【番外編】魔女の聲

【番外編】魔女の聲 [前編]

 ——人生には、運命の出逢いというものが三回あるらしい。




「……どうして泣いてるの?」


 思い出すのはそう問いかける琥珀色アンバーの瞳、くすんだ金髪がくりくりの癖っ毛になっている男の子。歳は同じくらいだろうか、大きなぬいぐるみを抱えているその姿は童話に登場する女の子にも、お坊ちゃんのようにも見える。

 だけど、さりげなく心に踏み込んでくるようなその発言にイラっとして睨み返す。


「はぁ? 泣いてないし」

「うそ、キミ今すごく心は泣いてるもの」


 気まずそうに下を見れば、男の子はまだ真っ直ぐ木の枝の上に座る自分を見上げている。


何かあったの?どうしたのかな キミこの間引っ越してきた子でしょう?だってぼくは人の本音が視えるからわかっちゃうんだ

「……おれに話しかけるな!!」


 咄嗟に。びっくりして細い木の枝を投げつけてしまった。


だいじょうぶだよ、ぼくも一緒だよだいじょうぶだよ、ぼくも一緒だよ


 木の枝は当たらず、小動物のような丸い目でその子は自分を見つめている。


ねぇ、遊ぼうねぇ、遊ぼうぼくの名前はエイノっていうんだ友達になってほしいなぁ

「う、うるさい! あっちいけよ」

「だいじょうぶだよ、ぼくは絶対キミとキミにどれだけヒミツがあっても友達になれる自信があるんだ絶対に怖がらないよ、わかるもん

「うるさいうるさい! たくさん喋るな! 人間は二つことばを喋るから嫌いだ!」


 でも……。と男の子は寂しそうな顔でこちらを見る。


「ひとりは、寂しいよ。ぼくも……寂しいもん」


(……あれ?)


ねぇ、キミの名前は?ねぇ、キミの名前は?


(このぬいぐるみ、お気に入りだけど。あの子にあげたら喜んでくれるかな……)


「いらない、だいじなものなんだろそのぬいぐるみ」

「えっ……?」


 木の枝からえいっ、と飛び降りて男の子の目を正面から見つめる。


「おれ、ヘイモ。いいよ、遊んでも」

ほんとう!?やった! 嬉しい!


 前のめりなその表情に、少しだけ顔をしかめた。やっぱりちょっと人間はうるさい。喜んでいるのはわかるけど、やっぱりうるさい。


(さっきは、一つしか言葉が聴こえなかったのに……)


「あっ、そうか。気をつけるね」

「は?」

「キミはふたつ、耳があるんだね。どっちも抑えて苦しそうにしてるのが視える・・・


 えへへ、と舌を出して笑う男の子。

 よく見ると、その手にある大きなぬいぐるみは何度か裂かれて縫ったような痕があった。


「考えていることと、喋る言葉を一緒にしたらいいのかな? それか頭で考えたらいい?」

「……できるほうでいいよ」


 いつのまにか泣きそうになって、鼻をぐずる声になってしまった。


「ねぇ、泣かないでよ。楽しいこといっぱいあるよ、あそぼ」

「……うん」



 これが——ひとつめの出逢い。


 血を見るほどの高熱から目覚めたら世界が変わってしまった。否、自分が変わってしまっていた。聴こえすぎてしまうことに混乱して、言葉の裏の本心をズバリと言い当ててしまう男の子を周りの人たちは気持ち悪がった。

 悪いことをしたつもりはないのに……いつの間にか街の人達からは気味悪がられて、この遠い田舎町に住む祖母の家に預けられた。

 耳の悪い祖母は、心の声だけで会話をするから楽だ。今度は失敗しない、おばあちゃんまで嫌われたくない、迷惑かけたくない——そんな思いからずっと独りでいた自分に。


 友達になろう、と。声をかけてくれたエイノ・コスケラは。


 それから十数年経った今でも俺——ヘイモ・ランピールの唯一無二の親友である。




◆ ◆ ◆




「答えろ、露助野郎リュッシャ。これでも俺は慈悲深いんだ、言えば還してやるよ。所属していた飛行中隊、作戦本部はどこにある」

「言うものかバケモノ」

「オッケー、カシモヴォね。ふーん、偉そうにしてっけど前線基地所属の下っ端かぁ今回はハズレかな」

「なっ……!?」

「あー無理無理、腹に仕込んでるナイフだろ? 俺が挑発に乗って近づかなけりゃ、何の意味もねぇよなぁ」


 心底つまらなそうに、片手でマカロフ PMをくるくると弄び、流暢な連邦の言語で話すのは北欧連合軍スオミ諜報部に所属するヘイモ・ランピール。

 適性があるという噂を聞きつけて、半ば拉致同然で放り込まれたこの北欧軍で、諜報部隊員とは名ばかりの、捕虜の尋問をメインとする業務に当たっている。


 拷問とはまた違うと思う。拘束さえしておけば、指を潰さずとも折らずとも、耳を削ぐこともしなくていい。もちろん、やれと言われればできるよう、そう教育はされた。

 ただ、彼はこの分野においては敵なしとも言えるほどの異能持ちであり、本人も連邦語に英語、ダイチェにラテン語まで、北欧三ヶ国語も含め七ヶ国語以上を網羅している。通訳も要らなければ、拷問の際の衛生面に適さない残留物も少ない。まさに天職、とは誰かが言った言葉だ。


「オーケーオーケー、もういいよ。情報を持ってねーってことは十分わかった」

「そ、それなら……!!」

「うん」


 ……乾いた銃声が数発、響き渡る。


「神はお前の味方か? 神は保守派なのか? 悪魔は俺の味方だ……。なぁオイ、知ってるかこの言葉? ……天に還りな」


 視線を床へ落とす彼のその言葉に帰ってくる返答はなく、窓すらない無機質なその部屋の扉がガチャリと開く。


「お疲れ様でした、ランピール軍曹」

「捕虜はカシモヴォの飛行中隊の上等兵だ、他に有益な情報はない。構わん、溶鉱炉にでも入れておけ」

了解イェッサー

「腹にナイフのカスタムがしてある、電源・・は落としたが間違って怪我をせんように担架かブルーシートにでも包んで運べ」

「はっ」


 顔色ひとつ変えずに去っていくランピールの姿を、処理班の兵は無言で見送った。


「こ、こええ……」

「電源、って言ったぞランピール軍曹」

「血も涙もない審問官インクイジターって言われてるもんな。でも迅速であの人以上にこの部署に適してる人材……いないよな」

「シッ……聞こえるって」


 とっくに聴こえてるけどな……そう思いながらランピールは地下の長い廊下を歩く。基本的に諜報部、更に言えば尋問なんてやる場所は人の通りのない、逃げ場のない地下だ。それがますます、自分が国家の暗部のような気になって心に影を落としていく。


 心が読める、とは公には明かされていないのが今はまだ救いだと思う。自分のこの能力を軍に売ったのは両親だ、もう十年近く会っていないというのに、今更恐ろしがった息子の能力で報奨金でももらいたかったのだろう。

 そして都合の悪いことに——。


「ヘミ、大丈夫?」

「あー、どうってことねーよ。エイノは? どっかの撮影帰り?」

「これからだよ! 第13師団に行ってくるんだ。知ってる? スオミ出身のすごい兄弟が中心になって新設されたって師団」

「あー、うん」

「あ、ほらぁ。やっぱり無理してる」


 建物の一階に出てしばらくしたところで、報告書を出し終えたであろうコスケラと鉢合わせした。

 幼馴染である彼は、持ち前のその能力で先に軍へと引っ張られた自分を追うように正規ルートから広報部へと入隊したのだ。曰く「ヘミが心配だもんなぁ」との事らしいが、正直今回はこの親友の優しさが裏目に出た。


「コスケラ上級兵長は友人だそうだな、彼と彼のその生家の安否も君次第だと思え」


 つまりは軍の犬、国家の駒と成れという事だ。

 敵の機体番号の特定や記録係としては非常に優秀なコスケラだが、戦闘能力などは無いに等しい。しかも彼の視える・・・という能力は、自分のように言語化されるものではなく、どうしても抽象的になってしまう。重ねて、彼はどうも素直すぎるきらいがあった。


 親友の優しさが余計に自分を茨の道に追い込むなど、誰が想像するだろうか。戦争の勝利以前に国家の人間の使い方が納得いかない。世界情勢も、戦況も、新人類派も原則主義派も、どちらの勝利も正直知ったこっちゃない。

 だけど——。ランピールの信条、信念はたった一つだ。親友を守る為ならなんだってやる——それが例え人道に外れた事であろうと。


「ヘミ、もっとさ。肩の力抜いていこうぜ〜、昔みたいに」

「あ、ああ……」


 そう肩を叩く親友の手は、真実を写すシャッターを切るためのもので。未だ血には塗れていない。

 本当は、彼にとって自分はどう視えているのだろう? 嘘はなしだ、と幼い頃に約束したはずなのに。


「ちょっと待ってろってヘミ、きっと光はあるからさ」


 そう、あっけらかんと言える親友が羨ましくて。ほんの少しだけうらめしく感じたことは内緒だ。




◆ ◆ ◆




 Night Witches夜の魔女という言葉を知っているだろうか?

 第46親衛夜間爆撃航空連隊、遥か昔——というにはまだ近い時代に、連邦が女性だけの飛行部隊を編成した時の通称だ。

 鈍足の旧式木製機体、防弾処理も施されずパラシュートも支給されないまさに空飛ぶ棺桶に女性達は乗せられ、目標ポイントの上空でエンジンを切って滑空する。

 その風切り音はガサガサと木の枝が擦れるようで。撃墜した敵国家は乗っていたパイロットが女性であったことに驚愕したという。

 夜の闇と静けさ、木の箒の飛ぶような音にいつしか彼女達は夜の魔女——と、そう呼称されるようになっていった。



「昔話はいいです。俺は過去の戦争なんざ興味もない」


 コスケラが第13師団へと発った翌日のことだ。夜間空襲に手こずっていた各拠点のうち、とうとう自分の配属先にもそれがやってきた。

 偶然——。夜間哨戒中であった、出来たばかりの第13師団第8飛行中隊が交戦、爆撃機を撃墜したという。しかし捕虜の引渡しはこちらの隊へ。建前上は、基地の対空砲での撃墜戦果という事で収めたいらしい。


(ああ、なるほどね……)


 説明は、されずとも解った。なにせ自分には聴こえてしまう・・・・・・・のだから。

 第8中隊は新設の飛行部隊、しかも隊長がダイチェラントの元貴族位の人物らしい。軍部と衝突して分断したダイチェラントだが、こちら側にいるガチガチの軍幹部からすればその血筋に栄誉を与えることが癪なのだろう。


(スコア稼ぎか、くっだらねー)


 撃墜数はスコアでもあるが、民も資源も犠牲になっている。

 無論、スコアに換算されているのは敵国家の操縦者の命だ。


(敵対してれば撃ち墜とそうが何しようが、それは命じゃなく数字ってか)


 その感性を否定はしない。これは戦争なのだから。

 その尺度で命の重さを見ることができないものは……きっと罪悪感で壊れてしまう。それで、ダメになり、破棄・・される兵もいるからだ。


 戦争は——国家が吹聴しているものほど尊くもなければ、正当なものでもない。



「ランピール軍曹、厄介なのがいる。今回貴様にあたってもらう任務はそれだ」


 ほどほどにやれ、但し必ず口は割らせろ。これは、今までにない指示だった。


ほどほどにやれ何をしても構わん但し必ず口は割らせろ爆撃機の解明ができなければお前も処分する」とは——。そこまで厄介な案件なのか。確か撃墜したステルス爆撃機四機のうち、操縦者が生存していたのは一機だけのはずだ。


 一人にそんなに手こずるだろうか? 痛覚を全てシャットアウトしたタイプが出てきたのか。それならば確かに拷問の類は何一つ通用しないはずだが。


「アレは気持ちが悪い、まるでお前のようだ」と心の中で吐き捨てている上官に対し、ポーカーフェイスで承認の敬礼を返す。流石に二十一年も生きていれば、相手の口に出した言葉のみに反応を返せるくらいには自分の律し方は心得ている。


 地下の重い鉄の扉。

 空を、夜とはいえ空の中を飛んでいたパイロットからすれば、こんな地下は重く苦しいに違いない。それだけで精神も弱る。


 今回もさっさと終わらせて。処分すればいい。

 エイノが帰ってくる頃には、尋問案件は一旦終わっているはずだ。そしたら休暇二日くらいもらって、エイノの実家に顔出しに行けば……おばさんも喜ぶだろ。それくらい、彼は今回の件についても軽く、いつものように捉えていたのだ。


「おい、目を開けろ」


 ガンッ、と先行していた上官がその黒いボロ布に包まれただけのような人物を、プレートの入ったブーツのつま先で蹴り上げる。


(えっ——)


 目が合った。だけど、その目からは何一つの感情も、恐怖も。何も感じられず。


「何をしても、名前すら吐かん」

「そう……ですか」


 一瞬黙りこくったランピールに、上官が訝しむような視線を向けた。


「……ああ、いいです。一旦……足はバラしたんですね、だけど一向に口を割らないと」


 今までにない状況に、考え込んだのだろうと上官は思ったらしい。簡潔に引き継ぎを済ませ、その錆臭い地下室から早々に立ち去っていく。


「さて、サクッといこうか。キミの名前は——?」

「……」

「ん? もしかして声帯部分切除してる?」

「……」


 何も——聴こえないのだ。


「キミ……、人間? っていうか生き物か?」


 その目は、どこまでも深い深い空の青さと銀色のオッドアイ。

 飲み込まれそうなその彩が動き、沈黙のまま視線だけが交わった。




 ——これは、彼の経験する。


 ——苦い、そして痛みすら伴う、ふたつめの運命の出逢いの話だ。

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