象徴の街

濱口 佳和

象徴の街

 私が「死」というものを意識したのは、小学校四年生の時だ。父方のお婆が言った、「あらゆる死体を見た」、という言葉がきっかけだった。


 何の話かというと、東京大空襲の時、そのただなかにいた小さなお婆は、一夜明けて、それこそのだという。あらゆる死に方ではなく、あらゆる死体だ。焼け焦げ、破裂した物体。

 そのお婆の親も、関東大震災の時、やはり東京にいた。東京を舐め尽くした、あの炎の中に、だ。


 「死」には、様々なバリエーションがある。人の数だけ死に様があり、それぞれ個別性があるはずだ。

 その中でも、特に「焼死」だけは避けたいと思うのは、たぶん、お婆から聞いたこの話がきっかけなのだろう。小学生の私にとって、虫は殺しても人の死は遠い。虫の死が身近になったというのではなく、いきものとしての終末、「誰もが死ぬ、自分も死ぬ」と実感した瞬間だった。


 哲学的な話ではない。精神やら、心象やら、外傷の話でもない。

 物理的かつ即物的な実感だ。

 痛いだろう。怖いだろう。苦しいだろう。最後のその数分は、無限地獄に思えるのだろう。脳内麻薬が放出され、何も感じなくなるまで。その数分。数十秒。数秒か。


 私はルパンとナルニアを抱きしめているような子供だったが、その物理的な、現実的な痛みを想像して、ただ怖くなった(無論、いまでは焼死よりも恐ろしい死に方があることを知っている。人間の負の想像力とは果てしないものだ)。

 しかし一方で、歴史、というものに興味を持つきっかけにもなった。東京という土地が、近現代史において、無数の死と死体が積み上がった土地であること。歴史とは、破壊と死であること。その事実が、私を魅了した。


 私は図書館で、戦争の写真集を見た。何度も繰り返し。関東大震災のそれを見た。世界大戦の記録映像を見た。臭いのない、手の届かない死体を見続けた。死体そのものを見たいわけではない(写真や映像以外で見たいとは思わない)。ただ、単純に知りたかった。

「死」というものが、どんな風に人間を物体に変えるのか。どれほど肉と血と臓物になってしまうのか。この身体のなかには何があるのか。痛いのか、苦しいのか、その時、何を思うのか、今際の際に指を曲げ、断末の苦しみに喘ぎながら、。ひとは「死」から逃れられない。避けられない苦しみと痛みなのだから、知りたいと思うのは当然だろうし、知らなければならない。避けられないならば、少しでも慣れようとしたのか。備えることで、心構えが欲しかったのか。今日なのか、明日なのか、明後日なのか。いつ地面が揺れ、結果必然として火に巻かれるか、不安定な、七割の死亡を断定されている土地に暮らすと、日常は災害であり、災害は「死」そのものだった。目の前にあるこの町並み。次の一瞬で瓦礫となる。必ず、その瞬間が来る。ビルからガラスが降り、阿鼻叫喚のなかで、炎がすべてを舐め尽くす。目を瞬く間に、終わりが始まる。いつ始まるのか、それが予兆なのか、忘れることはできなくても、積み上がった歴史がこの街の行く末の証左であり、私の故郷。東京という土地だ。


 さて、死体に戻る。

 私が初めて「死体」と会ったのは、曽祖母の通夜だ。


 三歳になる早春だった。写真や動画がなくても覚えていることから、よほど強烈な体験だったらしい。


 母の実家は武蔵野の奥の方の古い農家で、当時、母屋は茅葺だった。米蔵があり、北側にはお蚕小屋があって、その北側には墓地だ。小道を挟んで、集落の無人寺。

 曽祖母は、その母屋の北西の部屋に、西を向いて寝かされていた。あとで知ったが、そこは代々隠居した夫婦の居場所だった。

 記憶の中で、母が顔にかけた布を取っている。取った、その下のその顔は覚えていない。のっぺらぼうというより、記憶がない。第一、曽祖母自体知らない人だ。


 そうして、葬儀の日。建具を取り去った広い座敷に、読経と、並ぶ大人の背中と──着物の背中だ──薄暗いなかで、きらきらと──多分あれは仏壇。私はどんな様子だったのか、その大勢の大人たちの間に入ったり出たり、邪魔だろうに、うろうろしていたように思う。

 土間は、泥団子のようで指先でほじってみたり、上り框の高さ。やっと上れる。誰かが、米蔵のなかには大きな蝮がいて、長い長い脱殻があったとか。

 その後、ほどなく建て替えられた茅葺の家について、それしか覚えていない。そのことが、途轍もなく惜しいと思う。


 つまり、何を言いたいのだろう。

 私は「死」にとらわれているわけではない。それこそ、「死」を体験したいとは思わない。痛いことは嫌だ。苦しいことはごめん被る。幸いなことに、死にたいと希うほどの苦しみは知らない。 


 知りたいのは、ひとが、どれだけ残酷になれるのか、ということか。愛だの、何だのと言いながら、その一方で、どれだけ醜い仕打ちができることか。美しい心情と、おそろしい性向が同居し、直接間接はあろうが、一方で愛し、一方で(他者から見れば)大した理由もなく、物理的に精神的に殺す。同時に。

 狂っていると思う一方で理解、共感もする。

 いきものとして、なんと歪な存在か──と思いながら、恐らく私自身、その時は大勢とともに飲まれるのだろう。生きるためか、崖から群れごと身を投じるためか。

 だから、その醜さを糾弾する意気地はないし、知恵もない。醜いと呟きながら、せいぜいこうやって傍観するのが関の山である。


 さて、武蔵野に未だ広がり続ける「東京」だ。

 この街は、まろうどにとって、輝かしい魅力に満ちた場に違いない。もちろん、京都に比ぶべくもない、と思う。建都以来、政変と天変地異に見舞われてきた古都は、妖し、もののけ、信仰と、物語りが満ち満ちている。


 では東京は、この新しい大都会はなのだろう。この場について、私はなにを物語ればよいのだろう。


 私は、いつも立っているような気がする。東西に伸びる線路の上に。西を見据えて、夕陽を浴びながら。音を立てて通過していく電車を眺め続けている。


 わかっているのは、私にとってこの街は故郷であり、死の象徴であり、日常であり、

 つまり、生活の場、ということか。

 たぶん、それなのだろう。





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