第2話 勘違い
「騎士団でよくお話されている、あの令嬢が相手なのでしょう……?」
自分で口にして、後悔した。
何度も見た、ある令嬢と柔らかい表情で話す彼の横顔。時折聞こえてくる笑い声を聞きたくなくて、差し入れを持っていった筈なのに結局何度持ち帰ったか。
あそこで割って入って妨害するなり嫌味の一つも言えなかったのは、ライネル様から嫌な女だと思われたくなかったのと、そんな事をするのに向かない性格だからだ。
しかしいくら直接相手には何も言わなくとも、忘れられはしないのだ。むしろモヤついた気持ちは澱のように、心の底に溜まり続けていた。
それがそろそろ結界しそうな予感があるのだ。おそらく嫉妬と独占欲と、そんな綺麗じゃない感情を、吐き出してしまいそうな気がする。
「『騎士団でよく話している令嬢』……?」
「誤魔化す必要はありません。私はもう何度も見ているのですから」
不思議そうな彼の声に、私は声のトーンを落とした。
少しの間考えるそぶりを見せた後、彼の口から「あぁ、もしかしてローンディアス嬢の事か?」という呟きが聞こえてくる。
自分以外の女性の名を呼ぶ彼の声に、思わず口を引き結んだ。
こんな事一つで不快になるほど、私の心は狭い。そんな自分が嫌になる一方で、こんな苦痛からさよならできると思えば寂しいようなホッとしたような、少し複雑な気持ちになる。
……彼と別れる覚悟は決まった。
私がそう思ったのと、彼が口を開いたのは同時だ。
「しかしローンディアス嬢は、副団長の夫人だぞ……?」
「え……じゃあもしかして、既婚者に横恋慕を……?」
まさか相手が既婚者、しかも同僚の奥様だとは。潔癖な貴族の血が一瞬彼を幻滅したが、引いた私に彼が声を上げる。
「違う! 副団長はよくサボりに行くから、代わりに差し入れとか色々受け取っているだけだ!」
心外だとでも言わんばかりに、彼が慌てて弁解してくる。
彼は誠実な人だ。ここまで私がおぜん立てをして尚、嘘をついて食い下がるような人ではない。
「でも、いつも楽しそうに話していて」
「おそらく副団長の事を話していたんだろう。あの人は、仕事はできるが自由が過ぎる。その被害者として共調できる人は少ない」
「でも、いつもは笑わないライネル様が、その時だけは笑っていて」
「それは、その」
言い淀んだ。
ほら見ろやはり、何かやましい事があるのだ。泳ぐ彼の目にそう思う。
が、そう確信した私を見て、彼は観念したかのように「はぁ」とため息を吐いた。
「……君の話もしていてた」
「私?」
「彼女が副団長の惚気話をしてくるんだ。その流れで俺も、君の話を」
どういう事か、一瞬よく分からなかった。しかしジワジワと理解していく。
相手がする惚気話に、お返しとして私の話を。どんな話をしていたのかは、文脈と目をそらした彼の頬がほんのりと赤く色づいている事から察せられる。
「そ、そんなバカな」
「……何故そう思う」
思わず声を上げた私に、彼が何やら憮然とする。
「だって私、ライネル様がそんな話をしているところ、まったく想像つきません」
「それは……本人を前に言う訳ないだろ」
「そもそも私のそのような話、話題に困るのではありませんか?」
「困らない。むしろ幾らでもある」
最初の問いには恥ずかしさを覗かせていたくせに、二つ目の問いにはさも当たり前のように真顔で言い切らないでほしい。
お陰で、直接的な言葉など何一つとして言われていないのに、向けられた好意を察知した乙女心が騒がしい。気を紛らわせるように内心で「彼の羞恥の基準が分からない」と一人ぼやきながら、私はおずおずと彼を見る。
「ではその、本当にすべて私の誤解だったと……?」
「最初からそう言っている」
まっすぐ私を見つめてくるこの真剣な色合いを、私はよく知っていた。
騎士の為の訓練場で彼が相対者に見せる、何かを見極めようとしている時の目だ。この真摯で澄んだ瞳が、私はずっと好きだった。
彼の本気を受け止めて、全身の血が沸騰でもしたかのように急激に熱くなる。
顔も、首も、手も、足も。すべてがカッと温度を上げて、少し頭がクラクラとしてきさえする。
「俺も一つ君に聞きたい事がある。俺はずっと君に嫌われているものだとばかり思っていたのだが、今のはうぬぼれてもいいという事だろうか」
言いながら、彼がジッと私の顔を覗き込む。
顔の温度が更に上がると共に、驚いた。
彼は、こんな事を聞いてくるような人ではない。恋愛事には淡泊で、婚約話が出た後もそれまでとまったく変わらなかった。
私から強く押す事もなく、彼から強く押される事もない。そんな間柄だったのに、それがなぜ今こうも突然、積極的と取れるような態度を取ってくるのか。
「わ、私がいつライネル様を嫌いだと言いましたか」
混乱と羞恥の中で私が言い返せたのは、たった一つだけ彼の中にあったらしい不服な認識への抗議だけだった。
それは裏を返せば、彼の問いへの肯定でもある。しかし彼は気付いていないのか、誠実にも真正面から幾つかの理由をぶつけてきた。
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