【番外編】魔女の聲 [中編]
彼女は——そう、その
(危ないところだった……)
冷静に思考を巡らせれば、腕は拘束されているとはいえ、下肢をバラされても声ひとつ上げなかったという捕虜だ。声帯が無い可能性を加味しても、それならば痛がるか怯える反応を見せるだろうに、眉一つ動かさない。
拘束用の器具と、他は黒いボロ布を巻かれただけの状態の様子を見て舌打ちが出る。兵器ならば、敵ならば、何をしてもいいのか。しかし同情したところで、それを誘って誘爆する武器など腐る程存在する。
どうやら人間であることは間違いない、時折動くその視線だけは、意志を持って自分の発した言語に反応している。
あらゆる可能性を考慮し、思案した上で、ランピールはぱちんとその指を鳴らした。
「よし、こうしよう。俺は今、周りの音を全て
「……」
虚ろな眼差しは、別に黙秘をしようと頑なになっている様子もなく、只々無言の時間が過ぎていく。
ランピールの腕にある時計の秒針の小さな音だけが、この個室に響いているようで。何の反応もなく、声もないまますごく長い時間が経ったようにも感じられた。
「とりあえず、起き上がったら?」
「……」
また、無言だ——。
何ひとつ音が聴こえないその動揺を悟られないよう、大げさに困ったような表情を繕う。
「俺とはおしゃべりもしてくれないってのかい?」
「……う。……の」
「ん?」
初めて言葉を発するかのように、たどたどしく開いた唇の動きを追うように。少しだけランピールは捕虜の方へと屈んだ。
「違う。あなたは嘘つき……だ、ほんとうは話なんてしたくもないくせに」
その冷たく澄んだ群青と銀色に、はぁーとため息を返す。
少しだけ、その面立ちに少女らしさを感じはしたが、口調は徹頭徹尾軍人のそれである。
ランピールは古びた椅子を引き寄せ、その背もたれを抱え込むように座った。
「誠実な尋問官ってのは、乾いた水や木の鉄のようなものだって言うじゃねーのサ」
「……今のは少しだけ、おもしろい冗談だね」
「そりゃどーも、神の配下に成り下がった同志諸君よ。鋼鉄のツァーリは、そちらさんの御心に今でもご健在かい?」
くすり、とその口元が少しだけ弧を描いた。
感情の起伏は視界からの情報で認識できた、しかしどうしてか。やはり何の心の声も聴こえては来ない。
……何故だ?
ランピールは今までにない緊張を心に感じていた。
両親だって、友だって、恋人だって、上に立つ人間だって。どんな奴からもその言葉の本心は聴こえていた。別に他の言葉を口から発していなくとも、だ。それなのに——。
「心の扉を開かぬ者に、真の友は心を開かず。違う?」
「……何それ、友達にでもなろうってのかい」
お断りよ、フィレンディア。そう、色彩の違う双眸がはっきりとこちらを見据える。
「貴方は賢い、きっとこの鉄の建物の中の誰よりも。だけど、同時に誰よりも人に怯えている。そんなチンケな野郎に何も明け渡す気はない。情報も、わたしの矜持も尊厳すらも」
「黙れ」
腹の底から冷え切った声が出た。
気がつけば手の中にある拳銃の撃鉄を起こし、その眉間に狙いを定めていた。
少しだけ——。こちらを見上げるオッドアイが揺らいだ。
同時に、彼の心も。
流石に聴こえずともわかったからだ。その揺らぎは怯えではなく、虚を衝いたかのような純粋な驚きの感情だった。
「……なんだよ」
「喋れと言ったり黙れと言ったり、でも貴方は……優しい人なんだね」
「は?」
今度はこちらが驚く番だ。気が削がれて銃口を下げる。
「撃墜された飛行兵、特に女の飛行兵に待つものは死……あるのみ。心の死、身体の死、精神信念の死、或いはその全て。だから我々は自決用の為だけの
「それは過去の大戦でも同様だったろ」
不思議と……会話をしていた。
どうしてだか、真意がわからずとも、そのまま彼女の言葉を聞いてみたいと思ったのだ。
「何も聞かずに、尊厳も奪わず、殺してくれる。それを優しいと言わず、なんと言う?」
「……歪んでんね」
「一介の戦争兵器にしては十分すぎるほどの末路だとは思わない?」
未だ倒れたままのその身体を起こしてやろうかと悩み……辞めた。本心の聴こえぬものに手を触れるなど、それこそ物心ついた初めの頃くらいにしか記憶がない。
だけど、見下ろしたままの体勢で話をするのが、彼にはどうしてだかつまらなく感じ始めていて。
「せめて、身体を起こせば?」
「おや? もしやキミは女の身体に触れたこともないボウヤだったのか?」
「馬鹿にしてるのか?」
「……やはりキミは優しいな」
どう思考回路が回ったらそうなる、と若干不快な表情を露わにしてしまった事に内心歯噛みする。しかし何をどう見て自分を、敵国家の尋問官を優しい……などと。
「足の指と、踵が落とされているんだ。すまないね」
「そっか」
淡々とした自分の返しに、なおさらそのオッドアイが面白そうに歪んだのが見て取れ、ランピールはふうと息を吐く。
「同情して近づいたところをぶすり、なんて。山程例があるからな、俺はお前に指一本触れたくはないのが正直なところってのは認めるよ」
「残念……。然し触れたくない理由が穢れた血とも言わない上に、そこらへんも先刻の偉そうなフィレンディアどもと比べてチョロくない、というのも好ましいポイントだね」
「そりゃどーも。実際、何かやったんだろ。でなけりゃ女の尋問なんて、そもそも俺に回ってくるはずがねーんだよ」
捕虜になった女の兵の末路なんて知れてる。
自害するか、ひどい拷問を受けて廃人と化すか殺されるか、敵国家の血の混じった子を産んで監禁されたように暮らしていくかだ。
何が原則主義だ。人間の尊厳なんて、敵ならば奪っていいと。そう言っているようなものではないか。
「キミは、『
「まぁ、学びはしたけど。実物は見た事ね……」
そこで表情を繕う事すら忘れ、目を見開いたまま絶句したランピールに「やはり、キミは聡いね……」と少女は自虐的な笑みを浮かべる。
「ま、まさか……」
「凄いだろう? 神の啓示に沿ったかどうかは露知らず、だけど。新人類とは一体何者なのか、人間と呼べるのかとすら思ってしまう」
拘束された両の手、一度バラされたという機械でできた下肢。
下卑た雄の上官どもが我先にと取り掛かりそうな尋問が、不自然すぎるほどにランピールに譲渡された理由。
まさか、彼女を
「最初にわたしに跨ってきたやつのブツなら、食い千切ってやったよ。女性兵が捕まってなお、一人でも多くの敵対勢力に神罰を下すための
乾いた笑いに、ランピールは喉を震わせて声も出せずにいるだけだ。
人間には、相手を支配下に置くためであれば手段を厭わぬものが一定数存在する。欲望の捌け口にする奴らが存在する。それは、頭では理解している。
まさか、それを狙って、狙って使われる……それも女性兵がいるだなんて。
「キミは優しいよ、尋問官のボウヤ。絹の手袋をはめていても、何も変わらないのは知っているだろ?」
ウヒュヒュヒュ、と彼女は嗤った。
嗤っているのに、感情は特に揺らいですらおらず、心が何と言っているのかもわからないのに。
それでも、ランピールには彼女が泣いているように見えた。
なぁ、とランピールはもう一度撃鉄を起こし、壊れた人形のように嗤い続ける彼女を見据えて語りかける。
「乾いた水、木でできた鉄、こんな世界ならあってもいいと思わないか?」
「正直者でいると、そう言いたいのかい?」
くけけっ、とランピールは被せるように笑い返して。その引き金に指をかけた。
「その嗤い方、可愛くねーからやめれば?」
「キミこそ、笑うとまるで悪魔じゃないか」
——乾いた銃声が数発、地下室に反響した。
***
「ランピール、首尾はどうだ?」
「なかなか手強いです、連邦も考えましたね。脳に細工がしてあるとは」
「ふん、わかっているだろうな、情報を聞き出せなければ——」
「任せてくださいと先日もお伝えしたはずです。これは頭脳戦、長期的な戦略として見ていただかないと。最悪数年掛かる可能性もあります」
あからさまな舌打ちが聞こえたが、ランピールは気にしない。
自身では口を割らせることができないが、あのステルス戦闘機の解析と接続ケーブルの機密情報を、彼や上層部が喉から手が出るほど入手したいのは目に見えてわかっている。
それこそ、ランピールに親友の安否を引き合いに出して揺さぶりをかけようとするほどには。
一人進み、地下室の錆臭い鉄の重い扉を開けた瞬間、彼は指をパチンと鳴らす。
「やあドロシー」
そのオッドアイが、ゆっくりと目を覚ましたかのように開かれる。
電気椅子を模したその椅子に、電流が通っていないのは二人だけの秘密だ。
「お疲れだね、トト」
こんなに誰かとのお喋りを愉しめたのは初めてだ、と本当か嘘か彼女は言う。
その足にはめられた銀の足枷。そして簡素なポケットのない衣服。
脳と心臓に細工をされているという彼女に、ランピールが与えたものだ。
あの日の銃声は、彼女の耳に埋め込まれていた発信器を破壊し、その手の拘束具を砕いた。
乾いた水と、木でできた鉄、正直者の外交官、嘘偽りのない軍人と査問官。
成れるものならばそうでありたいと思うのは甘えなのだろうか。
自分の名を思い出せないという彼女を、夜の魔女からとってドロシーと呼ぶと「いいな、オズの魔法使いは好きだよ。飛んでカンザスに帰れるのだから」と彼女は笑った。
その本心が読めないまま、軽率に自身の名は明かせないなと思っていると「じゃあ、キミはトトだ」と勝手に呼ばれ始めて今に至る。
「トトって、犬じゃないか」
「犬に悩まされて気分を悪くしても、いいかなと思ってね」
「……どういう意味?」
「そのままだよ、赤のツァーリの言葉は大抵暗記しているんだろう?」
「……嘘つけ」
嘘だらけの正直者ごっこ。
お互いの本音なんて、知るわけもない。ランピール自身もその能力も、本当の名前も、彼女に告げる気はさらさらなかった。
暴力に訴えても効果がなければ長期的な関わりを持って懐柔する策をとる、それが上層部へと告げたランピールの談だ。不能になったという幹部がいつのまにか居なくなっていたという話には、音を遮断した上で下品だが二人してゲラゲラと笑ってやった。
13師団へ出向いたコスケラの無事は、揺さぶりをかける彼らの本音で既にわかっていることも彼の心にほんの少しだけの安寧をもたらした。
どうも向こうで気に入られているらしい、できることならもう戻ってくるなとさえ思う。
「なんか食う?」
「別に、床に転がってるそのパンでいい」
「いや、新しいのくすねてきたからさ。コーヒーでも飲む?」
給仕の兵は、これ見よがしとばかりに彼女に食べ物を投げつけ、歩いて取りに行けと言うらしい。踵も指も失った彼女は這うことしかできないというのに。
「わたしの手を自由にするだなんて、いつかその背にナイフが刺さるよ?」
「別に、したきゃすりゃいい。俺は女を縛り上げて食事の世話をする趣味はねーんだ」
ほら、と湯気の立つカップを差し出しながら、呆れた口調でランピールは告げる。
「実は利き手の指を折られたんだ。気が利かないなぁキミは」
「は? 早く言えよ」
くるりと持ち手の位置を変え、反対の手にカップを渡す。
「飲ませてはくれないんだな」との揶揄い口調に「やなこった」と舌を出す。
誰かとの会話は、こんなに次の言葉を待ちわびるほどにわくわくするもので。その本心が掴めずに悩むものだっただろうか。
この時間がたとえ騙くらかしだったとしても。ランピールはいつだって引き金を引ける自信があった。
——どうせ自分が破棄する魔女だ。
——わざとらしく笑うだけの日々なのに、どうしてだろう。
生き残るのはきっとどちらか一人きり。
だけど限られた時間の中で嘘でも笑ってほしいだなんて。
それはなんの贖罪だろうか。
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