_02
すごい。信じられない。と言うか、意味が分からない。どうして月ヶ瀬さんがあらかじめ書いておいてくれた台詞だけで会話が成立したんだろう? 僕が言うべき台詞はともかく、蛍さんの反応までどうやったら予測出来るんだ?
「もしかして、月ヶ瀬さんは超能力者なの?」
「何をバカな事を言っているのだ。こちらが会話をリードするよう台詞を練ってあるのだから、相手の反応は誘導出来て当然だ。むしろ、出来なければおかしい」
「そ、そういうものなの?」
「そういうものだ」
断言されて何も言えなくなった。この人、恐いくらい頭が良い。ううむ、月ヶ瀬さんだけは、一生、敵に回さないようにしよう。
「よし、これで三時間は確保したぞ。タクシーはもう呼んである。そろそろフロント前に来るはずだ。出掛ける準備は良いか?」
「うん」
ボディバッグにスマートフォンや財布などの必需品は詰めてある。月ヶ瀬さんは、念の為に持ってきたというミリタリー風の帆布リュックに、タブレットPCや怪しげな小物を詰め込んでいた。重そうなので「持つよ」と言ったら強固に拒否された。
「えと……僕は何時に待ち合わせ場所に行けばいいの?」
「行くわけないだろ。すっぽかすのだよ。水森蛍には待ちぼうけを食わせる」
「え? ああ……っ!」
そうか。そんな大胆なやり方があったとは――
目から鱗だった。
十二時になってしまったら電話します、と言い添えた事にも意味があるらしい。
「人はいつまで待てばいいのか分からない状態で相手を催促せずに待っているという事は出来ないのだが、区切りを指定されると、不思議なことに、その時間までは受動的な状態で待機していられるのだ。これはどんな性格の人間でも大抵そうだ」
理屈はよく分からなかったが、自分の身に置き換えてみたら、確かに、月ヶ瀬さんの言う通り、指定された時間までおとなしく待っているだろうなと思った。
「じゃあ、もっと遅い時間を指定しても良かったんじゃ……十二時じゃなく、夕方を指定したら、その分長く捜索の時間を確保出来たんじゃない?」
「いや、そんなに長時間は無理だ。この方法で人を心理的に拘束するのは、本来は二時間程度が限度なのだ。水森蛍だからこそ彼女の精神力を信頼して一般の人間より長く三時間に見積もった。もっとメンタルが脆弱な相手が対象の場合、一時間、あるいは三十分が限界にもなり得る。知的レベルが低い者ほど待てる時間は短くなるのだよ」
「そうなんだ……」
「くれぐれも悪用するなよ?」
あはは、と乾いた笑いで応えるしかなかった。
フロントの前に着いた時、丁度手配してあったタクシーがやって来た。蛍さんの家の住所をドライバーに伝え、その少し先で降ろしてくださいとお願いする。
タクシーに乗ってしまうと、もう引き返せないという気持ちが強くなり、恐いような、ワクワクするような、でも逃げ出したいような、妙な心地になった。
「何かマズイ事態が起こった時の為に、助けを要請する準備をしておこうと思う」
「そんな、蛍さんが相手なのに、マズイ事なんて……」
僕は間抜けな反応をしてしまった。
蛍さんが父の遺体をバラバラにして捨てた、と疑っているくせに、それでも蛍さんは自分に優しくしてくれると信じている。中途半端だ。やっぱり、どこかフワフワしているのだと思う。ここまでやっておきながら、まだ現実感が無い。
僕の気持ちを知ってか知らずか、月ヶ瀬さんはスマートフォンを取り出す。
「君はお子様だな。万が一の備えはどんな場合にでもしておくべきなのだよ、蒼依くん」
揶揄うように言って、月ヶ瀬さんは片目を瞑った。
「分かったよ。でも、朔良さんはアテにならないよ。熊井さんも、こんなバカバカしい話は信じてくれないと思う。かえって蛍さんを庇うかも知れないし……」
「だが、ほのかはアテになる」
「ほのかって……え? 神宮寺ほのかさん? 彼女は今、東京にいるんじゃ……」
「そうだが、でも、ほのかは例え地球の裏側にいても私を助けてくれるさ」
しれっと言うと、月ヶ瀬さんはメール文書を作成し始めた。
†††
タクシーを降りてしばらくの間は、雑草の繁った森の中を歩いた。
僕は元々露出の少ない服装が常なのだけれど、月ヶ瀬さんも今日は素肌の露出の少ない長袖のボタンシャツとスキニ―ジーンズで、さすがだ、と用意の良さに感心した。虫除けも盛大に吹きかけられた。
ある程度、人の手が入っているとはいえ、森の中を歩くのはキツイ。腐葉土が積もっていて足場が湿っていて滑りやすく、斜面では足を取られ、転びそうになって何度もヒヤッとした。なにより、腰の高さくらいまで繁っている草が邪魔だ。尖った葉っぱの先端が時折ちくりと肌に当たって苛々するし、小さな虫も飛んでいて気持ち悪かった。
参ったな……と辟易し始めた時、タイヤが砂利を踏みしだく音と車のエンジン音が、僕たちが向かっている方向から聞こえ始めた。
「頭を下げろ」
鋭く言われて、咄嗟に草むらにしゃがみ込む。
黒い4WDが山道を下って来た。通り過ぎる時、運転席にハンドルを握る蛍さんの綺麗な横顔が見えた。
「よし、もう大丈夫だ。道に戻ろう」
ぜいぜいと荒い息をつきながら、獣道すら無い藪の中から人間の歩く道へ戻る。ものすごくホッとした。道の下で、蛍さんの車が通り過ぎるのを隠れて待っていてもよかったんじゃないの、と言いかけたがやめた。きっと何か理由があるのだろう。
「月ヶ瀬さんって、スパイみたいだね」
「なんだ、君は子供の頃、探険ごっこはしなかったのかね?」
「友達がいなかったもので……」
それはいかんな、と月ヶ瀬さんは真顔で言った。
蛍さんの家まで坂道を走って上り、薔薇の花咲くイングリッシュガーデンの前庭を突っ切り、裏庭に連れて行かれた。
「万が一の為に持って来ておいて良かった」
そう言って、月ヶ瀬さんはリュックから手術用の薄いラテックスの手袋を取り出す。
「着けたまえ。もし何も発見できなかった時はしらばっくれて逃げるのだから、指紋を残すとマズイ」
「なんでそんなモノ用意してあるの?」
僕の突っ込みを月ヶ瀬さんは華麗に黙殺した。
「まあ、毛髪などは気にしなくていいだろう。我々は、昨日、ここに客として来ているからな。家主の足裏や衣服に付着して移動する事は起こり得る、という事にする」
「そこは雑なんだ」
ずい、と目の前に手袋を突き付けられ、言われた通り手袋を着ける。なんだか妙な着け心地だ。皮膚が一枚増えたような感じがする。
僕が手袋を着けたコトを確認して、月ヶ瀬さんは鷹揚に頷いた。
「よし、では裏口から入ろう。場所は?」
「あそこ」
僕が指差すと、月ヶ瀬さんはリュックから見慣れない道具入れを取り出した。
「万が一の為に持って来ておいて良かった」
巻物状の黒いレザーケースを広げると、ペンを収めるような細いポケットが沢山並んでいて、そこに銀色の歯医者の治療器具のようなモノがずらっと収められていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます