となってはメイヴィスの秘密を知る数少ない理解者の一人で。
……本人には言えないが一番信頼できる人物だとも思っている。
(言えないよ。だって、)
それこそ今さらだ。あれだけ嫌な言葉をぶつけて、殴っておいて。
そんな自分を助けてくれただけで十分なのに。
幼い頃から自分が周りと違うと感じていた。
はっきりとそれがわかったのは、両親に「男の子らしくしなさい」と言われるようになってからだ。昔は、可愛いとドレスを着て歌う姿を褒めてくれたのに。
いつしか、両親とはまともに話せないまま、メイヴィスは戦禍の中で実の親を二人とも失った。
失うことが辛いのも、過去が自身を苦しめ続けるのも、わかっているつもりだ。
だからこそ、彼がこれ以上傷つかない人生を歩んでくれるのが一番いいと思っている。なのに……秘密を知っているからといって、いつも自分ばかり甘えさせてもらってばかりなのが少々むず痒い。
「はい、これね作ったんだ」
「……は?」
そっとそう言いながら、歩み寄り少し照れ臭そうに視線を落とした彼の手に乗せられていたのは。
「コサージュ?」
「そ、さすがに参列者が生花はまずいだろ。だから少しでも、と思って」
差し出されたのは、花の形をレースとパールであしらった青色のコサージュだ。
「つけていい?」と微笑まれ、無言で頷く。ほら、またこうやって甘やかす……。
「メイヴィス、肌が白いから青がとっても映えるね。うん、似合ってる」
「……るっさい、なんなのよ器用すぎるでしょ」
あと、わたしだけつけてたらおかしくない? 今さらながら恥ずかしくなって、でも正直言えばすごく可愛く造られたそのコサージュが嬉しくて。メイヴィスは軍の正装の襟元をちょんと掴む。
「変じゃないよ? あっ、それにね。俺とバスクのもあるんだ実は」
「これで恥ずかしくないでしょ?」嬉しそうに笑いながら取り出したのは、薄いピンクとベージュのコサージュ。メイヴィスの襟元に付いているそれよりも、少し小ぶりにシンプルに造られていて。
「あっ……」
「えっ、バレちゃった? だってキミくらいしかパール似合わないでしょ」
「いや、ていうかこのパール……本物?」
「さあ? どうだろうね」
なんでそんな視線には気づくのだろう、この穏やか気質のお人好しは。
「せめて。ね。いいじゃない? 嫌いじゃないだろ、こういう綺麗なものとかさ」
「……バァカ」
ありがとう、そう素直に言えばいいのに。
それさえも言えずに憎まれ口を叩いたメイヴィスの頭を、「はいはい」と少し困ったように微笑みながら、ぽんぽんとバルクホーンは軽く撫でる。
「さ、こんなところいないで。早く大尉のところに行きなよ、見せてあげたら」
大丈夫、綺麗だよ。
そうにっこり微笑まれ「あっ、リップとか塗っとく? 持ってるでしょ?」と普通に言われてしまい。
「この……っ、ばあああかっ!」
色々限界がきたメイヴィスは一息にまくし立てて、さっさとその花だらけの控え室を後にしたのだった——。
***
「はい、バスク。ちょっと眉間に皺寄せるのはやめて」
「ウルセェ、今日は黙って来てやっただけで感謝しろや」
「はいはい、本当はちゃんとお祝いしたいんだろう? 皆わかってるから、そんなつんけんしなくていいんだぞ」
「だまれ、ころすぞ」
「はいはい」
どう聞いても参列者の会話じゃないなぁ、と事情を知る同じ隊の面々は苦笑する。その言葉を向けられながらも、「はいはい」と穏やかにその少年の襟元のネクタイを直し、コサージュをつけだしたバルクホーンに同じくその場にいたほぼ全員が感嘆のため息をついた。
されるがままになっているのは、金髪で、黒目の中に赤い瞳のある少年。彼用に仕立てられたサイズの衣服は、それでも明らかに手足の部分の丈が余っていて。電動車椅子に乗ったまま、その身支度を仕上げられている。
「おお、バスク、似合ってるじゃないか。あとでノーラに写真見せよう!」
「ルッセェな! おいクソチビ、俺は写真なんて写んねーからな」
自分の部下ともそうやって話すバスクを見てバルクホーンは微笑む。
この少年、バスクは彼の亡くなった婚約者の弟で、現在は彼がその身元を預かっている。
「あーっ、皆さんお揃いで? 今日は本当にありがとうございますっ」
ニコニコと現れた新郎に、皆から別の意味でため息が漏れた。
それもそのはず、本日の主役である彼は飛行部隊の王子様とさえ言われるほどの見目麗しい御曹司なのだ。キラキラがいつも以上に眩しくて、若干数名は苦しそうに息を詰まらせた。
今日は部隊の連中と師団のお偉いさんのみの参列にしといて正解だった、そう誰もが思う。他軍部の女性隊員が参列していたら阿鼻叫喚だったであろう……。
「バルクホーン中尉、何から何まで本当にありがとうございました。おかげさまでとても良い式となりそうで……母なんて既に泣いちゃってて」
「ハートマン、おめでとうな」
溢れそうな喜びを噛みしめるように言ったバルクホーンの言葉に、ハートマンは心の底から輝くような笑みで返す。
「貴方の……おかげです。俺がこうして生きられたのも、決断できたのも」
「ははっ、まだ締め括りの言葉には早いぞ。今日からお前は良き夫にもならなきゃだからな」
「はいっ。……バルクホーン中尉のような、そんな良きパートナーとなれるよう精進します」
おっと、行かなきゃ。そう言ってハートマンは皆に簡単に挨拶を済ませ、控え室に戻ろうと踵を返す。
「あっ、それ手作りっすか? さっすがー」
にこにこと微笑み、自身の襟元をハートマンは指す。
「そうしてると、ホントご家族って感じっすよ、お三方」
少し声を抑え、そう告げられる。ウインクをして、軽快な足取りで去っていくハートマンに「フッざけんなクソ御曹司が」とバスクが呟けば「もう……二人とも、その言い方ね」とバルクホーンは苦笑した。
***
「あーっ、もう。よかったわぁ! ねっ、ローセさん本当綺麗だったし、もう音楽から演出からさすがハートマン家って感じで」
「ウッゼェえええ! なんだよクソアマ、まっすぐ隊舎戻れよ! なんでウチ来てんだよ!」
「んもう! これだからお子ちゃまはっ! アレ見て泣かない方が野暮ってもんじゃなぁい、あーいいなぁ!! なんか実際に見たらわたしまで幸せのおすそ分けもらっちゃった感じ!」
夕刻、結婚式場の後片付けに残ったバルクホーンより先に、バスクを二人の住む官舎の部屋に送り届けたメイヴィスは、何故かそのままソファでくつろいでいる。
あんな幸せな光景見た後に一人でいたくない、その気持ちもあるが……。
「やーん、だって見た? 大尉のスピーチもかっこよかったよねぇ!」
「お前それ語りたいだけだろ!? ざけんな!」
「いーじゃなーい! 夢くらい見させなさいよ! ブーケトスだって乙女の憧れなのよ本当はぁ」
「だから! 三十路過ぎて乙女っていう時点でテメーおかしいだろぉがよ!!」
舌打ちはしつつも、一応話は聞いてくれるらしい。
ドSだとか、女王様だとか呼ばれる自分は、一生懸命泣くのをこらえて女っぽさも微塵も出さないようにして今日の式をやり過ごした。我ながらパーフェクトな立ち振る舞いだったと自負している。
でも、素を出せる場所で語りたい気持ちは変わらない。
なんだかんだ、こんな話を振っておきながらも「お前にバージンロードとか無理なんだよ」とか現実を刺して来ないあたりがこの子は優しい、そう内心メイヴィスは微笑む。
「第一、お前が参加したらブーケとるの絶対誰になるか決まってんじゃんよ……」
「あらぁ、でもシュヴァルべもいるからわかんないわよー」
意識して触れないようにしてるのか。でもそこにメイヴィスが参加することを想像してる辺りもなんだか可愛い。
「ねー、憧れちゃうよね、結婚式」
「……チッ」
この部屋にいると、時々わからなくなる。
世間一般で言えば、きっとバスクもメイヴィスも、結婚式なんておおっぴらには望めない身なのかもしれない。でも——。
「あのお人好しがさ、あのスタンスだからさ。時々バグっちゃうわよね」
「……だから俺アイツ嫌いなんだよ」
早く帰って来ないかな……そう心の底で思ってしまうのは、きっと二人とも同じはずで。
「ただいま……って、あれ? どうしたの二人ともそんな顔して」
玄関の開く音にそちらを仰ぎ見れば、メイヴィスとバスクは一瞬思考が停止した。
「……いや、つーかよ」
「どうしたのよ、それ?」
「いやぁ、色々引き上げるときにもらっちゃって。断れなくてさぁ」
玄関から入って来たのは巨大な花束……ではなく。花束と大量の荷物を抱えてその横からひょっこりと顔を出したバルクホーンだった。
***
バスクを寝かしつけ、語りの止まらないメイヴィスの話をワインを注ぎながらにこにこと聞く。
もう見慣れてしまったこの光景。この時間がいつまでも続くのが許されるのなら、彼女の気が済むまでその話を聞いてあげていたいとバルクホーンは思う。
いつかは。
どちらかが傷つき、墜ちてしまうかもしれない空の下で。
せめて自分がいる限りは、ここでメイヴィスに。この場所でくらいは自分らしくあってほしいと願うから。
「えへへ。正直ね、最初は祝えるか不安だったんだ」
「そっか」
「だって、わたしこんな感じでしょ。結婚式なんてさ、ドレスなんてさ、夢のまた夢みたいなもんだし」
そう言いながらワイングラスを持つ反対側の手には、着替えたのにまだあの青いコサージュが握られている。
「大丈夫だよ、キミはほら。気の持ちようだっていつも言ってるじゃないか」
「はいはい、そんなこと言ってくれるのはおじさんだけでーす。誰が177センチのこれでも軍務こなしてる男のドレス姿見たいってのよ、コントよそれ」
「ほら、そんなこと言わないの」
「あっ……」
珍しくちょっと拗ねたような表情でグラスを取られて、メイヴィスは戸惑う。
「あのね、笑えるならいいやって自分を陥さないのキミは。言ってて悲しくなるくせに」
「……バァカ」
見透かされているようで悔しい。そこは乗ってくれてもいいじゃないか、ありえねーって爆笑してくれた方が諦めだってつくのに。
「それ、もらってくれる?」
「……そのつもりだけど」
「そっか、よかった」
手に握ったままのコサージュを見つめて、にっこりと微笑まれる。
だって勿体ないもん、こんなに可愛いのにと言えば、何故か無言で頭をぽんと撫でられた。
「あっ、そうだ。ちょっと待っててね」
ガサゴソとリビングの奥にまとめた花束や引出物の中からそう言ってバルクホーンは何かをスッと取り出す。
「はい、これはメイヴィスの」
「なに……これ?」
手に渡されたのは、フラワーアレンジメントに使われてそうな大ぶりの花、白と赤の花が交互にあしらわれた花束だ。
「リリーってさ、ユリの花って意味もあるよね」
「……なに、かっこつけ?」
「なんとなく、花を贈りたくなったんだ。こんな日だから」
ブーケにしてはでかい。バニラのような甘い甘い、生花ならではの花の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。
これ……ユリ? それにしては少々大きくて、匂いも強く甘い気がする。メイヴィスは小首を傾げてその花束をしげしげと眺め見る。
「カサブランカだよ。偶然じゃない? ……ハッピーバースデー、メイヴィス」
「えっ……」
思わず目を丸くして、壁にかかった時計を見れば。0時になっていた。
今日は確かに飲むと決めたし、休日だったから延長届けも出してる……けど。
「はっ、なんで。ていうか、偶然って?」
「カサブランカ、オリエンタルリリーとも言うけど。今日、五月九日の誕生花だって……知ってた?」
「知らない……」
なんて顔をしていいかわからなくて、少しだけ頬を膨らませてしまう。
「もうわたし、ファミリーネームなんて関係ないんだけど」
リリーと呼ばせないのは、両親のことを思い出すのが辛くなるからだ。
優しい、憎めない両親。だけど女でいたいと伝えたら泣き叫びながら頬を叩いた母。なんて顔向けしたらいいかわからなくて、だから皆には名前で呼ばせるようにして……。
「キミのパパとママだろ? 俺は感謝してるけどね」
「……は?」
「だって、二人がいたからキミが生まれて来てくれたんでしょ?」
「……」
ユリの女王とも呼ばれる、カサブランカ。
花言葉は『君に祝福を』。
白の花言葉は、壮大な愛、高貴な美しさ。赤は優しさと母の愛。
「キミの美しさは、キミ自身が決めるんだよ」
「……バァカ、ばあか」
「はいはい」
花びらに、ポタポタと涙の雫が落ちた。
「泣いたら目が腫れるよ、せっかく綺麗なんだから笑った方がいいって」
「誰のせいだと……」
堪えたのに……。花が潰れたらいけないと思って手を緩めたら、そっと抱きしめられた。
「はいはい、ごめんね」
「なんかこれ、ほんと……お母さんみたい」
涙の止まらないその背中を優しくさすられる。
背が伸びてからは、母も父もそうしてはくれなくなったのに。
「誕生日、おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう」
「……うん」
いつもありがとう。
そう、絞り出すように呟けば、こちらこそと返されて。
「とりあえずなんだから、ワインでも開けますか?」
「……うんっ」
必要以上には抱きしめてこない、離れる距離がなんだか寂しく感じつつも。
ちょっとお高いベリーワインを差し出されて、メイヴィスは花が咲いたように微笑むのだった。
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