-.*5話

「まあ、とにかく。落ち着きなさい」



ただ、震えている私の肩に

ぽん、と手を置いて

カウンターの中へと男の人は入っていく。



カチャカチャと食器の触れ合う音が聞こえて

ようやく、少しカフェらしさを感じた。

そして、その音に少しだけ心が落ち着くのがわかった。



「ほら、そんなとこ突っ立ってないで。座れば」



ぶっきらぼうに、彼は自分の目の前にあるカウンター席を示す。

ほんの少し迷ったけれど

そもそもここに来たのは

すぐ家に帰りたくなかったからだったことを思い出して

大人しく、その席に座った。


その姿に、素直だな。と笑った彼の顔は

まぁ、案外可愛くて悪くないと思った。

さっきまで怖い顔してたからだと思うけど。



「お前さん、嫌いなものあるか?」



ぼんやりと、カウンターの中で動き回る彼を見つめていると

不意に、そう問われた。




「ない。コーヒーもブラックで飲めるよ。」


「は。そーかい。ガキのくせに背伸びしちゃってなぁ」


「な、さっきからガキガキうるさいな。

 そりゃ、おじさんからしたらガキかも知んないけどねぇ!」


「誰がおじさんだ。俺はまだ26だ」


「アラサーはおじさんじゃん」


「…お前、いつか自分のその言葉で泣くことになるからな」



無知は恐ろしいなぁ。と呟きながら

真っ白なお皿を一枚、目の前に差し出してくる。


その上に、1枚の食パンを半分に切られた大きさの

サンドイッチが乗っていた。



「ほら。食え。俺特製のホットサンドだぞ。

 腹減ってるから悲観的になるんだよ」


「…大丈夫? これ中に何か変な―」


「もっかい叩かれたいのか?」



今度はにっこりと微笑みながら圧をかけられた。

それに思わず黙って、目の前のサンドイッチを見つめる。



程よく焼き目のついたパン。

コーヒーとはまた違った香ばしさが仄かに漂う。




「……いただき、ます」



恐る恐る、サンドイッチに手を伸ばした。

出来立ての温かいそれを両手で掴んで、一口かじる。


レタスときゅうりがシャキシャキと音を立てる中で

仄かに甘さを広げるバナナの香りが鼻を抜ける。



「おい、しい」



素直にそう思った。

自然とこぼれ落ちた言葉だった。



「そーだろー! 俺が作ってるんだから当たり前だけどな!」



そう言いながら、本当に嬉しそうに話す姿が、

あまりにも無邪気で。


こんな風に誰かにご飯を作ってもらったことも

久しぶりで。


ひとりじゃないことが、懐かしくて。



「……っ、」



ぽろり、と、目から雫がこぼれ落ちた。


一つ落ちたのを皮切りに、両方の目からどんどん落ちていく。


それを静かにブレザーの裾で擦る私の手を

いつのまにかカウンターの中から出てきた彼が掴んだ。




「我慢するな」


「っ、してな、」


「我慢して、嘆くくらいなら

 思いっきり泣いて、美味いもん食った時くらい

 素直に美味いって笑えるようになれ」


「―――」



どうせ、おじさんしか見てないんだからと。


絶対に私が拭うことも

隠すこともできないように

しっかりと、でも優しく腕を掴んで離さない。



「余計な...っ、お世話、だし、っ」


「そうかもな」


「そうなの…っ、ふ、っ、うっ、うああっ」



隠す術も、我慢の理由も取り上げられて

ただ、そのまま泣いてしまえと言われたら

一度溢れてしまったものを止める方法なんてない。


どんなに大人ぶっても

たった一言の許しで、いとも簡単に崩れてしまう私は

間違いなく、ガキだ。


そして、出会ったばかりの生意気なガキの

止まらない涙を、自分の真っ白なシャツで

何も言わずに、ただ優しく腕を掴んだまま

全部受け止めるこの人は、

間違いなく、大人の人だった。

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放課後レモネード 星海芽生 @mei_h

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