神奈川
何とかメンマパンを食べ終えた佐野は、再び軽自動車に乗せられて、今度は鎌倉の海沿いへと出た。雨に打たれた海面が、不規則な円形を描いている。
「なぁ、桜井……。俺たちは、どこまで行くつもりなんだ?」
「うーん、そうだねー……」
桜井はラジオをガチャガチャといじり、あるニュース番組にチャンネルを合わせた。ベテランのニュースキャスターが、三日前に起きた殺人事件のことについて話している。
『――容疑者は現在逃亡中。警察が行方を追っています』
「あーあ、もう、見つかっちゃうかも。ちょっと変装とかしてみたけど、もうバレてるよね」
彼がつぶやくのを聞いて、佐野は心の中で警察を急かした。スマホさえ持っていれば、隙を見て連絡を取れるのだが、残念ながらリビングに置きっぱなしだ。今はただ、早く見つけてくれと願うばかりだった。
「ねぇ、佐野。最後にさ、俺の言うこと聞いてくれる?」
「ああ、何だ?」
――聞くも何も、逆らったら殺される。佐野は大人しく首を振り、桜井の後に続いて車を降りた。二人の目の前には、青いような黒いような、複雑な色をした海が広がっている。
「海ってさ、本当にきれいだよね。海を見るだけで、心が落ち着くよ」
「確かに、それはそうだな。まぁ今日は、あいにくの天気だが」
桜井は佐野の左腕を掴み、うっとりとした顔で海を見つめる。傍から見れば、そこには恋愛感情が生まれているようだった。
「ねぇ、覚えてる? 中学校の修学旅行、ここら辺だったよね。佐野と一緒に八幡宮に行って、美味しいご飯食べて……」
「そう言えば、そんなこともあったな。おまえが迷子になったりしてさ」
緊張を抑えてそう言うと、桜井はたかが外れたように笑い始めた。鮮やかな色に染まった瞳からは、大粒の涙が溢れ出す。
「あはははははっ!! そうだよ、そうだったよ!! あのときは、あんなに楽しかったのに!!」
桜井に掴まれた左腕が、徐々に重くなっていく。彼が力を入れて、体を引き寄せてくるからだ。
「あああああっ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう!? あはははははっ、ねぇねぇ、どうしてぇぇぇぇぇっ!?」
彼は楽しそうに笑いながら、苦しそうに泣いている。佐野にはもう、何が何だか分からなかった。
「あはははははっ!! もう無理、無理だぉぉぉぉぉ!! あはははっ、はははっ!!」
……パトカーのサイレンが、徐々に近づいている気がする。いや、ただの幻聴かもしれない。
「あはは……。佐野、ごめんね……。俺のこと、許して……」
うるんだ瞳を向ける彼は、雨に打たれてなお、儚い美しさを隠していた。佐野が思わず息を呑むと、彼は柔らかな唇を近づけてきた。
「……っ」
それは、長い長いキスだった。全ての音が止まり、全ての色が消えるような、そんな長いキスだった。
「さ、桜井……」
佐野が驚いて目を見開くと、桜井は恥ずかしそうに目を細めた。……しかしそれは、ほんの一瞬だけだった。
「あはははははははははははっ!! 最後のお願い、一緒に死んで!!」
――ぐっと引き寄せられた瞬間、真っ逆さまに海へと落ちる。佐野が最期に見た光景は、灰色に染まった日本の空と、狂気に染まった幼馴染の顔だった。
幼馴染の佐野は何も知らない 中田もな @Nakata-Mona
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