_03
「何それ?」
「ピッキングの道具に決まっているだろう」
ぎょっとした。
ピッキングって、鍵開けを依頼された業者以外がやったら犯罪じゃないか。
僕が言葉を失っている横で、月ヶ瀬さんはおもむろにその道具を裏口の鍵穴に突っ込み、道具を細かく操り始めた。ものの数分で裏口の鍵はガチャリという音を立てる。
「よし、開いたぞ」
「なんで出来るの?」
「以前、モノは試しで自宅の鍵でやってみたら出来た」
「いやいやいやいや、普通は試さないからね」
裏口の扉を開けて室内に上がる時、靴を脱ごうとしたら、脱ぐなと叱られた。
「万が一の為に持って来ておいて良かった」
月ヶ瀬さんは、また同じ台詞を言って、今度はビニール製のカバーを取り出す。
「靴は脱がず、これを被せ給え。靴を履いたままなら、予定より早く家主が帰って来てしまった緊急時に、脱いだ靴を取りに戻るという間抜けな手間をかけず、即座に手近の窓から逃げ出せるのだ」
「もう突っ込まないよ……」
まったく、なんて女の子だ。
上から目線の芝居がかった口調で喋り、変人だけど、友達思いの優しいお節介屋なだけじゃない。厭味なくらい博識で、クールに論理的に推理を展開し、他人のPCからデータを盗み、言葉で人を操り、藪の中も平気で歩き、ピッキングまでやってのける。まるで映画のスパイみたいだ。どこにどう突っ込んでいいのか分からない。
とにかく、月ヶ瀬さんだけは敵に回さないようにしよう……
†††
月ヶ瀬さんは最初にリビングに行こうと言った。蛍さんのワークスペースにあるPCに用がある、と。
「後で気付いたのだが、水森蛍が隠し持っている祐樹さんのデータが、あの歌しか無いのはおかしい。たぶん、フォルダがあるはずだ。そのフォルダ名は残念ながら Tiger ではなかったという事だろう。だから検索に引っ掛からなかったのだ」
PCはスリープになっていて、パスワードに阻まれる事もなく簡単にデータを見る事が出来る状態だった。
月ヶ瀬さんは早速コンピュータのフォルダリストを開いた。
「これ……ぜんぶ開いて確かめるの?」
フォルダは大量にある。いちいちデータを開いて中身を確かめていくしかないのか、その作業にどれくらい時間がかかるのか、考えただけで気が遠くなった。
「マズイよ。こんなことをしていたら時間が無くなっちゃう」
「いや、闇雲に探す必要はないさ」
月ヶ瀬さんは秀麗な顎に手袋をはめた指を当てた。
「ふむ……愛しい人、かな……」
少し考えた後、サラッと言って、キーボードを叩き検索ワードを打ち込む。
《precious》
エンターキー押したら、ひとつ、フォルダがヒットした。
ビンゴ、と月ヶ瀬さんは小声で言った。
そのフォルダを開いてみると大量のファイル名がずらっと並んでいて、すべて数字の羅列だった。一番上に表示されたファイル名を見て、日付とナンバーだと理解する。
《1992_06_03_01.jpg》
ダブルクリックで開いてみると画像データで、アナログ写真をスキャナで取り込んだものに見えた。教室をバックに高校の制服を着た少年が写っている。
父だ。若い頃の、まだ高校生の小日向祐樹。俯き加減で少し影はあるけれど、はにかんだように笑っている。蛍さんに向けて笑っているのだろうか。
僕の知らない父と蛍さんの時間。
愛しい人(my precious)――それが、蛍さんの父さんへの想いだったのか。
唇が震えて鼻の奥がつんと痛くなったけれど、月ヶ瀬さんに叱責された。
「今は感傷に浸ってゆっくり見ている暇はない。コピーするから後で見たまえ」
タブレットPCをUSBケーブルで繋ぎ、蛍さんのPCから《precious》という名のフォルダを丸々コピーする。容量が大きかったようで、《完了まで20分》というアナウンスが表示された。
「これはこのまま放っておこう。時間がない。急ぐぞ」
†††
まずは廊下の納戸を開けてみる。
パッと見で、目当てのものはそこには無いと分かった。
蛍さんの家は本人の性格を反映して徹底的に整理されていて物も少なかった。段ボール箱が無いのだ。何もかも、きちんと分類され、使いやすいよう、取り出しやすいよう、収納用の引き出しとクリアボックスに綺麗に収められていた。どの引き出しも、どのクリアボックスも、開けてすぐに、僕らの探しているものは無いと分かる。
一つのクリアボックスの中に、父が寄稿した本が四十冊ほど纏めて収められているのは見つけたが、他には何も父に関わりのある品は無かった。
僕たちは焦りながら、無数の引き出しとクリアボックスを、開けては閉め開けては閉め繰り返した。
「どこにも無いよ」
「あるはずだ。諦めるな」
二階の僕の部屋にも行ってみた。七年前のまま、僕がここで生活していた時のまま、カーテンも、ベッドカバーも、机も、椅子も、壁に掛けられた可愛いタッチの動物の絵も、地球儀も、スタンドライトも、何もかも昔のままだった。期待を込めて開けてみたが、かつて僕の服が詰まっていたクローゼットには、何も入っていなかった。あるはずがないと思いつつも、念の為にベッドの下も見てみたが、やはり何も無かった。
蛍さんの部屋も捜索させて貰う。綺麗に片付いた女性らしい寝室だ。クローゼットと下着の入った引き出しは月ヶ瀬さんにひとりで確認して貰った。
「ここには無い」
うん、と頷いて、他の部屋の探索に移る。だけど、収納棚にも、品の良いコート類やワンピース、スーツなどがズラッと掛かったウォークインクローゼットにも、客間のクローゼットやベッド下にも見当たらない。キッチンの棚、床下収納も、パウダールームのシンクの下も、開けられるところは全部開けてみたけれど、どこにも、それは無かった。
最後の頼みのガレージまで探し終えてしまって、僕は途方に暮れた。
無い。どこにも無い。
「やっぱり無いか……まあ、屋内には無いだろうと思っていたが……」
月ヶ瀬さんも嘆息する。それで改めて事実が身に染みる。
無いんだ。ここには無い。
そもそも、父さんは殺されてはいないということか――?
いや、そんなわけない。そんなわけはないんだ。
僕の本能が告げている。
父は殺された。殺されて、バラバラにされて、捨てられた。
でも、不用意には処分できなかった頭蓋骨だけは、絶対に、ここに、蛍さんのテリトリーにある。
あるはずなんだ。
まさか、蛍さんがいつも持ち歩いているのか? バカな。有り得ない。そんな危険な真似をするはずがない。じゃあ、どこにある? どこに――
「あっ!」
もしかして……
ハッとして、ガレージの外に視線を向けた。広い森が広がっている。埋めたんじゃないか、とあまりにもありきたりな事に、今さら思い至って愕然とした。
見付かりっこない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます